72.旅の支度-3
「いや、あのですね。別に商店街の活性化を図ろうとか、そういうことじゃないんです。なので、今日はこれで失礼しようかと」
ポップコーンの実験がこんなにも尾を引くだなんて思いもしなかった。
「えー! お兄ちゃん、私があんぱん食べたい」
「なんだい、そのあんぱんてのは?」
そんなこと突然言われたとて、僕はパンの作り方なんて知らない。
小麦粉になんとかという酵母を混ぜる程度にしか、理解していないんだからさ。
「パンの中に餡子が入ってるの」
「パンの中にかい、挟むのではなくて?」
「ううん、こう、パンで中身を包んであるの」
霞とジャネットさんだっけかは、ジェスチャーで延々と会話を続けている。いや~、お互いよく理解できるものだと感心してしまうわ。
「でもさすがに、餡子はないな。知ってるか? 日本以外の人は豆を甘く煮ることに違和感を覚えるらしいぞ」
なんかそういった感じのを新聞か何かで読んだ記憶があった。
「えー、じゃあ、クリームパンとかジャムパンは?」
「どうなんだろ? この世界で僕は乳製品を見たことがないんだけど……。ジャムパンなら出来るんじゃないか?」
「わかった、私が教えてあげる」
は? お前、パン作れたのか? いや、ここは面倒なので霞に任せてしまおう。霞も騒動の共犯になれば、僕だけ責められることはあるまい。
「お姉ちゃん、ジャムはある?」
「じゃむ? ジャムって何だい?」
日常的に利用するものが存在しないというのは、かなり驚くものだ。季節すらないのだ、ある程度の諦めが肝心かもしれない。
「ジャムっていうのは、果物をお砂糖で煮詰めたものだよ。甘~くて、日持ちするの!」
おお、霞が日持ちするという事実を把握していた。ただ甘いだけのものだと認識してはいなかった。偉いぞ、霞。
「そんなものは初めて耳にした。果物を買って来れば良いのか?」
「ちょっと待った、今からジャムを作るなんて時間が掛かりすぎますよ。そこの露天で売っているお惣菜を使いましょう」
危うく今日一日拘束されてしまうところだった。もうほとんど一日、今日はこんな感じではあるのだが。
「お兄ちゃん、お惣菜入れちゃうの? 肉まん? あれ、肉パン?」
肉に固執する霞は放っておいて、僕は露天へと走る。さっさと服屋に行きたかったのに、なんたることだ。
「おじさん、これ一人分だとどの位の量なのですか?」
「おう、いらっしゃい。一人前だと、この皿でこんなもんだな」
おじさんの露天で売っていた総菜は、野菜炒めっぽい何か。一人分の量は結構なボリュームがある。
「それじゃ、二人分ください。このお皿は返した方が良いですか?」
「いんや、これは安い木で出来た皿だから気にしなくていい。持っていきな」
料金には含まれているのだろうけど、存外にしっかりとしたお皿である。このお皿も出来れば、旅のお供に欲しい。
「おじさん、このお皿って、どこに行けば手に入ります?」
「ちょっと待ってくれ。よし、二人前40シルバーだ。
んーとこの皿は工業街に行けば、どこの店でも扱っていると思うが」
「えっと、はい40シルバー。工業街というのは、どの辺りですか?」
「工業街はここからだと東だな。一応外周区で、中央区からは出ちまうから気を付けろよ。っと丁度だな、ありがとうよ」
「こちらこそ、良い情報が得られました」
おじさんに軽く頭を下げて、総菜を持ち帰る。
工業街、おじさんの話によれば外周区らしい。行くなら、明日以降だな。
「美味しそうだね」
「あのオヤジの野菜は安くて旨いと評判なのだ」
確かにそのまま食べたくなる程に美味しそうではある。だが、ここでこれを食べてしまうと本末転倒だ。
「じゃあ、霞。これを利用して、続きを頼むよ」
「お姉ちゃんはパンの生地を用意して、これを包もう」
そのままだな……。
「ここじゃなんだ、工房へ入ってくれ」
「うわ、良い香り。お腹減って来ちゃった」
「お前、さっきご飯食べたばかりだろ」
パンの焼ける良い匂いがするから、分からない話でもない。それでもな。
