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序章

「……これまでか」


 勇者が言った。

 金髪緑目でロングソードを構えた、繊細な顔立ちの男である。模範的な剣さばきと、物理と魔法を交互に打ち出すバランスの良い攻撃方式は、絵に描いたような勇者である。しかし今は、額の傷から垂れ落ちる血液が、その肌を汚していた。


「あの方の覇道に、貴様は邪魔だ」


 魔物が言った。

 翼を広げなくても一軒家ほどの大きさがある、巨大な鷲である。そして翼は蝙蝠の形をしている。羽毛はその一本一本が針のように固く、猛禽類の赤い双眸は勇者たちを睥睨する。

 魔王を崇拝する魔物の中でも強力な、七匹の大魔。その一柱を討とうと、勇者は仲間たちと共に荒城へ乗り込んだのだった。

 勇者は苦戦していた。魔力は尽きかけている。剣を杖代わりにかろうじて立っていて、荒々しく呼吸を繰り返している。目に入りそうな血を乱暴に拭って、


「は……っ、まさかこんなところで苦戦するなんて、まだまだ、修行が足りないようですね……」


 こびりついた泥と血は、それでも彼の美貌を隠せない。


「どうしょっかー? ちょっと、かなーりヤバめだけど~」


 シーフの女が、双剣をくるりと回す。余裕そうな表情をしているが、右足の骨には罅が入っている。ふわりとした猫っ毛の茶髪が頬に張り付いていて、鬱陶しそうに払った。


「どうもしない。がんばる」


 治癒師のショタが言った。身の丈に合わない長い杖を携えて、重そうなローブを着込んだ、黒髪の十歳である。旅路でたまたま寄った村でたまたま出会った口数の少ない子供だが、その回復魔法の才能はたしかであり、回復魔法を連発している。

 槍使いと魔法使いも、皆が息を乱していた。

 予測できない不運が重なって、万全ではない状況での会敵だった。これでは、先にあるのは死のみだ。

 できれば自分たちの手で倒したい。撤退して体勢を整えたいが、このまま逃げられるとも思えない。

 勇者の決断は早かった。


「みんな、下がってください」


 え? どうするの? 何か手があるの? そう言いたげな仲間たちに何も言わず、彼は首に下げたネックレスを掴んだ。そのトップ部分は、網状に組んだワイヤーで固定された石がある。黒く艶があり、いつ何時でも彼の傍にある――召喚石。


 あっ。


 皆が察して、瞬間に後退した。シーフの彼女の脚から嫌な音がしたけれど、聞こえないふりをした。

 あの場に居てはならない。

『彼女』が来る。

 皆が彼女に恐怖する。

 そして半分は期待する。我らが勇者にのみ祝福を与えたもうた黒き淑女が、世界最高峰の戦力が、あの巨悪を粉砕する様を見届けたいと。

 魔物よりも恐ろしい、純粋な闇が――来る。


「おいで――、」


 高揚する皆の視線にも目を向けず、勇者は召喚石に口付けて、甘く囁いた。


「コレット」


 呼ばれて――、

 黒の光が現れる。いくつもいくつも、それは勇者の前に集まって、やがて人型を取った。寄り固まった闇が弾けると、そこには一人の女性が立っていた。

 顔を隠すヴェールが、魔力の風に揺れる。ドレスは豪奢に広がり、長いトレーンが流れるように尾を引いている。奔流する闇の魔力を含んだ裾がひらひら踊るけれど、はしたないとは思えない。手袋からスカートのレースまで、純粋な黒だった。

 毛先に向かって癖のあるストロベリーブロンドは、腰に付くほど長い。

 高濃度の魔力に圧されて、勇者以外が一歩、足を引く。

 彼女がそこに立つだけで、彼女こそがこの廃城の主なのだと、錯覚させられる。


「敵はあれです。すみませんが、お願いしますね」


 その命令を受けて、彼女は跳んだ。両手で裾を優雅に持ち、とん、と軽い足音を響かせて、そしてその姿が消える。魔物の頭上に現れ、


 ――とん、


 黒いドレスシューズの爪先で、額に降り立った。

 そして魔物が、()()()()()()()

 ぐ、ぎ、と苦しい声だけを漏らして、魔物は微動だにしない。その肉体のほとんどが、もう死んでしまったから。

 あれだけの強敵が最期の咆哮も上げられずに、足先からぼろぼろと崩れていく。呆気ないものだった。


「何度見ても、心強いですね」


 勇者の言葉に、誰もが頷いた。そして胸中には、一抹の焦燥と悔しさを覚える。彼女が敵を滅する光景を見ると、自分たちの力不足を痛感してしまう。だから勇者は、戦闘中に彼女をなかなか呼び出さない。

 残った頭で「私は大魔の中でも最弱でうんたら第二第三の大魔がうんたら」と苦し紛れに述べながら、魔物が消えていく。

 彼女が纏う闇色のドレスとヴェールが揺れた。その周囲で、魔物が為す術もなく粉塵と化し、風に流されて散る。

 彼女の気品と、圧倒的な破壊が、同じ視界の中にあった。

 彼女は己の召喚主に向かって、優美なカーテシーを見せる。そのヴェールの中から、淑やかに恥じ入る声が聞こえる気がする。


 ――お目を汚してしまいました、と。


 一度として、彼女の声を聴いたことがないのに。



 闇の聖女サンクテ・デ・テネブリースと、彼女はそう呼ばれている。

白竜(ホワイトドラゴン)』『大海蛇(シーサーペント)』といった種族名がない。人型だが、人間なのかもわからない。人型の召喚獣は彼女しかいない。コレットとは、勇者が彼女に付けた呼び名である。



