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王子とアホと、シーフの女

 清々しい朝、石の中でのんびりしていたわたくしは急に呼び出された。昨夜と同じ宿の部屋で、目の前にはやはり昨日のようにベッドに腰掛けた殿下がいる。

 先日までは怪我をしていたり色々とあったりで余裕がなかったけれど、改めて見ると。


「……なんだ?」


 きょとんとする殿下の御髪が、窓から射す朝日に当たって輝いている。


「殿下はお美しいなぁと思いまして」

「不敬ポイント一追加」

「何故ですか……!?」


 殿下は、ふい、と顔を逸らしてしまわれた。

 わたくしそんなに失礼なことを言ったかしら。以前と違って自制心が消えてしまった心では、失礼の基準すらも違ってしまうのかも。昨日の今日で朝からこの調子だと、五十日も続かず処されてしまう予感しかしない。


「……おはようございます、殿下」

「おはよう。今日の予定を伝える」

「はい、なんなりと」


 召使のようだと思わないこともない。けどまあ、大きく括ってしまえば貴族なんて王族の召使みたいなものだし。そこに責任とか陰謀とかが常について回るだけで、頭は上がらない立場なわけだし。


「この街に来たのは、お前を召喚獣として登録するためだ」

「そういえば、そんな決まりがありましたわね」


 召喚石を発見した場合、教会に報告しなければいけない。召喚石はそれだけで強力な武器となるため、召喚獣の種類やランク、使用者などを登録することを義務付けられる。そこで召喚主として相応しくなければ――主に前科者等――、石を取り上げられることもあるそうだ。

 法律の魔法の項に記されているけれど、わたくしには縁遠い話と思っていた。


「ということは、本日は教会に?」

「ああ。召喚石の登録ができる教会はそう多くなくてな、お前を拾った地点からは、この街の教会が最も近かった」

「色々とあるのですね。……登録ということは、教会ではわたくしが召喚されることも?」

「あるだろうな。そこで軽くだが、お前の力を試されることもあるだろう。ただ頼みがある」


 間を置いて、


「他の人間がいる前では、不必要に声を出すな」

「……理由をお聞きしても?」

「お前の髪色も特徴的だが、声も『コレット嬢』そのままだろう。令嬢――に限らず、人間が召喚獣になって誰かに使役されていると世に知られれば、あまり良いことにはならない。せめて魔王による混乱が収まるまでは、伏せられるものは伏せておく」


 人間が人間に使役される。

 奴隷制度は今も残っているけれど、それとはまたわけがちがう。貴族でさえ、召喚獣になることで意志を奪われてしまうならば、その事実は社会の基盤に穴を空けてしまうだろう。わたくしが死んで石に封じられた理由はわからないし、ただの偶然かもしれない。けれどその方法を確立するために、何度も醜い実験が繰り返される――そんな可能性も、きっとある。

 わたくしが神妙に頷いたのを見ると、殿下は立ち上がって、


「話は以上だ、戻れ」

「かしこまりました」



 といった理由で教会に到着し、わたくしは少々緊張している。

 椅子に座って、いつ呼び出されるのかとどきどきしながら待ち構えている。

 あ、今なんか空気がざわってした! 殿下、教会に入ったのかな。


「ノエル殿下! いやはや、大きくなられて……」

「久しいな、クーウェル司祭」


 ああやっぱり!

 他にもたくさんの気配を感じる。女神に祈る声、子供の声、女性の声――。

 スカートを握りながら、とにかくたくさんの情報を得ようと、ひたすらに耳を澄ませた。わたくしはそもそも活動的な性格ではないのだ。屋内でずっと本を読んでいたいのだ。この白い空間から呼び出されてもいないのに、今からすでに「帰りたい」気持ちでいっぱい。


「召喚石の登録で来た。一つ頼む」

(……あ)


 殿下のポケットから出されて、手に取られる。その感覚がわかる。わたくし自体を柔らかく包み込まれているみたいな温もりと、さっきとは違う、どこか甘ったるい緊張がある。

 恋なんかより、もっと軽く浮ついた、純粋な高揚感。

 彼に呼び出されたいって、わたくしはきっと望んでいるのだ。

 なんて単純なの。さっきまで帰りたいとか思っていたのはどこの誰。


(いえ、……ということはつまり、わたくしはすでに、彼の……召喚主の制御下というか、支配下というか、ペットというか、つまりそういう存在になっているのね? そういうことね?)


