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王子とアホ

 国は勇者を選べない。

 勇者本人にだって選択権はない。自分は行きたくないとか、他に相応しい人がいるとか、結婚の約束をした幼馴染がとか、歴代の勇者がそんな言い訳をしばしば口にしていたらしいけれど、この世の摂理は許してくれなかった。

 勇者は勇者だから勇者なのだと、世界に決められている。

 魔王は満月の夜に生まれる。その朝に、どこかの誰かの体に勇者の紋章が表れる。その瞬間から、その「誰か」は勇者なのだ。王城お抱えの魔術師パワーによって捕捉されるその勇者は、奴隷であったり貴族であったりする。成長した勇者は旅に出て、魔王を打ち倒し、王から多大な謝礼金を受け取り、美人な嫁をもらって余生を平穏に暮らす――ここまでがセットである。

 今回、大いなる世界の意志によって勇者に選ばれたのは、アレクサンドリア王国の第一王子、ノエルだった。

 彼が手の甲にぺかーと輝く紋章に絶句したのは、三ヵ月前のこと。あまりの行きたくなさに手の甲の皮膚を剥ごうとして護衛に止められたのが二ヵ月前のことで、盛大なパーティーで方々から他人事のような激励をもらった――実際に他人事なので、それもまた癪に障る――のが一ヵ月前のこと。


 そして現在。

 空に下弦の月が張り付く夜。

 ノエルは、一人で死にかけていた。


 山肌から滑落した。深い山林を、裾野に向かって走っていた。傾斜と重力に身を任せて、自動的に足を動かしている。ふらふらと、所々で木の幹に手を付きながら。

 金糸のような髪は、右側が血で張り付いている。魔物に叩き付けられた時の傷だ。

 鋭い爪で抉られた脇腹は絶えず痛みを訴えていて、歩くたびに血が逃げる。ぼとぼとと地面に落ちて、重たい水音がする。傷口を押さえていた手の指先からひんやりしていくのに、傷口ばかりが熱い。

 右手には、中ほどから折れた剣がある。

 城を出る時に手渡されたものだ。けれどもう使えない。手放した方がいいのかもしれない。けれど、怖い。今はこれだけが、唯一残された攻撃手段だ。


(どうする、攻撃魔法ができるほどの魔力は残されていない。折れた剣でどこまで戦える?)


 ――ぱき、

 枝を踏む音がして、振り返った。

 ふしゅる、と生臭い獣の息遣いがして、その直後にノエルの体は飛ばされた。


「ぐっ……!?」


 長い爪に腕を大きく抉られながら、彼の体は木々の間を抜けて、大きな岩に背中を打ち付けた。


(……死ぬな、これは)


 己の三倍は大きな熊を見上げて、思う。

 つまらない人生だった。

 熊はじりじりと近づいて来る。けれどノエルは、もう一歩も動けない。先の衝撃で、足もどこかが折れてしまったのだろう。痛みも感じない。思考がぼやける。

 彼は剣を手放して、地面に手を着こう――としたその時。その手に、丸いものが触れた。


(……石?)


 つるりとした硬いもの。触れると温かいが、生き物ではない。その手触りを、ノエルは知っている。

 魔石だ。

 白であれば、魔力を貯蔵している白魔石。色がついていれば、魔法そのものを閉じ込めている色魔石だ。どちらも市場で高く取引されているから、こんなところに落ちているとは考えにくい。

 けれど、今は可能性に縋ろうと思う。

 この場では白魔石が好ましい。

 色魔石では望むような魔法が仕込まれていないかもしれないし、少しでも己の魔力を回復できたなら、まだ勝算はある。

 熊が近づく。一歩一歩、地面を踏みしめてくる。地鳴りが腹の底に響く。


(なんにしても、祈る他にないな。白なら魔力を得て、師匠にも苦笑をもらった回復魔法もどきに充てて、すぐに逃げよう。色なら……最大出力で一発当てて……それで昏倒でもしてくれればいいが、何にせよ機会は一度きりだろう)


