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それはひそかな  作者:
6/8

決意/優しさ

いつもみたいに校門で待っていようかとも考えたけれど、それではいつもと同じような会話だけして終わってしまいそうだから、敢えて違う場所を選んだ。

高架橋の下の河原。塾帰りの彼が通るはずの場所。

京一くんは、覚えてるかな。多分、忘れてるだろうな。

「―・・・由佳」

河原の上に待ち望んでいた、けれど来て欲しくなかった彼の姿を見つけた。

微笑んでみるけれど、ちゃんと笑えているかどうか今は自信がない。

「何でこんな時間にここに?」

「・・・京一くんに、会いたかったから」

ねえ、覚えてる?ここは、あなたが初めて私を好きだって言ってくれた場所なんだよ。

・・・覚えてるわけ、ないよね。あの指環の時より昔・・・今より10年以上も前のことだもの。

おかしいのはきっと、こんな思い出ひとつ忘れることも出来ずに縋っている私。

私は低い土手を登って、京一くんの前を歩き始めた。少し遅れて彼がついて来る。

詳しく理由を尋ねないのは彼の優しさだけれど、戸惑っていることに変わりはないみたいだった。

「ごめんね、ずっと一緒に帰れなくて」

寂しくなかったといえば嘘になるけれど、気持ちを整理する時間が欲しかったから。

・・・言わなくちゃいけないことがある。伝えなくちゃいけない想いがある。

「あのね、京一くん。・・・引っ越すことに、なったの」

「・・・え?」

京一くんの自転車が止まった。

驚いたように見開かれた目、ごめんね、いきなりでびっくりさせちゃったよね。

京一くんはあんまり表情豊かな方ではないけれど、目だけが雄弁にものを語る。そういう小さな癖のひとつひとつが愛しくて、胸が苦しくなる。

「引っ越すってそんな急に・・・何で」

「一月前田舎のお祖母ちゃんが倒れちゃってね、もうすぐ退院するんだけど介護が必要で・・・。こっちの家に引き取ろうって話もあったんだけど、お祖母ちゃんが家を離れたがらないから」

私はまたゆっくりと歩き出した。

「いつ・・・なんだ?」

「11月。まだちょっと先だね」

あと、1ヶ月。ゆっくりと、けれど確実に別れは近付いてくる。

それは京一くん自身との別れであり・・・京一くんへの想いとの、別れ。

小さい頃からずっと胸にあった想いを、大事にしまっていた想いを、そのまま捨てて終わりなんて嫌だった。しまったまま生きていくのも嫌だった。

伝えたい。

この15年間は無駄じゃなかったって、そうやって胸を張れるように。

家の前へ辿り着いて、いつものように別れようとする京一くんを呼び止めた。

想いを伝えるとき、彼はどんな顔をしていた?どんな目で、私を見ていた?

