76.旅の支度-6
霞への説明は食べ物で適当に済ませることが出来た。
最近の霞は肉さえ与えていれば大人しい。日本に居た頃、肉を好んで食べていたような記憶はない。まさかと思うが霞もまた変異したんじゃなかろうか?
「全然進まないね、この列」
「いや、少しずつだが処理されているみたいだぞ?」
額に手を翳し門の方を眺めると、徐々にだが捌けてきている。ただ検問を担当している職員が少ないのが進まない要因だろうか。
「ご主人様、見てください。人化出来ましたよ」
「なあ、夜霧。これ人化なのか?」
「人化の魔法を使ったことに間違いはないと思うがの」
ルーの姿は変異が終了した後と殆ど変わりがなく、ただ只管に眩しかった光が抑えらているだけ。
「人化というには大きさが、な」
『ちびのままじゃ』
こら、オンディーヌ。オブラートに包んでいる僕を少しは見習え!
「夜霧は収縮したのに、ルーは膨張しないんだな?」
「ルーがそれを考慮せなんだのじゃろう。この大きさが良いらしいの」
「私はこの大きさが一番なのです。だって、ご主人様にくっ付いていられますもの」
それなら人化の魔法を行使する必要は無かったのではないだろうか?
「眩しいのがお嫌いなようでしたので」
「ああ、そういうことね。気を使わせてしまったね」
「いいえ、ご主人様の為になら当然のことです」
ああ、そうなんだ。少しだけど、堅苦しい言葉遣いに肩が凝る。
「あ~、食った食った。霞と夜霧は満足したか?」
「うん、お兄ちゃんが買って来たの美味しかったよ」
「それなりに腹は膨れたの、甘いものが欲しいところじゃ」
夜霧は近頃食べるという行為に、愉しみを見出しつつある。別に悪いことではないのだが、時と場所を考えてほしいとは思う。
「甘いものね。この先で何かあれば考えよう」
無難な返事をして、適当にお茶を濁しておこう。
「次の順番の者、身分証明書を携帯し待機せよ」
門衛の兵士が僕たちに声を掛けてきた。食事をしながらだけど、2時間くらいは待った気がする。
「冒険者登録タグと城の臨時入門許可証があれば良いんだよな」
「精霊ちゃんたちはどうするの?」
「それは精霊だと説明するしかないだろう?」
外周区から中央区に入った最初の時も、特に何か言われた訳でもない。恐らく大丈夫だろう。
「次の者、前へ進め」
一組当たり10分程度の時間を掛けて検査しているようだ。手続きに時間が掛かるの仕方がないのかな。
首から下げた冒険者登録タグと封筒に入った城の臨時許可証を提示する。冒険者登録タグについては霞も一緒に提示した。
「冒険者だな、この若さでランクDとはまたヤリ手のようだ。ん、これは何だ?」
封筒の中身を目にした門衛の顔色が一瞬で変わる、嫌な予感がする。
「これは外周区へ出る際も一応提示しろと、冒険者ギルドの方から言われておりまして」
嘘ではないよ、アメリアさんに提案されたし。
「お前らが噂の精霊使いだと。そして、後ろにぞろぞろと連れているのは精霊なんだな?」
「はい、間違いありません」
「単なる冒険者ではなく、魔王様も認める身元のしっかりした者達ということで通って良いぞ。帰りもその封筒を提示するように、交代の者に言い含めておこう」
「あ、はい。ありがとうございます」
門衛の兵士には良い思い出がリグさんしか無い。魔王都に至っては最悪だったのだけど、ここの門衛の兵士さんはどうやら当たりだったようだ。
しかも帰りの保証までしてもらえて、とても幸運だった。
「なんだ、多いな。お前たち、早く通るように」
門衛の兵士というのは、当たり前なのだが門を挟んで両方に存在する。反対側の門衛の兵士に急かされながらも僕たちは足早に門を通過した。
「なんか臭いし煙い」
「完全に工業地帯だね」
街は薄っすらとスモッグが掛かっているかのように、煙が宙を漂っている。そしてそれは何の煙かわからないがちょっと臭う。
「お兄ちゃん、こんな所で何を買うの?」
「お皿だよ」
「お皿ならあるじゃん、これ」
「このお皿は、本当はお皿じゃないだろ。僕が買いに来たのは普段使うお皿なの」
霞は自分の左腕に嵌まったデニス爺の皿を指すが、それはお皿じゃない。
今すぐにでも帰りたいという表情をしているので、態とだろう。
「少し歩いてみよう。ジルヴェスト、悪いんだけど少し空気を良くしてもらえないか? あまり派手にならない程度に」
『この妙な煙を散らせば良いのだろう』
ジルヴェストは天を仰ぐと、一筋の風を天上へと放った。周囲に漂う煙をごっそりと巻き込んだ風は、煙を天空へと連れ去って行く。
「なんかまだちょっと臭うけど、すっきりしたね。ありがとう、ジルベストちゃん」