 さて、何が出るか。ノエルは視線を下げて、掴んだ石を見下ろした。

 黒い。


「…………。」


 艶々の、元気な漆黒である。

 黒い魔石など、見たことも聞いたこともない。

 もしやただの宝石か。どこぞの令嬢が落とした宝飾品からぽんと抜け出て転がったのか。いや、この温もりはたしかに魔力によるものだ。


 熊はもう目と鼻の先だ。


 このままでいても、死あるのみ。そして魔王でもなんでもない魔物に殺されて、役立たずの王子として後世にまで語り継がれるのだ。望んでもいない勇者にされて、勝手な期待を背負わされて、命懸けの旅をさせられて、どこぞの貧乏村では金持ちの物見遊山かよと罵倒されるし、助けようとした人間には裏切られて魔物に襲われるし、倒したと思ったら運悪くその土地随一の魔物と強制戦闘に入ってしまうし――猛然と腹が立ってきた。

 ここで終わってなるものか。

 ノエルは笑った。

 自分でもおかしいと思うけれど、笑いたくなったのだ。民衆という理不尽に、王子という不自由に、あるいは勇者という運命に。

 笑って、そして、何が出るのかもわからない真っ黒な魔石に、魔力を込めた。

 ノエルの総魔力を百とするなら、残量はたったの一。小火を一発出せるか否かの微かな力を絞り出して、手のひらから魔石に注ぐ。石によって必要魔力は違うけれど、これでいけるなら、どうか、どうか――。


 運命が変わった。

 それは、瞬間だった。


 黒く禍々しい風が渦巻く。

 石がノエルの魔力を吸い取って、代わりに新たな魔力に変換した。膨大で高密度の魔力。地から天に届く大気のうねり。夜闇にあっても圧倒的な漆黒の渦が、そこに留まった。ノエルと魔物の間に突如現れたそれは、徐々に収束する。

 そしてそこに、『それ』がいた。

 黒い花嫁のような、淑女だった。

 黒を纏っていながら、優雅に流れる滝のようなストロベリーブロンドが可憐だ。小柄な女性。彼女の足は地についておらず、ふわりと浮遊している。


(召喚石だったのか)


 大別するなら色魔石の部類だが、封じられているのは魔法ではなく、魔物である。

 色魔石を千個集めて一つあるかという、大変に貴重な石だ。

 見分けは付かず、石を発動しなければ気付かない。発生状況も不明だ。ただ言えるのは、黒い召喚石もやはり聞いたことがないことと、召喚石に封じられている魔物は総じて強力だということと、召喚主に従順であるということだけ。


(……召喚獣って、人型の個体がいたのか?)


 召喚石に封じられた魔物は召喚獣と名を変えるけれど、それでも魔物は魔物だ。けれど、あの後姿はどう見ても、華奢なご令嬢ではないか。

 そうこうしている間にも、熊の巨体が来る。なりふり構っていられない。


「君!」

「…………。」


 ノエルが声をかけると、彼女が静かに振り向いた。ヴェールを被っていて、顔はわからない。

 彼女が召喚獣であるなら、召喚主の命令を聞いてくれるはずだ。


「あれを、退けられるか?」


 彼女は熊を一瞥して、再びノエルを見て、こくりと頷いた。


「頼む」


 彼女は返事の代わりに、ドレスを摘まんで礼をした。淑女の鑑のごとく優雅なカーテシー。

 そして彼女は、熊に片手を向ける。

 細い手指が優雅に熊を誘い、そして、


 ――熊が倒れた。


「……ん?」


 ノエルが呆ける中、黒い淑女は彼の前にふわりと膝を着く。その片手には透明なものがきゅるきゅると渦を巻いていて、よく目を凝らせば、そこだけ景色が歪んで見えた。


「……信じられないな。闇属性の召喚獣など、初めて見た」


 おそらくこの透明の玉は、あの魔物の生命力だ。彼女は最小限の動きで、いとも簡単に、それを奪った。

 黒い魔力。禍々しい能力。

 華奢な彼女はきっと、いま己が思う以上に強く、希少な存在だ。

 彼女の手が、ノエルに向けられる。奪った生命力を取り込めば、この傷も一瞬で治るのだろう。彼は彼女の向こうで倒れ伏している熊の死体を眺めながら、「すまない」と呟いた。




