一方その頃ナンルムルでは1(ブルーム視点)
俺とレイはまず空き家を貸してくれた宿へ向かった。見るからに人の良さそうな大柄のおばさんが俺達を見ると、何か問題があったのかと懸念したらしい。
「家はどうだった? 少し埃っぽいかもしれないけど、全員泊まれないこともないと思うの」
そう少し心配そうな表情で尋ねてきた。
「大丈夫ですよ、ありがとうございます」
俺は安心してもらえるよう、出来る限りの笑顔を見せて丁寧にお礼を言ってから、この人なら悪い組織とは繋がっていないだろうと判断し、
「少しお尋ねしたいことがあるのですが」
と、切り出した。
「この街に荷馬車は通りませんか?」
「荷馬車? ベルサロムからの荷はここより大きなガシジークの街に行くでしょう? パリスからの荷がたまに通ることはあるけど、まれだわねぇ」
おばさんは首を傾げてそう答えてくれた。ガイラスは荷馬車が五日に一回通ると言ったが、どういうことなのだろうか。そして、それならばこの小さな街は何で収入を得ているのだろう。
「ここは宿場町ではないのですか?」
「そうよ。通るのは人ばかりだけどね。ミョルンから巡礼に行く人達が通るから。数はそう多くないから大きな部屋がなくても困らない程度なのよ」
ユーロラン帝国の人間はフィデロ地方を通ってしかリークル神国に巡礼にいくことができない。この街はその巡礼に向かう人の休憩所として収入を得ているらしい。
それならば何故、荷馬車がここを通るのだろうか。仮に荷が薬物だとしたら、それを買う人間がいるはず。しかし、薬物の値は高い。とても一般庶民に手に入る価格ではなく、フィデロにそこまで裕福な人間は多くない。この街も見るからにそんなに裕福な人間がいるとは思えなかった。
ナンルムルにほとんど荷馬車は通らないというが、それでは怪しい荷馬車はどこへ行っているのだろうか。まさかガイラスに嘘の情報を掴まされたのではないか。この状況、リコルならどう考えるだろう、ふとそんなことが頭に過ぎった。
「あ、でも、荷馬車は通らないけど出ていく方はあるのよ」
おばさんがふと思い出したように言った。
「出て行く方?」
「近くに農場があってね、そこで家畜を飼っているのよ。その卵をリークル神国に献上しているの」
「リークル神国に、ですか」
リークル神国は小さい国土な上、山間なので作物がほとんど採れず、食のほとんどをユーロラン帝国からの荷でまかなっている。運び出される食物は国が認めた農家からしか出荷されず、その数は少ない。新規の参入も難しい。きっと昔からここの卵が運ばれているのだろう。
「五日に一回運んでるのよ。この街の人間はその農場で働いている人が多いの」
「五日に、一回」
怪しい荷馬車が通る頻度と同じだ。身体がふっと冷えていくのを感じる。リークル神国への献上品を作る農家の倉庫であれば守護兵団であっても調査するのは難しいだろう。そこに、もし、薬物を隠しているとしたならば。
俺達はおばさんに農場の場所を聞いて宿を出た。暗くなりはじめていたが、ひと目見るために農場へ向かう。
「まさか……」
固い表情になったレイがぽつりと呟いた。レイも同じことを考えているようだ。
「ガイラスは荷馬車が倉庫に行ったら手遅れだ、と言った。そう考えれば辻褄は合う」
俺は声を潜めてそう言った。周囲を警戒するが、周りは見晴らしも良く、人が隠れられるような場所はない。
「まさか、リークル神国へ……?」
「可能性はあるが、そう簡単なものでもないかもしれない。ここに隠しておいたものを、王都へ送っているのかもしれないからな」
「それにしても、献上農家が……」
レイは驚きを隠せない様子だ。俺だってそうだ。献上農家はユーロラン帝国の厳しい審査を経て認可が下りる、いわば農家の中のエリート。しかし、そうだと考えればなかなか薬物の居場所がわからなかったのも説明がつく。
周りを気にしながら街を出て農家の近くまでやってきた。細長い小屋が三棟ほどあり、中からは家畜の鳴き声が聞こえる。入り口には柵がありユーロラン帝国から発行される『献上農家』と書かれた看板が立っていた。これがある農家にはうかつに入れない。無断で入ってしまえば守護兵団の兵士であっても捕まってしまうだろう。
しばらく様子を見たが誰も出てくる様子はなく、これ以上いても何も得られそうになかったので引き返すことにした。身体が冷え切っている。それは、単純に寒いというわけではなく、この事態に気味の悪さを感じるからだ。
特務部隊を解散させようとしている皇帝部隊。国から認可を受ける献上農家。何かがおかしい。そう思えてならなかった。
街に戻ると灯りが点っていて、その温かい光を見ると少し気持ちがほぐれた。隣を歩くレイは引き続き青白い顔をしている。
昼間はレイに強く当たってしまったことを思い出す。あの時は自分の不甲斐なさにイライラしていた。我ながら大人げない、申し訳ないことをしてしまった。
「レイ、夕食を食べて行くか?」
「え?」
レイは何を言っているか理解できないように口を小さく開けた。温かな光に照らされたレイの唇はつやつやと輝いている。
「お腹空かない?」
「は、はい! ぜひ!」
ようやく理解したのだろう、レイはこくこくと首を上下に振った。そういえば自分からレイを誘うなんて、レイが入団してきた始めの頃以来じゃないだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、俺達は宿のおばさんに勧められていた食堂へ入った。
