親友/後には、引けない
「―ごめんねぇ、由佳」
「ううん。気にしなくていいよ、お祖母ちゃん」
夏の終わりに倒れて以来、右半身が不自由になってしまったお祖母ちゃん。
こっちの家で一緒に暮らそうと私たちは言ったけれど、お祖母ちゃんは首を縦に振らなかった。
「この家には、お祖父ちゃんとの想い出がいっぱい詰まっているから」
「・・・うん」
1年前に病気で亡くなったお祖父ちゃんとお祖母ちゃんはとても仲が良かったから、その思い出の場所を捨てられない気持ちは痛いほど分かって。
そもそも、ずっと元気だったお祖母ちゃんが突然倒れたのはきっと・・・「後を追うように」というのはよくある話だから。
もう長くない、とお医者さんにも言われた。私たちから見てもそれは明らかだったので、無理な治療はせずに退院させてあげることになった。
こっちへ来られないなら、私たちが行くしかない。少なくともお母さんはそうしたがっていたし、お父さんもそれに合わせて行動出来るだけの準備は始めているみたいだった。私だって今はお祖母ちゃんのそばに居てあげたかった。・・・でも。
「どうする、姉貴?」
「・・・うん」
引っ越してしまえば京一くんに会えなくなる。このまま、終わり。
「・・・ユキくんはどうするの、カナちゃんのこと」
「元々中学は離れる予定だったしな、別に変わんねーよ。メールくらいは出来るし」
それがユキくんの強がりなのか、付き合っているからこその余裕なのか、私には分からない。
お母さんだけ向こうに行くとか、そういう話もあったけれど、私たちは結局付いていくことに決めた。この機会を逃したら多分、お祖母ちゃんとはそれっきりになってしまうだろうから。
「・・・あと、1ヵ月しかねえぞ」
ユキくんが念を押すように言う。
「・・・分かってる」
京一くんとも綾ちゃんとも、ここしばらくまともに話せてない。特に綾ちゃんとは。
京一くんのことは大好き。でもそれと同じくらいに、綾ちゃんのことも大事で。
「・・・どうしたら、いいんだろうね」
だからこそ私は途方に暮れる。
綾ちゃんは、出会った頃はただ眩しいだけの存在だった。
明るくて、活発で、スポーツが得意で・・・私にないものを沢山持っていたから。
だから、そんな綾ちゃんを図書室で見かけたときは本当にびっくりした。
「森咲さん・・・?」
「へ?ってなんだ、ユカちゃんか。何?」
「いや、何っていうか・・・あ、それ」
私は彼女の読んでいる本の表紙に目を留めた。
「これ?なんかたまたま目に入ったから久し振りに読みたくなってさ。もしかして好き?」
「うん、そのシリーズは全部好きなの」
「あたしも」
ちょっと話すと、今まで読書暦がわりと被っているらしいことが分かった。
同じ本を読んでいても視点が少しズレている、それが結構面白くて。
「なんだ、もっと早く話してたらよかったな」
「・・・ごめん、本とかあんまり読まない人だと思ってたから」
ああ・・・と綾ちゃんは頬を掻く。
「やっぱそう思われてんだ・・・なんとなくそんな気はしてたんだけど」
「だって、今まで一度も図書室で会ったことなかったし」
そう言うと綾ちゃんは頷いた。
「あたしん家図書館の近くだからさ、こっちは使ってないんだ。一回くらい見てみようかと思って来たんだけど、案外広くてびっくりした」
「児童書だけなら図書館とあんまり変わらないくらいは入ってるんじゃないかな。利用者も少ないから貸し出されてることもあんまりないしね」
「なるほど、穴場ってわけだ。確かにこの本、図書館じゃ人気で滅多に見かけないからな・・・」
なんとなく、だけど。彼女とはすごく仲良くなれる気がした。
「ねえ、もし良かったらもうちょっと話さない?・・・森咲さん」
「綾菜でいーよ。なんだったらモリでもいいし」
うーん、せっかくだから皆とは違うあだ名で呼びたい。でもあやなじゃ京一くんと同じだし・・・。
「―“綾ちゃん”でどうかな?」
「うん?じゃあそれでいいや。―よろしくな、ユカ」
綾ちゃんはそう言ってにっ、と笑った。
午前中に二人で図書館へ行って、そのまま綾ちゃんの家でお昼をご馳走になることにした。
「ちょっと待ってろよー、すぐ出来るから」
エプロンのひもを後ろで結びながら、綾ちゃんはキッチンへ向かう。
「何か手伝う?」
「あー、じゃあコロに餌やってくれるか?そこにある緑の袋のやつ」
「分かった。お皿はこれでいいんだよね?」
「そうそう」
庭に面した窓を開けて、五月の暖かい風を受け止める。
ワン、と一声吼えて、コロちゃんがすぐさま駆け寄ってきた。
「わあ、大きくなったね・・・。あんなにちっちゃかったのに」
出会ったときはまだ子犬だったけれど、今はもう私の腰くらいまである。もう結構お爺ちゃんなんだっけ?お皿に鼻先を埋めて一心不乱に餌を食べる仕草は、出会った頃と何も変わらないのにね。
「おいしかった?」
食べ終わって満足げなその頭を撫でると、昔と同じように大きく尻尾を振って応えてくれた。
「―いただきます」
「おう、遠慮せず食べろよ」
「今日もおいしそうねえ、綾菜ちゃん」
綾ちゃんのお祖母ちゃんと三人で食卓を囲む。
お父さんとお母さんは共働きで帰りも遅いので、ほとんどお祖母ちゃんに育てられたようなものだって綾ちゃんは言っていた。
