笑う電脳チェシャ猫症候群
水を抜いた屋内プールの底で、高田は椅子に縛られている。目の前で組お抱えの変態外科医が、チェーンソーで罪のない(?)構成員の一人の肉体を解体している。人を生きたまま解体する事に己の存在意義を見出しているこの外科医は、切り刻まれてもギリギリ死なないよう背中に埋め込まれた二本の医療系アームで応急処置を施していた。目の前で繰り広げられる演劇のような解体劇を見せつけられて、高田の意識は朦朧としている。絶叫と許しを求めるうわ言、血飛沫、獣の感極まった叫び声とチェーンソーのモーター音。
椅子に縛られている以上どうしようもできないこの状況で、高田は同じく椅子に縛られている二人の様子を見た。二人とも目をつむり、涙を流しながら左右に体を不規則に揺すっている。高田と同じく猿轡をかまされている口からは嗚咽のようなものが聞こえてくる。目の前の現実を到底受け入れられない状態だ。プールサイドの奥には男二人がこの解体劇を監視している。
高田はパニック寸前になりそうな頭で必死に考えをまとめた。“ネズミ”がばれた。しかしまだ誰も“ネズミ”が俺だという事を特定できていない、つまり組は“ネズミ”が居るという事しか知らない、だから見せしめに可能性が有る構成員を、わざわざ悪趣味なショーまで開いて殺している・・・
「ふぅうううう、人の中にある、、、臓器は私を、私を、可能な限り性的に興奮させてくれるぅうう」外科医はもはや原形をとどめていない、構成員の肉片に飛び込み仰向けになりながら一物をしごいている。高田達の後ろに立っていた男達2人が、高田に近づき、縄をほどいている。腕を掴まれて立たされた時、高田はプールサイドの男達に向かって叫んだ。
「俺は“ネズミ”が誰かを知っている」
「どうして知っているんだ」と男の一人が尋ねる。
「ふうううぅうううネズミさンチュウチュウゥウウ」と外科医は仰向けに成りながら喚く。
「俺が、警察にもぐっている“ネズミ”だからだ」と高田はかまをかけた。
「・・・そうか」と男は暫く何やら考えていたが、突然高田の腕を掴んでいる男二人を撃ち、続けざまに自分の傍らに立っている男を撃った。
「お前も、“ネズミ”なのか」
「「・・え?」」
高田は一瞬自分以外の誰かの声を聞いたような気がしたが、目の前で起こっているショッキングな事態の方が重要な気がした。
「“ネズミ”がバレたら可能な限り全員消せ、だよな」男は外科医に銃口を向ける。
「ふぅうううぅううう、僕、ボク、ネズミさんじゃなぃよおおおお」と外科医は大慌てで肉塊の中をもがきながら逃げ出そうとしている。男が今まさに外科医を撃とうとした瞬間、
「ちょ、ちょっと待ったー!」
高田は自分の目を疑った。その場に居る全員が自分の目を疑った。突然何もない空間から、紺色のボディスーツを着て、頭に猫耳の髪飾りを付けた金髪の少女が出現した。限定的なオンラインでの通信機能しか搭載していない自分の基幹OSには拡張現実機能は搭載していないのでVRは映らないはずだ。
「このヘンタイを撃っちゃうのは、ちょっとやめてほしいのよねぇ、渋いお兄さん?」
高田同様男は面食らっていたが話しかけられて気を取り直し、即座に少女に銃口を向けた。
「何だお前は。何処から出てきた」
「あぁらずっと前からいたわよぉ?」
「質問に答えていない」男は2発発砲した。少女が立っている床に弾痕が残る。
「いったぃ~何するのよ!」VRの少女は身をかがめたが無傷だ。男の両腕が痙攣し始める。
「お、お前、何をした」男は自分の両腕のコントロールを奪われた事に愕然としている。
「一応この体でも痛いと思うんだからね!女の子には優しくよぉ」
『ちょっと、警察のお兄さん』高田は無線で突然話しかけられて、狼狽した。
