自由
人は生きているうちに、何かをやりはじめ、何かを終わらせることがある。生きているうちに、終わらせることが出来ないことだってぇのは幾らでも、この世になん摩訶不思議と存在する。
生まれたときから人はまず存在を始めているというのは単純にその通りだけど、存在しているうちに、途中下車ではなく、寄り道ではなく、様々なことをやり、やり遂げたりしている。決して、他人の手が加われて遂げているものではなく、自己完結。個人で初めて個人で終了をさせているのだ。
確かに人間は助け合いが必要だ。
1人で生きていくって言う人に対する人は1人では生きていけないって、あれは間接的にな。間接的に手は借りて、個人でヤることが出来ている時点では、借りていないんだよ?
話を戻そう。
人は助け合いってところから。
助け合いは大事さ。
だから助けてもらい、助けてやるのもありだ。
でもでもね?
助けてもらったところで、手を借りたことにはならない。
なるって? そうだね、なるよ?
でもでもね、
それは頼んで、か。または勝手に、か。
どちらにせよ同じさ。
安否を決めるのは相手。
手伝ってあげることを決めたのは相手。
『手伝って』
そう頼んだとして、
『う~ん。いいよ!』
みたいな(何か気持ち悪いな)事があっても、思考を相手が決めたんだよ。
訊いたから、選択肢が登場しただけで、決めるのは相手。無視であってもまた然り。
自然現象に過ぎない出来事であって、貸してきたのは相手であって、頼んでも貸さないって事を決めることが出来るわけでもあって、ね? わかんないね、なんか。
相手が勝手に決めたんだよ、とにかく。
だから独りでに物事が進んだって捉え方だって出来るのさ。さ、さ、さ。
1人が始めたらまた1人、そしてまた1人、そしてまたーー
この繰り返すことはこの世の理。
影響で連鎖する。
協力じゃない。独断だ。
個人が始め、個人から個人へ。個人へ個人へーー
偏ってるよ話!!
まあ良いか。
それが僕の癖だ。
というより、下手なんだよね、僕は。
自分が何話してんのか解らなくなるんだ。