水霊と少女
次の映像が流れた時、少女は少しだけ成長していた。
「リーゼどこに行っていた?」
森の奥から戻って来た少女に水霊は尋ねた。
「え、えーっと」
少女が口ごもる。
水霊がため息をついた。
「また村人の頼みを聞いてきてやったのか」
村人は怖くて森の奥までは来れないが、入り口の辺りをウロウロしてはリーゼが現れるのを待っていた。
リーゼは水霊に加護を貰い水魔術を扱うことが出来ていたから、それを知った村人が水霊に頼む代わりにリーゼにお願いするようになっていた。
「ごめんなさい。水神様から頂いた力なのに」
「私はお前に加護を与えただけだ。その力をどう使おうがそれはお前の自由だ」
「ありがとう、水神様。でも村の人も大したことは頼んでこないのよ。ちょっと畑に水をとかそんな感じなの。そのお礼に今日は新しい服を貰えたわ。ちょうど今着ている服が小さくなってきていたから助かったわ」
「そのボロ布のどこが新しい服なんだ?」
「これでも村では綺麗な方なのよ。古着でもお金を持っていない私にはありがたいわ」
「そのボロ布一つで願い事を叶えてもらっている村の人間の方が助かっているだろうな」
「水神様に加護を頂いて保護して貰っていることに対してはとても感謝しているわ。でも人間はお互い助け合わないと生きていけないの」
「ああ、弱い者は群れないとすぐ死ぬからな」
「水神様は強いから一人で平気なの?」
「そうだな」
「でも今は水神様は一人じゃないでしょ、私がいるもの。ずっとこれからも一緒ね!」
リーゼが笑う。水霊は驚いた顔をした後で少し嬉しそうに微笑み返した。
「ああ、そうだな」
幸せそうな光景だった。
画面が暗転してまた映像が変わった。
幼かった少女はすでに大人の入り口に入っていた。
短くザンバラだった髪は長く伸ばされ後ろに一つ縛りされ、棒きれのようだった身体はふっくらと丸びを帯びて女らしくなり、まるでこれから美しく咲こうとしている花の蕾のようだった。
「リーゼ、どこにいる?」
「水神様、こっちよ。あとちょっとであの実が取れそうなの」
リーゼは精一杯手を伸ばして高いところにある木の実を取ろうとしていた。
「あの実が欲しいのか。言えば私がいくらでも取ってやるのに」
水神が手から水刃を繰り出しうまく切り落とす。
少女の手にポトリと赤い実が落ちた。
「ありがとう。でも私自分で出来ることは自分でやりたいの。水神様になんでもかんでも頼っていたらダメな人間になってしまうもの」
「私が甘えていいと言っているのだから、気にするな」
「気にするわよ。水神様って本当はすっごく優しい神様よね。なんで他の人間には冷たいフリをしているの?」
「フリではない。本当に嫌いなだけだ。そなた以外の人間は話すに値しない」
「またまたぁ無理しちゃって。私は分かってるからね、本当は水神様は人間が大好きなのよ」
満開の笑顔で水霊に語りかける少女。そんな少女を見つめる水霊の瞳は優しかった。
そこにガサガサッと木々を踏み分けやって来た一人の青年がいた。
身なりがよさそうな青年は少女を見て喜んだ。
「良かった、人がいた。僕家臣たちとはぐれてしまって、ここはどの辺りなのかな?」
少女の前に水霊が立ちはだかる。
「ここは人間は立ち入り禁止の場所だ。なぜ入ってきた。殺される覚悟は出来ているんだろうな」
水霊がその手に水を集める。
「待って、水神様。この人はただの迷子よ。あなた、この道を真っ直ぐ行った先に小さいけれど村があるわ。行って、早く!」
水霊の威厳と少女の切羽詰まった物言いに、
「ありがとう」
とお礼を言って急いで青年は消えて行った。
少女は水霊が人を殺さなかったことにほっと胸をなでおろした。
本来ならたまに起きる些細な出来事で終わるはずだった。
けれども少女が伝えた村はかつて自分がいた村だった。
そしてその少年は水神から自分を守ってくれた少女に一目ぼれをしてしまった。
運の悪いことに少年は有力豪族の跡取りで、村人からあの少女が水神の加護を受けた特別な少女だと知ってしまった。
少年はなんとしてもあの少女を手に入れたいと望んだ。彼の父親もまた精霊の加護を失い始めた現在で水神などという強力な精霊から加護を受けた少女を手に入れたいと望んだ。
