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Episode:3

書いている暇なんてないんですけどね

 生身の人間にとっては広いモロ平原を突っ切り、遂に西監視塔が映ったときの喜びは何物にも代え難い。あれにさえ辿り着ければなんとかなる、助けがあるという希望を杖にして、固まった脚を奮いおこす。横断に半日を費やした体には、もはや走れる力など残っていない。既に視界には終わりを告げる幕が降りかかっており、砂漠と化した喉はもはや唾液さえも飲み込むことができない。それでも口をだらしなく開け、両腕を垂らしてまで必死に歩き続けなければならない理由が、西監視塔にはあったのだ。

 西監視塔は、終戦後に建てられた建物にしては綺麗で、いかにも頑丈そうな石の砦が一つ、海辺の海岸にそびえ立っており、その横には同じく石造りの小さな小屋があった。終戦後、夜はこの世から姿を消したというのに、入り口に立てかけてある松明(火は灯されていない)はこの砦の目的を想起させるに相応しいなりをしていた。

 辺りはつい先ほどの四十年ぶりの夜をこして、気付けば明け方になっていた。

「水はあるのだろうか」

 干からびたバルギッシュの声に、精気はない。

 とにかく、三人は寄りかかるように石の小屋に挨拶をした。

 ギィ、と音を立て、扉が内側に開く。なだれ込むようにして入ってきた三人はまず卓上に並ぶオアシスに血走った目を走らせる。六脚の長机には、五人分の水差しがあった。無論、水は入っており、ゆっくりとそれを飲み干した後に鳴るのは腹の虫で、中央に居座る肉に頬張りついた。香辛料に漬けられた、その肉の美味いことと言ったらなかった。口に入れるだけで脂乗りの良い肉の風味が漂い、噛むととてつもなく柔らかいことが分かる。口の中に凝縮された旨みがとろけてゆく......。

 三人は肉を分け合い、食べては飲んだ。最後の破片を少年が口に入れたあと、全員で甘さが残る唾液を惜しむように飲み込んだ。

 食事は腹を満たすほどではなかったものの、勇気を与えてくれた。

「さて、駐屯していた奴らは......?」

 と、バルギッシュ。

「もぬけの殻だな。実は密かに、村の生き残りが辿り着いていることを願ったのだが、それすらも見当たらない」

 ググダンは満足そうな顔で部屋を見回す仕草を見せる。

 壁や天井は石がむきだしになっているが、床は木張りされていて、居間程度の空間を有している。鎧立てが五脚のほか長机に五人分の椅子があり、部屋の隅にはずっしりとした戸棚が置かれている。それだけといえばそれだけの内装に、「ん」とググダンが首を傾げ、その戸棚の方へ向かった。

 どうやら書記の類にも利用されていたらしく、棚の上に机に書きかけの羊皮紙が一枚、文末と思しき部分がインクで潰れている。ググダンはそれをつかみ、少年に渡した。

「なんで僕が」

 とは言ったものの、あまり見る機会のない紙に興味が湧いていることは察せた。

「読み書きは教えただろう? 読んでみなさい、さあ」

 バルギッシュのひと押しもあってか、照れくさそうな表情で読み上げた。


 『夜を生き延びた同胞に向けて

  ここに派兵された私の代わりに報告書を書き、国王直属の兵士に届けて欲しい

  ルバエル』


 書類というよりは、メモ書きに近い形式で殴り書きされているそれを聞き、沈黙が漂ったのは各々がこの文面を整理してのことだろう。

「......この、同胞というのは?」

「分からないな。ルバエルとか言う奴は何かの事情でクイン・テスアへ行けなくなったんだ」

 バルギッシュはそういうと、舌打ちをして席を立った。

「飯を食ったからには、行くしかない」

 続けて「俺が行く」と言い残し、小屋を後にした。まるで、そうすると決めていたかのような自然さだった。少年も慌てて後を追う。もう明け方だった地平線に浮かび上がる太陽は見失ってしまいそうなほど弱く、不安になった。

