Episode:2
投稿が遅くなりすみません。
内容もお馴染みかと思われますが、気持ちの悪いものに仕上がっております。
「お立ちを。今はそのときではないはずです」
家の残骸の前で泣き崩れるバルギッシュに、ググダンは優しい声音で語りかけた。
今はそのときではない。
襲撃が起きたことを、ひとまずは首都クイン・テスアの王に告げなければならないのだ。
西監視塔に駐屯する衛兵が動いている可能性もある。しかし、それが機能していない可能性もある。
どちらにせよ、この襲撃の当事者として何らかの行動を起こさなければいけない。その第一として、まずは立たなければいけないのだ。彼らにとっては過酷なことだろうが、家族との縁を断ち切り、目的地に彼らを連れて行く義務と責任がググダンにはあった。
しかし、あまりの悲しみに、あのバルギッシュでさえも動かない。返事すらよこさない。他にもこれより過酷な現状を突き付けられている人が居るだろうにと、ググダンは苛立ちを感じ始めていた。
声をかけてからバルギッシュが立ち直るには、かなりの時間がかかるとググダンは思ったが、彼は流石に大人だった。涙を見せないのは枯らし果てたためか、分からないが、低い声で「ああ」と頷いて立ち上がった。
問題はこの少年である。どうしたものかとググダンが悩んでいたところ、父親が行動を起こした。
頰を殴ったのだ。
そのあまりの衝撃に少年の涙はやんだ。バルギッシュはこれを立たせると、付いて来るように促した。
「母さんを、お前が殺したのか!」
少年はバルギッシュに飛びかかるが、その熊のような体躯には手も足も出ない。
「せいぜい、生き延びて強くなるんだな」
バルギッシュは坂道を下りかけ、家を後にした。その間際に、
「お前ひとりでは生きていけないことくらい、知っているんだがなあ」
と呟いたのが効いたのか、意外にもすんなりと歩き出す。
このやりとりをどこか可笑しいと思いながら、ググダンは少年の後についていった。
子供のわがままが通らない世界に足を踏み入れることはとても勇気がいる。どういった形であれ彼はそれを受け入れて、新たに一歩を踏み出そうとしている。
その勇気を持つ者にしてはあまりにも小さすぎる背中を、ググダンは守ってやりたくなった。
村の出口である南門に向かうことになった一行は、バルギッシュを先頭に歩き始めた。......ともいかない事態が起きたのは案の定のこと。
あのサハギンたちはただの先鋒部隊でしかなかったのだとバルギッシュは痛感した。
一個中隊ほどのサハギンが、広場に集まっていたのだ。そして、広場から分岐する村道からも未だ次々とサハギンが群れを作って現れる。
広場は、文字通り広場で、南門を入るとすぐに展開されている大きな円形状の空間だ。先には円が四つに分岐しており、一番右が村長邸。中央の二つは各々の家や店が立ち並ぶ道で、左端が西門へ続く道だ。広場は催し物が開かれるとき、ググダンが子供たちに話をきかせるとき、市が開かれるとき、など様々な用途で使われる。西門の先は小さな港になっていて月に一度、海からは漁船、モロ平原もとい交易路に接する南門からは隊商がやってくる。市場が開かれる期間には、大陸中から人が集まる。そういった様子は小さな町といってもいいほどであるが、たかが農村でそれほどのこどができる巨大な空間をこの広場は呈している。
ちょうど今、その広場に客___サハギンたちがやってきた恰好であった。頼んでもいないお礼は村をめちゃめちゃにすることだったらしい。......などと皮肉を言っている場合ではない。
見つかるといけないと、ググダンの起点で、一行は広場に張り出されていた荷台の影へと身を寄せた。
幸い、品物を入荷する途中だったらしく、荷台からは果物や野菜など農作物などが籠に山積みだ。そういった荷台が南門の入り口の方まで続いている。門は一行が入ったときから変わらず開け放たれている。荷台に身を隠して進めば、外に出られる。敵の数からして到底成功するとは思えないが、そうするしかないというのが現状だった。
サハギンたちは油断しており、南門を閉めにいくどころか、監視すらしていない。なにやら広場の奥の方......分岐した道の中でも村長邸に通じる道が騒がしいが、これがチャンスだ。しかし二度とチャンスが訪れる保証はできない。少年は影を縫いながら「あいつら、殺してやる」と毒づいたが、その小さな野望も事切れることろなった。