彼らは金と力を使い村人たちに少女を湖から引っ張り出してくるよう脅した。
最初は水神の怒りを恐れていた村人たちも大量の金を前に数人が裏切り、湖に近寄れるギリギリまで行って、少女が出てくるのを待った。
ある日、木の実がみつからない少女はいつもより遠出をした。そこを運悪く少女を待ち構えていた村人たちに見つかった。
「リーゼ、リーゼ」
村人がリーゼの名前を呼ぶと、少女が気づいて咎めた。
「どうして森の中にいるの?村人は森に来ては行けないと水神様に言われてるでしょう。見つかったら殺されるわよ、早く村に戻って」
「リーゼ、イーダおばさんが病気で今にも死にそうなんだ」
「イーダおばさんが!?」
「リーゼは昔イーダおばさんによく可愛がってもらっただろう。散々ご飯だって分けてもらってたじゃないか。そのイーダおばさんが死ぬ間際お前に会いたいと呟いているんだ。だから俺たちがお前を呼びに来たんだ。今すぐ村に来てくれ」
「待って、じゃあ水神様に言って来るから」
踵を返そうとするリーゼを村人たちが止める。
「そんな時間はないよ、もう本当にすぐ死んじゃいそうなんだ。来てすぐに戻れば水神様にはバレないよ。生きている間に会ってやってよ」
少し悩んだ後、リーゼはじゃあちょっとだけと言って彼らについて行った。
しかし村に入るとリーゼはなぜか彼らに捕縛された。
「どういうこと?イーダおばさんは?」
「あー、あれは嘘だ。イーダおばさんはピンピンしているよ。安心しな、別に危害は加えないよ。ちょっとお前に会いたいっていうやんごとなきお人が見えているんだよ」
やんごとなき人?リーゼの頭に疑問符が浮かんだ。
連れて行かれたのは村長の家で、そこには以前迷子になっていた青年がいた。
「やあ、君にまた会えたね」
「あなた?私に会いたいって人は」
「そうだよ、ああ、なんてことだ。彼女を縄で縛るなんて。今すぐ解かせるから」
命令して縄を解かせようとしたところを少女が止めた。
「必要ないわ」
少女が呪文を唱えると、スパッと綱が切れた。
「別にこんなもの私はいつでも切れるのよ。ただ嘘までついて私を捕まえようとする愚か者の顔を見に来ただけ」
「貴様、口に気をつけんか!」
村長がリーゼに怒鳴りつけ殴ろうと手を振り上げた。
「私に手を出したらどうなるかもう忘れたの?」
村長の顔が引きつって振り上げた手が降ろされる。
「いや、これは誤解だ。ただ私たちはお前に会いたいというこの青年の願いを叶えてやりたいと思っただけで、水神様に刃向うつもりは全くない。じゃあ我々は席を外しますので」
そう言って村長はその場にいた村人全員を家の外に追い出した。
金に目が眩んだが、少女の後ろにいる水神様の恐怖を忘れた訳ではない。
金も欲しいが水神様の怒りも買いたくない。金を貰ったら出来るだけあとは関わらない方がいい。
そう考えてのことだった。
「私に何か用ですか?」
青年に向かってリーゼが冷たく尋ねる。
「あの時はありがとう助かったよ」
「いいえ、お礼を言うために私を呼んだの?それならもう聞いたから私は帰るわね」
用なしとばかりに出口に向かう少女の手を青年は慌てて掴んだ。
「待って、まだ用事は済んでないから」
「じゃあ早く言ってよ。私早く帰りたいの。きっと今頃心配してるもの」
「君の水神様が?」
「・・・」
「ここの村の人に聞いたよ、君水神様の加護持ちなんだってね。凄いね、今精霊と出会うことさえまれになっているのに加護精霊が水神様だなんて。君はこんな田舎に住んで良い人じゃないよ。どう?僕と一緒に僕の所に来ない?少なくともここの村より10倍は大きいよ。僕はそこで族長をやっている父の息子なんだ。君さえ合意してくれるなら、僕は君を僕のお嫁さんとして迎えたいと思っているんだ」
決して断られるとは思っていない口調で青年は少女に言う。
「言いたいことはそれだけ?」
「ん?」
「悪いけど興味ないわ。私は今の生活に満足しているの」
「待って。君はあそこでたった一人で老いて死んでいくつもりなの?」
「水神様もいるわよ」
「神様だろう。人間じゃないじゃないか」
「だから何なの?水神様はそこら辺の人間が束になったって叶わない偉大なお方よ」
