92.魔物の女王様-1
「実験が終わるのを待つ間に、Bチームに切り替えたいんだよな」
「そうしますと一度外へ出なくてはなりませんね。警備の方々にも手間を掛けてしまいますし、今日はこのままでよろしいのではないでしょうか?」
ルーの言い分は十分に理解できる。ただ前もって日替わりと伝えている以上、オンディーヌが文句を言いそうな気がするんだ。
「オンディーヌちゃんもきっと分かってくれるって、大丈夫だよ。お兄ちゃん」
「そうかぁ? 絶対文句を言うと僕は思うけどな」
「ここの連中は精霊でも気にはせぬのだから、呼び出してしまえば良いのじゃ。全員揃って居っても問題あるまいよ」
それをしてしまうと僕の立場が無くなるんだけど……。もう、どうにでもなれだ。
『オンディーヌ、ガイア、シュケーおいで』
決して面倒だとかそういうことでは無いのだけど、纏めて呼び出すことにした。
施設の中なのであまり派手にはしたくないが、BチームはAチームに比較すると顕現自体は地味なので大丈夫だろう。
一番最初に現れたのはシュケー。地面からひょっこりと若葉が芽吹き、高速で育ったかと思えば。
『じゃじゃーん』
「シュケーが一番乗りだ、こっちにおいで」
次にやってきたのはガイア。前回は大きく地面が隆起したのだが、今回はほんの一メートル角程度の大きさの隆起に収まっている。隆起した土が人間に似た形に変ると完成のようだ。
『主殿、お待たせいたした』
「控えめにしてくれたんだね、ありがとう」
『妙な魔力が渦巻いており、干渉せぬよう心掛けました』
ガイアは僕が何を言わなくても、自ら判断してくれて頼もしい限りだよ。
「あれが来ぬの?」
「珍しいこともあるのですね、一番に現れるものと思いましたのに」
「オンディーヌちゃん、どうしたんだろう?」
本当に珍しいこともあるものだ。僕もオンディーヌは、誰よりも早く一番に顕現するものと考えていたからね。
『おーい、オンディーヌ。おいでー』
待てど暮らせど一向に現れないオンディーヌ。
「ジルヴェスト、どう思う?」
『一切の気配すらないぞ』
「ふうむ、どういうことだ?」
ジルヴェストの気配感知にすら引っ掛からないとは、本当にどうしてしまったのだろう?
「女の子だから時間が掛かるんだよ」
霞はそう言うが、それを言い出すとシュケーはどうするんだよ!
しかし現れないだけでなく、返答すらないことが気になるな。
「儂の呼び掛けにも答えぬの。どうなっておるのじゃろうの?」
「場との相性が悪いのかもしれませんね。水場であれば反応すると思いますが」
「そんなことがあるのか? 僕だけちょっと建物の外に出て呼んでくるよ」
「ルーは連れて行くのじゃ、旦那様の護衛は必要じゃからの」
例の如く僕の後頭部にしがみ付いたルーと共に、建物の外へと急ぐ。警備の人に軽く挨拶をしてから、井戸の側へとやって来た。
『オンディーヌ、おいで』
空気中に漂っていた水分が一点に集中し、徐々にその大きさを増してゆく。その水の球がパンッと弾けると、精霊の姿のオンディーヌが現れた。
「良かったぁ、大丈夫みたいだな」
『どうかしたのじゃ?』
「ガイアやシュケーは呼んですぐに顕現したのですが、あなただけ反応すら無かったのですよ」
『妾は今しか呼ばれておらぬのじゃ』
建物の中で発した僕の声や意思は届いていなかったということだな。
「ルーの言うように、場の相性があるみたいだね」
「あの建物内はオンディーヌと非常に相性が悪いようですね。このまま連れて行くのもどうでしょうか? 問題がないとは思えません」
「確かに一理ある、な。オンディーヌ、お前ここで待機しとくか?」
『何故、妾だけ置いて行くのじゃ?』
話聞いてないのか、こいつは?
「僕はあの建物の中で一度お前を呼んでいるのだけど、聞こえていなかったのだろう?」
『うむ、何も知らぬのじゃ』
「あの建物の内部では、あなたの存在が掻き消えてしまう恐れがありますよ。若しくは取り込まれ、魔獣と化す恐れも」
ああ、そういうことか! 今やっている実験の魔力がオンディーヌ似ているか、若しくは正反対の力を持っているかで悪影響が出ているのだろう。
「このままお前を連れて中に入るのは危険だな」
『ならば仕方ないのじゃ、妾は一度帰るのじゃよ』
「ここで待つという選択肢もありますよ?」
『良いのじゃ、主様に迷惑を掛けるよりはマシじゃ』
「すまないな」
『用が済み次第、呼んで欲しいのじゃ』
寂しそうな表情をしながら、オンディーヌは地面へと浸み込み消えっていった。
「珍しく物分かりが良かったですね?」
「そうだね、もっと我儘を言うのかと思ったのに。それじゃあ、戻ろうか」
危険を冒してまで連れて行くよりは幾分マシなのは事実だ。それでも何かやるせない気がしてならなかった。
「連れてはおらぬが、呼び出せなかったのかの?」
「そうじゃないんだ。この場所とオンディーヌ自身の相性が悪そうだから、安全をみて置いてきたんだ」
「それで良いのかもしれんの。半実体のあれでも影響が出るのじゃ、実体の無き精霊たちも気を付けておくべきじゃぞ」
そうだな、安心していてはいけないな。他の精霊たちも何かしらの影響が出るかもしれないのだ。
「お前たちも何か変わったことがあれば、すぐに知らせるように」
夜霧は大丈夫なんだよな?
その後もペトラさん達の実験は続いた。そして昼休憩ということで、実験は一時的に止んでいる。
「研究員たちは昼食の休憩に入る。施設を使いたいのであれば、この時間くらいしか空きは無いぞ」
「じゃあ、ちょっと借ります。夜霧ちゃん、手伝って。お兄ちゃんはちゃんと見ててよ?」
「ああ」
正直なところ僕は乗り気ではない。精霊たちが心配でそれどころではないのだ。
「カスミ様はどのようにするおつもりですかね?」
「さあな、夜霧も居るしそれなりの形にはなるんじゃないか?」
昼食の休憩とやらも精々一時間程度だろうし、短時間では結果が出ないかもしれない。それでも一度やらせておけば、霞も満足するだろう。
夜霧と連れ立つ霞は盾に魔力を込めている。燦然と光り輝くデニス爺の皿、久々に見る光景だ。
「この魔力をあそこに流し込むんだよね?」
「そうじゃの」
夜霧の同意を得て、霞は盾に込めた魔力を檻の中へと放出した。
夜霧に借りている眼で観ると、その魔力光は物凄く濃ゆい紫色をしている。
「檻の中に充満しておるの」
「もう少しで全部出しきるからね」
霞は盾に込めた魔力を全て放出するつもりらしい。
「何も起こらないな?」
「やっていることは私たちの研究と同じだな」
「いえ、変化の兆しがあります!」
ルーは見通す力を持った精霊、何かを捉えたようである。
「きた、の」
夜霧も何やら感じ取ったようで、霞の手を取り後方へと下がらせた。
その直後、檻の中に充満していた霞の魔力が歪んだかと思えば蠢き始める。
「なんだ、あの濃密な魔力は……?」
ペトラさんは檻の中を見つめたまま、また考えに浸っているようである。
「きます!」
ルーがそう言葉を発した瞬間、檻の中に2つの人影らしきものが見えた。




