哀々傘と止まない雨
※この作品にはいじめなどの描写が含まれています。気分を害されたりする恐れがありますのでそういうのが苦手な方は閲覧を控えることをお勧めします。
なお、これに関しての批判などのコメントはしないでください。ご理解、ご協力お願いします。
2018/6/4 誤字修正しました。
その雨は降り続ける。
雨は溜まり僕の心を飲み、腐らせる。
その灰色の雲は消えない。
僕を覆ってまたあの時間を見せる。
今日もまた、雨粒が地面を叩く音だけが響いた。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
今年の梅雨も長そうだ。
ここのところ異常気象が続き今年の梅雨はかなり早いそうだ。
テレビを見ながら僕はため息をついた。
どたばたとした春をこえて今は五月半ば、どんなことでも憂鬱にしてくれるこの上なく迷惑な魔法の季節だ。もういっそ呪いなんじゃないかとさえ思う。
そんなくだらないことを考えながら窓の外を見る。今日はなんだか降りそうな天気だ。
こういう時の朝の天気予報はあてにならない。こういう時は傘は絶対に持っていくべきだという持論が僕にはあった。
時計を見るともう出なければならない時間になっていた。
僕はカバンを持って家から出る。
行ってきますは要らなかった。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
「おはよう」
「ああ、おはよう」
前の席に座っている友達に挨拶をされ反射的に返す。
「なあ、今日の英語の課題見せてくんない?、やり忘れててさー」
「お前のそれは忘れたじゃなくてやってないだけだろ?」
「・・・面目ない」
僕はカバンから英語のノートを取り出して渡した。
「サンキュー!、助かったぜ!」
「どうでもいいから授業までに返せよ」
「ちぇっ、冷たいなー」
そう言ってノートを写し始める。僕は特にやることもなく窓の外に目を向けた。
空の八割は雲に覆われその隙間から光が差し込む。そんな風景をただ呆然と眺めていた。
僕はつまらなかった。何がってこの人生がだ。
特にとりえもなく普通の生活を送って普通の成績を取って普通に進学した。
きっとこれからも普通に大学に進んで普通に就職して、普通に死ぬのだろう。
今の生活に不満があるわけではない。ただ刺激がたりなかった。
僕だって一般的な高校生だ。物語の主人公になりたいと思うことくらい何度もある。
だがそんなこと起きるはずもなくていつもと変わらない一日を過ごす。
結局、僕みたいな一般人がそんな大層なことできるはずもないのだが。
「ほい、ノートありがとな」
僕が窓から視線を戻したところでノートが返される。
「・・・次からはちゃんとやって来いよ」
「努力はする」
僕はため息を一つついた。
その瞬間、ガシャンと大きな音が響いた。その音の方へ視線が集まる。僕も例外ではなかった。
雨情小雨、それが彼女の名前だ。
頭から水をかぶり、転がった机に覆い被さるように倒れている。その後ろでは女子生徒数人がケラケラと笑っていた。
彼女を見て周りの人間は口々に「また雨情か」と言って特に気にする様子もない。当人も黙って床を雑巾で拭き始めた。
相変わらず目障りだ。
別にいじめが許せないとかではなくただあの女子生徒たちの態度が気に食わないという実に自己中心的な考えからだった。
だが僕にあれを止める勇気などなく、そもそも雨情とは話したこともなかったので助ける理由もなかった。
それからしばらくして担任が教室に入ると喧騒はなくなる。
またいつも通りの一日が始まる。
そのはずなのに今日はなんだか妙な胸騒ぎがした。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
午後の授業が終わり生徒たちは次々と教室を出ていく。
廊下の方では外で降る雨に嘆く声が聞こえる。
「傘持って来たか?」
振り向いて聞いてくる顔は僕と同じ優越感に浸った顔だった。
「まあな、こういう時はいつも持って来るようにしてるからな」
「くっ、俺だけだと思たのに・・・」
なぜか悔しそうにする。
「今日は一緒に帰るのか?」
「いや、今日は寄りたいところがあるんだ。」
「そうか、まあいいよ。」
「そっけないなー」
そう言って席を立った。
「というわけで今日は寂しく一人で帰ってくれ!、じゃあな!」
「あ、ああ」
そう言って走って出て行ってしまう。なんだったんだ・・・?
