ゼロ3
サクラは間違いなく、培養液に浸った不気味な脳みそを相手にゼロと呼んだ。
それに対して、オウカに名乗りをあげた少女も、ゼロを名乗った。
どういうことか分からぬまま戸惑うオウカに、サクラが先に口を挟んだ。
「それがゼロの代理人ですか?」
「そう。この肉体を介して、ボクは自由を得る」
「自らの意思を持たぬ、鳥かごの住人風情が、自由を語らないでください」
サクラは、先ほどまでの優しさとは打って変わって、突如として攻撃的な言葉をゼロにぶつける。
その立ち振る舞いはまるで、オウカそのもので、彼女の豹変にオウカは驚きを隠せなかった。
「どういう意味だ? 代理人? 自由?」
「ゼロの本体はこちらの脳みそです。“それ”はただのホムンクルスに過ぎません」
「……発言や、行動をするための代理人というわけか」
「そうです。その肉体はゼロの代わりに発言し、行動を実行するための受信機に過ぎません」
サクラは何度も脳みそが入ったガラス管を拳で叩いた。
ナノマシンか何かで、ガラスの中で浮かんだ脳みそから肉体を遠隔操作しているのだろう。
不気味な技術を使うゼロだという少女は、不気味なほど無表情にサクラの姿を見ていた。
「それで、ボクを殺しに来たのかい?」
「わたしたちは、あなたに会いに来ました。真実を知るために……リアフィース帝国の闇を払いに」
「残念だけど、ボクを殺しても新たなゼロが産まれる。どんな形であれ、虚無は消えない数字」
「だから、わたしはあなたから全てを聞かないといけないのです。それが、母からの使命です!」
「マチルダ。いや、マチルダの代理人。ゼロは悪魔の数字だ。足しても増えない。かければゼロへと変える。無が無限を表すこともあるね」
「ですが、全ての数字の始まり……いえ、始まりの前であるゼロを知ることで、わたしは、運命を翻弄する本物の魔王にたどり着けると思っています」
サクラの言葉に、ゼロを語る少女は笑い始めた。
何がおかしいのか、ずっと笑い続ける。
いつまでも、いつまでも。
「マチルダの代理人! マチルダが知らないことをボクが知るわけがないよ! 魔王は、世間に突然出没する! それが世間一般的な魔王だよ! リアフィース帝国に潜む真の魔王なんて知らないよ」
笑いながら、突然饒舌になったゼロに、オウカは尋ねる。
「あんたは何者だ。俺たちホムンクルスを作ってどうするつもりだ」
彼女は、突然真顔に戻ると、無表情に答えた。
「ボクは、虚無だ。名前も、性別も、経歴も、心も、肉体もゼロだ」
「あんたの言うことはよく分からん」
「全ては数字にはめ込むために。ボクは全てを奪われ、ゼロにされた」
ゼロはゆっくりとオウカの脇を通り抜け、サクラに近づく。
「君はマチルダによく似ている。ボクの実験で使っていた肉体再構成ナノマシンを使ったのか」
「厳密にはあなたの実験内容を使って母が改造した物ですが、なにか?」
「いや。肉体を変化させるナノマシン。魔王に変える物と、新たな生命のために肉体を変化させ
るナノマシン。どちらも“転生”と呼称した場合、マチルダはどうなったか」
「何が言いたいのですか?」
「くくくっ。ボクには全く検討がつかないから、興味に思っただけだよ」
少女は不気味で、自身の本体とも呼べる脳みそをじっくりと見つめていた。
オウカから言えば、自分の臓器、しかも肉体に指示を与える脳みそを、外側から見つめるというのが気持ち悪く、とてもではないが、直視できる彼女を理解できなかった。
「それでオウカ。いや、二二〇一Bツー。お前がここに来るとは思わなかったよ」
「俺も、あんたには用がなかったからな」
「せっかくだ。何でも答えよう」
オウカは……この者を前にして、何を聞けば良いか分からなかった。
だが、一つだけ、聞いておきたいことがあった。
「あんたが、俺たちの親か?」
「何を言いだすかと思えば。くくく」
ゼロはただただ、オウカの問いかけに笑っていた。
どこか虚無的で、感情のこもっていない笑い声。
だが、それは確実にオウカの心を抉っていた。
「君たちの両親はこいつだよ」