「生地は寝かせておいたのを使おう。それでどう包む?」
「えっと餃子みたいに?」
「餃子じゃ皮が薄すぎるだろ」
「じゃあ、お兄ちゃんやってよ」
「お前が教えるんじゃなかったのか?」
簡単な料理なら、母の手伝いでやったことはあるけど、パン作りなんて皆無だ。
「ぎょうざ?」
「餃子は無視してください」
ジャネットさんが餃子に興味を示している、危険だ。
「こうして、具を置いて、こうやって生地を持って来て閉じます」
昔テレビで見た、小籠包づくりの真似をしてみる。二回くらい具がはみ出してしまったけど、そこはご愛嬌だね。
「ありゃ、これは難しいね」
ジャネットさんも僕の真似をしているが、具がはみ出している。霞に比べればまだマシなので、これから慣れていくだろう。
一方で霞はといえば、パンの生地と惣菜がぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまっていた。不器用なんてもんじゃないな、こいつ。
「よし、これを焼けば良いのだな?」
総菜が二人前しかないので、それほど数を作れたわけじゃないけど、漸く形にはなった。
「揚げパンにしても、美味しそうだよね」
「霞、お前また無茶なことを」
「あげパンとは?」
「油であげちゃうの」
おい、そのまんまだってば。
「油って貴重品だったりします?」
「いや、魔王都の隣の町で作っているから、安く手に入るぞ」
そんな話は初耳だ。興味すら無かったから、気にも留めなかっただけなのだが。
「なら、揚げちゃおうよ」
「家にあるのは個人的に使う分だけだが、足りるか?」
「揚げ焼きみたいにすれば、少なくても何とかなりますよ」
父の健康を気遣った母がよくやっていた手法なので、僕は覚えている。気を使っている割には、あまり変り映えしないという残念な結果もまた覚えているけどね。
「うわっ、爆発した! あっぶな」
「おいおい、掃除が大変だぞ、これは」
油の量が少ないからすぐに高温になってしまい、中の空気が膨張してしまうのか、爆発してしまった。
薪を利用したかまどなので、火加減の調整がとても難しい。こういう時こそ精霊に頼るべきだ。
「もっとゆっくり低い温度で揚げてみましょう。イフリータおいで、このくらいで維持でしてくれるかい?」
『いいよー』
傍で見ていると何がどの位なのか理解できないだろうけど、イメージとしてイフリータに伝えてある。
イフリータの手の上には鍋があり、その鍋の中でじんわりとパンが揚がっている。
「私は何個か焼いてみるよ」
「売れ残りのパンなんてあったりします?」
「あ、ああ、そこにあるので良ければ」
「ガイア、こんな感じで、そうそう。そのままで居ろよ」
今度はガイアの左腕の甲の部分をおろし金のように変形させた。消毒とかしてないけど、平気だろうか?
ガイアの腕、荒いおろし金で乾燥した古いパンをすりおろす。即席のパン粉が出来た。
そのパン粉を塗したものを新たにイフリータの鍋に投入してみた。カレーパンみたいにサクサクの衣になって欲しい。
「良い感じに出来上がったじゃないか?」
「まあ、見た目だけかもしれませんよ?」
「すっごい、美味しそうな匂いがしてるよ」
「どれも旨そうじゃの、儂も試してやろうぞ」
いつの間にか夜霧まで輪に加わり、試食タイムを迎えた。
「これはパンの焼けた良い香りが堪らない」
「揚げパンのパリッとした衣も素晴らしいな」
「このカレーパンみたいのもサクサクして美味しいよ」
「どれもこれも旨いのじゃ」
うん、どれも美味しいのだ。霞の作ったぐちゃぐちゃになった何か以外は。
「これは売れる! 全部売れる! 売れ残りのパンにまで利用価値が出来た、嬉しい限りだよ!」
「喜んで頂けて何よりです。これでやっと服屋に行かれます」
「お兄ちゃん、もう日が暮れちゃうよ?」
「なっ! いつの間に……」
パン作りに夢中になって、時間のことをすっかり忘れていた。
「帰って晩ご飯食べようよ?」
霞、お前、今パン何個か食べたよね?