僕は荷物をまとめて教室を出る。
周りの嘆きに僕も人のこと言えず優越感があった。
昇降口で靴を履き替えていると朝に雨情をいじめていた女子生徒たちの笑い声が聞こえた。
聞く気なんてなかったが声が大きかったから嫌でも聞こえてきた。
「あれ?、今日傘忘れたんじゃなかった?」
「ああこれ?、借りたんだよねー。雨情さんから」
「あははは!、汚そー!」
「髪濡れるよりはマシだよ、後で捨てるし」
「言えてるー」
そうか、と僕は特に気にすることもなかった・・・はずだ。
僕も帰ろうと傘をさして学校を出る。
思ったよりも雨が強く肩が濡れる。
早く帰りたい。
そこでふと近道があったのを思い出す。
いつも通る大通りを曲がり少し狭い道を行く。
ここから橋に出てそのまま家に続く路地に出れる。
普段はあまり使わない道だからか少しだけわくわくする。
橋に出ると少しだけ明るくなる。
その時、僕の視界には信じられないものが映った。
スカートでうちの制服、髪は黒く腰ぐらいの長さまである。
びしょ濡れで豪雨の中に立ち尽くしていた。
見間違えるはずがない。彼女は・・・
「雨情・・・」
俺が呟くとそれで気づいたのか驚いた様子でこちらを向いた。
「・・・こんにちは」
「あ?、あ、うん。」
突然挨拶をされて僕はぎこちなく答えてしまう。
僕はこのまま通り過ぎて帰ろうかと思ったがなぜかそれができない。
雨情のことが気になって仕方なかった。
互いに見つめ合ったまま時間だけが過ぎる。
そしてやっと口を開いたのは雨情の方だった。
「・・・あなたは私のこと無視して逃げないんですね」
不思議そうな顔をしてそんなことを言った。
確かに皆雨情にかかわらないようにと彼女を無視して通り過ぎていた。
僕もいつもだったらそうしていたかもしれない。
今日はなんだかおかしいようだ。
「こんな所で何してるんだ?」
ふとそんな質問をする。
やっと出てきた言葉がこれだった。
「・・・考え事をしていたんです」
「あの女子たちのこと?」
言ってから気づいて後悔する。これはさすがに失礼な質問だった。
「・・・気にしないでください。あってますから」
そう微笑みながら言った。どうやら顔に出てしまっていたらしい。
「・・・風邪ひくぞ?」
「大丈夫です、風邪ひきにくい体質なので」
「そういう問題じゃ・・・っ!?」
「どうかしました?」
僕はやっと気づいた。雨情の服が濡れて透けていたことを。
「い、いやなんでもない。とりあえず傘貸してやるからこれ使え、返さなくていいから」
とりあえず誤魔化すために自分の持っていた傘を雨情に無理やり押し付ける。
「え、でも・・・」
「いいから使え、どうせ傘は帰ってこないんだろ。どうせビニールだしあげるから」
「・・・優しいんですね」
そう言って微笑む姿に一瞬心臓が跳ねる。
雨情ってこんなに・・・
「そ、そんなことないから。放っていったら後味悪いだろ。」
僕は照れ隠しバレバレな言い方で言った。
「そういうわけだから、じゃあな」
逃げるようにその場を立ち去る。
もしかしたら僕はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。
だが、この非日常にワクワクしている自分がいた。
まるで物語の主人公になったみたいだと。
ことの重要さも知らずに。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
あれから一週間が過ぎた。だが特に目立ったこともない。
変わったことと言ったら雨情とよく目が合うようになったのと彼女に対するいじめがエスカレートしてきたことだろうか。
最近目の下に隅ができるようになっていた。
だが僕に出来ることなんて何もない。たまたま帰り道であってたまたま話が出来て、たまたま関わっただけだ。
あれから特に何もないしどうせ赤の他人だ。
何かしたら僕の立場も危ないし、したとしても何になるというんだ。僕が止めたとしてもあの女子生徒たちが止まるはずもない。
僕に出来ることなんて何もないんだ。
外を眺める。もうすぐ六月だからか梅雨が本格的になってきた。
最近は雨ばかりが続き暗い日が多い。
僕の心が辛いのもきっと雨のせいだ。
「ちょっとー、あたしゴミ片付けてって言ったよねぇ?」