 傷が塞がったことを確認すると、ノエルは彼女に命じる。


「ありがとう、助かった。そろそろ石に戻ってくれるか?」

「…………。」

「……どうした?」


 彼女が動かない。どうしたのかと待ってみると、


「……あの……」


 なんと、彼女が口を開いた。高く澄んだ、愛らしい声だ。

 召喚獣って話すものだったかな。ノエルが固まっていると、彼女は自分のヴェールを摘まんで、あっさりと顔を晒してしまう。なんだか知っている顔だった。


(……侯爵家の? どうしてここに?)


 思い出すほど、彼女はここにいてはいけない人物だ。けれどこの顔は見間違えようもないし、打算も媚びもなく困ったように見上げてくる愛くるしい小動物的な雰囲気は、あの令嬢でしかありえない。


「コレット嬢、ですか? ハーベスト家の」

「ええ、覚えていてくださって幸栄ですわ、ノエル殿下。ですがこれは、いったいどういう……?」


 そんなの、ノエルの方から訊ねたい。

 ハーベスト侯爵家のコレットといえば、社交界で知らぬ者はいない令嬢である。

 華奢な体と美しい髪は儚げで、エルフか妖精の末裔かと言われるほど繊細だ。少々低めの身長も庇護欲をそそり、オルゴールのように澄んだ声色は彼女の魅力を飾り立てる。

 お茶会では、菓子を楽しみにしていたようだ。本人は令嬢として抑えてていたようだけれど、シェフ渾身のスイーツをゆっくりと楽しみ、美味しさが堪えきれないとばかりにこぼれる笑みも、皆から愛されるものだった。

 蝶よ花よと育てられたご令嬢。

 それなのに、この惨状である。

 お前は一体何なんだ、なんで侯爵家令嬢が召喚石から出てくるんだ。ノエルはそっと石を持ち上げて、彼女に見せる。


「黒い魔石、ですわね」

「これに魔力を入れたら、貴女が出てきたんです」

「わたくしが?」

「ええ。つまり貴女は、この石を憑代とした召喚獣であるわけです」

「わたくし、獣ではありませんわ」

「はい、私の目でも人間に見えます。ただその力は――」


 ノエルは言葉を切って、


「……面倒だな」

「え?」

「召喚獣を相手に外面を取り繕うこともないだろう。口調はこれで許せ」


 彼女のことはただの召喚獣として扱ってしまおうと、ノエルは開き直った。相手がコレットと知って咄嗟に口調を変えたけれど、それも不自然だろう。


「殿下はもっと丁寧な方だったと記憶しているのですが」

「いつも笑顔で丁寧で容姿端麗でなんでもできる。そういうのが好まれると思って演じてみれば、それで定着してしまってな。元の私は、よく笑うこともないし優しくもない」

「わたくしには隠さなくてよろしいのでしょうか?」

「己の持ち物に気を遣ってどうする」

「持ち物ですか」


 ノエルにとっては、今更だ。石を使って彼女を召喚したのは自分なのだから、彼女の主人は自分なのだ。


「お前は間違いなく、貴重な特上クラスだ。当分の間、手放す気はない」

「み、御心のままに……?」


 よくわからないまま返事をしてしまう彼女の迂闊さに、ノエルは苦笑する。


「……コレット嬢はここまでアホ……、いや、考えなし……、奔放な令嬢だったか?」

「アホっておっしゃいました?」

「淑やかで華憐で理想的な方と聞いたが、もしや別人とか」

「アホっておっしゃいました?」

「しかしこの髪色はなかなかないし、やはり本人なのか……」

「アホって」

「とにかく場所を移動しよう。戻れ」


 強制送還である。石に吸い込まれていく令嬢の声が「あぁ~~~~~~!」と間抜けにフェードアウトしていく。実に愉快なことだ。社交界の妖精と名高い令嬢の面影は、欠片も残っていない。

 静寂が戻った。


「……疲れた」


 ノエルのそんな独り言に、返事をする者はいない。

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