第1話
マイク・フォーチュンはパッとしない己が工場を見ながら、午前8時の朝日を浴びてラッキーストライクを吸っていた。水平線まで続く果てしない荒れ地、東西に横切る線路、その向こう側にある工場、我が人生。この工場は先代の父親ことルーズ・フォーチュンから事業承継したものであり、ニューヨークの大学を中退してからあてどなくフラフラしているマイクにとっては飯のタネ以外の何物でもなかった。工場にある、延々とヒステリックに音を立てる工作機械はまるでヒステリー状態におちいったかつての高校のクラスメート、ミザリー・オリエント女史を思い出させる。牛乳瓶底のような分厚い眼鏡をかけ、醜いくせ毛を三つ網にまとめていた傲慢な彼女。恐らくは法学を学び役所に勤めているのかもしれない。そんな事はどうでもよかった。マイクは自分の工場が嫌いだった。航空機関連の部品を作っていようが大人の玩具を作っていようがそれは彼の興味の範囲外だった。うらびれた、さもしい自身の人生を反映している工場で、彼は延々と生産管理の仕事に従事していた。勤めぶりは、それ以外何もすることが無いから仕方なく没頭しているというポイントを維持し、発作的に起こるナルシス的陶酔感(俺たちは国防に従事している!)以外は平均点を維持し続けた。彼の生活は、彼の倍以上生きているであろう下衆なオヤジ達の顔色伺いの連続だった。「人は、」と彼は思う。「人は自身に相応な場所に存在する以外、どうしようもない存在なんだ」と彼は思う。遠くで汽車の汽笛が鳴る。かつて自分もその汽車に乗り、まだ見ぬ世界へと冒険の心を抱いて故郷を離れたものだ。
1963年にマイクはニューヨークの大学に入学し経済学を学んだ。当時のニューヨークはいわば、一体感を持ったある種の運動に皆が没入していたと彼は思い出す。サングラスをかけて生活雑貨の絵を切り張りしていたアーティスト、カーキ色の軍服にジーンズ、麻薬におぼれる者、ヒッピー、ベルボトム等など。乱痴気騒ぎと気だるい自己嫌悪、ロックンロール、そして麻薬。そういったムードに彼は全くと言っていいほど染まらなかった。彼の興味はそういった乱痴気騒ぎや白い魅力的な素足や可愛いブロンドではなく、ましてや経済学などではなく、芸術だった。
当時としては非常に在り来たりなのかもしれない。しかし、彼にとっては全てだった。人を一瞬の間(長く見積もって15分程度か?)、文字通り、我を忘れさせるほどの吸引力を持った、巨大かつ衝撃的な美。彼は大学に入学して最初の頃にレンブラントが二十歳の時に描いた瞑想する修道僧の絵を見て、文字通り釘づけになったのだった。明と暗が対照的に描かれている構図。苦悩する修道僧。完璧であった。全てが、この忌まわしい俗世とはかけ離れた所で起こる、神聖な瞬間の切り取りであった。以降マイクは大学の授業などそっちのけで写真を撮り続けた。奇跡の一瞬の為の神聖な瞬間を切り取るという崇高なビジョンを掲げた、被写体にとっては迷惑極まりない行為の繰り返しであった。彼はある種の分割を求めて写真を撮り続けていた。1:1の明と暗、美と醜、人口と自然、男と女。写真を撮り始めて数カ月で彼は、被写体を選び始めた。要するに写真に写った物の生活を匂わせるある種の醜さ、またはストレートな醜さに彼は耐えられなかった。3年次に上がる頃にはマイクはストリッパーに頭を下げて金を掴ませ、写真を撮っていた。彼の学生生活は大いなる美の、一瞬のきらめきに捧げられたと言っても良い。その97%は麻薬を燻らせてトンでいる笑顔、乱痴気騒ぎの一瞬であったが。中には風景の中に飛行機とも判別できない物体が写り込んでいる写真もあったが彼は余り興味を示さなかった。しかし皮肉な事に、周りの連中が一番興味を示したのはその写真だけであった。彼は周囲の反応を見て、ニーズに合った個展を開くと言う彼自身が一番嫌う類の個展を開いたのであった。個展の名は、「監視する空中浮遊物体たち」。
その個展は籍だけを置いている大学の連中がたむろしているバー(彼自身バーは大嫌いであった。あんなものはお高くとまった連中たちの、集団的自慰行為の場以外の何物でもない・・)の二階で開かれたのである。実にさまざまな種類の人間達が来ていた。そして、彼の少ない知人以外誰ひとりとして彼の事には気付かなかった。自分が細工した何でもない風景写真を、阿呆の如く口を開けて見つめる来客を見て、マイクは自分が透明人間に成ったかのような錯覚を覚えた。「俺は、一体何なんだ。誰ひとりとして俺に話しかけてくる人間はいない。」この、いわば自身の人生を象徴する黙想は彼にとってはその後ウンザリするほど心の中に抱え続けなくてはいけなくなる、彼だけの火星にそびえたつ彼だけのモノリスであった。彼のモノリスには「誰ひとりとして俺に話しかける者はいない」と書かれているのだ。バーの薄暗い店内でブロンドの声が響く。「やっぱり宇宙のどこかには私達と同じ知的生命体が居るのだわ」
彼はその個展を開いた後、ちょっとした有名人になり直ぐに忘れ去られた。聞いた事もない様な出版社から写真集を出さないかという話が何件か来たがすべて断った。そして以前から写真を撮っているストリッパーに入れ込み、お決まりのコースを辿って破局した。「つまらないわ、あなた。」疑心暗鬼、嫉妬、気も狂わんばかりの弁護と無様な三文芝居、憎悪。彼にとっては毎度のことながら辛い時期であった。世界は革命を求め、昔ながらのマッチョイズムが崇められていた。勿論マイクは徴兵審査にしっかりと落ち、大学も当分卒業できる見込みがなくなおかつ彼の事を誰も『友達』とは思っていないと、自身で痛いほど分かっていたため故郷の片田舎に戻ったのであった。思い残すことなど、何一つなかった。彼に「写真を続けたらどうか」という人間など、誰ひとり居なかったのだ。
マイクはため息とともに煙草を吐きだし、吸い殻を踏み潰す。朝の陽ざしだけは平等に誰にでも降り注ぐ。こんな片田舎に一体なんの用事が合って空軍が商談に来るのだろうか。ここ最近の彼の脳味噌はその事で一杯であった。5月に手紙を貰った時は冗談か何かだろうと思っていたが、書類から醸し出される凄まじいまでの真面目さに圧倒されていた。嘘だろう?こんな工場に?書類に記載されている垂直式離陸装置っていったい何だ、下に向いているジェットエンジンの事か?彼の頭を独占している疑問は今日の夕方には解決される。彼はその日の午後に黒ずくめの二人組に出会い、生きた心地もしない目にあわされる。しかしこの出会いこそが、後にジェットパックを代表とする複合巨大兵器企業、フォーチュン社の第一歩になるのであった。