 外で、殿下と司祭が話を続ける。


「ふむ? ……黒い、ですな」

「ああ、黒い。私も初めて見るが、やはり珍しいものか」

「このクーウェル、これまで多くの召喚石を見てきましたが、黒は見たことも聞いたこともなく……、ほう、この魔力は……ほう、……これは」


 ほうほうと分かっているような相槌を打ちながら、実はあんまりわかってなさそうな司祭だ。とりあえずわたくしの石がすごいということだけは確からしい。

 司祭はのったりと独特の速さで、手続きを進めてくれる。


「やはり少し特殊ですなあ。早速ランクを測ってみましょう。準備いたします。その間、ええと……、ああ、これだ。これに、わかるだけでいいので、ご記入をお願いいたします。これは本人の肉筆でなければいけないものでして、その、」

「いい、わかった。そこまでかしこまるな」


 ややあって、滑らかな紙にペン先が走る音が聞こえる。さらさらさら。

 わたくしも、誰かに手紙を書くときは上質な便箋を使っていたけれど、それよりもずっと滑らかなものだ。少し厚めかな。――正式な書類だ。


「これでいいか」

「ありがとうございます。……ふむ、ふむ。……ふむ?」

「何か問題が?」

「いえ、個体名が不明とは?」

「見てもらった方が早い。司祭の前での召喚義務があったな。ここで出しても構わないか」

「それは構いませんが、この教会内に収まりますか? なにせこの魔力です。中の召喚獣がどれほどの大きさなのか……。あまりに巨大なものですと、屋外に移動しての方が」

「それは問題ないだろう。一人の小柄なご令嬢程度の幅しかないからな」

「はあ……、それでは、お願いいたします」


 司祭の納得いかなそうなお返事を聞いた直後、わたくしは呼び出される。


 ふふ。

 無意識の笑みがこぼれる。

 殿下の魔力は、とってもおいしい。


 おなじみの黒い霧が晴れたところで、そうっと目を開けた。

 正面に女神の像があった。

 高い天井を見上げてみる。はめ込まれているステンドグラスが、真上から射す陽光に色をつけて、女神像を照らす。この黒いヴェールを被っていても、その光が、この目に飛び込んできた。

 わたくしが降り立ったここは、教会内でも一番に綺麗なところだったみたい。


「どうした?」

「…………。」


 いえ、と首を振る。呆けている暇はない。

 隣にいた殿下と、少し離れたところにいる司祭に、もはや癖になった一礼をする。


「クーウェル。彼女が……、クーウェル?」


 薄い白髪頭に長い帽子を被った六十代ほどの司祭は、ぽかんと呆けてわたくしを見ている。なんだろう?

 ささやかなざわめきが耳に入って周囲を見てみると、他の一般市民の皆様も広く距離をとって、こちらを見ている。変な静寂だ。どうしようこれ。こんなにまじまじと見つめられると、ちょっと怖いのだけれど……。


「クーウェル」

「……ぁ、ああ、申し訳ない。彼女が?」

「ああ、私の召喚獣だ」


 彼の手が背に添えられて、一歩前へ促される。どうせ見えないだろうけれど口元で微笑んで、できるだけお行儀よく努めた。召喚獣でも、わたくしは獣ではないのだ。


「では早速、」


 殿下が言いかけて、

 どばんっ!

 教会の、両開きの扉が突然開いた。静かな教会だから、その音が余計に大きく思える。

 扉を開けたのは一人の女性だった。わたくしよりも背は高そうで、露出が激しい恰好をしている。お腹が冷えそうだ。色合いはさほど派手ではなく、身軽さを追求しただけで女性らしさなんて考えていません、という意匠だった。柔らかそうなライトブラウンの髪をショートカットにして、どこか猫っぽい印象だ。


「ここにっ、ノエル殿下がいると聞いてっ、……て、……て……て、」


 彼女は言葉をぴたりと止めて、わなわなとこちらを指さして、


「け、結婚!? 真っ最中! ごめんなさいでしたーーーーっ!!!」


 そして騒々しく扉を閉めて、去ってしまわれた。


(……んん?)


 結婚とは。

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