神様は時々、とても意地悪で/俊輔の想い
八月の終わりには、近くの神社でお祭りがある。
毎年京一くんとユキくんと三人で行くけれど、今年も一緒に行けるかな?
京一くんは綾ちゃんと二人で行きたいって思ってるかもしれない。もしかしたら、もう約束とかしちゃってるかも。
そんな嫌な考えが頭を占めるけれど、でも頑張らなくちゃ。一年に一度、浴衣姿を京一くんに見てもらえる日なんだもの。
「どうしよう、どれ着て行こう・・・」
七月ごろにはもう、お祖母ちゃんが仕立ててくれた浴衣が届いていた。昔着ていたものを、サイズを直して送ってくれたみたい。でもとてもお下がりとは思えないくらい綺麗な浴衣だった。
問題なのは、それが三色あったこと。
白と、黒と、ピンク。
「黒いのも紫陽花柄で綺麗だけど、でもこの白の朝顔も可愛いよね・・・」
せっかく京一くんをお祭りに誘えたのに、これじゃ時間に間に合わないよ・・・。
「まだやってんの、姉貴?」
「きゃあッ、ちょっとユキくん勝手に入ってこないで!」
不意に後ろから降ってきた声に、私は悲鳴を上げる。
「ノックしたっつの。てか姉貴の裸なんか見ても嬉しくともなんともねーし」
・・・それはそれでなんだか複雑な気もするけど、まあその通りです。
とその時、ピンポーン、とインターホンが鳴った。
「ほら来ちまったぞ。京兄はいっつも早めに来るんだからそれを計算して準備しとけよな、全く」
「うう、まだ決めてない・・・」
ユキくんがはあ、と溜息をついた。
「・・・ピンクがいいんじゃねーの?」
「えっ、そう?」
「どれが可愛いかじゃなくて、どれが似合うかを考えろよ。姉貴が着て一番映えるのはそれじゃねーの、多分」
「あ、ありがとうユキくん!」
「いいから早く着替えろよ、京兄にはおれが言っとく」
ドアを閉める直前、ユキくんがにやりと笑った。
「頑張れよ、姉貴?」
「え?う、うん・・・」
何を、と言う前にドアは閉まった。
・・・もう、ユキくんのバカ。
「・・・二人きりだな」
「えっ?あ、うん、そうだね・・・」
私は咄嗟に俯く。多分、顔は真っ赤。
二人きりにしてくれたのは嬉しいけど、もうちょっと心の準備とかそういうのをさせて欲しかったかも・・・。
ああ、いつもの登下校と同じはずなのに、なんだか緊張してしまって何も話せない。
京一くんもずっと黙って歩いている。横目でちらりと見上げた瞬間、暑いからか横顔を汗がつたって、それにどうしてかきゅんとしてしまってまた俯く。
・・・手、繋げないかな。
そんなことを思ったからか、右手が京一くんの左手に触れてしまった。
誤魔化すようにその右手で屋台を指さす。
「な、何か食べるもの買ってこようか」
ああ、勿体無い・・・私の意気地なし。
「たこ焼きでいい?」
適当に目に入ったものを選んだけれど、京一くんは頷いてくれた。
「俺が行くよ。ここで待ってて」
「うん、ありがとう」
京一くんが屋台へ向かっていくのを見送って、私は溜息をつく。
せっかくユキくんが気を利かせてくれたのに、これじゃいつもと何も変わらないよ・・・。
独り肩を落としているとどん、と背中に誰かがぶつかった。バランスを崩した拍子に他の人にもぶつかってしまう。
「こら、そんなとこつっ立ってんなよ」
「ごめんなさい・・・」
「ちょっと、何すんのよ」
「あ、すみません」
気付いたときには遅かった。
「―あれ、ここどこ・・・?」
周りを見回してみても、さっきのたこ焼きの屋台が全然見つからない。
「どうしよう、はぐれちゃった・・・」
京一くん、今頃途方にくれてるかもしれない。悪いことしちゃったな、と思いつつ、とりあえずさっきの方向へ戻ってみる。
「ああ、やっぱり・・・」
人ごみをぬってやっとたこ焼き屋台を見つけたときには、京一くんの姿はなかった。
きっと探しに行っちゃったんだ。
「あれ?あれは・・・」
京一くんを探して見回した先に、見知った顔を見つけた。
「あ、ユキくーん!」
「げ、姉貴!?」
声をかけると顔の引きつったユキくんと、隣に居るのは・・・女の子?