「それは危険だ! 僕らと一緒に行くというのでは、駄目なのか」

「お前はググダンとトルケビに行け......。別れが辛いのなら、なに、心配はいらん。俺は戦士さ!」

 バルギッシュは何かを隠した様子で、トルケビに行くことを強要した。声に力がこもっている。自分が唯一反抗しなかったその声音に、今度ばかりは殺意を覚えて睨み返した。が、既にバルギッシュは早足で立ち去ろうとしていた。

「くたばっても知らないぞ!」

「俺は......戦......」

 遠ざかって行く父を目で追ったものの、やはりどうでもいいと諦めた。追いつけない距離ではなかったが、すっと踵を返すと、すぐ前にググダンがいた。

「なぜ追いかけないのだ」

 少年はそれに答えず、遠くに霞む太陽に「おかえり」と呟いた。どうしていいのか分からなかった。バルギッシュと行くのか、ググダンと行くのか......どちらを選んでも後悔する気がして、結局決めることができずにいる。これではだめだ。自分が頼りなくて、誰が家を支える......? いくら問いかけても答はなく、何もできなかった自分に腹を立てた。

 歩み始めたググダンに手を差し伸べられたが、それを拒んだ少年は、しばらくこの背中を見ていようと思った。

 世界を旅したと語るこの老人の背中には、なにがあるのか......。すぐに好奇心が湧いた。



___



 焼け崩れた建物の破片で足場が悪いが、この化け物たちには無縁の話なのだろう。自分の指揮とはいえ、やはりこの化け物___サハギンたちの力は侮れない。個体では非力なものの、集団戦法に長けた彼らはその深い信頼で獲物を追い詰めて行く。自分がそうされる様を想像して、すぐに吐き気がしたのでやめた。

 ここを無力化したのはいいが、陰陽が現れた、などと言う噂はすぐに広まるだろう。

 面倒になる前に、行動を開始しなければならない。

 先遣隊としてこの村を無力化し、そのまま南下、貿易港で栄えるトルケビを急襲する。四十年前と同じ手法だと聞くが、これが確実なのだ。

 男は、捨て駒にだけはなりたくなかった。若くから地べたを這いずりまわり、泥の味を覚えた。いくら踏みつけられようが、決して挫けずに人一倍の汗と血を流した。絶望に首までを浸した彼にとっては、目だけが希望だった。その狡猾な目で人を従わせることを覚え、人を利用することを覚えて、のし上がった。

 そうして、先遣隊という捨て駒の指揮を執っている現実を呪う自分はつくづく救いがないと思う。

 本隊を指揮する父に連絡をとることが次の目標になっているのを思い出すと、足取りも重くなるものだ。

 貴族の父には二人の妻がいて、腹違いの兄をよそに、自分には下人と呼ばれる最低階級の道が与えられたのだ。早くして父に捨てられた後、母と二人きりの生活を細々と送ったが、それも十年余りのこと。母が死んでからは機械のように過ごしたので詳細な記憶はないが、少なくとも、十四までにはこの軍隊の一員となっていたことは分かる。

 かれこれ二十五年の歳になった男は、今更その父に手紙を書かなければならない。

 二十五年間で一切父と出会っていない体は、『親愛なる父へ』の書き出しで寒気を覚え、ほとんど悶絶しながらも書き終えて『あなたの二番目の息子より』と締めくくったときには失神しかけた。

 なんでおれが、親父に手紙を書くんだ? という当面の疑問を口にしたが、周りには自分の気持ちを理解してくれそうなやつはいない。かわりに「グギョン」と妙な奇声を発して、声の持ち主はそのエラ付きの手で手紙を鷲掴みにして受け取った。その瞬間、恐らくこの手紙は父の手には無事に渡りそうにないことを知覚した男は、ため息をついた。

 空が徐々に明るくなるのを見届けて、部下を引き連れた男は南門を出た。

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