「ご、ごめんなさい!、今片付けますから・・・」
いつもの女子生徒たちが雨情を囲んで睨んでいる。
「・・・じゃあ掃除も頑張ってね?」
「え・・・」
そう言ってゴミを持っていたボス格の女子がゴミの袋を開けて中身を雨情の頭からかけた。
そして教室に笑い声に包まれる。
胃が痛む。見ているだけで苛立たしい光景だった。
同情しているわけじゃない、奴らの態度が腹立たしい。だがこれはどう考えたって言い訳だ。嘘ではないが他にも理由がある気がする。それがわからなかった。
また雨情の方へ目を向ける。彼女は今にも死んでしまいそうな顔でゴミを片付けている。
周りの人間はその姿を見て笑ったり冷やかしたりしていた。
彼女がふとこちらを見る。吸い込まれそうなほど暗い瞳だった。
だが彼女は焦ってすぐに目を伏せて片付けを再開した。
「おい、どうしたんだ?、雨情の方なんか見て。あんまり関わらない方がいいぞ?」
前に座っていた友人が話しかけて来る。
「・・・なんでもない。うるさいなーと思って」
冷静に振る舞いたかったが苛立ちが見え隠れしてしまう。
「それ、絶対にあのグループの前で言うなよ?」
彼は僕に忠告するように言った。
確かにそのとおりだ。あのグループと対立するという事は学年全体を敵にまわすのと同じだ。
今の雨情がそれだ。
「・・・そうだな、すまん」
「気をつけろよー」
午後の授業が始まるまで僕はずっと外を見ていた。
暗く淀んだ空はまるで今の僕の心を見ているようだった。
雨はまだ、止みそうにない。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
午後の授業はほとんど聞き流した。頭に入って来なかったから。
今日友人は最近できたという彼女と帰るらしい。正直心境としては微妙だった。
僕はカバンを持って昇降口から出る。
今日も雨が強い。傘をたたく雨の音はいつもよりも大きい気がする。
雲が厚いせいかいつもよりも暗い。
僕は急いで歩き出す。
周りの人間は少しずつ少なくなっていく。
気がつけば一週間前と同じ道を歩いていた。
そしてまたいつもの橋に出る。
そこにはまた雨情の姿があった。
その光景に明らかにほっとしている自分がいる。いつの間にか雨の音は聞こえなくなっていた。
「・・・こんにちは、今日も一人ですか?」
雨情は僕に気づいて声をかけてくる。今日も彼女は傘をささず水の入ったバケツをかぶったようにびしょ濡れだった。
「まあ・・・また傘ないんだな」
僕の言葉に雨情はバツの悪そうな顔をする。
「すみません。あの人たちに見つかって壊されてしまって、せっかく頂いたのに」
「べ、別にそんなつもりで言ったわけじゃ・・・それにどうせビニール傘だったし。」
雨情の反応は思ったよりも返しにくいものだった。まさかビニール傘だけでここまで悲しそうな顔をするとは思わなかった。
いつも学校で見るのとは違い表情がはっきりしていて新鮮だ。
「また悩み事か?」
「ええ、まあ・・・」
明らかに表情が曇る、今日のことだろうか。思い当たることが多すぎる。
「これからどうするんだ?」
「もう帰ろうかなって、冷えてきましたし」
「・・・送ってくよ」
「え?」
・・・なぜこんなことを口走ったのか自分でもわからない。自然と口が動いていた。
「と、途中で折り畳み傘でも買えば隠せるだろ。少なくても普通の傘よりはマシだろ」
自分の言ったことを追及されないように話を逸らす。
「私お金持ってないんです。すぐに取られちゃうので・・・」
「そうか・・・じゃあ僕が出すよ」
「そんな、悪いですよ!」
雨情は焦ったように前で手をブンブンと振る。
「いいよ、やりたくてやってるんだ」
事実のはずなのにその言葉はどうにも胡散臭さを感じる。どうしても言い訳じみている気がしてしかたない。
どうにも雨情の前では素直になれなかった。
「・・・これ着なよ、濡れたままじゃ店にも入れないから」
僕はカバンから使ってないジャージの上を手渡す。本当は透けた服が目に入って辛いからだが。
「すみません、ありがとうございます」
恥ずかしそうに頬を染めながらジャージを受け取る。
そんな仕草一つ一つが特別に見える。
「・・・傘、狭いな」
ポツリと呟く。特に会話の内容が思いつかなかったからといっても我ながら下らないことを言ってしまったと後悔する。
