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ミョルン地方 最大の関所4

 夕食を終えてから部屋に戻ろうかと思ったが、何かと睨みを利かせてくるレイリーズと二人きりの部屋で過ごすのも躊躇われて私は外に出た。涼しい風が顔に当たる。春の匂いがする。


 私は近くの馬小屋へ向かって栗毛の馬のところへやってきた。乾草を与えて軽くブラッシングをする。


 こうしていると第五守護兵団に戻ったようだ。あの時も夜はよくこうして馬小屋に篭っていた。誰も来ない馬小屋で一人、この時だけが私の癒やしの時間だった。


 ブラッシングを終えると鼻筋を掻いてやる。すると、栗毛の馬は気持ちよさそうに目を細めた。


 明日、王都に連れて行っても構わないだろうか。ふと、そんなことが頭に浮かんだ。この子とはなんとなく離れがたい。


 自分がこんなに何かに執着するとは思わなかった。ミョルンを離れる時にも連れていけないことに随分心を痛めたのだ。


「一緒に王都へ行く?」


 私はぽつりと栗毛の馬に尋ねてみた。馬は静かに私を見つめている。


 広い土地があるミョルンに比べて王都は狭い。この子にしてみたら王都へ行かない方がいいのかもしれない。それでも自分勝手だが私はこの子と共にいたいのだ。


 馬小屋を出て空を見上げると黒い空にたくさんの星が瞬いている。王都ではこんなにたくさんの星は見ることはできないだろう。明日でミョルンともお別れ。目を閉じてミョルンの空気を吸い込んだ。


 特務部隊にいることに僅かながら居心地の良さを感じていることを自覚し始めている。今まで私が出会ってきた人達は私のことを鼻から軽蔑しているか、関心がない人達だけだった。


 特務部隊の人達はそれと少し違う。私に好意的な関心があるわけではなさそうだが、拒否されてもいないように感じる。

 それに、誰かに本気で心配されることなんて初めての経験だった。どうしたらいいのかわからない。私は彼らに何を返していけるのだろうか。


 ぶん、ぶん、と何かが空を切る音が聞こえることに気がついた。何の音だろう、と不思議に思い、私はその音の方へ向かっていった。


 宿舎の影からその音は聞こえていて覗いてみると、誰かが何か大きなものを振り下ろしている姿が見えた。剣ではなく、持ち手の先にとても大きな鉄の塊がついている。────あれは斧だ。


 見るからに重そうな斧を軽々と振り下ろしている。どうやらその素振りをしているのはベルロイのようだった。そういえば斧で戦うと言っていたっけ。


「あれ? リコル?」


 ぼーっと眺めているとベルロイに気がつかれて声をかけられた。息を荒くしながらこちらを見て微笑んでいる。


「捕らえた兵の監視じゃなかった?」


「うん、もう数時間後にね。寝るのも中途半端だし、鍛錬をしないと落ち着かないからさ」


 ベルロイは手の甲で汗を拭った。


「リコルは何を?」


「馬小屋で馬の世話を」


「へぇ、偉いね」


「好きでやってるだけよ」


 ベルロイがその場の草の上に座り込んだので、私も何となくその隣に腰掛けた。


「俺、リコルと話してみたかったんだ」


「私がダメ五だから?」


「違うよ」


 ベルロイは困ったように眉を下げて笑った。


「隊長と副隊長とは立場的に気軽に話せる雰囲気じゃないし、ルシェもまだ難しい年頃。イオルは興味のない人間とは話してくれなさそうだし、レイリーズも気難しい感じだから」


「消去法じゃない」


 くすりと笑うと、


「はは、まぁね」


 と、ベルロイも笑って、側に置いた斧の柄の部分を大事そうに撫でた。


「俺も急に第三守護兵団の特務部隊に異動になって不安だったからさ、気兼ねなく話せる人がいたらいいなって」


 確かに私から見てもベルロイは一番まともそうだ。逆に他の人達が異次元すぎて。


「リコルの出身はどこ?」


「……パリス地方」


 その言葉を口にするだけで苦い思いが胸にせり上がってくる。


「俺はブグダンジー」


「ブグダンジー?」


 私は思わず問い返した。ブグダンジーと言えば鉱夫が多くいる地域で、守護兵団にもそこの出身者は少ない。


「そう。何だかそういうところも似てるだろ?」


 パリス地方も相当な田舎だが、ブグダンジーもユーロラン帝国の中では異質な地域だ。王都やベルサロム出身者とは違うだろう。


「そうね」


 私が同意するとベルロイは嬉しそうに微笑んだ。


「俺は鉱夫の息子なんだが父が昔、守護兵団に命を救われたことがあるらしくてね。だから、息子の俺にはどうしても守護兵団に入ってほしかったみたいなんだ」


「親の言いなり?」


 私は思わず眉を潜めてしまった。


「はは、そうだね。でも、俺はそれも受け入れてここに来たんだ。鉱夫の仕事よりも人助けをできる仕事がしたいと思ったし」


「ふぅん」


 私にはよくわからない世界だ。


「俺みたいな人間が守護兵団で上手くやっていけるかはわからないけど、与えられた仕事はちゃんとやりたい。だから、改めて、これからよろしくね」


 ベルロイが私に手を差し出してきた。馬の手入れをした後だったので手袋を外している私は少し躊躇ったが、そっと手を握って握手を交わした。


 触れた肌から伝わってきたのは、言葉通りの親愛の気持ちだった。こんな気持ちを向けられたことは今までなかった。


 私はさっと手を離した。やっぱり不思議な人達の集まりだ。屈託のない笑顔を向けるベルロイを見ながら私はそう思った。

●栗毛の馬


一年前の春、ミョルン地方の演習場で出会った馬を気に入ったリコルは、訓練が終わった後に乗って帰ってきた。

第五守護兵団の宿舎に戻った後も、近くの大きな宿場町へ行き来する際には乗り、大切に世話をしてきた。

綺麗な栗毛で鼻筋と後ろ足だけ白い。

推定二歳。

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