二人の距離(4)
翌日。
朝の教室で山岸は優奈が登校してくるのを待った。
大丈夫だろうか? ちゃんと来るよな?
不安な思いが募る。
しばらくしてやってきた優奈は、けれど、山岸の思いとは逆にいつもと同じように見えた。
すかさず彼女に歩み寄る。
「竹宮さん」
「ん? ああ、山岸くん。おはよう」
いつもと変わらず普通に挨拶すると、彼女はそのまま腰掛けた。
山岸は少し拍子抜けした気分になりながらも話を切り出す。
「昨日さ……」
「ああ、ごめんね。昨日、なんか、あたし変で」
優奈はごく自然にそう言って山岸を見た。昨日とはうって代わって落ち着いた雰囲気だった。
あれれ? と思う。
「だ、大丈夫なの?」
気勢をそがれて山岸は尋ねた。
「うん。もう大丈夫。やっぱり昨日、疲れてたんだ。ごめんね。心配かけて」
「あ、ああ。それならいいんだけど……」
納得しかけて、山岸は一つどうしても分からなかったことを思いだした。
「でも、あの、きみってさ、疲れてると声が高くなるの?」
優奈の肩がビクッと震えたような気がした。優奈はとたんに両手を前に突きだして、掌をヒラヒラさせる。
「そ、そうなの」
「ふ~ん。そうなんだ、なんか普通は低くなるような気がするんだけど」
「え、えっと、あの、あたしの場合は、高くなっちゃうんだ。ほんと、変だよね。あはは」
優奈がそう言って笑った。なんだか無理に笑っているように見えた。
山岸は、おかしいと思いながらも、
「そっか。じゃあ、あんまり疲れないように、気をつけなよ」
「う、うん。ありがとう」
そう答えた優奈の笑顔が引きつっているように見えた。
……やっぱり、なにかがおかしい。なにか隠してる気がする。
山岸はそう思った。けれど、これ以上優奈に直接訊くのは無理なような気がする。
じゃあ、どうするか?
山岸は頭を悩ませて、なにか事情を知っていそうな優奈の友達に当たってみようと思い当たる。
しかし、優奈に一番親しそうなのは……山岸にとって鬼門だった。
クラスの女生徒たちが笑いながらお喋りしている。その集まりに近づきながら、出来るだけさりげなく声を掛けた。
「えっと、天野……」
少女が振り返る。キラキラした勝ち気な瞳を持つその少女が、怪訝な顔で言った。
「うん? 山岸くん、なんか用?」
ドキッとしたが平静を装って答える。
「ああ。ちょっと話があるんだけど……」
「話? なんの?」
「ちょっとここじゃあ……」
山岸は、他の女の子たちが興味深そうに見ていることに気づいていた。
ここで声を掛けたのは失敗だったか? でも、いまさら引けない。
「あの、向こうで話せるか?」
「え? なに? 変な話じゃないでしょうね?」
メグの表情がちょっと険しくなる。慌てて言った。
「違う。竹宮さんのことで、聞きたいことがあって……」
最後は少し声が小さくなった。メグが眉をひそめる。
「なに? また、優奈さんにちょっかい?」
山岸は困ったなあ、と思った。
この少女は竹宮さんのことになるとなぜか神経質になる。それだけ仲が良いと言うことなんだろうけど、それにしても、俺、邪魔者扱いだな。
普段なら引き下がるところだけど、今日はダメだ。
「ちょっかいじゃないよ。大切なことなんだ」
山岸はいつにもまして真剣な表情で言った。
メグは少し驚いたように目を見開いて、それから、「いいよ」と言った。今まで話していた少女たちに、また後でね、と声を掛けると、山岸に合図した。
「で、どんな話?」
屋上に続く校舎の階段の途中で、先に歩いていたメグは山岸を振り返った。
優奈さんに関する大切な話って、なんだろう?
山岸くんが優奈さんを好きだったことは知ってるけど、一度振られてるし。まだ諦めてないのかな?