「ああ、見晴らしが良くなった。ご苦労様」
『口だけの連中と違い、俺は役に立つからな』
質実堅剛なジルヴェストが毒を吐いている、オンディーヌの影響か? それとも僕の? いやいや、それはないな。
「お兄ちゃん。臭くてさっきは気付かなかったけど、何か音がするよ」
カンカンやコンコンと確かに音がしている。
「行ってみよう」
目的の物はあるのだが、目的地が決まっていないので適当に歩き回るしかない。
「ここだよ、カンカン音がしてる」
「中を覗いてみよう」
そこは小さな店舗のような感じ、奥で作業をしているのだと思う。
「こんにちはー」
返事がない。
「こんにちはー!」
駄目だ、作業音で聴こえないのかもしれない。
「霞たちはちょっとここで待ってろ。僕が中を見てくる」
「私も行くよ、面白そうだもん」
先程は物凄く嫌がっていたはずなのに現金なものだ。霞の好奇心は肉に全力で注がれているのかと思っていたのだが。
店舗、工房、民家? どれともとれるような建物の中へと入っていく。音が次第に大きくなり、人影がちらりと見えた。
「あの~、こんにちは」
「おー、なんだ客か?」
「えーっと、ここは何を作っているのでしょう?」
「客ではないのか? 見たまんまだ、うちは家具を作っている」
工房らしき部屋のあちこちには箪笥のようなものがある。言われてみれば確かに家具屋だ。
「この街には初めて来たのでよくわからなくて、家具屋さんだったのですね」
「始めて来たと言うことは、何か探しているのか?」
「あ、はい。木のお皿を探していまして」
パン屋の前の露天の主は、この街に来ればどこでも扱っていると言っていた。
「ああ、あれか、あるぞ。端材で作った、小遣い稼ぎがな」
「あるんですか?」
「ここら一帯は木工所が多くてな、皆余りもので適当に作っては売っているのさ。本業が疎かになる程でもないしよ」
「この人形、良く出来てるよ。お兄ちゃん」
やけに静かだから何をしているのかと思えば、工房の片隅で人形を見ている霞。
「嬢ちゃん、この人形が気に入ったか? 俺の力作なんだぜ、まあ趣味だけどな」
「凄い、凄い、関節がちゃんと動くんだよ。うわー欲しい!」
どんなに凄くてもこんな人形どうするんだよ? これ結構大きいし、1mくらいある。
「……これ、待つのじゃお主」
建物の置いてきた精霊たちが騒がしい、また幼少組が大人しくしていられなかったのかもしれない。ここは木工所で乾いた木がたくさんあるから、イフリータは非常に相性が悪い。何も起こって無ければよいのだが。
「ちょっと見て来ます。霞はここを動くなよ」
急いで外へ戻る。戻る途中で出くわしたのはシュケーだった、シュケーとそれを引き留める夜霧だ。
「どうした、シュケー?」
「突然、此奴が動き始めたのじゃ」
『シュケーもお人形、ほしい』
どうやって知ったのか? 謎だが、あの人形が気になるのね。
「夜霧は元の場所に戻って、ちび共を監視してくれ。ここは燃えるものが多いから、イフリータの動向には特に注意してくれよ」
「なんじゃ、また置いてけぼりかの」
「そう拗ねるな、また今度何かあれば頼るよ。シュケーは一緒においで」
『うん』
歩行形態のシュケーを連れて工房へと戻る。
「おっ! なんじゃそれは?」
「ああ、驚くのは仕方ないとしても怯える必要は無いですよ。この子は僕の精霊です。
それでこの子がその人形に興味を示しまして、出来れば売っていただけないかと」
似たような人形が幾つか置いてあるのだけど、どれも一点物といった感じだ。
「中央区に精霊使いとやらが来たと、少し前に風の噂で聴いたが兄ちゃんのことか?」
「その噂がどういったものか存じませんが、僕とそこの妹のことでしょうね」
「妹だと? じゃあ、芸術家の娘というのはこの嬢ちゃんなんだな!」
なんだ? なんで芸術家?
「シュケーちゃん、お人形欲しいの?」
『うん、欲しい』
「お兄ちゃんに買ってもらおうね」
『うん』
木工所のおじさん、霞とシュケーが、それぞれ話している内容が異なり頭が混乱しそう。
パンッと一度手を叩き、双方に注視してもらい話を進める。
「おじさん、おじさんの力作である人形を売ってください。お願いします」
「この人形は趣味だから売りもんじゃねえ。但し、この嬢ちゃんと少し話をさせてくれたら土産にやるよ」
「私とお話し?」
意味が分からない、霞と話して何が解決するのだろう? 肉か、肉なのか?
人形を譲ってもらう条件がそれなら致し方ない。霞にはおじさんとお話をしてもらうことにしよう。決して、二人きりにはさせないけどね。