なるほど、そういうことだったのね。
「珍しく気を利かせたと思ったら・・・デートならデートって言えばよかったのに」
「ばッ!?ちげーよ、そんなんじゃ・・・」
大きなお祭りだからまさか出くわすなんて思わなかったんだろうな。
「どしたの、ユーキ?・・・ってあれ、もしかしてお姉さんですか?」
女の子の方もこちらに気がついた。
「初めまして。勇生くんのクラスメイトの、水野カナです」
「姉の由佳です。いつもうちのユキくんがお世話に・・・」
「って何勝手に挨拶始めてんだよお前らは!」
「なによ、挨拶しなきゃ失礼でしょ?・・・彼女なんだし」
カナちゃんがボソッと呟く。あ、やっぱりそうなんだ。
「おまッ、それ言うなって・・・!」
「何でそんなに恥ずかしがるの、ユキくん?別に私は何も言わないよ」
「恥ずかしいとかそういう問題じゃ・・・!」
ああくそ、とユキくんは頭を掻き毟るけれど、カナちゃんはもう、と呆れたように溜息をついた。
「つまんない意地張んないでよ。・・・それとも、あたしが彼女じゃ嫌?」
「いや、別にそういうわけじゃねえけど・・・」
「じゃ、いいでしょ?」
カナちゃんは微笑んだ。
ああ、いい子だな。ユキくんのこと、ちゃんと分かってくれてるみたい。
女の子扱いされるのが嫌で、わざとぶっきらぼうな喋り方をしたり時々変な意地を張ったりするけれどユキくんは、本当はとても優しい子。
素直じゃない言葉の裏にある本当の気持ちを分かってくれる、そういう友達が出来ればいいなって思っていたけれど。
「いい彼女が出来てよかったね、ユキくん」
よかった、こんな子が居てくれるなら安心だ。
「そ、そんなこと・・・」
カナちゃんは顔を真っ赤にして俯いて、
「うっせーよ」
ユキくんはそう言い捨ててカナちゃんの手をとった。
「・・・てか、姉貴京兄とはぐれただろ?さっき境内の方へ走ってったから、早く行けよ」
「えっ、本当!?ありがとうユキくん。カナちゃん、大事にするんだよ」
「余計なお世話だっつの。・・・言われなくてもそうする」
「えっ、ユーキ今何て言った?」
「なんでもねーよ、行くぞ」
「あ、ちょっと待ってよユーキ!」
二人の声を背に、私は境内へと走り出した。
ユキくんの言った通り、京一くんの姿を見つけた。
「京一く・・・」
「京!」
石段を駆け上がって来たのは綾ちゃんだった。
「居たか!?」
「・・・いや」
どうやら、綾ちゃんも私のことを一緒に探してくれていたみたい。
綾ちゃん、黒い浴衣着てきたんだ・・・やっぱり綺麗だなあ、すごく似合ってるし。あの色を選ばなくてよかった、と私は淡いピンクの浴衣を見下ろした。
京一くんがいったんその場を離れて、すぐにラムネを持って戻ってくる。
なんとなく物陰に身を隠して、そのまま二人の様子をうかがった。
「―総体、出たかったな」
綾ちゃんが呟いて、京一くんは怪訝そうな顔を向ける。
「あたしが出てたらどうなってただろうって、考えずにはいられなくて」
女の子だから。そんな理不尽な理由で、総体に出られなかった綾ちゃん。
一生懸命頑張っていても、それが認められるとは限らないんだってことを知った。
・・・それが、他人事じゃないってことも。
「・・・あたしが出たところで、何も変わんなかったかもしれないけどな」
それは、綾ちゃんが初めて漏らした弱音。私の前では明るい顔をして、決して吐かなかったのに。
「・・・お前が出てたら、もっと上へ行けたよ」
「いーよ、そんな気とか遣わなくても」
「そんなんじゃねえよ」
