99.温泉郷ミュニレシア-2
「ここよ」
「ここですか、随分と歴史を感じさせる建物ですね」
ミュニレシア温泉ギルドのアーミラさんに案内された宿は、とてもボロかった。
「さあ入って、すぐに部屋に案内するから」
宿の紹介をしてくれるという話だったはずで、部屋への案内まで頼んだつもりはないのだが?
「ここまでで結構ですよ。あとは宿の主人にでも紹介して頂ければ、それで」
「何言ってるのよ、この宿の主人は私に決まってるでしょう」
は? 何、そういうことだったの? 僕はてっきり観光案内所的なものだと考えていたのに、自分の宿に客を連れて行く為にアーミラさんは頑張っていたのだ。
「ほら突っ立ってないで、早く入りなさいな」
「あの~、一つお伺いしても?」
「なんでもこのアーミラお姉さんに訊いてみなさい」
ノリノリのところ申し訳ないが、率直に訊ねよう。
「僕たちの他にお客さんはいらっしゃるのでしょうか?」
「いいえ、あなたたちの貸し切りよ。大部屋を用意するから、気兼ねなく過ごしてね」
あれ? 多少なりともショックを受けるかと警戒したのに、アーミラさんは全く動じることは無かった。
「お兄ちゃん、大丈夫なのかな? 凄くボロいよ」
「見た目だけってこともあるだろうし、今更断れないよ」
「じゃあさ、最悪一泊だけして他の宿を探そうよ」
「そうだな、一泊すれば義理も果たせるか」
空気を読まないことに定評のある霞がこそこそと袖を引いてきたので、小声で相談をし対策を考えた。
「早くして頂戴! お部屋とお風呂の準備に食事の支度まであるのだから」
客を急かすというのはどうなのだろう? まあいいや、諦めて入るとしますかね。
アーミラさん家の宿は意外性も何もなく、中まで非常にボロかった。
触れると瓦解しそうな調度品、激しく軋み体重が掛かると凹む床や階段、薄暗い光を灯す電球みたいな魔道具か何か。
僕と霞は出来るだけ何にも触れないように、忍び足でアーミラさんの案内に従う。
「よせ、茜! 何にも触るな」
階段の手摺の側に飾られている不思議な形の壺か何か、埃を被り痛々しいまでにボロい。もし壊れたとして、弁償させられるのは馬鹿みたいじゃないか。
「この宿の最上階、といっても3階だけどね。この部屋があなたたちの部屋よ」
やっとのことで部屋へと辿り着き、宿の中に入ってからの悪い意味での緊張が漸く緩んだ。
「あの、ここ倉庫か何かですか? 寝具の類すら置いてあるようには見せませんけど」
何も置いていない空き部屋、倉庫とも言い難い。
「いいえ、ここはこの宿のスイートよ。一番高い部屋で眺めだって最高なんだから」
眺めなんてどこから観るんだよ、窓何て1つしかないじゃないか。
「ねえ、お姉ちゃん。部屋の前に準備室って書いてあったよ?」
霞は僕とは見ている所が違うな、僕は全く気付かなかったよ。
「あら、いけない。間違えちゃったわね」
テヘッとかやっている場合じゃないよ。
「隣だから間違えちゃったのよ! ほら、どう?」
広い部屋にベッドが4つも置いてある。応接セットやキッチンまで完備されていて、見方によっては高級な部屋に見えなくもないだろう。但し、全てがボロくなければの話だ。
「良い部屋には見えますね」
「そうでしょう、気に入ってもらえて私も嬉しいわ。
私はお風呂の支度をしてくるわね。大浴場は1階だから、少し休んだら降りていらっしゃいな」
アーミラさんはそう言い残すと、大浴場へ向かったと思われる。
「えっと、まずは調査だな」
「あのベッド、大丈夫かな?」
確かめてみるしかないが、安易に触れたくないのも事実だ。木製なのでイフリータを近付けるのは危険だ。カラカラに乾燥してそうで、よく燃えそうなのだ。