『ちょっとってば!あたしみたいな綺麗な子と無線で話すのは慣れてないのかしらぁ?』
『・・何者だ』
『またそれぇ?もうちょっと気の利いた事は聞けないのぉ?』
『・・・何故俺が警察だと分かった?』
『あぁら、この回線を使ってるからよ。あたしたち、ちょっと違うけど同業みたいな物よぉ?』
『同業が一体何の用だ?ここは俺のシマだ。』
『そぅ??私から見るとお兄さん、控え目に言って殺されそう。』
『・・それで??』
『もぅ急かさないでよぉ。あのヘンタイ外科医の身柄を拘束して欲しいの。今のあたしじゃ、電力不足なのよぉ。』
『・・?あの外科医に用事が有るなら仲間で無く、何で俺に頼む?』
『お願いっ!今のあたしの電力で通信できるのは、傍に居るお兄さんだけなのよぉ。でも、どちらかというとお兄さんに他に選択肢は、ないわよねぇ』
『・・・見返りは?』
『あいつも“ネズミ”だったって事は予想外だったけど・・・この状況を作ってあげたのは誰かしらぁ?それともなあに?あんなハッタリでこれからも切り抜けられると思ってるの?あの渋いお兄さんの拘束を解除しちゃってもいいのよぉ?』
「・・・良いだろう」
高田は暫く考えてVRの少女に協力することにした。こうなってしまった以上任務から生還する事を選んだのである。外科医の身柄を手土産に、内部抗争があって脱出してきたとでも後で言い訳すればよい。VRの少女は「やったぁ!」と言って両手を上げてピョンピョン飛び跳ねている。高田は漸くプールサイドに上がり、男の手から銃を取り上げた。
「・・・悪く思うなよ」そういって高田は、初めて人を撃った。
高田は、VRの少女が指定する住所‐大阪市中央区心斎橋2-37ダイヤモンドビル-に向かって高速道路を車で走っていた。VRはどうやって車のドアを開けるのかという高田の疑問は、ドアをすり抜けて車内に入り座席に座る、電子表示された少女の姿を確認した瞬間に解消された。(ちょっと、じろじろみないでぇ。色々と処理が大変なんだから)道中で確認できた事実は、①このVRの少女は聞いた事もない民間の傭兵部隊に所属し、②ボディを外科医に監禁されているらしい、の2点だけであった。
「そんな事が出来るくせに監禁されているのか?」高田は尋ねる。
「ちょっと油断しちゃったのよぉ~」
「・・・何であの外科医をマークしていた?」
「あんなヘンタイ、将来的には内乱分子の候補リストに確実に挙がっちゃうわ。他にも色々あるから先に手を出しちゃおうと思ったのよぉ。潜在的なテロの可能性の撲滅ってやつよ。」
「油断したって言ってたな。理由は?」
「それは言いたくないわぁ」
しばらくしてVRはこう言った。
「実力不足ってヤツよ」
高田はため息をつき、車の運転を続ける。路上をナトリウムランプが照らし、大型輸送車両が何台も通り過ぎてゆく。横目でVRの少女を盗み見る。整った顔立ち、体にぴったりと張り付いた紺色のボディスーツに猫の耳飾り、両腕に蛍光ピンク色のフリル。(こんな格好をしている人間は恐らく少数だが)実際の人間とまるで変わらない。が、良く見ると輪郭がぼやけて表示されている事に気付いた。
「・・なあおい、どうやって表示させているんだ?」
「え?これ?お兄さんのOS基幹に自作のARアプリをダウンロードさせたのよぉ。気付いてないの?」高田は即座に自分のOS基幹のバックグラウンドを探索し、Nyanko.ar.exeという見慣れないプログラムを発見した。
「・・・全く気付かなかった。ボディ無しの電力で・・・どうやって?」
「・・・・あのヘンタイに、あたしの中継ポイントをお邪魔させて貰ってるのよ。」
もしこれが本当ならこのVRの少女はとんでもないオンライン探索機能と高機能OSを備えた人間という事に成る。高田にとっては今までも、そしてこれからも出会う可能性のないAAAクラスの人間だ。