「・・・二人、ですしね」
彼女はうつむいたままそう答えた。
それから会話が何も思いつかず無言で歩く。
コンビニが見えてくると人も少し増えてきた。
そこで僕は彼女が震えているのに気づいた。明らかに怯えている。
「・・・大丈夫か?、無理しなくてもいいぞ」
「だ、大丈夫です。昔から人混みとかが苦手なだけなので・・・」
心配だが僕がどうこうできる問題じゃなさそうだ。
結局ほとんど無言のままコンビニに入る
僕は一番安い折り畳み傘を手に取りレジに持っていく。
「フライドチキン二つください」
「ありがとうございます」
僕は財布からお金を出して店員に渡す。その様子を彼女はバツが悪そうに見ていた。気にしなくてもいいのに・・・
お釣りを受け取りコンビニをでる。
「・・・お腹空いてたんですか?」
「小腹空いてたからついでに、はいこれ」
僕は折り畳み傘と一緒にもう一つのフライドチキンも差し出す。
「え?、あなたが食べるんじゃないんですか?」
そう言って不思議そうに首を傾げる。
「いや、僕だけじゃなぁと思ってさ。嫌いならいいけど」
「い、いえ、そういうわけじゃなくて・・・」
彼女は少し恥ずかしそうに下を向いてから小さな声で言った。
「食べたことないんです。その、コンビニのレジにある食べ物って・・・、親が体に悪いからって食べさせてもらえなくて。お金もないですし・・・」
おもったよりも彼女の家は厳しいのかもしれない、勝手な想像だが。
「なら一回でも食べてみたらいいんじゃない?、せっかくの機会なんだしさ」
そう言って僕はフライドチキンを渡した。彼女はそれを恐る恐る受け取る。
「それじゃあ・・・い、いただきます」
袋を開けて食べる。一口が小さいのが可愛く見える。
「・・・どう?」
「・・・あふいへふ」
どうやらできたてで熱かったらしい。彼女はそれを一生懸命に飲み込む。
「・・・美味しいですねっ」
彼女は今までに見たことないほどの笑みでそう言った。
その笑顔に吸い込まれる。僕は彼女から目が離せなかった。
「どうしたんですか?」
彼女は心配そうな顔をして僕の顔を覗き込む。
「い、いや、何でもない!、気に入ってくれてよかったって思っただけだから」
僕は慌てて目をそらして自分のフライドチキンの袋を開けてかじる。
「そうですか?、なんともないならいいんですけど・・・」
僕が風邪でもひいたのかと思ったのだろうか。本当に心配そうだった。
そのあとは雑談をしながらフライドチキンを食べた。
これで彼女のことを色々知ることができた。
一つは彼女の家のこと。親はあまり家に帰って来ないらしい。あと、雨情は結構いいお家柄で親もそういう系の優秀な会社に勤めてるらしい。だが親との関係はあまり良くはないと彼女は言った。
二つ目は学校でのこと。どうやら彼女のお家柄が女子生徒たちの気に障ったらしい。それからどんどんエスカレートしていき今のようになったという。
最後に携帯の番号を交換しようといったとき、彼女は携帯電話を持ってないといった。それでなぜか引き下がれなかった僕は自分の番号だけを教えた。連絡先は知れなかったが知ってもらうことができたから僕自身は満足だった。
「・・・じゃあ帰るか」
「はい」
僕たちはゴミをコンビニに置いてあるゴミ箱に捨てて傘を開く。
そしてまた並んで歩く。さっき買った折り畳み傘はタグみたいなのがついていてハサミがないと切れないから結局僕の傘に二人で入った。
「すみません、結局入れてもらっちゃって・・・」
「いいよ別に、そういえば家ってどこ?」
送るんだから普通だと自分に言い聞かせながら彼女に聞いた。
「えっと、この先を真っ直ぐ行って右に曲がったところです」
「あっ、そうなんだ、僕はそこを左に曲がったとこだよ」
「そうなんですか。思ったよりも近かったんですね」
「そ、そうだね」
なぜ自分はこんなにも喜んでいるのだろう。心拍数が上がり顔が熱くなる。
それからはお互い話すことがなくなってほとんど喋らなかった。だが最初とは違い気まずいとは思わなかった。この時間が心地いいとさえ思っていた。
そしていつも左に曲がるところを右に曲がる。そこは近所なのにほとんど来たことのない高級住宅地だった。
「ここです」
