80.空を飛んだ日-1
「お兄ちゃん、今夜だよね?」
「ああ」
商店街に頼んでおいたブツは、全て引き取りを済ませてあるから大丈夫だ。
「じゃあ、私行ってくるからね」
「妹さんをお預かりしますね。アキラさんは最終確認でもしておいてください」
霞はアメリアさんに連れられて馬車に乗り込んだ。ジルヴェストとスノーマンも同伴するのだが、馬車の上が指定席らしい。
では、既に何度目かすら分からない最終確認をしよう。
食料、よし! パンはそんなに硬くないものをジャネットさんが焼き上げてくれた。それと非常食にと用意したメイム、日本でいうところのトウモロコシだ。
防寒着、よし! 仕立て屋のお婆さんが僅か二日で仕上げてくれたセーターに似た何か。裾が長く広がっているので、一概にセーターと呼ぶのは憚られる。
霞と二人で試着してみたけど、これは本当に温かく、着心地も抜群だった。ただ、魔王都の気候で着用し続けるのは拷問に近いけどね。
リュックの中身、よし! ニールで購入したものが殆どなんだけど、ロープや寝袋などは新調しておいた。寝袋は寝汗等で汚れていたしね。
テントはニールの冒険者ギルドに借りたものやダイモンさんの私物だったので、新規に購入しようかとも考えた。しかし精霊たちの協力があれば、必要ないだろうという答えに辿り着く。正確には、精霊たちの主張を取り入れただけ。
「他に何か忘れ物は無いかな~?」
「何を一人でブツブツ言うておる、無ければ作れば良いじゃろう? 旦那様にはそれが可能なのじゃからの」
僕が可能なんじゃなくて、君たちが可能なんだよ。
「それで何が足りないのですか? ご主人様」
何が足らないのか分からないから、考えているんだよ。
「そうだ! 挨拶してないや」
『人は面倒なのじゃ』
「でも問題ないかな。ティエリさんやダイモンさんも夜に顔を合わせるって話だったし」
ダイモンさんとはもうずっと会って無い。勿論、ティエリさんもそうなんだけど。ニールからの付き合いだから、ダイモンさんの方が優先順位としては上なんだよね。
「挨拶は、まあよしとしよう。他にも何かあったような気がするんだよな」
「足りなければ、その時に考えれば良いかの?」
「僕はお前たちみたいに大雑把じゃないの、慎重なの」
『人間、臆病と罵られるくらいで丁度良い』父が良く言っていた言葉。
この世界は日本とは違う。そして何よりも霞が一緒に居るんだ、僕には霞を守る責任がある。だからこそ、父の言葉に僕も倣うべきだと考える。
「儂だけが大雑把な訳では無いのじゃ、此奴らも似たようなものじゃ」
「ご主人様は人間ですからね。考え方に違いあって当然なのですよ、ヨギリ」
ルーが夜霧を諭している、もうどっちが年上か分からないよ。
その後、霞が戻るまでずっと考え続けていた。臆病というより、心配性なだけかもしれない。
気になるんだよね、こういうのってさ。遠足の前日の心境とでも例えると分かり易いかな?