「ありがとう」


 勇者は彼女に、手を差し出した。パーティーで貴族令嬢を誘うように――もっとも、彼は普段、己から女性に声をかけることはないけれど。

 その手を、彼女は無言で取った。


「またお願いします」

「…………。」


 そして石に消える。

 召喚獣は言葉を持たず、感情を持たず、最低限の仕事しか行わない。

 勇者の仲間たちは、彼女の声を聴いたことはない。攻撃時や挑発で鳴き声を発する召喚獣たちと違って、彼女は声を持たない個体なのだろう。それなのに、勇者は彼女を呼び出すたび、愛おしそうに話しかける。

 勇者は、決して結ばれることのない彼女に、恋をしているのだ。

 そうなるのも無理はない。この国の第一王子にして、魔王を倒す重責を負う彼にとって、彼女の力はあまりにも――尊いものだろうから。

『剣聖』の異名をとる彼だが、近頃は『聖女の御使い』の別名も囁かれている。



 世界中に拠点はいくつかあるが、その中でも広い屋敷に帰って来た。勇者含めて五人の仲間たちが、個々の部屋を持っても余裕のある、二階建てのお屋敷である。「あー帰ってきたぁー! えへへへへー寝ていーい?」シーフがソファに寝そべって、「寝るなら自分の部屋で寝ろよ」槍使いがそっけなく返した。


「ぼくも……へや……いく……」

「カロは本当に寝た方がいいですね。昨日も遅くまで調薬していたようですから……。お疲れ様です」

「ん」


 ふらふらと階段を上がっていく少年の背を見届けた勇者は、


「では、私も部屋に行きます。何かあれば、」

「へーへー。食事は任せろ。おら、買い出し」

「え~~? あたしも~~やだ~~動きたくないよ~~ぅ」

「ほなボクも下がるわ。しばらく地下には近寄らんといてなー」


 魔法使いの男は、買い出しに巻き込まれないように素早く自室へと向かってしまう。地下は書物置き場になっているが、彼があまりに入り浸っているので、今ではそこが彼の個室ということになっている。

 仲間たちの喧騒を耳に入れつつ、勇者は個室に向かう。

 二階の角部屋。そこにはベッドと未使用の衣類、いくつかの家具がある。

 彼はロングソードを壁に立てかけて着替えを手に取ると、シャワー室で長旅の汚れを洗い流した。その際には防具も武器も手放すが、首には召喚石を着けたままである。

 バスローブを着て個室に戻った。頭にタオルを被せたままベッドに腰掛けて、召喚石を手に取って、


「出たいなら出てきていい」


 丁寧な口調を投げ捨てた。

 重い魔力が渦巻いて、彼女が出現する。


「…………。」


 彼女は周囲を見た。続いて耳を澄ませる。自分たちの近くに誰もいないことを確認する仕草は、臆病な小動物のようだ。

 安全確認を済ませると、こつ、こつ、と軽やかな足音をさせて、召喚主の元に歩み寄り、


「もうっ!」


 神秘的な黒のヴェールを、ぶわさっ、と取り払い、ぺいっ、と床に投げ付けた。

 勇者を強く睨み上げる瞳は、涙で潤んだ琥珀色。髪は艶々のストロベリーブロンドと、可憐な色味を持つ彼女は、その顔立ちも愛らしい。


「わたくしを呼び出すなら! 普通に呼んでほしいと! 以前にも申し上げましたわ〜〜‼︎」


 真っ赤な顔で、勇者の懐を一生懸命にぺちぺち叩く。ダメージを可視化できるのであれば、0、1、0、1、2critical、1、0、0である。激弱の猛攻を「痛い痛い」と受け続ける勇者は、幸せそうな満面の笑みだった。


「もう! もう!」


 ぺちぺちぺちぺちぺち、

 0、0、0、1、0、1、1、1、


「そろそろ不敬罪を適用するぞ」

「申し訳ございません」


 コレットはすぐさま引き下がった。


「お前は、いったい何を怒っている?」

「白々しいことをおっしゃらないでいただけますか。召喚するのにわざわざあのような工程をとる必要はないと再三、」

「あのような工程とは?」

「ですから、あの、わたくしの石に、き、キ……っ」


 わかっているくせに、勇者は彼女の訴えを微笑ましく見守っている。


「キスのことなら、魔力を込めるのに一番伝達が良いだけだ」

「魔力の伝達と仰るわりには、他の石にするところを見たことがございませんわ」

「何を言う。それをしたら浮気になるだろう」

「やはり他意があるのですね」


 項垂れる彼女を、勇者は優雅に見守っている。


「ああ恥ずかしい……」

「はは、あの時は助かったよ。ありがとう」

「ええもったいないお言葉ですわ。そしてはぐらかさないでくださいませ。人前であんな、……もうっ! も~~っ!」

「言いたいことがあるのに強く出られずに言葉を失うところが本当に可愛いなお前」

「罵倒の語彙を備えていないのが心の底から悔しいですわ」

「たとえその語彙があっても、私には何も言えないんだろう? なあ、コレット・ハーベスト」


 勇者――王族の忠実なる臣下である侯爵家令嬢は、「ぐぬぬ」という顔で黙った。それがまたおかしくて、彼は吹き出しそうになる口を咄嗟に押える。

 通称『闇の聖女』。桁違いの魔力を持ち、物理攻撃力は最弱の、世にも珍しい人型召喚獣である。


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