71.旅の支度-2
「商店街が何やら賑やかでしたが、何かの行事ですかね?」
「大人も子供も一緒になって、たくさんの人が並んでたよ」
あのまま商店街で買い物を続けるのは困難な為、一度宿へと戻って来た。
そうしたら丁度、霞を乗せた馬車も帰って来てしまい、鉢合わせとなる。
添乗員はアメリアさんで、実は昨日も一緒だったらしい。心配する必要は無かったんだね。
「僕が行ったときは、そんなに混んでなかったから分からないや」
僕は事実をありのままに報告する。非常に微妙だが、嘘ではない。
夜霧も呆れた表情をしてはいるが、霞たちから目を逸らしてくれている。中々、気の利く龍である。
「お兄ちゃん、お昼から一緒に買い物に行けるよ?」
「あ、うん、そうだね」
どうしよう? このまま霞と一緒に商店街に行くのはマズいのだ。
「アメリアさん、パン屋さんを知りませんか? 商店街に見当たらなくて困っていたんです」
これは本当のことだ。一通り探しては見たのだけど、見つからなかった。
「パン屋さんなら、青果街の西隣の区画にありますよ」
ん、青果街? 僕が商店街だと思っていたのは、青果街だったのかな。
先程まで居た所には、確かに青果しか無かったような気もする。
「青果街からそのまま西に行けば良いのですか?」
「いえ、青果街と加工品街で区画を隔てる小さい水路があるので、ここから直に向かった方が早いですよ」
なんだか知らないが助かった。これで青果街に近寄ることなく、パン屋に辿り着けるはずだ。
「霞、昼からパン屋に向かうぞ」
「パンて、硬いやつ? 柔らかいのにしようよ」
「柔らかいパンが日持ちするなら構わないんだけどね。パン屋さんに訊いてから決めようか」
僕だって硬いパンは出来る限り避けたいんだよ。
「アキラさん、日持ちするパンなんて買ってどうするんですか?」
「クリスさんに相談したのですが、夜霧の妹さんを呼ぶのに、都の外に出ないといけなくてですね」
「そうなんですか。確かにヨギリさんの件を考慮すると、大騒ぎになりそうですものね」
本当はそのまま魔王都を去るつもりなのだが、これはまだ伝えない方が良さそうだ。引き止められることはないと思うのだけど、完全に無いとも言い切れない。
「まあそういうことですよ。何があるか分からないので、食料は確保しておきたいと思いましてね」
「他に何か必要なものはありますか?」
「あとは……。冬用のコートみたいなものが欲しいですね」
「ふゆ?」
「あれ? 伝わってない?
質問なんですけど、この世界に季節は存在するのでしょうか? ある一定の時節に暖かくなったり、寒くなったりという変化のことなんですが……」
「きせつ?」
季節も伝わっていない。困った時は夜霧だ!
「夜霧、この世界、この大陸に季節はあるのか?」
「儂にもそのきせつというのが解らぬの」
わからないということは、無いということか?
「質問を変える。この大陸の気温はいつもこんな感じかい?」
「うむ、北部は若干低く過ごしやすいらしいがの。この辺りはいつも同じはずじゃの」
夜霧の答えだけだと少し心配なので、アメリアさんにも目線を向けて伺ってみる。
「毎日暑いですが、慣れですね」
「わかりました、ありがとうございます」
なんてことだ! この世界、季節が無い。
ということは、高所用に防寒着を用意することが不可能だということだ。こんな亜熱帯のような気候風土の場所で、防寒着など作っているはずがない。
「あの、アメリアさん。服屋さんはどこに行けばありますかね?」
もう長袖の重ね着で対処するしかなさそうだ。
「加工品街の北東なので、向こうで訊いた方が分かり易いと思いますよ」
それならば、パン屋さんで訊いてみることにしよう。
しかし参ったね。四季とは言わずとも、夏と冬くらいの季節はあるものと考えていたのだけど。
「霞、そういうことだ。お昼ご飯食べたら、出掛けるぞ」
「え? なに、どうしたの?」
「いや、なんでもない。お昼ご飯早めに食べよう」
それなりに長い間話をしていたはずなんだけど、霞は一切気にせず精霊と遊んでいたらしい。
「うん。お兄ちゃん、ポップコーン作ったんだって?」
「誰に! って、イフリータ」
『ポンポンしてた』
霞の隣でポンポン言っているイフリータ。だが、ポンポンだけでポップコーンと分かるはずがない。
夜霧は僕の隣で話に参加していたから除外するとして、お前か! オンディーヌ。
『なんじゃ主様、妾は事実を述べただけじゃ』
「お前、開き直ったな。折角内緒にしていたのに、まったく」