その影響もあるんだろうけど、綾ちゃんって結構器用なんだよね・・・。同じ15歳とは思えないくらい料理が上手いし、裁縫も得意だし。要領の悪い私とは違って、いいお嫁さんになりそうだなぁ。
私も練習はしてるんだけど、綾ちゃんくらいのレベルになるのはいつの日か。最近お菓子ばっかり作ってる気がするし・・・。うう、気をつけないとまた太っちゃう。
ご馳走になったあとは、庭でコロちゃんとサッカーをして遊んだ。
私はほとんど見てるだけだったけど、元気に走り回っているのを見てるだけでも結構楽しい。
「ユカは聖陽に行くんだっけか」
ちょっと休憩、と隣に腰掛けて綾ちゃんが言った。
「うん。綾ちゃんは?」
「あたしはサッカーが出来れば別にどこでもいいかなぁ」
「洸琳高校、だったっけ?女子サッカー強いのって」
確か京一くんが優勝争いの常連校だとか言っていたような。
「そうだな。スポーツ特待とかやってるみたいだし」
「今年は綾ちゃんもスカウトされるんじゃない?」
「あたしが?うーん、どうだろな・・・何せ公式戦出てねーしな」
ああ、そっか・・・。確かに実績がないと、たとえ実力があっても注目されにくいかもしれない。
「てか聖陽も最近強いじゃん」
「え、そうなの?」
「去年は準決勝まで残ってたぞ。なんかじわじわと実力をつけてるみたいでさ」
「へえ・・・」
あれ、じゃあもしかして。
「聖陽を受けることも考えてるの?」
「まだ分かんねーけどな。けどまあ、注目校だよ」
そっか・・・もし一緒に通えたら、嬉しいな。
「まあ、まだ先のことだし。今は楽しもうぜ、最後の一年をさ」
それが、今年のゴールデンウィークに交わした会話。
大事な友達が、それと同じくらい大事な人のことを好きになってしまった。そして多分、彼も綾ちゃんのことが好き。
引っ越してしまう前にこの気持ちを伝えたいけれど。
返事の分かっている告白なんて、してどうなるっていうんだろう。ただ余計に傷付くだけなんじゃないの?
「・・・でも」
15年間京一くんを好きだった私を、ウソには出来ない。どこかでケリをつけなくちゃいけない。
私は一つ深呼吸をして、そして決めた。
「―しよう」
私のこの想いを、清算するための告白を。
それで振られるなら構わない。想いを伝えられないよりよっぽどいい。
脳裏をよぎるのは彼女の顔。
「・・・ごめんね、綾ちゃん」
でも、許して。想いを伝えたいだけだから。これできっぱり諦めるから。
多分ものすごく時間はかかるけど・・・でも、頑張ってみるから。
▲▲▲
オレの親友と呼べるヤツは、もしかしたらこいつなのかもしれないと思うときがある。
「敦兄、お久し振りっす」
「おーう久し振り・・・って一昨日も会っただろーが、ユーキ」
「そーでしたっけ?まあ細かいことはいいじゃないですか」
「全っ然良くないよ!?オレの存在忘れるとかどんだけ記憶レスだよお前は」
城夜勇生。愛しのユカちゃんの弟君である。
なんだかんだでこいつとは結構馬が合って、オレが中学に上がってからも週に一度くらいのペースで顔を合わせるような仲だ。家はそんなに近くないのに、だぜ。
「まーた姉貴のストーカーっすか?いい加減嫌われますよ、敦兄」
・・・バレてました。
うん、まあよく会うってことはオレが頻繁にここへ来てるってことで、それは必ずしも京一やユーキ目当てじゃなかったり。
「ストーカーじゃねーし、情報収集だし」
「とか言いつつ携帯の隠しフォルダは姉貴で一杯なんすよね」
「・・・一杯じゃねえもん、ほんの2GBだもん」
「結構な量じゃないっすか・・・?」
若干引いた様子のユーキに、オレは抗議の声を上げてみせる。
「・・・いーじゃんかよ、写真くらいさ。オレの手に入れられるのはそのくらいしかねえし」
あいつには勿体無いくらいのいい子を、譲ってやるんだから。写真くらい後生大事に持ってたっていいだろ?
「・・・敦兄」
「んー?」
「やっぱり、京兄じゃねーとダメっすかね?」
「何が?」
「確かに姉貴は京兄が好きで、それは分かりますけど・・・敦兄が諦める理由にはならねーと思うんすよ、おれは」
「・・・何が言いたい?」
「・・・姉貴には京兄より、敦兄の方がいいと思うっすよ。姉貴の小さな努力を、ちゃんと分かってやれる敦兄の方が」
ユカちゃんの努力を誰よりも近くで見てきたユーキだからこそそう思うんだろう。早くそれが報われて欲しいって。
「それに“丸く収める”ってんなら、京兄とモリ姉、姉貴と敦兄でくっつけば・・・」
けどな、ユーキ。
「オレはさ、ずっと前に誓ったんだよ。絶対ユカちゃんを幸せにするって」
初恋の男と結ばれるのが一番幸せだ。失恋の痛みを、オレのこの胸の痛みを一度も経験しないということだから。だからオレはこの想いを隠し通すって決めたんだ。
「・・・頼むからさ」
ちらつかせないでくれ、そんなものを。
オレの方がユカちゃんを幸せに出来るって、そんなことを信じてしまった瞬間に隠している意味は消え去る。オレの想いは彼女にダダ漏れになってしまう。そんなことにはしたくない。
初めて想いを伝えたときみたいな、あんな顔はもう見たくないんだ。
「今まで通りフォローよろしくな」
「・・・でも」
「ユーキ」
「・・・わかった」
ユーキは渋々といった様子で頷いた。
悪いな、ユーキ。でももう、後には引けねえんだよ。