ゼロは、白衣のポケットから空っぽの試験管を取り出した。
「君たちの両親は冷たいガラスで、君たちはこの両親から産まれた空虚なゼロさ」
煽るように試験管を揺らすゼロに、オウカは……。
――剣を、振り下ろした。
「っ! 右手が……!」
「なんだ。あんたも血が出るんだな」
「……痛いじゃないか。やってくれたね」
試験管を握っていた手を切り落とされ、ゼロはその場にしゃがみ込んだ。
出血も止まらず、床一面を血のたまりを作る。
「次は首だ。それとも、もう少し痛めつけてから死にたいか?」
「……首を斬っても、ボクは死なない。そこにある本体を潰さない限り」
なるほどと頷いた後、オウカは、ガラスの前に立った。
切っ先を、浮かんだ脳みそに向ける。
「どうしたんだい? 早く突き刺しなよ」
「…………」
「憎いんだろう? このボクが」
「…………」
「殺れッ! オウカッ!」
オウカは、突然叫びだしたゼロの言葉を無視して、剣をしまった。
ゼロは、驚きのあまり、ただただ呆然とオウカを見つめていた。
「あなたの思惑通りにするわけないですよ。ゼロ」
「……マチルダの代理人! なぜだ! 運命を狂わせたボクが憎いだろ!」
「あなたは、このリアフィース帝国に囚われた鳥。あなたは永遠とその運命から逃れられません」
「バカな……それがボクに対する復讐とでも言うのか」
「そうですよ。あなたはこれまでも、これからも。命を作り、弄んだ業を背負うわけです。永遠に!」
オウカは跪いたゼロに近づいて、白衣の襟を掴み、まるで猫の襟首を掴むように彼女を確保した。
「君には怪物になるように教育した。戦う度、殺す度に強い喜びを与えるようにした。そんな君が、なぜボクを殺さない」
「あんたを殺す気が起きないだけだ」
「腕を切り落としたくせによく言うよ」
「黙っていろ、怪物」
ゼロはハッと気がついた表情になると、オウカの手の中で俯く。
「このボクが、怪物だと……?」
「俺たちの命をバカにした、醜い怪物があんたの本質だ」
ゼロはため息を吐いた。
漏らした息と一緒に、小さな声で「殺してくれない、か……」と、辛うじて聞こえた。
オウカが聞き漏らしそうになるほど小さな声だったのに、その声には、どこか悲痛なものがこもっているような、そんな気がした。
「……ボクはただ、生物を作る錬金術を、人の命を助けるもの、帝国が飢饉に襲われても、食糧困難から脱却することができる技術だと信じていた」
「人を不幸にしておいて、よく言う」
「ボクは命令されて仕方がなくやった。……まさか、最も復讐まで縁遠い、君がボクの元までたどり着くとは」
「どういう意味だ?」
「頭が回らないという意味さ」
ゼロはゆっくりとその場に座り込み、諦めたかのように遠い目をし始めた。
彼女は何を考え、オウカとマチルダを作ったのだろうか。
オウカは尋ねることもできず、ただ黙って彼女を見ていた。
「オウカとマチルダ。ボクが作った、ゆえに本当の親はボクだ……」
「今さら、あんたに親面をされても、嬉しくはない」
「まあ、君たちがどういうつもりで来たかは知らないが……復讐を果たしたいなら、早く殺せばいい」
観念したかのように、残った腕を上げて振れば、余った白い袖が揺れる。
降参の旗を振っているようだが、オウカはこれ以上、剣を振る理由もヤル気も、面白ささえなかった。
サクラも剣を握らず、ただただゼロを冷たい目で見下していた。
「そうです。わたしはマチルダの復讐の使者。この憎しみの炎が、わたしに殺せと囁きます」
「なら、なぜ殺そうとしない。マチルダの代理人」
「あなたと出会って、あなたを殺したいほど憎く感じました。けれど、真に潰さないといけないものがあるからです」
サクラは石でできた床に視線を下ろし、靴で床を撫でた。
何をしているのか、オウカには全く検討がつかない。
気になるものでもあったのだろうか。
「答えろ、ゼロ。あんたならマチルダを復活させられるか?」
「君は何を言っている。マチルダは消えたのだろう? 死んだ人間は生き返らない」