別に霞を驚かせる為に買い込んだ訳ではないのだけど、それでもなあ。
「あとで作ってね」
「一応、保存食として買ったんだよ。……少しだけだからな」
ああ、もう! だけど、油や調味料を買っていないことに気が付けて、これはこれで良かったのかもしれない。
「はぁ、美味しかったね」
「ああ」
アメリアさんも一緒に昼食を摂ったのだけど、仕事があると言って先程冒険者ギルドに帰って行った。
「商店街の大騒ぎもお兄ちゃんが原因なんだってね」
「オンディーヌぅ」
『事実であろう』
『最近、龍の婆さんにお株を奪われて拗ねてるんだぜ。主よ』
「あ~、なるほどね」
ジルヴェストの的確な助言で、オンディーヌの反抗期の謎が解けた。
『拗ねてなどおらぬ』
意味が解れば、可愛いものだ。
「ほら行くぞ、遅れずに付いて来いよ」
「はーい」
霞と年少組の精霊たちは元気よく返事をする。年長組とマイペース組は言うまでもないらしい。
「ジュースも作ったって?」
「なんだよ、全部筒抜けじゃないか」
「アメリアのお姉ちゃんには内緒にしてあげたんだよ?」
「ああ、えらいえらい」
もう、なんだかなあ。
この通りを真っ直ぐと看板に書いてある。
「ここら辺だな。霞、パン屋さんを見つけてくれ」
「良い香りがする。ん~と、あそこ!」
パンの焼ける良い香りを追っていく、霞の指さす先にパン屋さんがあった。
「ジャネットのパン工房だってさ、早く入ろうよ」
「あまり広くないようだから、お前たちはここで待機していてくれ」
「儂は?」
「ん~、夜霧も待機」
夜霧だけ優遇するとオンディーヌが拗ねるからね。
「仕方ないの」
「いらっしゃい」
出迎えてくれたのは、少女? 魔力が漏れ出していないので人間だ。あれ? 魔王都、しかも中央区で人間を見るのは初めてだ。
「人間ですよね?」
「はい、よくわかりましたね。普通にしていれば、区別は付かないはすなんですけどね」
僕には夜霧に共有してもらっている眼があるからね。
「えーと、旅の保存食にしたいのでそれに適した物が欲しいのですが。出来れば、あまり硬くない物を」
「これはまた難しい注文だ。保存食とするならどうしても硬くなってしまうよ」
「硬いパンに良い思い出がないので、申し訳ないです」
本当に苦々しく思っているのは、ニールで預かったあのお馬さんだろう。なんたって、硬いパンをずっと大量に背負わされていたのだから。
「それで、すぐ必要なのかい?」
「すぐという訳ではないですね。今日から数えて8日目の夜に発つので、それまでにお願いしたいです」
一週間は余裕がある。
「なら、当日の昼間に焼きあがるようにしよう。数はどのくらいだい?」
「3人で10日分もあれば十分ですかね。数にすると、どれくらいでしょうか」
「なら、私の方で適当に作っておくよ。お代は先に貰うけど、大丈夫?」
「はい、構いません」
こんな所に店を構えているのだし、妙なことはないだろう。先払いというのは、この世界では初めてだから心配ではあるけど。
代金を払って、日時と品名を記した引換券を受け取った。
「あの、服屋さんはここからだと、どの道を通ったら行けますか?」
「服屋かい? 衣料品街は北だから、このまま北へ出たら良いよ」
あれ? アメリアさんは北東って言ってたぞ?
「知り合いはここから北東と言ったのですが、北もそうなんですか?」
「ああ、そっちか。随分と若いのに貴族かい? 北は古着屋が多いのさ、北東は新品を合わせて作る所が多いんだ」
そっか、この世界では新品の服はオーダーメイドしか存在しないのか。
まだ日数もあることだし、オーダーメイドで間に合うようならそれでも良いかな? 駄目なら、古着でも別に構わないしね。
「貴族ではないですよ、ただの冒険者です」
「あっ! あれだろアンタ、精霊使い様! 青果街でポップメイムを考えたっていう。さっき買って来たのさ、ほらこれ」
「……なんで、バレてるんですか?」
おかしい、バレる要素などなかったはずだ。
「なんでって、後ろ」
「後ろ? ……お前たち、外で待っていろと言っただろう?」
「儂らは、ちび共を連れ戻しに来ただけでの」
『そうなのじゃ、ババアの言う通りなのじゃ』
観れば、ちび共、イフリータとスノーマンが霞と一緒に遊んでいた。
「私も精霊なんて初めて見るけど、八百屋のおっさんの言う通りだったね。
なあ、うちにも何か良い商品を考えてくれないか?」
僕はがっくりと肩を落とした。隣の区画まで話が広まっているなんて思いもしなかった。




