闇に堕ちた勇者1
オウカは懐かしい夢を見ていた。
いや、思い出に浸れる良い気分を与えてくれるような夢ではない。
ただの悪夢だ。
『君、もう少し身なりを整えたらどうだ?』
悪夢の中で彼女はいつもそう言う。
当然だ。
この夢は、記憶なのだから。
記憶の中の彼女は、極光騎士団――オウカがかつて所属していた騎士団――の騎士団長のみが着られる白いコートを着ている。
さらに武人肌で、常に額当てをつけて、結び目からあまった布をたなびかせている。
そのせいで、風で舞う美しい金色の長い髪は少し見栄えが悪くなっているが、そこがいい……というのがファンの意見だ。
キリッとした目、戦いに対する勇敢さ。さらには王族という事実と、王族でありながら騎士団長を勤めている事実。
彼女のファンは国内外問わず高い。
子供の頃から彼女を見ているオウカには、今さら、特別違う感想は抱かない。
『なんだ? 俺に何か問題があるのか?』
一方、夢の中にいるオウカは、ボサボサの髪に目の下には隈、さらにはネクタイと呼ばれる貴族たちのクラバットに代わるアイテムを結ばずにぐるぐると首に巻きつけ、スーツとも呼ばれている黒いコートを皺くちゃにして着ていた。
『ウム、問題だらけだ。君の着ているそれは勇者のためにあつらえた逸品だ。それを君という男はどこの木で遊びまわっていた』
『違う。寝つきが悪かっただけだ』
『ちゃんと寝巻きに着替えろと教えてやっただろう。それになんだ、君のそのボサボサ髪は。まるで今起きてきましたと言わんばかりの顔は』
『今起きた。どこかの誰かのせいでな』
『それは私への皮肉か? 心当たりがないのだが』
『あんたが毎日してくれる子守歌がないせいで眠れん』
『それは君のせいだろう。君が卒業してくれないから、私は大きな子持ち扱いされているのだが?』
『いつまでも卒業せんぞ』
『やれやれ、同じ歳の子供を持つことになろうとは。欠片程度の乙女心が傷つくよ』
笑う彼女の顔が真っ黒に染まっていく。
オウカの記憶にある彼女は、この後、毎朝の日課である騎士団の訓練場へと向かうのだが、悪夢はいつも、最後に彼女を真っ黒に染め上げ、闇の中へと溶かしていくのだ。
「消えるなッ!」
毛布をガバッと蹴り飛ばし、いつもの悪夢から抜け出したことを実感する。
虚空へと突き出された手をゆっくりと見つめ直し、自分の存在を再確認するのだ。
本当であれば、闇に堕ちる運命にあったのは自分なのに、と後悔をしながら。
「うなされてましたね? オウカ。どうしたんですか?」
どうやらどこかの部屋らしい。
隣にあるベッドで寝ていたサクラが眠い目を擦りながら、話しかけてきた。
「いつものことだ。むしろ、今日は寝つきが良かった方だ」
「ええ。子守歌を歌ってから、子供みたいに寝ちゃいましたね」
「子守歌だと?」
「はい。あなただけの子守歌」
そう言って、楽しそうにサクラは鼻歌を歌い始めた。
その優しい旋律に、オウカはウトウトし始めた。
ゆっくりと微睡む思考だったが、一気に覚醒する。
「なぜあんたがその歌を知っている!」
彼女に一気に詰め寄るが、笑顔だけが返ってきた。
「契約上の秘密です」
「くっ……!」
歌詞のない、オウカのためだけに作られた曲。
悔しくて、苦虫を噛みつぶしているオウカに対して、いたずらっぽく人差し指で「ナイショ」と言いながら笑っているサクラとは温度差があった。
「そんなに意地を張らなくてもいいじゃないですか。聞きたいなら契約なんて忘れて、教えてくれって言えばいいじゃないですか」
「断る。意気地なしの俺にそんなことはできん」
「張る意地はあるのに、意気地はない。男とは得てして、こういうものでしょうか?」
「知らん」
「素っ気ないですねえ。もっと仲良くしましょうよ?」
「ウサギの肉を食べさせたあんたを一生恨む」
「わたしが食べさせた記憶、ないんですけど……」
そんなことよりもだ。
さっさと依頼主の希望である任務を遂行し、この少女から解放される。
今、オウカにとって大事なのは、この少女と楽しい話をすることではなく、もっと楽しい死と隣り合わせの戦場へと向かうことだ。
それで、気が晴れる。
「それで、ここはどこだ?」
「昨日、食事をしたパブです。主人が倒れたオウカを心配して貸していただきました」
