第8話 ほら吹きと巨人
「まったく…しんどいね」
楓夏はポケットから取り出したハンカチで手についた血を拭う。
足元には首と両腕が切断された死体が転がっているが、そんなこと気にする素振りも見せず新しい煙草を取り出した。
「はぁ~、こいつらも運が悪いね。教団からの仕事だからそんなに報酬良くなかったでしょうに…」
咥えていた短い煙草を捨て、新しいのを吸い始める。
「さてと…そろそろ任務遂行しますか」
楓夏は龍之介がいる路地裏の方を向いた。
それに気づいた龍之介はいち早く顔をひっこめる。
「おーーい!そこに隠れてるんだろ?もう悪い奴らはおじさんが倒したから、早く出てきなさい」
完全にバレている。
さっき振り向いた時に目が合ったような感じがしたが、気のせいだと高を括っていた。
それでも龍之介は出ていこうとはしない。それもそのはず。相手は警官とは名ばかりの殺人鬼だ。
誘拐未遂犯を倒してくれたのはありがたいが、だからと言って殺すのはやりすぎだ。良心とか道徳とか、なにより警官がしていい行為ではない。
(ぜっっっっっったいに出ないぞ)
龍之介はとにかく動かない。
自分は"植物"だと言い聞かせ、全神経を集中させて存在を消し去る。
「大丈夫!おじさん悪い奴じゃないから!その裏のところに隠れてるんだろ!分かってるから出てきなさい」
どうやら龍之介の努力は無駄のようだ。諦めて立ち上がると、少し顔を覗かせて楓夏の顔を確認する。
(………やっぱ信用できねえ!)
とても警官には見えない風貌をしているが、今はそこに返り血もプラスされている。
「こいつが犯人です」と言えば、すぐに逮捕されてしまいそうな………信用するのはまず無理だ。
「なーにジロジロ見てんだよ!早く来いよ!安全な場所まで連れてってやるからよ!」
手招きをする楓夏の姿は不審者そのものだ。ついて行ってはいけないオーラが漏れ出している。
「まったく…なに照れてるんだか………。腰抜けてんのか?俺がそっちまで行ってやるよ!」
照れてもいないし、腰が抜けてもいない。
否定しようとしたが、楓夏が歩きだそうとする素振りを見せたので龍之介は姿を現した。
「やっと出てきたよ…。大丈夫だったか?ケガしてないか?」
「だ、大丈夫です…」
「は、なんだって?」
恐怖と緊張で声がうまく出せない。
女のような弱々しい声では楓夏に耳に入らなかった。
「もっとハッキリ!」
「だ、大丈夫だす!!!」
勇気をだして力を込めた大声は残念な結果になってしまった。
(か…噛んだ~…………)
恥ずかしさのあまり下を向いて顔をそらす。
その姿を楓夏はどこか嬉しそうな表情で見つめていた。
「そうかい。よかったよ怪我がなくて。さぁ、とりあえずここから出よう」
「え、あの…」
「ん?どうした?なんかあるのか?」
「いや…その………」
龍之介はもう一度勇気を出して声を上げた。
「が、学校があるので失礼します」
「が…学校?」
龍之介の思わぬ発言に楓夏はキョトンとした表情を浮かべている。
別に学校に行きたいとか、大事なテストがあるとか特別な用事はない。今はただこの不審者と離れられればそれでよかった。
「電車の時間が近いのでもう行きますね」
小走りで路地裏をでた龍之介は、死体から目をそらしつつ駅の方に向かった。
電車の時間など疾うの昔に過ぎている。見え透いた嘘だ。駅に向かうのも隠れられる場所が多いという理由だけだった。
今度はバレないように隠れてやると意気込んでいた龍之介が走り出そうとしたその時、
「ちょっと待ちな」
肩に手をのせられ歩みが止まる。
後ろを振り向くと楓夏が無表情でジッと見つめている。
「あの…電車が…行っちゃうので……」
見上げなければ顔が見えないほどの巨大な楓夏は、側にいるだけで強い圧を放っている。
肩が鉛のように重い。軽く手をのせられているだけなのに。
「本当に…いそいでるので…」
「まあ、逃げ出したい気持ちもわかるけどよ。おじさん君に聞かなきゃいけないことあるんだわ」
「いや…だけど…」
「大丈夫!何にもしないからさ!とりあえず向こうに行こ!」
楓夏は駅と反対の方向を指さした。
どうしても龍之介を開放したくないらしい。
思い返してみれば楓夏も不審な点が多々ある。人を殺した時点ですでに普通の人間ではないのだが・・・。楓夏は事前に龍之介のことを知っていた。
3人の男たちに会ったとき「高校生を探している」と言っていた。町に人がいない状況にも全く動じていない。それに、普通の警官だったらこの時点で応援を呼ぶのが通常の対応だろう。
考えれば幼児にでもわかることだったが、改めて楓夏に対する認識を固めた。
「え、遠慮しときます!」
楓夏の手を払い、駅に向かて走り出した。
逃走といっても間違えではないだろう。
(とにかく今はあいつから離れよう)
振り返ると、楓夏は頭を掻きながらめんどくさそうな表情をしている。
あのまま黙ってついて来ると考えていたようだ。
(よし、まだ動いていない)
本日3度目の全力疾走だったが、速さは最初とほぼ変わらない。
それを実感していた龍之介は自分の体力にどこか違和感を覚えていたが、今はとても都合がよかった。
(このまま行けば大丈夫だ)
楓夏との距離もだいぶ離れてきた。商店街の出口まで残り30メートル───
(出口をでて右に曲がれば後はまっすぐだ)
龍之介は念のため後ろを振り返る。出口まで残り20メートル───
(え……?)
数秒前まで傍観していた楓夏が忽然と姿を消していた。
あの巨体を見つけられないなんてことはあり得ない。裏路地に入ったかとも思ったが、あそこは行き止まりで商店街から出ることは無理だ。
胸が締め付けられるような、重くなっていくような感覚が龍之介の不安を増大させる。出口まで残り10メートル───
(どこにいったんだ?)
もう足を止めることはできない。
そのままの勢いで、商店街を抜けた龍之介は右に舵をきった。
「ごめんよ、龍之介君」
「うそ………」
壁のように立ちふさがる楓夏。
それを確認した龍之介が反転しようとした瞬間・・・
「うッッ─────」
楓夏の手刀が頸椎に直撃した。
打たれた記憶も残らないほどの速さで龍之介の意識は途切れた。
「本当にごめんよ…。恨むなら俺じゃなくて上司を恨んでくれ」
楓夏は龍之介を軽々と抱きかかえるとそのまま町を後にした。
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