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95.空の旅-1

「了と霞は無事に向こうに着けただろうか?」

「もう、あなたったら何回目ですか? 心配しすぎです。

 きっともう冒険をしているのでしょう。私の生まれ育った、あの世界で」


 祖父母の聲が聴こえた気がした。


「ちょっとお兄ちゃん、居眠りになんかしてると落ちちゃうんだからね!」

『そうなのじゃ、妾と土のが支えておらなかったら墜落しておったのじゃ』

 夢か、それにしては妙に現実味のある夢だったな。


 霞が僕の頬をぺちぺちと張る。

「寝惚けてないで、早くしゃきっとするの!」

「起きてる、起きてるってば」

 あー、なんの夢だったか思い出せなくなってしまった。


 ペトラさん率いる研究者の村を後にし、僕たちは陽の高くなる頃に再び旅立った。

 ヘンデルさんの話によれば、南西に十日程進めば宿場町があるという。そこから更に西へ行くと幾つかの漁村が点在するのだと教えてもらった。

 僕たちはまず宿場町を目指す。そこは自然に湧き出た温泉があり、観光客の押し寄せるこの大陸でも有数の温泉地だそうだ。


「温泉かあ、小さい頃に父さんに連れて行ってもらって以来だな」

「お母さんと私がお留守番させられたんだよ? お兄ちゃんばかりズルい。

 着いたら、ゆっくり温泉に入るんだもん。あの村にはお風呂が無かったから」

 その文句は僕じゃなく、父さんに言うべきだと思うな。僕は付いて行っただけだもの。


「水浴びかの? 儂も旦那様と共に水浴びするのじゃ」

「夜霧は霞と一緒に女風呂だぞ。僕と一緒に入るのは茜だよ」

 鬼たちは霞の座席と化しているオンディーヌの後ろで、必死の形相で今も夜霧の鱗にしがみ付いている。

「わ、私などが殿下ではなく、お兄様の水浴びにご一緒するなど滅相もありません」

「そうは言っても、男の子のお前が霞と一緒に女風呂に入るわけにはいかないだろうが」

「人の姿になったオンディーヌちゃんたちとマリンちゃんは私と一緒だよ」

 とはいえ、この世界の温泉のルールは知らない。男湯と女湯で分かれているかすら不明なのだ。


「人の足で十日って、どのくらいの距離になるんだろうな? 何か見えるか?」

「何も見えぬの」

 夜霧も目はかなり良いはずなんだけど遠すぎるか。

「……あれでしょうかね? このまま直進すると建物が見えてくるでしょう」

 僕の肩の上で目を瞑り前を向いたルーは、首を傾げながらそう答えた。

「儂にはまだ何も見えぬが、ルーには見通せておるようじゃの」

「なら、このまま直進だ。夜霧もよそ見しないで真っ直ぐ飛んでくれよ」

 夜霧は会話に加わる度に、僕たちの方を気にして振り返るのだ。

『主殿も、しっかりと摑まっておらぬと落ちてしまうぞ』

 ガイアに怒られてしまった。でも大丈夫だよ、シュケーの枝で雁字搦めになっているからね。

 霞は柔らかいオンディーヌをクッションのような座席にしていて、少し羨ましい。

 ガイアに寄生したシュケーの枝も別に刺さったりはしていないのだが、ゴワゴワして身動きが取りづらいのだ。


『あるじ~、あれなに?』

 スノーマンの指し示す先を見遣ると、何かの鳥が飛んでいるように見える。

「鬱陶しいの、ワイバーン共じゃ」

 空かさず答えたのは夜霧。

「大方、ここらに巣でもあるのじゃろうの」

「ワイバーン?」

「ご主人様に分かり易く説明するとなると、空飛ぶトカゲですかね」

 僕に分かり易くって、ルーまた勝手に記憶を覗いたんじゃないだろうな?