「あんたの技術があれば、マチルダの記憶を持つサクラから、マチルダを復活させられないのか?」
「肉体を新たな肉体に再構築した。新しい肉体は、新たな生命といる。そこにいるマチルダの代理人は、マチルダとは異なる生命体だ」
「つまり、マチルダは復活しないと?」
「当たり前だろう。君は自分の意思でここに来たと思っていたが、君だけはそうではないらしい。君は、やはりホムンクルスだな」
オウカは絶望した。
オウカとマチルダを作ったゼロですら、マチルダを復活させられないことに。
それでは、オウカはマチルダを復活させる目的が達成できない。
だからこそ、ゼロはオウカには意思がないと言ったのだろう。
空虚で、作られた者の心には、作られた感情と意思しか持てないと。
「黙りなさい、ゼロ! オウカとずっと旅をしてきましたが、彼は人間です!」
「サクラ……」
「そりゃあ、人間らしさを感じさせないだとか、人殺しだとか平気で行う人でなしですけど!」
「……サクラ」
オウカは始めは彼女が擁護してくれるのかと喜んだが、後から貶され、落胆した。
「でもオウカはお母さんを……マチルダを復活させようと考えたことも、剣で頂点に立ちたいと言っていました! それでも、人間らしい意思を持たないと思いますか!?」
「……作られた人形は、作り手の意思に従えばいいものを」
「少なくとも、あなたは作り手側ではなく、作られた側です」
「全く。オウカと違って君はなんでも知っているな」
ゼロは観念したかのように、その場で座り込んだ。
「ボクをこんな姿にした生物錬金術所の所長。その所長に命令を下した者がいる」
「それが……リアフィース帝国の闇の部分ですか?」
「おそらく。それを止めない限り、悲劇の始まりは何度でも起きる。ゼロは子宮の象徴。ゼロが生まれるということは、君たちは再び生まれてくる」
ゼロはただただ、自身の脳みそを見つめ続けた。
培養液に浸かり、意思も持たずに浮いているそれを見て、彼女は何を想うのだろうか。
「そうだな……君たちの知らない情報でも授けようか」
「突然どうした? やけに協力的だな」
「ボクは君たちの母親みたいなものだからね。親心としては死んでほしくないのさ」
「俺はそう易々とは死なん。俺を殺せる奴が現れるまでは」
「現れる。と、言ったらどうする?」
「そいつを殺し、俺は世界最強の剣士になる」
ゼロはただただ頷いた。
このオウカの世界の頂点に立ちたいという想いも、ゼロが作った感情なのだろうか。
それでも、オウカは構わない。
自分の心に素直に従い、自分が生きたいように生きていられるのだから。
「マチルダには魔物化させるナノマシンが投与されている。そして、そこのマチルダの代理人には魔物化させるナノマシンは作動していない……体内に存在していない」
サクラは自らの手足を順に見つめて、改めてゼロを見る。
「マチルダは、君を作った際に自らの肉体を使った。だが、同時に魔物化させるナノマシンも正常に稼働が完了している」
「魔物となった肉体と、わたしになった肉体……両方が存在しているということですか」
「君は物分かりがいいな。ボクが危惧している内容を分かっているのだろう?」
「……いえ。肉体がないのに、そんなことあり得ないじゃないですか。肉体のほとんどが“わたし”になったのに」
オウカには二人が話している内容がまるで分からなかった。
肉体がなければ……どうなるというのだ。
サクラは真剣な表情でオウカを見つめてきた。
「ですがオウカ。この先、もしどんな敵が出てきても、あなたは戦えますか?」
「……? ああ」
「なら、良かったです。わたしにも、マリー・ジューンの言う戦う理由ができました。救うための戦いが」
「あの暗殺者が言っていたことだと……?」
オウカはその名前を聞いて腹立たしかった。
あの女はサクラに変な影響を残したらしい。
それはオウカにとって、『マチルダらしい生き方』を思い出させようとするオウカの考えに沿わないものだ。
マチルダであれば、救うための戦いなど、間違っても言いださない。
