■第92話 幸せの行方
リコは保育園のグラウンド隅にあるタイヤ型の跳び箱に腰掛け、スケッチ
ブックを広げて素描していた。
卒業式までの数日間は登校する必要も無かったが、ただ黙って家にいるの
も退屈でスケッチブック片手に出歩いていたのだった。
平日の昼間、園児がグラウンドで走り回る姿を見かけて、思わず吸い寄せ
られるようにひまわり保育園にやって来たリコ。
暫しウロウロと歩き回り、丁度園児が見渡せる位置にある、そのグラウン
ドに半分埋まったタイヤを見付け腰かけて、微笑みながら描き始めていた。
リコは鉛筆を優しく傾けながら、リュータとナチの事を考えていた。
不安や恐怖に負けずに自分の気持ちに正直に向き合って、ちゃんと互いに
真正面からぶつかって、紆余曲折ありながらも二人は幸せを手に入れた。
(私は、いつか幸せになれるのかな・・・。)
自分ひとりで頑張ったってどうにかなる問題ではない。
どんなに気持ちが強くても、誰より想ってる自信があっても、相手ある事
だから思い通りになんかいかない。待ってみたってなんの意味もないし、
一人よがりに押したって迷惑になるし。
気が付くとリコの手は止まり、遠くを見てぼんやり考え事ばかりしていた。
その目は特になにを見るでもなく、ただ意識のない瞬きだけを繰り返して。
その時、 『おーい、リコーー!』
名前を呼ぶ声が聴こえ辺りを見回すと、松葉杖のリュータが近付いて来た。
コースケはバイトに行き不在で一人で部屋にいた所、窓の向こうにリコの
姿が見え出て来たのだった。
『相変わらず描いてんだなぁ~。』
リコの隣のタイヤに腰掛け、上半身を傾けてスケッチブックを覗き込む。
『ん? ・・・と、思ったら。 ゼンゼン進んでねーなぁ。』と笑った。
グラウンドを駆け回る園児たちは ”寒い ”という感覚を知らないかの様
に元気いっぱいにはしゃいでいる。その赤くまるい頬には一縷の不安も悩
みも無くて、ただただ希望だけを見つめている輝く瞳で。リコはそんな姿
が眩しすぎて少しだけ目を逸らしてしまった。
リュータが『くぅうう!!』と両腕を空に突き上げ、ひとつ伸びをする。
タイヤに腰掛け投げ出した左脚には、まだギブスが填められている。
その少し汚れて薄いねずみ色になりかけてきたギブスに、黒マジックで
書かれた ”アホ ”とか ”バカ ”の文字が目に入った。見慣れたナチ
のその癖のある丸い文字。小学生のイタズラ書きのようなそれに、リコ
は目を細めて口元を緩めた。
暫し口をつぐんだまま。
園児の笑い声だけが、晴れた高い白藍空に吸い込まれてゆく。
少し遠くを見つめたまま、リコがポツリと呟いた。
『リュータさん・・・
どうしたら、好きな人から好きになってもらえるのかな・・・。』
その呟きはあまりに弱々しいそれで、一瞬泣いているのかとリュータは
小さく目線を流し、リコの頬に雫がないか確認する。
雫はなかったけれど、その代わりにあまりに寂しい笑顔がそこに。
リュータは小さく笑ってため息を落とした。
『いっそのこと、ぶつかってみたら・・・?』
すると、リコが可笑しそうにクスクスと笑い出した。
『私ね・・・
もう、2回もぶつかって玉砕してるの・・・。』
口元に細い指先を当て、まるで言ってしまった自分をいなすように。
その笑い声が次第に乾いたそれに変わり、わずかな風に掻き消される。
リコは、コースケに気持ちを打ち明けた話を実は誰にも話してなかった。
自分から告白なんて出来るタイプだとは思っていなかったリュータは、
ものすごく驚き、そしてそんなリコを思って胸が痛くなった。
誰にも言わず、言えずに。たった一人でその痛みを抱え込んでいたのかと
ぎゅうっと締め付けられる胸が切なく熱を帯びる。
『・・・アイツ。
・・・・・・・・なんてった・・・?』
リュータがギブスの脚をさすりながら、さり気なく訊く。
リコの方は見られなかった。なんだか自分の事のように苦しくてつらい。
すると、リコは顎を上げて天を仰ぐように雲ひとつない空を見上げる。
小さく息をつくと、哀しすぎて耳が痛くなるような声音で言った。
『マリさんが泣いてたら慰めに行くし、
困ってたら助けに行く・・・
それを、
誰かに我慢させたり、悲しませたりするくらいなら、
・・・誰とも、付き合わない・・・って。』
『はぁ・・・。』 リュータが膝を抱えるように体を屈め、ため息をつい
た。リコになんて声をかけていいか全く分からない。リコの顔を見られな
い代わりに耳だけはそばだてて、その気配を必死にさぐった。
『ナチ、すっっごく嬉しそうだったね・・・
私・・・
あの、この間のリュータさんの言葉きいて、
なんか・・・ 泣きそうになっちゃった・・・。』
リコが遠く遠くそこにいない人の面影を想い見つめる。
長いまつ毛は瞬きの揺らめきを止め、その奥の瞳がゆらゆらと潤って。
一度でも瞬きをしたらこぼれそうな涙を、リコは必死にそうならないよう
堪えていた。
リュータはただ黙ってリコの隣に座り、元気に笑い走り回る子供たちを
見つめていた。