「なら、囲まれてるかもな。ここは一通りの犯罪者の顔は頭に叩き込んでいるからな」
右側のこめかみをツンツンと叩くと、サクラはナノマシンによる力だと納得したようだ。
「大丈夫です。わたしが運びました。店員に運ばせていませんから、顔を見られていません」
「あんた一人で俺をか?」
「はい」
「あんた、もしかして強いのか? 殺してもいいか?」
「ダメです。依頼が終わるまで戦いは、お預けです!」
「そうか! 楽しみが増えた!」
オウカが嬉しそうに声を弾ませると、サクラは笑っていた。
ちょうど、母が子に向けるような、そんな笑顔。
「あいつも、俺が戦いたいとワガママを言うと、そんな顔で笑っていたな」
「はい。こんな風に」
「それは契約違反か?」
「わたしはただ、笑ってるだけですよ。何も言ってませーん」
そっぽを向いて、わざとらしく口笛を吹いている。
華奢な少女の身でありながら、この力強さ。
男性のオウカを一人で運べる力は、どこにあるのだろうか。
そして、オウカを見てきたかのように知っている。
彼女の正体を知りたくても、オウカは怖くて尋ねることすらできなかった。
「それよりも作戦会議をしていきましょう」
「ここから王城まではかなりの距離があるぞ?」
「はい。ですが、相手は強大です。あなたがこれから対峙する相手は帝国の極光騎士団。ですので――」
サクラは小さな愛らしい鞄から丁寧に折られた紙を取り出すと、丁寧に開いていく。
そこには手書きで書かれた王城の地図があった。
「まずはここ!」
サクラはその中にある、『まずはここ!』と吹き出しに書かれたマークに指をさした。
「生物錬金術所か。騎士団時代は、なんのためにあるか分からん施設だったな――それで、ここがどうした?」
「ここには必ず行けと言われました」
「どうしてだ? それがあんたの目的なのか?」
「違いますが、必ず行けと言われました。わたしの目的はここからです」
サクラは生物錬金術所から指が止まる。
「生物錬金術所の用がすんだら、次は……このまま部屋を探します」
「部屋? なんの部屋だ?」
「わたしの目的は王城に隠された部屋に行くこと。誰も知らない、隠された部屋です」
そこからは地図をどれだけ見ても、目的になる場所は書かれていなかった。
サクラはオウカのように右側のこめかみをツンツンと突いた。
体内にあるナノマシンが、脳に教えてくれるという意味か。
「宝でもあるのか?」
「ありません」
「じゃあ何をするんだ?」
「いえ、わたしの産まれた意味は、ここに行くことです。何をすればいいのか分かりませんが、それが使命なんです」
「なんだと? あんたは何をすればいいかも知らずに行くのか」
「はい。知りません。でもこれはわたしの使命でもあり……わたしの意思なんです」
随分と馬鹿げた話だ。
そんな理由もなく、使命などという理由で王城に行くなど。
だが、産まれた意味を持たないオウカには理由の分からない使命といえどもうらやましくなった。
「王城内は一般人立ち入り禁止です。ですので、策を――」
「策ならある」
オウカは指で大きく丸を描いた。
即ち、城全体を。
「ここからここまでを全て潰してしまえば早いだろう」
「ストップ! ストップです! 策も何もないじゃないですか!」
「面倒だ。城を攻めるなら、城を丸ごと潰してしまえばいい」
「大雑把にも限度があります!」
「まだ的を絞ってるぞ。昔の俺なら城下町全体を壊滅させていた」
「そんな無茶苦茶な……」
話にならないと、ため息混じりにサクラは呟いた。
オウカには分からない。
王城を攻めるというなら、小細工なしに王城を潰してしまった方がいいだろう。
月を潰せと言われれば、今はまだ剣が届かないが、城程度であればオウカは一人で潰せる自信があった。
それが、世界最大と呼ばれる城でもだ。
しばらく、地図との睨めっこが続くと、サクラは地図を几帳面に丁寧に折りたたんだ後、彼女は勢いよく立ち上がった。
「では、とりあえずは王城までレッツゴーです! 正確な作戦は王城に着いてから考えますか!」
拳を天に向け、元気良く。
あるいは、オウカが面倒になって中断したくなったのを元気で誤魔化したか。
彼女ほど元気があって、明るい女性は、オウカの記憶にない。