確かに、国のために戦うといえば似ている。
「何が救うための戦いだ。戦いは殺し、命の奪い合いを楽しむためのものだ」
「ですが、戦うことで、救うことのできる想いと意思があると思います。わたしはやっと戦いが分かった気がします」
「想いと意思……だと?」
オウカはなおさら彼女の考えが気に入らなかった。
戦いは、相手との命の奪い合いを楽しむ、高潔なもの。
相手との競い合いと一体感。
それに、余計な理由を持ち込む彼女の考え方がオウカには許せなかった。
「どういうつもりだ! 何が意思だ! 何が救うだ!」
「やはり、あなたはいつまで経っても、精神が未熟ですね……不安です」
「構うものか。何が相手だろうと、俺は容赦はせん!」
「この先、たとえ何が立ち塞がろうと、あなたは戦えるというのですか?」
「当たり前だ! 俺の夢に立ち塞がる敵は、全て殺す!」
「……分かりました。あなたの言葉、信じます」
何が信じるのだろう。
オウカには……人の気持ちをも理解できない怪物として作られたオウカには、何も分からない。
ゼロは失った腕を押さえながら、首を横に振った。
「ボクは、君が産まれてから騎士団時代までの行動を知っている。だが、とてもではないが、精神が未熟すぎる。まるで、いつまでも童子のような行動と考えに、殺人者の考えが入り交じったかのような不安定さ」
「あんたまで、何が言いたい!?」
「ボクはこの先、君が戦えないに一票……という意味さ」
「俺が戦えないだと……? たとえ、何が立ち塞がろうが、俺の邪魔をする奴は皆殺しだ!」
「そう。なら、良かった」
オウカに、何を隠して、何を言っているのだろう。
二人に不信感を抱きつつも、オウカは何も聞かなかった。
いや、聞く勇気がなかったと言い換えた方がいいだろう。
この先に待ち構えているものへの恐怖から、だろうか。
「オウカ。聞いてください。わたしの体内にあるナノマシンが、わたしの脳に城の地下へと行けと叫んでいます」
「地下……だと? この城に地下など俺は知らんぞ」
「あります。隠された地下が。あなたなら、入り口を探す必要がありませんよね」
「ああ。邪魔する壁は全て突き破る。俺の剣を止めるものは、原形を留めない」
「さすがの脳筋ですね。入り口を探す手間が省けます」
サクラはオウカの腕を掴んだ。
彼女は……ぎゅっとオウカの腕に食い込む勢いで力強く握り絞める。
「たとえ、どんなに悲惨な結末でも……決して目を逸らさないでくださいね」
「また、あの暗殺者の言葉か。人殺しが悲惨な結末だと? そんなものは知らん」
オウカの記憶の中にいる、あの暗殺者が去り際に言った言葉。
人殺しをするからには悲惨な結末を覚悟しているという。
オウカには、その悲惨な結末というのが分からない。
人を呪えば、我が身に反ってくる、とでも言いたいのだろうか。
「……もう二度と会うことはないだろうな、ゼロ」
「だろうね。だが、君を、ボクを殺してくれる道具として最後まで見ることができなかったが……」
「……どうした、急に」
「ああ、いや。人らしくなってほしいと思ってしまったのは、なぜだろうね?」
「知らん。あんたが人間らしさを忘れてしまったから、うらやましいだけじゃないのか」
「違うな。親として、子供たちに親の辛い想いを担わせたくない……そういう気まぐれが、君と出会った時にできちまったのかもしれないな」
「俺はあんたを親だと思っていない」
「でも、君は聞いただろう? このボクを親かどうか」
「ただの……気まぐれだ」
オウカはサクラを見つめる。
彼女は無言で頷くと、オウカは膝に力を込める。
「これから、地下まで急降下だ。途中で城が崩れようが、構わないな?」
「……少し加減してください」
「そんな器用な人間だと思うか?」
「今さら、そんなこと思いませんよ」
オウカは膝に力を込めて、天井まで跳躍した。
天井で、サクラを腕で掴みながら、再び膝に力を込め、もう片方の手で剣を抜く。
「行くぞ。サクラ」
「はい!」
オウカは剣を大きく振り下ろしながら、床を貫いた。