「部屋に来るまでに置いてあった調度品とかは埃塗れだったけど、部屋は綺麗に掃除されているな」
「ベッドは大丈夫そうだよ? お布団もフカフカ」
部屋だけはしっかりと維持されている模様。
キッチンは竈があるだけの簡易な物、少し脆そうではあるが使えなくはないだろう。
「テラスがついてるよ! でも怖いから出られないよ」
窓の外のテラスを見つけた霞ではあるが、出るに出れないでいた。
「ムリムリムリムリ、そこなんか床抜けてるもん」
「柱や壁は石造りなのに、テラスの床も部屋の床や廊下や階段と同じで木製なんだね」
全部石造りであれば古くても安心できたのだけど、これでは厳しい。
「ゆっくり休む暇がないね」
「お風呂に行ってみよう、お前たちはどうする?」
部屋が無事に使い物になるか調査していたので、全く休む暇など無かった。
この疲れは温泉で癒すとしよう。そこで悩むのは、精霊たちの扱いである。
『俺も温泉ってやつを見たいから付いて行くぜ』
見たからって何も面白いことは無いと思うぞ、ジルヴェスト。
『ボクもいく』
『イフリータちゃんが行くならぼくも』
イフリータはジルヴェストがお気に入りだし、芋ずる式に幼少組が釣れた。
『吾輩は』
『シュケーも行くから一緒に行こ』
「よし皆で行こう」
「儂らは答えておらぬぞ?」
「お前らは答えるまでも無いだろうが」
「茜くんとマリンちゃんも行くよ」
着替えを持ち、全員で大浴場へと向かうことになった。
ボロい建物に気を付けつつ、1階へ降りる。
「随分と遅かったわね。お風呂の準備は出来ているわ、こっちよ」
階段を降り切ったところで待ち構えていたアーミラさんに案内され、大浴場を訪れる。
「すっごーい! けど、混浴?」
「?」
「男風呂と女風呂で別れてはいないのですか?」
「ハッ、お貴族様でもないのにそんなこと気にするのかい? 庶民は男も女も一緒に入るもんさ」
鼻で笑われてしまった。しかし、これはこれで問題の発生ではなかろうか?
「ふふふ、旦那様と一緒じゃの。オンディーヌよ」
『そうじゃな』
「ご主人様と離れずに済みそうです」
姦しい女性型の精霊たちは喜んでいるようだが、どうしたものか。
「お兄ちゃんと入るなんて何年振りだろうね?」
ペタンコだから見られても平気なのか? いや、そういうことじゃなくて。
「よし分かった、入浴の時間をズラそう。霞はこいつらも連れて先に温泉を愉しむと良いさ。僕は霞たちが出てきてから、ジルヴェストや茜たちと入るからね」
こいつらとは夜霧・オンディーヌ・ルーの3名である。
シュケーは恐らく見学だと思うのだが、一緒に連れて行ってもらおうかな。
「もうヘタレだな、お兄ちゃんは。それじゃあ、先に入るね」
僕のどこがヘタレなのか問い質したいところではあるが、問題はこれで解決した。
霞はマリンと夜霧たちを連れて大浴場の中へと入って行った。夜霧たちは何やら納得がいかないようで、暫くの間ブツクサと文句を垂れ流していた。
待っている間は暇だ。
「カスミ様の護衛が出来ないのは不安です」
「茜、落ち着け。風呂に入っているだけだし、マリンが付いているだろう」
霞の兵として生み出された茜には酷なのかもしれないが、それはそれだ。
「もしかしてヤーゼン支部長の言っていた宝とは、お貴族様だったのかい?」
ヤーゼン支部長って誰だ? 支部長、支部長……。ああ、冒険者ギルド支部長か!
「僕は貴族ではありませんよ。ですが、僕と妹の居た場所の文化では男女で風呂が別なんです」
「そうなのかい、大変だねえ」
一緒にされる方が、こちらとしては大変なんだけどね。
「私は食事の支度をしてくるよ。先に出てくるだろう妹さんを案内しに戻ってくるからね」
そう言ったアーミラさんは忙しそうに、大浴場の入り口から去って行った。