「そうじゃない僕が言いたいのは、君はこの先恋も愛も知らずに死んでいくのかってことだよ。結婚は?子供は?あんな他の人間を拒絶した場所で君はたった一人で老いて死んで行くつもりなの?」
「・・・別にそれでも構わないわ」
「そう、君はせっかく世の中を平和にすることが出来る力を持っているのに、その力を自分だけの為に使って皆の為には使わない気なんだね」
「なんですって」
「だってそうじゃないか。君は森の奥に引きこもっているから世の中のことを何も知らないんだろう?今世の中は戦乱の真っ只中だ。あちらこちらで戦火の火が上がっている。いい加減誰かが終わらせなければいけないんだ。君の力があればあっという間に戦いが終わるのに、肝心の君は自分には関係ないと森の奥に引きこもる。君の力さえあれば君のような戦争孤児を減らすことが出来るのに」
リーゼの瞳が揺れる。
「僕はまだ数日ここにいる予定だから良く考えて返事を聞かせて。別に僕と結婚しなくても良いから、僕と一緒に行くことを前向きに考えて欲しい」
リーゼは頷いて水霊の元に帰って行った。
暗い顔をしたリーゼに水霊が訊ねた。
「どうした?リーゼ。具合でも悪いのか?」
「いいえ、水神様。なんでもないわ」
そう答えるもののリーゼはその日から暗い顔をして悩むことが多くなった。
数日経ったある日、リーゼは水霊に告げた。
「水神様、私少しこの森から離れようと思うの」
「何があった?」
「今この森の外では戦争がいくつも起きているんですって。私そんなこと全然知らなくて。放っておいたら私みたいに戦争で親を失くしまう子供がどんどん増えていってしまうから、私なんとかしてあげたいの。一刻も早く戦争なんて終わらせてこの世を平和にしたいから」
「魔術を使って人を殺すのか?そなたが?」
「いいえ、そんな恐ろしいこと私しないわ。水神様のお力を人を殺すことに使ったりなんかしない。私はただ守りたいだけなの。どんなに攻めても効かないと分かれば敵も諦めるでしょう?」
「私は反対だ。精霊がだいぶ少なくなったとはいえ、まだ0になったわけではない。そなたの他に魔術を操れる者はまだいるだろう。そなたがどれだけ強固な壁を張ったところで相性の悪い火属性に責められたらひとたまりもないんだぞ」
「それも覚悟してるわ」
「馬鹿が!どうしても行くと言うのであれば好きにすればいい。その代り二度とここに戻ることは許さん」
「どうして?水神様」
「私の言うことを聞かない人間など受け入れるつもりはない。私は人間同士の争いに関わりたくはない」
「ごめんなさい、水神様。でも私水神様がどんなに怒っても必ずここに戻ってくるわ。だって水神様は私の家族だから」
「来ても私は姿を見せん。二度とだ」
「水神様大好きよ。ああ、私に水神様のような力があればこの世界から私のような弱い存在を守ってあげられるのに。100年でも1000年でも」
「力があっても寿命があるだろう」
「あ、そうね。じゃあやっぱり水神様に頼むしかないわね。水神様どうか1000年この世界をお守りください」
「断る」
ふふふとリーゼが笑う。
「何を笑っている?私はこの世界の人間など守るつもりはないぞ」
「ふふ、水神様が本当は優しいこと私知っているもの。本当は人間が大好きなのもね。だからまだ人間界にいてくれているのでしょう?」
「・・・破壊しようと思っていただけだ」
「嘘ばっかり。水神様すぐ自分の事悪く言うんだから、それ悪い癖よ。まあ、私が分かってあげてるから良いか」
「どうしても行くのか?」
「ごめんなさい」
「そうか、では勝手にしろ」
そう言うと水霊は湖の底に消えて行った。
翌朝早朝、リーゼは湖に向かい水神の名を何度も呼んだけれど、水神は水底から水面を見るだけで出て行こうとはしなかった。
リーゼはしばらく声を掛けていたが、最後は諦めて去って行った。
「きっと、帰って来るから」
何度も後ろを振り返り、リーゼは姿を見せない水霊に告げた。
それから画像では季節が何度も移り変わったけれども、リーゼが湖に戻って来ることはなかった。
水霊はずっと一人で湖に佇んでいた。
リーゼが去って行った方角をただひたすら見つめながら。