ずっと覚えていられるように、網膜に焼き付けた。あとで綺麗な思い出だったねって思い返すことができるくらいにはっきりと、強く。

私の初恋の証を、刻むために。

「―京一くんが、好きです。ずっと、ずっと前から・・・」

出会ったときからずっと、あなたのことが好きでした。

あなたのことだけ見てきました。

大好きです。多分これからも、嫌いになんてなれない。なるはずない。

「・・・ごめんね、突然。でも、引っ越す前にそれだけは・・・伝えたかったから」

京一くんは何も言わなかった。

分かってる、この想いが報われることは決してないんだって。

きっと何も言わないのが答え。その優しさが今は、痛い。

黙ったまま表情を変えない京一くんに背を向ける。

「・・・ッ」

後ろ手で玄関の扉を閉めて、私はその場に崩れ落ちた。


「・・・よし」

次の朝私はいつもより少しだけ早く起きて、京一くんを待たずに学校へ行った。

今はまだ辛いけど、ちょっとずつ慣れていこう。

明けない夜はないって、いつか読んだ本の主人公が言っていたから。だからきっと大丈夫。

想いを捨てたりはしない。片付けて、それに縋らないようにするだけ。

そのくらい強くなろうって、決めたの。

ううん、そうでも考えていなくちゃこの胸の穴を紛らわしていられないだけ。


「―よう、由佳」

放課後になって校舎を出ると、校門の陰から京一くんが顔を出した。

・・・どうして、居るの。

気持ちに整理をつけるまでは、出来れば会いたくなかった。

でも・・・私はちゃんと分かっていたんだ。京一くんはきっと、返事をくれようとするって。

「・・・覚えてる、か?結婚の約束・・・したよな、昔」

覚えてるよ。忘れた日なんてなかった。

京一くんからの最初で最後のプロポーズを、どうして忘れられるだろう。

あなたにとっては昔でも、私にとっては毎晩夢に見るくらい鮮明な記憶なんだもの。

「なあ、由佳」

京一くんが急に立ち止まった。

私は鞄を持つ手をぎゅっと握り締める。

ああ、これで本当に・・・終わり。

京一くんは、何回も口を開きかけては閉じた。

一生懸命言葉を選んでいるのが伝わってきて、こんなときだけれど私はじんわりと嬉しくなった。

今だけは、私のことだけを一生懸命考えて言葉を選んでくれている。

そういう風にして紡がれる言葉は大抵、彼の本心とは少しずれているのだけれど。それでも優しさに満ちているから、好き。

「・・・嬉しかったよ。由佳が、好きだって言ってくれて」

「・・・そう、かな」

・・・そっか。ちょっとでもそういう風に思ってもらえたなら、あの告白にも意味があったって思える。15年間の想いは無駄じゃなかったって、思える。

「だからもし、良かったら・・・俺と付き合ってくれないか」

―本気で思考回路が止まった。

「・・・どうして」

「どうしてって・・・言われてもな」

京一くんは人差し指で頬を掻く。

だって・・・だって、京一くんは。

―“お前は誰よりも一生懸命やってきたんだから”“俺が見てた。ちゃんと見てたよ、ずっと”