「で、そのワイバーンがなんでまた?」

「儂を威嚇しておるのじゃろうの。格の違いを思い知らせてやりたいところじゃがの、旦那様を落としてしまっては目も当てられぬ。この場は見逃してやろうぞ」

 ワイバーンはその数を増やし、夜霧から少し距離を置いた場所から取り囲むようにして吠えていた。

『俺が少し脅してやろう。婆さん、その間に抜け出せばいい』

 夜霧の飛行による空気抵抗の軽減に努めているジルヴェストが、ワイバーンを牽制してくれるそうだ。


「では道を開いてもらえるかの。旦那様たちはしっかりと摑まっておるのじゃぞ」

 ジルヴェストは夜霧の言葉に応え、進行方向へ集ったワイバーン目掛けて空気の球を撃ち出した。

 ジルヴェストの黄色い魔力を帯びた空気の塊、僕にはそれを認識することが出来たがワイバーンたちは気付いてすらいない。

 ワイバーンの集団に直撃した空気の球はその場で弾ける。バランスを失い、墜落していくワイバーンたち。墜落を免れたものも、慌てふためいている。

 混乱しているワイバーンたちを横目に、夜霧は速度を上げその包囲から無事に抜け出した。


「ちょっとやり過ぎじゃないのか? 数頭、落ちたぞ」

『主は奴らに食われたいのか?』

 なに、僕たちってワイバーンの餌だったの?

「旦那様は甘いの。弱いものは食われるじゃぞ」

 今まで、そんな弱肉強食っぽい生活をしていない僕には理解し難い。

 でも僕たちも肉を食すし、そういうものだと考えるべきかもしれない。特にこの世界ではそれこそ日常茶飯事なのだろうから。

「うん、わかった。僕が悪かった」

『もう抜け出たのだ、気にすることは無い』

 この世界に来て、それなりに時間は経ったがまだ足りない。もっとこの世界に順応する必要がありそうだな。


「ねえねえ、さっきのアレって美味しいの?」

「カスミ様は食いしん坊でいらっしゃいますね」

 マリンの言う通りだ。なんでも食べようと考えるな、妹よ。

「儂は食うたことはないの。食うところがあるとも思えんしの」

 空を飛んでいるから身や骨がスカスカだったりするのだろうか? そういえばワイバーンの体はとても痩せて見えたな。

「ふーん、残念だな」

 お前、本気で食べるつもりだったのかよ。


『あぶないよ、落ちちゃう』

「ご助力感謝いたします、シュケー様」

 シュケーの枝に絡め捕られた、茜。夜霧の加速で落ちそうになったところをシュケーに助けられたらしい。

 茜は赤鬼なのに、若干顔が青褪めている。混ざって紫になったりはしないんだね。

「霞、食べることばかりでなく、茜のことも気にしてやれよ」

 霞は慌てて振り返り、漸く茜の事態に気付いたのである。

『オンディーヌ殿、少々水を頂けぬか。シュケー殿に持っていかれてしもうた』

 見れば、ガイアの体の表面はカサカサでひび割れている。

『木娘も役立っておるのじゃ、ほれこの程度で良いかの?』

『感謝いたす』

 水分を吸収したガイアのひび割れは綺麗に修復された。シュケーが動くと水を消費するんだな、これは覚えておくとしよう。


 なんだかんだでこの精霊のチームは、上手く協力して回っているよな。

 最初の頃、ジルヴェストとオンディーヌはいがみ合っていたり、夜霧が加わった時も一悶着あった。ルーが変異した時も同様だ。

 それなのに今では数を増えたにも関わらず、精霊たちは連携を取ることも可能になっている。

 これからはそこに鬼たちも加わることになるが、不思議と不安はない。きっと、上手くやっていけるはずだろう。


「ルーよ、方向はあっておるかの?」

「はい、ヨギリ。問題ありません、このままで大丈夫です」

「お腹減ったよ」

 問題があるとすれば、霞だな。このマイペースな妹こそが一番のトラブルメイカーである。

「ジルヴェスト、どこか降りられそうな場所を見つけてくれ」

『難しいぞ、山ばかりだからな』

 そう、今僕たちは山間部の上空を飛んでいる。先程のようにそこに住まうものが出てくる可能性だってある。

「あの高い山を越えた先に狭いですが野原があります。そこでどうでしょうか?」

「夜霧次第だな、駄目なら昼食は我慢する」

「えー」

 再び飛び上がれなくなるようでは困ってしまうからね。

 緩やかに着地し、再び飛び立つことが出来ないと困るのは僕たちの方になる。夜霧自身は可能でも、僕たちが落ちてしまっては話にならない。

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