100.温泉郷ミュニレシア-3
「これは凄いな」
大理石かどうかは不明だが、クリーム色をした石造りの大きな浴槽と石畳で構成されたお風呂。そして湯は延々と流れ続けている、こういうのを掛け流しとでも称するのだろうか?
霞たち女性陣と入れ替わるように大浴場へと足を踏み入れた僕は、感動を覚えた。
『すげージメジメしてんのな』
「そりゃお風呂だからね」
それにしても大浴場は立派なものだ。だからこそというべきか、宿の建物が一段と粗末に感じられた。
「お兄様、これはどのように利用するのでしょう?」
「茜、僕に対してはもっと砕けた態度でいいぞ。お前は霞の生み出した、僕の甥みたいなものだしね」
「そそそそ、そんな滅相もない」
この16歳で叔父さん呼ばわりされるのは嫌だが、このままの態度では肩が凝るのだ。
「とりあえず敬語をやめてみるか?」
何か苦いものでも口に含んでいるかのような表情の茜。
「わかりました。兄上、このお風呂とやらはどのように利用するのですか?」
諦めと共に許容したのかと思えば、敬語は若干抑えられてはいるけど完全に取り除けはしなかった。
「まあ、及第点だな。まずは体を洗おうか」
石鹸は無いので、湯を体に掛けてから手拭いで軽く擦り汚れを拭う。
正直な気持ちをいえば、シャンプーが欲しい。オンディーヌの水で毎日簡単に濯いではいるがどうも脂っぽい感じが否めない。
誰か、石鹸の作り方知らないかな? 知らないだろうな……。
「体を洗ったら、湯船に入るとしよう。
ほら見てみろ、手拭いに汚れがこんなにも。これはその桶にでも入れて置け」
宿から支給された手拭いなので、洗濯物として脱衣所に置いておくことにする。
「熱いです」
「そうか? なら、ゆっくりと足から慣らしていくと良い」
茜は熱がったが僕には丁度良かった。日本のお風呂で浸かっていた温度より若干高いくらいだろう。
足を伸ばし顎が湯に着く程度まで湯に浸かる。こんなにもゆったり入れる風呂は祖父の家の風呂以来だろうか?
湯の温度に慣れてきたらしい茜は、僕の姿を真似湯に体を浸しているところだ。
温泉の泉質とやらは、どこにも記されていないので解らない。それでもなんだか肌がすべるように滑らかになった気がする。
「ガイア、この温泉に含まれる成分は判るか?」
『大地の成分が幾つか含まれているようですが、その名が分かりませぬ』
そうか、科学や化学が存在しないからその名称もまた存在しないのか。それに存在したとしても精霊がそれを知っているとも思えないもんな。
「それだけ分かれば十分だ。ありがとう」
「兄上、非常に気持ちがいいです。眠くなって参りました」
「お前、お湯の中で寝たら溺れるぞ。もう上がるか、食事の準備も整った頃だろうから」
「しかし、これは癖になります。もう一度といわず、何度でも入りたい」
「食後少し休んでから、もう一度入れば良いさ。貸し切りだという話だからな。
イフリータたちも出るぞ」
イフリータはボクッ娘で女の子なのだが、ジルヴェストに付いて男性陣に混ざっている。こちらにはスノーマンも居るので好都合ではあったのだ。
吸収の悪いタオルで体を拭き、着替えてから食堂を探した。誰か、案内の為に待っていてくれても良いものだろうに。
歩くだけで緊張する軋む廊下を出来る限り静かに歩きながら、食堂がどこにあるのかを探る。そして迷子になり掛けたところで気付く。
「ジルヴェスト、霞たちの居場所に案内してくれ」
僕の横には周囲の感知に適したレーダーが居たのだ。その名もジルヴェスト!