京一くんが、ずっと見ていたのは。

「本当に・・・本当に、私でいいの?」

・・・私じゃ、なかったはずなのに。

京一くんはゆっくりと頷いた。

綾ちゃんのことが好きなんだって、そう思っていたのに。

「・・・そっか」

何も心配する必要なんてなかったんだ。綾ちゃんのことは、ただの私の勘違いで。

「・・・そっかぁ」

よかった。ちゃんと報われた。

久しぶりに、心から笑えた気がした。

▲▲▲

「とうとうくっついたかぁ、って感じだよね」

「あー、それ思った。長かったよね」

「絢南くんは分かんなかったね~。ユカちゃんはもう嫁!って感じだし、でもアヤとも何だかんだ言っていいコンビだったしさ」

「アヤは絢南くんいじり好きだもんね。自分じゃ絶対認めないけど、顔に書いてあるから」

「一緒に居て楽しそうだもん、ホント。絢南くんもそう思ってるかなぁって思ってたんだけど」

「最終的に選んだのは“嫁”だったね」

「やっぱそこは動かなかったんだろうね~」


・・・どういうことだ、それ。

「京一が選んだ?ユカちゃんを?」

それは、つまり。

「二人が、くっついた・・・?」

「―あれ、そんなとこで何してんの梅原?」

気がつくと、さっきまで教室で駄弁(だべ)っていた女子二人組がちょうど出てくるところだった。

「あ、いや・・・そう!キョーイチを待ってんだよ。今職員室行ってんだ」

「何、呼び出し?あーでもあの絢南くんに限ってそれはないか」

「なんか数学で分かんねーとこがあるとかで聞きにいったんだよ」

「わー、相変わらずマジメだね~・・・」

「変わってないわ」

二人で顔を見合わせて苦笑する。

「てかさ、絢南くんなら1組でしょ?何で2組来てんの」

「あれ、そうだっけ?」

「同じクラスでしょー?相変わらずアホだね、アンタ」

「いやぁ~、おかげさまで」

「「褒めてないから」」

二人同時にツッコミが飛んでくる。いいコンビネーションだ。

こいつらは二人一緒なら、京一並みの良いツッコミになれるとオレは踏んでいる。

「んじゃ、教室戻るかぁ。あ、お前ら気ィ付けて帰れよ?」

「まだ5時過ぎでしょ、不審者なんて・・・」

そう言って怪訝そうな顔をするが、

「10分後、オレが全裸でお前らを追いかけるから☆」

ウィンクを飛ばした直後、その場には一迅の風だけが残っていた。

「嘘だろ、あいつら一瞬で逃げやがった・・・」

ほんの冗談のつもりだったんだけどな・・・そんなに信用ないのか、オレ。

「・・・ま、いいや」

今は、確かめなくちゃいけないことがある。


「―まだいたのか」

5分くらいして、京一が戻ってきた。

先に帰っても良かったのに、と問題集を机に置く。

「・・・なあ、京一」

「ん?」

じりじりと、京一との距離を詰めていく。

―“最終的に選んだのは‘嫁’だったね”

「ユカちゃんと付き合い始めたって、本当か?」

京一は戸惑うように動きを止めて、やがて頷いた。

「・・・ああ、そうだよ」

「いつから?」

「・・・一週間くらい、前から」

「そか」

そんなに、前から。何で気付かなかったんだよ、オレ。

「・・・なんで、オレに言わなかった?」

気付いたところで、どうしようもなかったのかもしれないけど。

「なんで言わなかったかって聞いてんだよ!!」

はは、そっか。

オレはずっと、こうしたかったんだ。

「オレが、こうやって怒んのが分かってたからか!?」

優柔不断で、その上頭が固くて、自分の気持ちに蓋をしてしまいがちなこいつにオレはずっとイラついていたんだ。せっかくユカちゃんへの気持ちを抑えているのに、当の本人がこれじゃあ進むものも進まない。

思い通りに動いてくれない、いつも計算を狂わせるこいつが邪魔で仕方なくて。俊輔とは違う意味で、ずっとこいつのことが嫌いだったんだ。

「・・・好きでもないのに付き合ったりすんじゃねえよッ!!そんなの・・・そんなのただユカちゃんを傷つけるだけじゃんか!!」

何でお前は、いつもいつも。

ユカちゃんの想いに応えてやるのが優しさか?本当に?

