風邪引きリコル
「あー、頭痛いー」
キューレ様が皇帝になってから1月ほど経ったある晴れた日のこと。私は寮のベッドの中であまりの痛さに小さく丸まっていた。
「忙しいのも落ち着いたから気が抜けたんでしょ」
イオルが私の頭に濡れたタオルを乗せながらそんなことを言う。
「まったく、バカは風邪引かないって言うのにね」
「うるさいなぁ……」
ぼんやりする頭でイオルに言い返す。
「ま、今は仕事も落ち着いてるし、治るまでせいぜい寝てることね。仕事はベルロイとルシェに任せましょ」
「うん……ありがと」
素直に頷いて目を閉じる。瞼がとても重い。
「後でごはん持ってきてあげる。キース様にも……」
イオルが何かを言ってくれているけれど、私は抗えない眠りに落ちていく。
私はあまり風邪を引く方ではない。アスモの診療所に行くまでは環境が悪く風邪を引いても看病してもらえることはなかったし、そうなると生死に関わる。弟妹が風邪を引いた時は、できるだけ移らないように離れたところで寝るようにしていた。
それでも引いてしまった時は、アスモが私の分もこっそり薬をくれていた。あれはたぶん、タダでくれていたのだと思う。あの家で私に使うお金はなかったはずだから。
アスモの診療所へ行った後は薬はもちろん無償でもらえたけれど、仕事がある時は強めの薬を飲まされて、無理やり熱を下げて仕事をしていた。だから、風邪を引いて寝込むなんてことは今までなかったことだった。
今回だって強めの薬をもらって仕事に行こうと思ったのだけど、イオルが、
「風邪を移されたらたまらない!」
と、言って私を無理やり部屋に押し込んだのだ。その割に、甲斐甲斐しく世話をしてくれている。
ベルロイとルシェも私の代わりに仕事に出てくれるらしい。なんだかとても申し訳ない。
身体が熱くて浅い眠りを繰り返す。私が次にはっきりと意識を取り戻した時には部屋はすっかり暗くなっていた。頭のタオルに手をやると、ほんのり冷たい。またイオルが来て、タオルを変えてくれたのだろうか。
身体はまだ怠いが、熱は少し下がったような気がする。何か食べたほうがいいか、と怠い身体を起こす。
「リコル?」
小さく私を呼ぶ声がして、私は飛び上がるほど驚いた。
「キ、キース!?」
部屋の明かりが点き、キースの顔が見える。まさか人が、しかもキースがいると思わなくて私はドキドキしている。
「な、何でここに!?」
「今日、夕飯一緒に食べる約束だったろ」
キースに困ったように笑われる。そうだった。寮が離れてしまった私達は週に一度は2人で食事をしようという約束をしていて、今日がその日だったのだった。
「ご、ごめん」
「風邪だろ? いいよ」
私の近くに椅子を寄せて、キースの手のひらが私のおでこに触れる。
「まだ少し熱いな」
キースの手はひんやりとしていて気持ちがいい。だけど、私は少しの違和感を感じた。
「……あれ?」
「どうした?」
「キース、今何か考えてみて」
「ああ……」
真顔のキースは私に触れたまま黙り込む。
「聞こえない」
「え?」
「キースの心が読めない」
「そうか……」
キースは私の頭を撫でる。
「風邪を引くと能力が出せなくなるやつもいるよな」
「そうなの?」
私は驚いて聞き返す。
「今まで気がつかなかった。薬で熱を下げれば使えてたし……」
でも、そう思い返せば風邪を引いている時は心を読むのにいつもよりも苦労したような気もする。そうか、風邪を引くと能力が使えなくなったりするんだな。私にはそんな基本的な知識すらない。
「まぁ、今日はゆっくり休めよ。メシ、食うか?」
キースがサイドテーブルからお盆を持ってくる。
「さっきイオルが持ってきたぞ」
「イオルが?」
陶器の入れ物の蓋を開けると、湯気と共にミルクの香りがする。見ると、それはおかゆのようだった。
「おかゆ……」
私はくんくんと匂いを嗅ぐ。
「初めて食べる」
「……初めて?」
キースが眉を寄せる。
「見たことはあるけど、食べたことはない」
弟妹は風邪を引くとよくこの匂いのおかゆを食べていた。私は食べたことがなかったけれど。
「……そうか」
キースが怖い顔をしている。たぶん、私の過去を思い出して察してくれたのだと思う。
「食べてみようかな」
私は明るく言ってキースからお盆を受け取った。息を吹きかけてから口に含むと、温かい味がした。
「うん、美味しい」
たぶん、普段食べたら物足りなく感じる味付け。それがとても美味しく感じる。
「こんなの食堂で作ってもらえるんだね」
「イオルが作ったんだろ」
「え?」
イオルが?