「色々と聞きたい事が有るのだが」
「あぁら?あたしの事、もっと良く知りたいのねぇ?」
「その格好は何だ」
「趣味よ」とVRの少女こと松下薫は、歯を見せてニヤリと微笑んだ。
休憩をするためパーキングサービスエリアに止まり、高田は指示された住所に存在する医療法人の広報HPにアクセスした。コンタクトディスプレイ上に、妙に凝ったデザインのHPが表示される。
『私たちは、選ばれた特別なお客様に特別なサービスを提供させて頂く高機能医療整形美容外科法人です。選ばれた者だけが身にまとう事の出来る特別な美のオーラを、貴方に』
驚いた事に車のボンネットの中で殴られ過ぎて気を失っている外科医は、医療理事長と同じ名字の人間であった。ということは組お抱えの唯の変態という事ではなく、由緒正しいお金持ちのご子息という事か。プールサイドの男は知らなかったんだろうな。高田はため息をついて深く座席にもたれ込んだ。企業人数3568名(公式医療系機能保有者368名)、資本金200億8千万円。とても高田一人でどうにかなる規模ではない。深夜のサービスエリアの巨大な敷地には沢山の大型車両や運転手に何かをねだる素行不良の少年少女達がたむろしている。
「あー驚いたわぁ。今時のSAってこんな時間でもガキどもがうろちょろしてるのねぇ」
VRの少女こと薫は暫くぶりの娑婆を楽しみたいと外に出ていたが、車内に戻ってきた。
「・・・おい、こんなでかいのか?」
「・・・そうよぉ。でも、もう行ってくれる必要は無いわ」
「・・・何でだ?」
「電力切れよ。色々使っちゃったから。悔しいけど、あたしはここまでね」
「おい、ここまできて」
「いいのよもう。ねぇ、最後にありがとね。外を見れて良かったわぁ。4年ぶりよ。協力してくれるなんて、」高田の視覚にノイズが走り、VRの少女は消滅した。
高田は暫く、茫然としていたが、やがて車のエンジンをかける。俺らしくないな、と高田は思う。今までだったら、外科医を放り出して管轄区署に戻っているだろう。内部抗争だのなんだのと理由を付けて。ただ、高田はどうしても受け入れられなかった。道中でVRの少女から聞いた話だ。金で買われ、金持ちの道楽で玩具にされ、犯されながら体をバラバラにされた被害者達が居る。いつの時代も、弱い人間へと暴力は向かっていく。良くある話かもしれない。恐らく被害者たちは東部シェルター内出身の人間だろうが、それがどうした?高田は自分が治安を守っている西部に、そんなおぞましい事をする人間がのうのうと暮らしている事を、認めるわけにはいかなかった。
目的のビルに付き、地下駐車場に車を停車させた。ガランとした駐車場には人影は無く奥にエレベーターの扉が見えている。監視カメラの探査を終えて安全を確認した高田は車から降りボンネットの扉を開ける。中には外科医が身を赤子のように縮こませている。
「降りてくれないか」
高田はそう言ってボンネットの中から外科医を引きずり出し、銃口を向けた。
「お前のコレクションを見せて貰おう」
外科医と共にエレベーターに乗り、地下15階まで降り立った。扉が開くと一本道の狭くて医療法人らしい小奇麗な白いタイルの廊下、奥には物々しい金属性の自動ドアが見える。高田は外科医の後頭部に銃口を突き付けて先を歩かせる。
「開けろ」
外科医は網膜認証装置に顔を渋々近づける。ドアが開いた。高田は薄暗い室内に入る。中央に大きな水槽が設置してあり、それを取り囲むように部屋の壁にアクリルケースが陳列してある。水槽越しに、天井に設置してある電磁拘束装置の何本ものケーブルと、人形のようなものが見えた。高田は最初、水槽の中に大根が束になってが浮かんでいるのかと錯覚したが、それが何本もの人間の足を継ぎ足した物と気付き、外科医の後頭部を銃の台座で殴る。
