79.宿屋にて
お風呂とは何と素晴らしい文化だろう。
僕は今、ゆっくりと湯船に浸かっている、狭いのが玉に瑕だけど。
あれから工業街と中央区を隔てる門はすんなりと通ることが許された。極めてスムーズに宿まで戻ることが出来たのは何よりも幸いだった。
霞とお風呂の順番を決める為に、じゃんけん3回勝負に挑んだのだがストーレートで2回負けるという失態さえ犯さなければ、尚良かったのと思わなくもない。
「お兄ちゃ~ん、宿の人が来て食堂にお客さんだって~」
なんたることだ! 折角、ゆっくりとお風呂を愉しんでいるというのに。
「早く行かないと、お客さんに失礼だよ~」
「わかってるよ、わかってるけど、もう少し」
歩き疲れてパンパンの脹脛も労わってやりたい。
大体なんで、こんな時間にお客さんがやってくるんだ!
名残惜しくもお風呂を脱した僕は霞と共に、1階の食堂へと赴いた。
「なんだ遅かったではないか?」
待っていたお客さんとはクリスさん、傍らにはアメリアさんも控えている。
「一体何なんです?」
「どうした? 機嫌が優れないようだが」
「別にどうということはありません。それより用件は?」
お風呂の邪魔をされたので、機嫌が悪いのは仕方ない。
「お兄様と協議の結果、5日後の深夜に訓練場の使用が認められた。一応、城へも報告は済ませてあるので安心しろ」
「それは良かった。駄目だと言われても強行するつもりでしたが、騒ぎにならずに済みそうですね」
出て行ったっきり戻ってくるつもりがないので、騒動になっても知ったことではない。
「それとは別にアキラ、私は大人しくしていろと釘を刺したはずなのだが?」
「なんのことでしょう?」
思い当たる節は多分にあるので、どれだかさっぱり見当がつかない。
「最近妙に商店街が活気づいているようなのだが、お前何かしたな?」
「何もしてませんとは言いませんが、少々お願いされて商品を考案した程度のことですよ」
ポップメイムに関しては言い逃れできそうにないが、果物ジュースと総菜パンに関しては実際にお願いされているのだ。
「その商品が非常に評判でな、商店主に商業ギルドからも問い合わせが相次いでいるそうだ。だが商店主たちは皆口を揃え、商品の権利はお前にあると言い張っているそうなのだ。
お陰で商業ギルドからの問い合わせは全て、冒険者ギルドの私の元に来るようになってしまったのだ!」
それは逃げ口上だよ。商店主の皆さんは面倒だから、こっちに丸投げしたに過ぎない。
「商品の権利は商店にあるはずですよ? 僕は好きにしてくださいと言ってありますから」
「好きにした結果、商品の権利はアキラさんの元に還元されてしまったようですけどね」
アメリアさんの間髪入れない返答に、僕はぐうの音も出そうにない。
「それならば、冒険者ギルドで管理してください。かなり儲かると思いますよ?」
僕個人で権利の管理なんて出来る訳が無いのだから、商店主同様冒険者ギルドに丸投げしてしまおう。
「そういう話で誤魔化そうとするな! 私はお兄様とは違うのだ。
大体、大人しくしていろと口を酸っぱくしてまで警告したであろう!」
やばい、話が元に戻ってしまう。儲け話で誤魔化せるのは、名を捨てて実を取るティエリさんでなくては駄目なのか。
「マスター、アキラさんの案はそう悪いものではありませんよ?
まず今回の騒動に於ける商品の権利を、商業ギルドへと貸与します。そうすることで権利の管理それ自体は商業ギルドが行うことになります。
我々は商業ギルドからがっぽりお金を貰うだけで済むのです。それに彼らに大きな貸しを作ることも可能なのですよ?」
アメリアさんの案は、商店主から僕、僕から冒険者ギルド、冒険者ギルドから商業ギルドへの丸投げでしかない。そのはずなのだが、そこに大金と相手に対する貸しまでもを生み出している。
「商業ギルドへの貸し、か。確かに悪い話ではないのかもしれない」
おっ、揺らいでる? もう少しで陥落だ!
