もずく生活 その1
私はもずくを飼っている。
とても可愛い。
数日前にスーパーで安売りしていたものだが、今では愛すべきペットである。
こんなにも手軽に手に入るというのに、もずくを飼っている人はこの世界中を探しても私くらいらしい。
なんて世の中なのだろう。
でもいいのだ。
もずくの可愛さを理解しているのが私一人だけだとしても、もずくは分かってくれているから。
午後七時半。
仕事を終えた私は、いつものように自宅マンション近くの手芸店でビーズをワンボックス買い込むと、帰宅した。
「ただいま~」
出迎える者は誰もいないが、一応言ってみる。
そして買ってきたビーズを袋から出すと、ふたを開けてまんべんなく床に撒き散らした。
ビーズ撒きもこれで五日目。
室内の床はこれで概ね埋め尽くされた。
「痛いからスリッパ履かなきゃね~」
靴箱からスリッパを取り出すと慣れた手つきで足に装着した。
ザザザ、ガシッ! ザー、ザーッ!
転ばないよう気をつけながら、リビングへと向かった。
そしてソファーに腰を掛けると、テーブルの中心に置かれた水槽に顔を近づけて話しかける。
「ただいま、ビーフストロガノフ! 元気にしてましたか~?」
水槽の中を元気に漂うもずく。
この子こそ私が飼っているもずくのビーフストロガノフである。
98円とは思えないほど元気な子で、今日もエアーポンプが出す気泡と戯れている。
「仲良しでしゅね~。でも今日は、新しいお友達を紹介しちゃうぞ~」
私はそう言って冷蔵庫へと向かった。
そして冷凍していたプラスチック製の四角い容器を取り出した。
「冷え冷えカチコチだけど、すぐに元気になるからね~」
そう言って容器の中の凍ったものを、水槽にドボンと入れた。
沈んでいく黒い塊。
そう、これももずくだ。
「198円の高級もずくですよ~」
198円は沈むと、少しずつ溶けていった。
私は二十分ほど待った。
しかし、198円は解凍された後も、底で沈んだままだ。
「高級品なのに元気ないね。おかしい、おかしいよ。こんなのが198円。絶対おかしい」
せっかく買って凍らせておいたのに、こんなに弱っているなんて。
私は悲しくなった。
そして高級もずくへの興味を失った。
「もういいよ。じゃあ、君の名前はカルテルだ。おやすみカルテル、そしてさよなら」
私はそう言うと、水槽のビーフストロガノフだけを見つめながら、紅ショウガを漂白する練習に没頭した。
――――翌日。
今日も仕事だ。
いつものように、ミステリアス水産へと向かった。
ミステリアス水産は、珍味や珍魚を中心に海産物を扱う会社である。
ちなみに珍しくはないが、もずくも扱っている。
とりあえず自分のデスクに着席し、朝礼の時間を待つ。
すると、血相を変えた部長がオフィスにやってきて言った。
「みなさん、朝礼の前に確認しておきたいことがあります」
どうしたのだろうか。
かなり焦っている様子だ。
「実は先ほど取引先から電話がありまして、毎週購入していただいているもずくの量が、約束の量より少し少ないとのことなのです。どなたか心当たりはないでしょうか?」
なんということだ。
もずく泥棒なんて。
私は心の中で怒った。
が、次第に社員全員の視線が私に向けられていることに気が付く。
「た、田中君。何か知っているのではないかね?」
部長が私に問う。
そう、私の名前は田中・エリザベート・シシャモ。
当然偽名だが、今までずっとこの名前で生きてきた。
この会社で働いているのも、偽名を使うことを認めてくれたからだ。
ちなみに私はこの条件のせいで、およそ五十社の採用試験に落ちた。
とにかく。疑いの目は私に向けられているのだ。
私のデスクには可愛いもずくの写真。
そう。
私がもずくを飼っていることは社内でも有名だった。
でもみんなおかしい。
この写真のもずくと弊社で扱っているもずくは全く別物だ。
そんな見分けもつかないのだろうか?
私はとにかく反論し続けた。
結局原因は、もずくを計量するシステムの異常だった。
とんだ濡れ衣だ。
この日私は何度かこの件について謝られたが、気が晴れることはなかった。
そして退社時間がやってくる。
「こんな日は気分転換でもしなきゃやってらんないわ」
社外に出た後そっと呟くと、私はお気に入りのスポットへと足を運んだ。