「今この場でお前を違法身体改造の罪で拘束する事も出来る。だが一つ答えろ。彼女はどこだ?」
「ぅふうううぅううう、あ、あそこぉぉお」
外科医は右手で拘束装置に繋がれている人形を指さした。
エレベーターを降り、車のボンネットの上に拘束装置を付けたままの薫を横たえる。はたから見ると眠っているようにも見える。何とか拘束装置を取り外そうとしたものの、首の基幹OSに接続されており、一向に外れる気配が無い。その時、視界の片隅でエレベーターの扉が閉じ、その瞬間に隙間から何かが素早く横切った。高田はすぐに振り向き銃を構える。ガランとした地下駐車場には沢山の車が整然と駐車されている。動くものは何も無い。周囲を警戒している高田の上着の裾を、誰かがそっと掴んだ。振り返ると拘束具を付けたまま薫が目覚めている。薫は両目で左上の天井を見つめている。その視線の先に高田は目を向けると、医療アームを更に2本継ぎ足した外科医が蜘蛛の如く天井に張り付いていた。即座に高田は3発立て続けに外科医に向けて発砲した。外科医は銃弾を医療アームではじいたが最後の一発を肩に受けて落下し、薫が横たわっている車の3台隣の車の上に落下する。金属とガラスがひしゃげ、轟音が駐車場に響き渡る。
「おい!早く乗れ!!」
高田は薫に向かって怒鳴る。銃を構えながら後退し、薫がモガモガ何やら言いながら車に乗った事を確認して、運転席に乗り込む。車をバックギアで急発進させて、出口に向けて車体を前に向かせた。アクセルを踏み込み急発進する。猛スピードで風景が流れていく中、高田はサイドミラーの中に、大きな蜘蛛のようなモノが跳ね上がったのを見た。凄まじい衝撃と音が車内に響き、天井に3つのへこんだ穴が出来る。チェーンソーのモーター音が響き、亀裂が入る。高田は車を運転しながら出鱈目に天井に向かって銃を撃ったが手ごたえは無い。亀裂から外科医は車内を確認し、薫に向かって医療アームを猛スピードで突き刺した。
そして、車上に居る外科医は中空に金髪の少女を見た。少女は中空に浮かび、自分を上目遣いで睨みつけながら両手の人差し指を突き出している。外科医は興奮して叫ぶ。
「ふひゅ!ふぉぉおぉぉぉぉ、天使が、ぼぼ、僕だけの天使が目の前に、」
「デュクシ」
天使の両指が自分に向かってきたと思った瞬間、外科医は真っ暗闇の中に居た。タイヤの音と、風を切る音、モーターの凄まじい轟音しか聞こえない。屋外の巨大幹線道路に車体が飛び出す瞬間、高田はブレーキを思い切り踏み抜いた。外科医の体が中空に投げ出される。幹線道路上に激しく叩きつけられた外科医は直ぐに立ち上がり、どこ?僕だけの天使何処行ったの??と両手を突き出して叫んでいたが大型輸送車両がその体の上を猛スピードで横切り、道路上に巨大なトマトが潰れたかのような痕跡を残した。
「ムガァ!」アームが拘束具に当たって壊れ、漸く自由の身に成った薫は顔をしかめた。
高田は暫く放心状態だった。バックミラーで薫の姿を確認する。喉の奥にまで入り込んでいる拘束具を引き抜いている。
「うぶえええ!あー・・あー・・あ、あたしの、体を張った、4年間が、一瞬で、トマトケチャップに」
「・・・無事か?」
「・・・。あなた馬鹿なの?4年も変態に拘束されて無事な訳ないじゃない・・」
薫はでも、ありがと、と礼を言い後部座席に深く沈みこんだ。高田は車の窓を開け、煙草を吸う。この事後処理はどうしたものだろうか。現実的に考えれば考えるほど今後の明るいキャリアを描けなくなり暗い気持ちになっていった。すると後部座席に座っていた薫が、あ、と言い助手席に移動し、高田をじっと見つめた。高田は道路を見つめている。幹線道路上には野次馬が集まりつつある。高田はやがて根負けした。
「なんだ」
「薫って言うの。よろしくねっ」