あろうことか二、三ほどのサハギンがこちらに向かってきたのだ。まさかこの暗闇の中で見つかることはないと一行は思ったが、サハギンたちは荷台の籠から取り出した黄色の果物を頬張り始めた。サハギンの口に生え並んでいる、まるで大型のナイフのような歯がのぞき、少年は身震いした。
サハギンたちは南門の近くまで連なる荷台を漁り始める。歩くたびにペタペタと音がし、手には愚か、足にもエラが付いているのが分かった。
二台目に手をつけようとしたところで、奥の方から耳をつんざくような金属音がした。慌てるような様子でサハギンたちは荷台を離れ、仲間のもとへと戻る。荷台の隙間からそれを見届けてから、一行は歩みを再開した。
「サハギンの鳴き声だ。召集がかかったらしいな」
と、ググダン。
「今しかないらしいぞ」
応じたバルギッシュは、少年をちらりと見た。
少年にとって、つい前までは自分たちのものだった広場がこうも汚されているのが憎くてたまらなかった。彼らが日常をあらぬものにしているという事実が、彼の記憶と合わさり、新たな違和感が大きくのしかかった。彼らはここにいるべきでは無い。ここから立ち去れ、出て行けと声を大にして叫びたい気持ちを抑えながら、無事に明日を送れることを当たり前に感じていた自分にも恐怖を覚える。なんて馬鹿だったんだろうと罵りつつも顔を上げた先に、ようやく南門が見えた。悔しいが、今は自分たちが立ち去る時だと痛感した。
臆病な自分に嘘をつくことにした。こうすることでしか恐怖を乗り切れないと思い、少年はゆっくりと親指を立てる。痙攣かと見紛う父親のウインクを最後に、最北西の村クイルルを後にした。
霧のようにどんよりとした闇が空を覆っているのが分かる。
夜、という異常現象はここモロ平原の空でも相変わらずだった。少し前、突如としておこったこの異変は夢などという代物ではないのだということを少年は思い知った。
「知っての通り、私はこの大陸の地理に詳しい。こんな闇だが、ある程度の目も利く」
ググダンはそういうと背中に背負った革の鞄から、ボロ切れのようなものを取り出した。彼は「40年前の地図だ」と言いつつ、現在地であろう場所を指し示す。なんとか目を凝らしてうっすらと『モロ平原』の字が見えたときに初めて少年は、自分が数少ない読み書きができる子供であることを誇りに思った。
「モロ平原。クイルルを出ると広がる広大な平原で、我々が向かうのは......ここ、西監視塔。大陸の最西端で、エヒム洋の監視をしている」
「監視? どうして?」
少年の問いには、バルギッシュが答えた。
「この監視塔にはな、首都クイン・テスアから派遣された騎士団が駐屯している。“厄戦”ではサハギンの先遣隊がクイルルに攻め込んだ。当時、海を渡れるのは、人類が使う船だけだと誰もが認識していたんだ。もう二度と“厄戦”を起こさないようにする為に、国王がとった政策の第一段階だ。最北の大北海、最東・西にまたがるエヒム洋、最南の腐海にそれぞれ4つに監視塔を建て、海の監視を目的として騎士団を駐屯させるようになった」
「それなら、もう首都には伝わっているはずだろう?」
わざわざ西監視塔に行くこともないと口を開いたところで、ググダンが、
「使いの者が首都クイン・テスアへ。残りの騎士団はすぐに応援に駆けつけるはずだ。使者はともかく、騎士団がこないとなると組織が機能していない可能性が高い」
難しいな、と少年は思う。こうして役割を決めていないと、人は動けないのだろうか。自分の意思などは捨て、まるで機械のように与えられた役割にしがみつくだけの大人。役割を盾に責任を逃れ、まるで自分とは関係がないというように現実から目を背け続ける大人。そんな嘘だらけの世界を見てきた少年は、大人というものになんの価値観も見出せなかった。
商人に始まり、普段誰もが使う街道は“厄戦”の後に建設された代物で、石畳でできた道を辿っていくとまず迷うことはない。交差路にでれば案内板が道先を教えてくれるし、大陸地図などは商人では当たり前、一般家庭にも少数ではあるがその存在が確証されている。最終目標である、最南の都市トルケビに行くにあたっては街道無しでは辿り着けないのだが、一行はその街道を外れ、モロ平原をそのまま横断している最中だった。西監視塔は街道沿いにはなく、モロ平原の最端である崖っぷちぎりぎりまで行かなければならない。
背丈が高い草むらから、4つの赤い目玉に見られていることに、一行は気付かなかった。