「寮には個人で使える厨房もあるしな」
し、知らなかった。それに、イオルが料理を作れるのも驚きだ。
「お礼言わなきゃ」
「そうだな。まずは早く治せ」
キースはいつもより優しく笑って頭を撫でてくれる。
「なんだかイオルもベルロイとルシェもキースも……みんな優しい」
もぐもぐと口を動かしながらそう呟く。
「風邪だからな」
そういえば弟妹も風邪を引くといつもより母親に甘えていたっけ。おかゆがお腹に収まっていくにつれて身体全体が温かくなっていく。
「ありがとう、キースも」
「俺は何もしてないぞ」
「……起きたら、いたから」
びっくりしたけど、こうして一緒にいてくれるだけで温かい。
「……ありがと」
キースは微笑んで私の身体を引き寄せた。
「風邪、移るよ」
「そしたら、今度はリコルがお見舞に来てくれ」
「……うん」
キースの頬に触れてみるけれど、やっぱり心を読むことはできない。今、何を考えてるんだろうなぁ。
「ん?」
不思議そうな顔を向けられる。
「今、俺に伝えたか?」
「ううん」
私は首を振る。
「でも、今、何を考えてるんだろうって」
「……え?」
私は目を丸くしてキースを見返す。
「能力の制御がおかしくなってるのか」
キースがおもしろいおもちゃを見つけたような笑顔を見せる。
「わ、ちょっと」
逃げようとする前に、がっちりと抱き締められてしまう。
「たまにはいいだろ、逆ってのも」
完全に楽しんでる顔だ。
「もう、キース!」
あんまり変なことを考えないようにしなきゃ。
「別に考えてもいいんだぞ」
「むーっ!」
私の心の中が完全に伝わっている。それをキースはとても楽しそうにしているので、何だか不満だ。キースのバーカ、バーカ!
「お前なぁ……」
キースに呆れて笑われてしまう。私もつられて笑った。
おかゆを食べ終えて、私は横になった。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るかな。容器はイオルに返しておくよ」
「ありがとう」
身体は重くてすぐに眠ることができそう。だけど、不思議と心細いのはなんでだろう。
「じゃあ……」
部屋を出て行く前にキースが私の顔の輪郭を撫でる。私は目を閉じてキースの手のひらの感触だけを感じた。心が読めないっていうのは、こういうことなんだなぁ。
心が読めなくてもキースの優しい手つきからは、キースが私のことを心配してくれてることが伝わってくる気がする。心地よくて、でもすぐに出て行ってしまうのが少し寂しい、なんて思ったりして。
立ち上がりかけたキースがすとんと椅子に腰を下ろした。
「ん?」
不思議に思ってキースを見ると、キースは優しく微笑んだ。
「眠るまでいるよ」
「……!」
まさか、寂しい気持ちがキースに読まれた? 嬉しそうに笑うキースを見ると、恥ずかしくて確認もできない。心を読まれるってこういうことなんだな。だけど、キースがもう少しここにいてくれるのならば、たまにはいい、かな。
私はお言葉に甘えて目を閉じた。キースが撫でてくれる手のひらの感触を感じながら、気がつくと再び眠りについていたのだった。
結局、私は丸二日寝込んだ。風邪が治ったら、能力も元通りになっていた。キースはちょっと残念そうだったけど。
ちなみに、風邪はキースには移らなかったけれど、イオルには移ってしまった。四苦八苦しながらベルロイとルシェと三人でおかゆを作ってみたけれど「まずい!」って怒られてしまったのでした。今度、ちゃんと習おうと思います。