席に座るとレイは俯き加減で目だけきょろきょろと行ったり来たりしている。少し赤くなった頬がレイの肌の白さを際立たせている。
そんなレイを見ながら、俺は昼間のことを謝らなければならないだろう、と思っていた。しかし、なかなかその言葉は俺の口から外に出てきてくれない。これがリコルやイオルに対してなら素直に出てくるのだろう。レイの気持ちに気がついているからだろうか、レイだけにはどう接したらいいのか困惑している自分がいた。
内心で自分をあざ笑う。あんなに普段女の子に軽く声をかけているというのに、俺がこんな人間だと知ったらレイはどう思うのだろうか。
「あ、あの……」
気がつけばしばらく会話をしていなかったようだ。レイが上目遣いで俺を見ていた。俺は笑顔を作ってそれをレイに向けた。
「なんだい?」
「こんな失礼なことを言って申し訳ないのですが……あ、勘違いだったらもっと申し訳ないのですが……」
視線を彷徨わせ、レイは何かを躊躇っているようだ。昼間のことを謝るつもりなのだろうか。俺は、
「何?」
と、なるべく優しい声で促した。レイは意を決したように俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「ブルームさん、元気がないようでしたので、気になって……」
「元気が?」
予想もしていなかった言葉だった。思わず聞き返した。
「は、はい。昨夜、リコと一緒にバーへ行った後から、今日も……」
確かに昨夜は取り乱して皆の前で無様な姿を見せてしまった。俺らしくなかった。
「私はブルームさんを尊敬しています。リコも確かにすごいですが、ブルームさんはもっと冷静で慎重で……」
レイは一度俯いてから、もう一度しっかりとした意志を持って顔を上げた。
「ブルームさんは私達にとって大切な存在です! ブルームさんがいるからこそ、キースさんも私達も信じて作戦行動ができるんです!」
励まされている。そう気がついた。俺の様子を恐る恐る窺うレイを見ながら、俺は心から驚いていた。
気がつくと自然と笑みが零れている。部下の女の子に気を遣わせてしまうなんて情けないと思う。でも、それ以上に温かい気持ちが胸に流れ込んできていた。
「ありがとう」
レイは少し目を見開いて頬をさらに赤く染めた。
「リコルちゃんがどうこう、というより、何もできない自分に驚いたんだ。特務部隊の作戦参謀としてある程度の自信を持っていたつもりだったが、俺の知らない世界はまだあって、そこでは俺の力は通用しない。まだまだだって思ったよ」
話していると、なんてくだらないことで自分は落ち込んでイライラしていたんだと馬鹿らしくなってくる。
「でも、ここで折れるつもりはない。もう少し頑張るよ」
山盛りのパンとよく焼けた肉が運ばれてきた。食欲をそそる匂いが鼻をつく。
「さ、食べよう」
レイは赤い顔のままこくりと頷いてパンを手に取った。久しぶりに晴れやかな気持ちだ。こうしてちゃんと夕食を取るのも久しぶりな気がした。
「レイは随分リコルちゃんと仲良くなったんだね」
「えっ……あ、いえ……」
「俺に気を遣わなくてもいいよ」
「あ、そうではなく……。仲良くなりたい、とは思っているのですが、まだそこまでは」
「でも、呼び方が変わってるだろ?」
「はい」
気を取り直した様子のレイがぎこちなく微笑んだ。
「仲良くなるにはまずは形から、と言いますか……」
「なるほどね」
肉を口に放り込む。なるほど、なかなかに美味しい。塩加減が絶妙だ。
「レイは俺にも早々に言ってきたよね。レイと呼んでくださいって」
「はい……」
レイは恥ずかしそうな表情を浮かべてから、
「子供の頃はそう呼ばれて来たので」
と、小さく答えた。終始顔を赤くしているレイは戦闘の時のような凛々しさは影を潜めている。イオルに対してのように強い態度を取ることもあるが、こうしていれば可愛らしい女の子だ。そう思えば思うほど心にブレーキが走る。これ以上近づいてはいけない、と。
「みんなにもそう呼んでもらったらどうだい? キースはあの性格だから難しくても、ベルロイやルシェは呼んでくれるだろう。この遠征を機にもう少し話してみたら?」
なるべく他意はないようにそう言う。レイは困ったような顔をして、
「い、いえ……」
と、だけ言った。
「ベルロイなんかはレイと戦闘スタイルも似てるし気が合うんじゃないかな。優しい男だから、レイを大切にしてくれると思うよ」
レイは先ほどまでと表情をくるりと変えて、今にも泣き出しそうな顔で俯いた。長い睫毛が何度か瞬いている。それを見てチクリ、と心が痛んだ。まただ、またこうやって俺はレイを傷つける。レイは感情がすぐに表情に出る。隠し事はできない素直な子なのだ。
早く俺のことを嫌いになればいい。そして離れていってほしい。いつも同じことを考えている。それなのに、今日はいつもに増して心が痛んだ。
それを隠すように、俺は笑顔を作って食事を続けるのだった。
●豆知識
献上農家
ユーロラン帝国が認めた農家のみその称号を得られ、リークル神国に作物を献上する義務が生まれる。
作物を献上して得られる金額は、ユーロラン帝国が手数料として2割を持っていくが、それを差し引いても国内で流通させるよりも高値なので、農家にしたら良い話。
さらに、滅多なことでは認可は取り下げられないため、安定した生活を送ることができるとして全ての農家の憧れでもある。
ユーロラン帝国中の農家の1割以下しか献上農家になれないので狭き門ではある。