また、優奈さんにアプローチしたいとか言う話だろうか? でもなあ、無理だと思うけどなあ。
でも、さっきの真剣な表情、なんか、ほっとけない気もするな。
メグがそんなことを考えていると、山岸は突然言った。
「天野は、竹宮さんの秘密を知ってるのか?」
「へ?」
秘密? なんのこと……と思いかけて思い当たる。
優奈さんの秘密って言ったら、あれだよね? え? でも……
「な、なんのこと?」
「知らないのか?」
山岸が落胆したように肩を落とす。
「だから、なんのこと?」
メグは重ねて尋ねた。
それから……山岸は前日にあったことをメグに話した。
出会った優奈がおかしかったこと。まるで別人のように感じたこと。なにか重大なことに巻き込まれているんじゃないかという懸念。それを優奈が一人で背負い込んでるんじゃないかという怖れ。
「だから、なんか知ってたら、教えてくれよ!」
そう、ひどく真剣な表情で山岸は言った。その話を聞きながら、メグは意外に思っていた。
へえ、山岸くんって、こういう人なんだ。まだ、優奈さんのことを好きで、彼女を真剣に心配している。ちょっと見直したかも。
と思いつつ、メグは困った。
だって、優奈さんの秘密は言えないし。というか、わたしが言うわけにはいかないし。どうしようかな?
「えっと、山岸くん」
「ああ」
「ごめんね。わたしには、わからないよ」
「……そうか」
山岸が肩を落とした。慌てて付け加える。
「あ、でも、大丈夫だよ。山岸くんが思ってるような変なことは絶対ないから。優奈さん、別に危険だったりしないよ。それは、わたしが約束する」
「ほんとか?」
「うん」
「でも、なんでわかるんだよ? 知らないんだろう?」
「そ、そうだけど……」
えーと、どう言えば、いいんだろうなあ? メグは悩む。
「とにかく、天野でも知らないのか、それは、仕方ないな……」
山岸は俯きながら、なにやら思案するように呟いている。
「えっと、山岸くん?」
自分の世界に入ってしまったのか、山岸からの返事がない。メグはどうしたらいいのかわからなくなった。
ごめん、優奈さん、山岸くんの疑い晴らせなかったよ。
後で、そのことを優奈に伝えようと思った。
「じゃ、じゃあ、いくね」
メグがそう言って階段をおり掛けると、思い出したように山岸が顔をあげた。
「そう言えば、天野」
「え? なに?」
「おまえさ、御薬師と付き合ってるのか?」
「は?」
突然の予想しなかった質問にメグの心臓が跳ねた。
「な、な、なに、それ?」
声が裏返りそうになる。
「違うのか?」
「だ、だから、なんで?」
山岸は少し首を傾けながら、
「いや~、こないだ、御薬師に聞いたら、あいつの好きなのはおまえだって言うから、そういや、おまえたち仲いいなあと思って……」
メグの頬が見る見るうちに朱色に染まる。山岸はそれには気づかず、
「だから、付き合ってるのかな? と思って。違うのか?」
う~。トモ、なんで教えちゃうんだ!? は、恥ずかしいじゃない!
などと思いつつメグは、少し怒ったように言った。
「そうよ!」
「え? そうって、違うって言うこと?」
「違うわよ! 付き合ってるて言うこと!」
だから、なんで叫んでるんだろう、わたし? と、メグは我ながら思った。
「もう行くから」
そう言って山岸の顔も見ずに階段を駆け下りる。
心の中で、トモ、待ってなさいよ! と叫んでいた。
階段をすごい勢いで下りていくメグを見送りながら、山岸は思った。
天野はああいったけど、どうも納得いかないなあ。
いや、メグとトモが付き合っているという話ではなく、優奈のことだ。
やっぱり、なんか隠されている気がする。もしかして、天野も隠しているのかも。
もしそうなら、もう誰もあてに出来ない。後は自分でなんとかするしかないだろう。
山岸はそう決心した。