彼女は家を指さしながら止まる。そのさきには一般的な家よりもひとまわりぐらい大きい白いレンガの家があった。
「送ってくれてありがとうございました、あと傘とかも・・・」
そう言って深々と頭を下げる。
「どういたしまして」
少し気まずくて僕は苦笑いで答えた。
「あ、ジャージ。そろそろ返して?」
「・・・あ!、す、すみません!!」
「あはは、そんなに焦らなくていいよ。別にそういうつもりで言ったわけじゃないんだから。傘、あいつらに見つからないように使えよ?」
「・・・はい、大切にしますね」
彼女は僕にジャージを返してもう一度頭を下げてから家に入っていった。
彼女が居なくなると突然心に穴でも空いたような虚無感に襲われる。
僕はまだこの気持ちの正体に気づいていなかった。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
六月に入り梅雨も本格化してきていた。
あれから僕と彼女は何度か一緒に帰るようになっていた。
僕たちは次第に話すことが増え打ち解けるのにそう時間はかからなかった。
だが、それと比例するようにいじめはさらに酷く、悪質になっていった。
目の下のクマは前よりもひどくなって少し痩せた。前でも十分白かった肌は病的なほど青白くなっている。見ているだけでも痛々しい姿だった。
どんどんやつれていく彼女に僕は止めるように言おうかと言ったが「大丈夫です」と頑なに断られてしまった。
そして今日も肩を並べて帰る。
「んで、その猫がさ・・・」
「ふふ、かわいいですね」
僕は今日も彼女の傷を見ないようにしながら笑顔で過ごす。
彼女もまたそれを返すように儚い笑みを浮かべる。
このまま、少しでも彼女の支えになれるのならそれでよかった。
そう、思っていたんだ。
「おい、あれって・・・」
「えっ、うそー雨情さんじゃん!」
「あの隣にいるのって・・・同じクラスの男子だよね」
突然聞こえた声に慌てて振り返る。
そこにはいつも雨情をいじめているグループがいた。
油断していた。
予想外の状況に頭の中が真っ白になる。
「こんなところでなにしてるの?、その隣の男子ってもしかして彼氏?」
「うわぁマジで?、ありえないんだけど」
「趣味悪ー」
奴らの笑い声が響く。世界が鮮明になるのと同時に怒りがじわじわとあふれてくる。
「お前ら・・・!」
僕の怒りが爆発しそうになったそのとき、俺の後ろに居たはずの雨情が前に出た。
そして僕の方を向いて頭を勢いよく下げる。
「み、道を教えていただきありがとうございました。ここまでで大丈夫なので」
そう言って走って言った。
「なんだー、つまんないの」
「ていうかあたしたちから逃げるとか生意気じゃね?」
「ありえないよねー」
あいつらがなんか言っていたがもう僕には聞こえていなかった。
僕の中には彼女の光を失った瞳とそこから流れる涙だけが瞼の裏に焼き付いてた。
僕はその場を離れるために歩き出す。その姿に力は無かった。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
梅雨の終わりが近づくはずの六月後半。雨はまだ多い。
僕は教室の後ろの席を見る。そこに雨情の姿はない。
あれから二週間弱、彼女は学校に来ていない。
周りの人間の反応は冷たいもので「やっとか」だとか「ストレス発散出来なくなる」などと好き勝手に言っていた。
怒りがわかなかったわけではない。だが、自分を庇ってくれた雨情の意思を踏みにじることは僕には出来なかった。
最近は人とまともに話した記憶がない。窓の外をただただ雨雲を眺め続けている。
目を閉じれば出会ったころに見せてくれた最高の笑顔と最後に見た悲しみを絵にかいたような涙が交互に写る。
そんな僕に気を使っているのか友人は二週間の間一度も話しかけてこなかった。
気が付けば一日が終わっているなんていつものことだった。
今日も午後の授業が終わってふらふらと教室を出る。
あの日から僕はずっとあの道を通っている。意識しずにここを通るのはもしかしたら雨情に会えるかもしれないという淡い期待からなんだと思う。
今日も橋に出ればあの時のようにびしょ濡れの彼女が立っているんじゃないかと思ってしまう。
急ぎ足で抜けてみるがやはりそこに彼女の姿はなかった。
