一年前の春 ミョルン地方にて1
それは一年前の春のことだった。毎年、新人が入隊するこの時期は、訓練で地方の演習場が使われる。
私が配属されているミョルン地方にも演習場があって、私は下っ端として訓練のサポートや演習場の手入れをしなければならない。一年で最も忙しく、そして唯一軍人らしい生活をしなければならない時期だ。
昨年の春は第二守護兵団の戦時対策部に入団した新人がミョルン地方にやってきた。新人と共に教官としてやってきたのがその二人だった。
二人はそこにいるだけで存在感がすごかった。灰色の髪の毛の男は破滅的に目つきが悪い。普通にしていてもそう思うのに、人相をさらに悪くするように表情までも不機嫌そうで眉間に皺を寄せている。
その隣に並び立つ男はまったく違う性格の持ち主のようで、声を出していないと死んでしまうかのようにずっと喋り続けている。喋り口調も軽く、鬱陶しいくらいに明るい。
銀髪をオールバックにして眼鏡をかけているのだが、真面目さは微塵も感じられなかった。
そんな二人は私とそこまで変わらない歳に見えるのに、もう第二守護兵団の教官をしているのだから、きっとすごい力の持ち主なのだろう。私とは世界の違う人間だ。
私はその時期が早く平穏に過ぎてくれることを願いながら、なるべく目立たないように振る舞った。
しかし、そのいかにもチャラそうな白髪オールバックの男は私のことを見逃さなかった。
私は演習場の整備をしながら、延々と走らされる新人を、可哀想に、と思いながら眺めていると、私を見つけた銀髪オールバックの男がずんずんと近づいてきて、
「こんにちは! 俺はブルーム・ガリオン。よろしくね!」
と、自己紹介をして勝手に手を握ってきた。
『なかなか可愛い子じゃないか』
そんな本音が伝わってきて、私は思わず顔をしかめた。
女と見たらそういうことしか考えない。軍人の男というのは本当に気持ちが悪い。
周りに誰もいないからと手袋を外していたことを、私は激しく後悔した。
「おい、ブルーム」
私を助けてくれたのはもう一人の教官の男だった。
ブルームよりも背の高いその男を間近で見ると、つり上がった目は細く、真顔でも睨んでいるように見える。控えめに言って犯罪者のような人相である。
「そうやってすぐに女に声をかけるのはやめろ。それに、今はまだ訓練中だぞ」
「あ、もしかしてキースもこの子のこと、気になっちゃった?」
そのキースと呼ばれた男はただでさえ酷い人相をさらに歪めた。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。こんなダメ五なんかにいる女のこと、気になるわけないだろ」
「……は?」
助けてくれた人、という認識を撤回して、キースを感じの悪い男と認識し直す。
確かに私の所属する第五守護兵団は落ちこぼれ達の配属される兵団として、ダメ五と呼ばれて差別に近い扱いを受けている。だからって、それをはっきりと本人の目の前で発言する失礼極まりない人は初めて見た。
「ごめんね、悪気があるわけじゃないんだけどさ」
ブルームはフォローしたが、握ったままの手からは今起こっている出来事を愉快に思っている気持ちが伝わってくる。
どいつもこいつも……
私はブルームの手を振り払って二人を思いっきり睨みつけた。
こいつらとはこの訓練が終わればもう二度と会うことはない。それに、こいつらにどんな態度を取っても私の昇進の可能性はないし、別にどうでもいい。
私の身体の中にはメラメラと抑えきれない熱が膨れ上がっていた。一言言わないと気がすまない。
「自分達が偉いのかなんなのか知らないけど、やっぱり第二守護兵団なんかにいる人間は性根が腐ってるのね。能力が劣ってるダメ五の方が、人としてはいくらもましよ」
二人は呆気に取られた顔で私を見た。女だからって、ダメ五だからって黙って笑ってるだけだと思ったら大間違いよ。
「ここの演習場を使うのは勝手だけど、私はあんた達みたいな人に手助けなんてしないから。勝手にやって勝手に帰って。迷惑かけたら許さないから」
それだけ宣言して二人を残して私は宿舎に戻った。
本当に腹が立つ。さっさと帰ってしまえばいいのに。
その後もブルームは演習場で私を見かける度に声をかけてきたが、私は徹底的に無視をした。今更謝られても許すつもりはない。
対してキースは私に近づいてくることすらなかった。
そうしているうちに訓練も終わりが見えてきたある夜、事件が起こった。
その日の訓練が終わった後、私は食堂で夕食を取っていた。ブルームとキースも座って同じく夕食を食べていたが、私が話しかけるなオーラを出していたおかげで、離れた席に座っていた。
そこへ、慌ただしく新人兵が数人駆け込んできた。
「教官、大変です!」
「どうした?」
新人兵の青白い顔を見て、キースとブルームも何事かと顔色を変えて立ち上がった。私も、何か良からぬことが起きていることは明白だったので、食事の手を止めて新人兵が発する言葉に耳を澄ませた。
「王都へ荷を運ぶ途中の商人が一人、傷を負ってこの演習場に逃げ込んできました。この近くの森で野盗に襲われた、と……」
「野盗!?」
私は立ち上がって話に割って入った。新人兵は私を見てしっかりと頷いて、
「野盗は中の荷物ごと荷馬車を奪って西の方角に逃げ去った、と言っています」
と、告げた。
「ここにも出るか……」
演習場に来る前、ミョルン地方の拠点で野盗の話は聞いていた。宿場町付近で、隣国のダイス帝国からの荷を狙った野盗が出る、と。
悔しい気持ちが溢れてきて、私は唇を噛み締めた。
「それで、それはどのくらい前のこと?」
「つい先程のことなので、まだそう遠くには行っていないかと」
荷物を積んでいる荷馬車は重いのでスピードが出ない。演習場の馬なら追いつけるかもしれない。
ダイス帝国からの荷は穀物など主食になるものが多く、それを奪われてしまっては庶民の生活に影響が出る。そんな深刻な事態にも関わらず、ミョルン地方の自警団も守護兵団も本腰を入れて動かない。
王都から離れているが故のダラけた職務態度。私はそんな兵士達に心から腹が立っていた。
そして、一人では野盗をどうすることもできない、力のない自分にはもっと腹が立った。
私はキースとブルームを見た。この二人は第二守護兵団の教官。戦えることは疑う余地もないだろう。本当はこんな男達の力を借りるなんて嫌だ。
でも、これは野盗を捕らえるチャンスだ。逆に、活動を始めたばかりの野盗を今ここで全てひっ捕らえなければ、飢えで死ぬ庶民が出てきてもおかしくない。
それなのに、ミョルン地方の守護兵団はこの先も本気になって野盗を捕らえようとはしないだろう。
「力を貸して」
もう私には迷いはなかった。プライドなんてとうに捨てている。使えるものは使うんだ。
「当たり前だ」
キースが頷くと同時に私達は外に向かって走り出した。ブルームが後方で、
「お前達はここで待機だ! 怪我人の治療は任せたぞ!」
と、言っているのが聞こえた。
●登場人物の見た目紹介
キース・オルナーガ(21)(この時点では20歳)
性別:男
身長182、黒い瞳。
灰色の髪の毛。右に流した前髪は長く、右目にかかっている。