すっかり忘れていた、迷ったのが馬鹿みたいだ。
『その先、右だな』
あっさりと食堂の位置を割り出したジルヴェスト、もう少し彼が気の利く存在であれば……。
「遅かったね。お姉ちゃん、お兄ちゃんたち来たからご飯お願い!」
扉を開けた僕の顔を確認した霞は、アーミラさんに食事の催促をしているようだ。
食堂は大浴場の立派さには負けるけど、綺麗な内装で古びた感じが一切しないものだった。
「団体さんだからね、たくさん作ったのよ。お腹いっぱい食べてね」
どこから出したのかと訊ねたくなる程の料理の山、山、山。
「あ、あの前もって伝えなかった僕も悪のですが、この中で食事がとれるのは半数程なのですよ」
「気にするな、旦那様よ。儂とオンディーヌが居れば問題ない」
『遠慮なく腹いっぱい食わせてもらうのじゃ』
「私も本日は食事に挑戦してみましょう」
夜霧は元の巨体を考慮すれば理解できるが、オンディーヌとルーはどうなんだ?
「私もいっぱい食べるよ、茜くんとマリンちゃんも居るし、お兄ちゃんもたくさん食べるんでしょ?」
そういえば鬼たちも居るな。僕は料理の山を見ただけで満腹になりつつあるんだけど、そうも言っていられそうにない。
「それでは有り難く、いただきます!」
「『いただきまーす』」
僕の『いただきます』を合図に、皆が食事を始める。
他の従業員は確認していないから、アーミラさんが一人で作ったものだろう。それにしても品数と量が多いな。
「この肉団子、ソースがとても好きな味」
「何もかもが美味じゃの」
『そうじゃ、そうじゃ』
「食事は初体験ですが、これは嵌まりそうです」
食事を摂れる精霊と霞の勢いは凄まじいの一言で表せられた。
「幸せです」
「至福の時」
茜とマリンは前者とは異なり、一口一口をゆっくりと噛み締めている。
僕も観察ばかりでなく、食事を進めるとしよう。
どれも絶品とまでは言わないが、かなりの美味しさだ。
肉料理がやたらと多いけど、なんの肉だろうか? 肉の旨味がとても強い、これは例のアレではないのか?
「アーミラさん、とても美味しいです」
「ハハ、ありがとう」
「このお肉なんですけど、魔獣じゃないですか?」
「あら、よく分かったわね。流石は冒険者といったところかしらね。
このお肉はこの街の北に発生した魔獣のものよ。なんでも大量発生したとかで、安かったのよね」
やはり魔獣の肉で間違いない。安く手に入るなら、スノーマン冷蔵庫に買い貯めしておくのもアリだな。
しかしなんだな、僕たちの旅には最早魔獣はなくてはならない存在だな。食肉としてだけど。
一時はどうなるかと心配された大量の料理は、体感で2時間も掛からずに食べ切ってしまった。
「満足じゃの」
「一休みしようよ、お腹いっぱいで動けないよ」
『だらしがない妹御とババアじゃ』
「ご主人様、見てください。私のお腹、こんなに膨らんで」
残さず食べたことは褒めてやろう。だが、その醜態はどうだろうな……。
霞と夜霧は、まあ普通にお腹がいっぱいという感じではある。
オンディーヌは食べたものが体中に透けてグチャグチャでとても汚い。
ルーは妊婦と見間違えるほどに、そのお腹が出っ張ってしまっている。
「アーミラさん、明日からは半分以下の量で十分です」
「そうかい? なら、そうするよ」
僕と茜とマリンは程よく満腹感が味わえる程度でしかない。少し休めば、動き出すのも苦ではない。
「お兄ちゃん、明日もここに泊まることにしたんだね」
「建物はちょっとアレだけど、お風呂と食事は文句ないだろ?」
「うん、私も大賛成だよ」
小声で話し掛けてくる霞と、明日以降もこの宿に滞在することを決めた。
「あっ、少し休んだらもう一度お風呂に入っても良いですか?」
「うちの温泉、気に入ってくれたのかい。朝方に掃除するから、それ以外ならいつでも構わないよ」
「良かったな、茜」
照れくさそうに頷く茜だった。