僕はため息をつく。自分のやっていることがおかしく思えてくる。
いや、おかしいのだろう。
結局今日もダメかと足を踏み出す。
そのときポケットに入れていた携帯電話が鳴った。そこには知らない番号が表示されていた。
僕は取り敢えず電話にでた。
「もしもし?」
『もしもし』
「・・・!?」
その声に僕は息を飲む。間違えるはずがない、その声の主は雨情だった。
恐らく前に教えた僕の携帯の番号を使ったんだろう。
「・・・雨情、どうしたんだ?」
僕は必死に冷静を装って聞いた。
『あのね、私、あなたにお別れを言うために電話したんです』
「え?、お別れ?」
わけがわからず聞き返す。
『あなたに手紙を残します。そこにあなたに伝えられなかったことすべてを書いておきます。』
僕は状況が読めずただただ黙って聞いていた。
『あなたを巻き込んでしまったのも私がいたから・・・だから、この現実から逃げる私を許してください。』
そこで彼女が何が言いたいかを察する。
「待って・・・待ってよ、そんなの勝手すぎる。」
こんなこと言いたいわけじゃないのに。
『・・・ごめんなさい』
「頼む、僕はまだ・・・!」
信じたくなかった。
『さようなら』
電話がプツリと切れた。そこからは無機質な電子音だけが鳴る。
気が付くと僕は駆け出していた。
まだ間に合うかもしれない。まだ、まだ、まだ、まだ。
彼女の家に近づくにつれて悪い予感ばかりが頭を覆い尽くす。
彼女の家に続く路地が見えた。ここを右に曲がればすぐだ。
そのとき、後ろから救急車が僕の横を通り過ぎた。
血の気が引く。僕は体力の限界に達しているはずの体を無理やり動かして走る。
救急車より数分遅れで路地を曲がる。
そこには彼女の家を囲うように人混みが出来ていた。
僕は一心不乱にその中に飛び込み人をかき分ける。
やっとの思いで人混みを抜けて目を開いた。
そこには彼女の姿があった。だがそれは台に乗せられ布で覆われている。
それはもう、僕の求めた彼女の姿ではなかった。
僕の考える最悪の結末。
「あああああああぁぁぁぁぁ!?」
そこからの記憶はない。ただ、とてつもなく寒かったのだけは覚えている。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-」
あれから一週間後、彼女の机には花が置かれていた。
テレビのインタビューも来た。答えたのはあのいじめをしていたグループの人間だった。
奴らはあらぬ事を好き勝手言っていたがもう興味もほとんどなかった。
帰ってから僕の家に警察が来た。
彼らは僕に雨情の手紙を渡しに来たらしい。
僕は警察が帰ってから手紙を開いた。
そこには今まで僕に黙っていたことの全てと彼女が伝えたかったことが書かれていた。
最初に会ったとき、あれは川に飛び込み自殺をしようとしていたところだったこと。
親から暴力を受けていたこと。
傘は大事にしまってあったということ。
謝罪の文、そして
彼女が僕を男性として好きだったこと。
このとき、今まで感じていた自分の感情の正体がわかった。
僕の目から涙が溢れる。わかってしまった、納得してしまったんだ。
「好きだったんだ・・・雨情のことが」
気づくのが遅すぎた。
そのせいで僕は彼女を余計に追いつめてしまった。
後悔ばかりが雲のように積もる。
その日から僕の雨は止まなくなった。
ー・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
六月、この月になると彼女のことを思いだす。
僕の雨は止まない。心を飲み、腐らせる。
もうこれから何年経とうとこの目に映る空が晴れることはない。
僕の中にはいつも雨が降り続いている。
どうも、神刃千里です。
今回は「雨」をテーマにした短編小説と言うことでこの哀々傘と止まない雨を書かせていただきました。
読んだ方ならわかると思いますが正直バッドエンド以外の何物でもありません。あと、いじめのシーンの描写が気にさわった方や気分を害された方、本当にすみません。でも、これが僕が雨に持つイメージだと、少しでも読んだ方に理解していただければ物書きとして嬉しく思います。
参加させていただきまして本当にありがとうございます。
これの他でも執筆をしていますので良ければ読んでくださると嬉しいです。