「その中から何割かをアキラさんへ還元するとしても、冒険者ギルドは何もせずに儲かるのです!」
「う、うむ。ならばアメリア、この一件はお前に任せよう。思うようにしてみると良い」
とても渋い表情をしているクリスさんとは対極に、アメリアさんは良い笑顔をしている。
アメリアさん、ありがとう。クリスさんの話の矛先を逸らしてくれて、権利がどうとか面倒なことも引き受けてくれて。
「今回はアメリアの案もあり大目に見てやるが、もう一度だけ言っておく。
アキラ、お前は大人しくしていろ! 妙なことに関わるな」
「わかりました、大人しくしています」
関わるなと言われても、関わって来られちゃうんだよね。僕の方から望んでやっていることは、そう多くないんだよ?
「カスミ、兄が妙なことを仕出かさないか見張っていてくれ」
「う、うん、わかった、わかりました」
クリスさんのあまりの剣幕に霞は驚いてしまっている。
「私は先に戻る、アメリアはアキラと詰める話もあるだろう」
「あ、はい、そうします」
クリスさんは帰っていく、まだ興奮冷めやらぬといった風ではあるが。
「はあ、駄目ですよアキラさん。マスターは補佐が居らずに癇癪をおこしているのですから、大人しくしていなければ」
「えっ、それじゃ八つ当たりじゃないですか?」
「実際にアキラさんも騒動を起こしてはいるので、仕方ない部分もありますけどね」
くっ、起そうとして起こしたわけじゃないんだ! 起きてしまったのだ。
そもそも青果屋のおじさんが売りに出さなければ、こんな騒動には発展していない。あー、でも、許可した僕も悪いのか……、反省しよう。
「それで、実際は幾つあるんですか?」
「何がですか?」
「権利ですよ!」
幾つあるのかと問われても困る。
「僕が関与したのはポップメイム、果物ジュース、総菜パンだけですよ。他に派生したものがあったとしても、それは別ですよね?」
「いいえ、派生したものも商店主が認めれば、アキラさんの権利となってしまいます」
えーっ、おかしいよ。
「それでは商店が損をしてしまいませんか? 商業ギルドへ貸し付けて得られたお金の中から、商店へも少し分けてあげた方が良いと思います」
僕が考案したものは良いとしても、派生したものははっきり言って関係がない。商店主の努力の賜物だと思うんだ。
「そうですね。商店街を調査して、その上で登録してもらいましょう。それなら問題も少なくなるでしょうからね」
なんか冒険者ギルドというより、商業ギルドの仕事をしてないか? 僕たち。
「出発は5日後でしたか? 用事が済んだら早く帰ってきてくださいね、権利のことは纏めておきますから」
「あー、えーと、その。戻ってくるつもりはないんですが……」
「なっ、なななななにを言っているんですか!」
端正なお顔が台無しになっているよ、アメリアさん。
「冒険者ギルドの召喚状の件は済みましたし、他の所へ行こうと思います。魔王都には元の世界へ帰る為の知識もありませんでしたから、他を当たろうと思うんです」
アメリアさんには、正直な気持ちを話してみた。
「そうですか、そうですよね。仕方がありませんね、権利のことは私が責任を持って預かるとしましょう。
このことはマスターや補佐に伝えてあるのですか?」
「いえ、冒険者ギルド関連ではアメリアさんだけですかね。商店街の人たちには伝えてあるのですが……」
言うと引き留められそうで敢えて黙していたんだけど、アメリアさんには話してみたくなった。何故だろう?
「わかりました。お二人と精霊さんたちが旅立ってから、私の方でお話ししましょう。マスターや補佐はお二人が旅立つと聞けば、まず間違いなく引き留めに掛かるでしょうからね」
「理解していただけて幸いです。まあ、絶対に戻ってこないという訳でもないのでね」
夜霧での飛行が快適ならば、度々戻ってくるかもしれないのだ。