「ただいま~って、お兄ちゃん何やってんの?」
「忘れ物や足りない物のチェックをしていたのだけど、何がなんだか分からなくなってしまった。一応事前に準備したものは揃っているんだけど、何か忘れている気がするんだ」
「気のせいじゃない? お兄ちゃん昔からそうだもんね」
僕は昔からこんなに慎重ではないよ。どちらかといえば、行き当たりばったりの楽天家だったはずだ。
「そういうのは考えるだけ時間の無駄です。お昼ご飯にしましょう」
アメリアさんが朝にやっていくようにって言ったんでしょ? なんなの。
「ご飯食べてる間に思いつくかもしれないよ?」
ご飯食べてる間もずっと考えてるのは嫌だなあ。
「それとご飯食べ終わったら、お昼寝するんだからね」
「あっ、それだ! ずっと何か引っ掛かってたんだよ。そうか、昼寝だったか」
やっと喉に刺さっていた骨が取れた気がした。はあ、すっきりした。
霞はケラケラと声を立てて笑っている。笑われているのは僕なのだが、この際どうでもいいや。
昼ご飯を食べ終えた僕たちは部屋に戻る。アメリアさんはもう一休みしてから冒険者ギルドへと帰るらしい。
「お昼寝の前にお風呂入るけど、お兄ちゃんは?」
「僕はいいや」
食後の何とも言えない眠気に襲われている最中だ、お風呂に入ったら目が冴えてしまいそう。
「おやすみ、お兄ちゃん」
「ん、おやすみ」
上着だけ脱いでベッドに潜り込んだ。枕元にルーが寝転がってるけど気にしない、気にしたら負けだ。
どのくらい眠っただろうか? 窓からは夕日が差していた。
隣のベッドでは霞が静かな寝息を立て眠っている。もう少し眠らせてあげよう。
「お目覚めですか、ご主人様」
「ああ、ルー。他の連中は?」
「お二人の邪魔にならないようにと、方々に散っておりますよ」
方々にって、どういうことだよ? なんかやらかしたりしてないだろうな?
「夜霧はどうした? 他の精霊と違ってあいつは完全に実体があるんだから」
「ヨギリはカスミ様にお小遣いを貰って商店街へ行っています。お守にオンディーヌを付けてあるので、問題は無いでしょう」
ちょっと待て、お小遣いだと? 駄菓子屋に通う子供か!
「商店街って何しに行ってんだろうな?」
「詳しくは存じませんが、ポップメイムの新作が出たとかで」
なんであいつ、そんなことに詳しいんだろう?
「わかった。もういい、呼び戻す」
『夜霧、何してる?』
頭の中で夜霧を呼び出す。
『起きたのかの? もうすぐそこじゃ』
何がすぐそこだ。
カチャリとドアノブが廻される音がして扉が開くと、夜霧とオンディーヌが姿を現した。
「お前たち、何勝手に買い食いなんてしてるんだ?」
「妹御にお小遣いを貰うての。ポップ何と言ったかの、あれの新作を買ってきてくれと頼まれての」
『そうじゃ、頼まれたのじゃ』
「霞に頼まれてお使いに行って来たというんだな? じゃあ、その口の周りについているカスはなんだ?」
夜霧の食べ方はいくら指導しても汚いままだ。だから、こいつが何かを食べたらすぐに分かる。
「お使いの駄賃で何を食おうと勝手なのじゃ。のう、水よ」
『そうじゃ、お駄賃なのじゃ』
オンディーヌは人化しても体が水でスケスケなので一目瞭然。食べたものが腹の中に漂っている。
「お前ら、いつの間にそんなに仲良くなった、仲悪かっただろう?」
仲が悪かったというか、オンディーヌが一方的に嫌っていたような感じ。
「中は別に悪くはないの、元からじゃよ」
『ババアは嫌いではないのじゃ、そこのチビよりはマシなのじゃ』
「私を愚弄するのですか?」
う~ん、どういう状況だ、これは。
「とりあえずオンディーヌはルーに謝りなさい。それとお使いの成果はどこにあるのかな?」
「此れなのじゃ」
「これ、量がやたらと少なくないか?」
製品となった物を初めて見るのだけど、容器に対して中身が極端に少ない。
僕の質問に対し、夜霧とオンディーヌは目を逸らした。
「お前たち、食べたな? 正直に答えろ」
「少しだけなのじゃ」
『そうじゃ、ほんの少しだけなのじゃ』
「お前ら、それじゃお使いの要件を満たしてないだろ?」
お使いの目的の品を食べちゃ駄目だろ。
「僕がお願いしたことでもないし、霞に怒られても僕は知らないからね」
「あなたたちはその程度のことも満足に出来ないのですか? ご主人様は失望しておられますよ」
そこまでではないよ? ちょっとどうなのかな、とは思うけどね。
「申し訳ないの」
『ごめんなさいなのじゃ』
「僕に謝られても困るよ。霞が目覚めたら、ちゃんと報告するように」
霞はまだ眠っている。晩御飯の時刻になれば、自ずと目覚めるはずだけどね。