「冗談だと・・・思ってた」

ぽつりと、京一がそんなことを呟いた。

「お前は、本当に・・・由佳が好きだったんだな」

オレは奴の胸倉から手を離した。

・・・気付かれた。もう全部台無しだ、ぐちゃぐちゃだ。

今までやってきたことは全部・・・無駄。

「・・・なんで・・・ッ、思い通りにならねえんだろうな・・・」

ぐしゃぐしゃ頭を掻き回す。

「お前とユカちゃんが、付き合えばいいと思ってたよ・・・なのに、何で・・・」

実際そういう結末になってみれば、こんなもので。

全然、丸く収まってなんていなくて。

「もう少し、早きゃ良かったのかな・・・?」

せめて、モリの気持ちが動く前にどうにかしなくちゃいけなかった。

モリが京一を好きになっちまった時点で、もう丸く収めるのなんて無理だったんだ。

「どうすれば良かったんだ?何がいけなかったんだ?もう・・・わかんねえよ・・・」

「・・・敦史」

京一が何か言いかける。

黙れ。何も知らない癖に、分かったようなことを言うな。上っ面だけの言葉なんか要らねえ。

「・・・オレは別にさ、付き合うなとか言いたいわけじゃないんだ」

それが一番いいって、そう思ってたさ。でもこんな結末を望んでいたわけじゃなかった。

オレとモリとで京一とユカちゃんを祝福出来るような、そんな終わりを夢見ていたのに。

もっとちゃんと、上手くやる方法なんていくらでもあったはずなのに。

「こんなんじゃ・・・誰の想いも、報われねえ」

モリが好きなのを隠してユカちゃんと付き合う京一。

本当は両想いなのに京一に振られたって思うモリ。

京一がモリを好きなのを隠してるって分かってるユカちゃん。

ユカちゃんが好きなのにそれを言えない・・・オレ。

最悪の終わり。

皆傷付いて、それでもそこから動けない。

全部こいつの所為だ。京一が、オレのやることなすこと全部ブチ壊していく。

「―キョーイチは、ただのニブチンより性質(たち)が悪ぃよ」

「・・・ひどい言いようだな」

京一は苦笑いする。

「だってそうだろ?別に鈍いわけじゃねーのにさ、自分で勝手に違う方向へ捻じ曲げて・・・本ッ当頭カタイっつーか思い込み激しいっつーかさ・・・くそ、全部キョーイチの所為だな、まったく」

ユカちゃんの気持ちも、モリが好きだってことも、ユカちゃんへの想いはそれとは違うってことも、こいつはちゃんと分かっていたのに。変に考え込んで、思い込ませて、結局いつも自分に蓋をする。

「本当、バカだわ。キョーイチも・・・オレも」

そんな度を越えた優柔不断さを測り損ねていた、オレも悪いんだろう。

こいつの“優しさ”は、普通とは質が違うんだ。

「・・・ちょっとさ、怒鳴ったりしていい?」

「さっきまでやってただろ」

「じゃあ、今度は殴る」

「出来れば勘弁願いたいが・・・一発だけなら受けてやる」

「じゃ、遠慮なく」

オレは容赦なく平手打ちを食らわせた。

「・・・なあ、お前が好きなのは誰だ、ユカちゃんか?違うだろ?」

親切っていうのは、普通は自分が出来る範囲でするものだ。でもこいつは、自分を捻じ曲げてでも周りに優しくしようとする。

「お前が好きなのは、森咲綾菜だろうが!!」

迷惑かもしれないって、ユカちゃんへの好意をセーブして。

モリは榊に告られたから、と奴への想いを隠して。

ユカちゃんが好きだと言ってくれたから、それに応えて。

本当の気持ちをどうしてすぐ曲げちまうんだよ、お前は。どうしてそんなに・・・優しいんだよ。

「・・・はは、本当にこりゃあ・・・性質が悪い」

京一が呟いた。

ユカちゃんはきっと、京一のこういうところが好きなんだろう。

オレだって自分の気持ちを隠してるけど、それは優しいからじゃない。周りが“オレ”を理由にして行動することがないように、計算を狂わせないためにやっていることだ。

ユカちゃんが京一の優しさを好きだって言うなら、こんなオレはきっと嫌われる。

京一と居るとそれをはっきり突きつけられるようで、だからこんなにもムカつくんだ。

オレはぐんっ、と伸びをした。

「あー殴ったらスッキリした!・・・まあ、色々考えるとは思うけどさ、その上でユカちゃんと付き合うってんなら別に止めないし、それで本当に好きになれたらその方がユカちゃんも幸せだろ。オレはユカちゃんがハッピーならそれでいいのです、ぶい!」

両手でピースサインをかます。

京一は呆気に取られたような顔をして、やがて苦笑した。

本当は違うんだ。本当は、みんなハッピーになれたらいいって思ってる。京一だって同じだ。

でもそんなこと口には出さない。オレは優しくなんてないからさ。

「足したらダブル!ダブルハッピー!」

人差し指の先をくっつけてWの字を作って・・・ああ、くそ。

これじゃ、幸せになれるのは人差し指だけじゃねーか。くっついていない中指2本は―オレとモリは、京一とユカちゃんを見ていることしか出来ない。

教室を出ても、オレは立ち止まらずに歩き続けた。


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