きっと京一くんの前だから、こんな弱音を吐けるんだよね。人に頼られることが多い綾ちゃんが頼るのは、いつだって京一くんだったもの。それだけ、信頼してるってことなんだろう。
京一くんは俯く綾ちゃんの前に立って、頭に手を乗せる。
「お前は誰よりも一生懸命やってきたんだから」
「そんなもん、誰も認めてなんか・・・!」
「俺が見てた。ちゃんと見てたよ、ずっと」
ぽたり、ぽたりと石段に雫が落ちるのはラムネの所為だけではなくて。
辛い時でも歯を食いしばって堪えて、なんでもない顔で笑ってみせる。綾ちゃんはそういう強い人。
表に出てくることのない綾ちゃんの弱さを分かっていても、私にはどうすることも出来ない。けれど京一くんならそれを引き出して、支えてあげられる。それは、京一くんが誰より優しいから。
京一くんが背を向けた隙に、綾ちゃんが慌てて目元を拭うのが分かった。
「―由佳、探しに行くか」
「・・・うん」
「ひと回りしても見つからなかったら、もう帰ろう」
そう言って京一くんは、
「ッ・・・!」
声を上げそうになった口を押さえる。
ぱっと綾ちゃんが京一くんの横顔を見上げて、その瞬間花火が上がって。
手を繋いだまま石段を降りていく二人に背を向けて、私はそのまま地面へへたり込んだ。
・・・神様は時々、とても意地悪だ。
気付かなければ、想い続けられたかもしれないのに。
「・・・ッ」
見てしまった。花火が上がった瞬間、確かに赤く染まっていた綾ちゃんの頬を。揺れた瞳を。
見たくなかった。こんな、こんな、
―自分が失恋する瞬間なんて。
残酷すぎるよ、と呟いた声は震えていた。
口元を両手で覆って、それでも漏れる嗚咽を堪えて。
私は、十五年間温めつづけた恋が、終わりを告げたことを知った。
お祖母ちゃんが倒れた、という知らせが入ったのは、それから三日後のことだった。
▲▲▲
新学期が始まってすぐ、夏休みの間何かが起こったに違いないとオレは勘付いた。
何だか沈み込んだ様子のユカちゃん、妙に京一から距離を置くモリ。
喧嘩か、と一瞬疑って京一の方もそれを心配していたみたいだったが、どうもそうではなさそうだ。
モリは明らかにユカちゃんを避けていたが、ユカちゃんの方にはそういう素振りがなかったからだ。
ユカちゃんが無意識のうちにモリを傷付けたというよりは、モリがユカちゃんに対して何かうしろめたいことを持っていると考えたほうがしっくりくる。
「・・・京一絡みなんだろうな、こりゃあ」
モリを問いただしてもきっと何も言わないだろう。となれば自分でどうにか探るしかない、けどさ。
「・・・なんか知ってんだろ、シュンちゃん?」
こういうとき一番頼りになる情報源。悔しいけどそれは俊輔だった。
興味なんてなさそうなのに学校中の情報を掴んでやがるんだ、こいつは。多分自分の席に座ってゲームをしながらクラス全体の会話を把握するっていうような、人間離れした芸当でも持ってんだろうな。
その上実はものすごく口が軽いってのは、この学校じゃ多分オレと京一しか知らない。
「・・・それを聞いてどうする」
何のことを聞いているのかは分かっているらしい。・・・相変わらずムカつく奴。
「んー、べっつにぃ~?シュンちゃんなら知ってるかなって思ってさ」
どうせ、オレのやろうとしてることも分かってんだろ?だったら聞くなよ。
「・・・絢南が」
やや間を置いてから、俊輔は口を開く。
「・・・絢南がモリと手を繋いだ。城夜はそれを見ていた」
オレは絶句した。
「モリは後ろめたく思っている。そしてここ数日の城夜の態度から、そのことを既に知られているという確信を持ちつつある」
―“一番その場が丸く収まるように。あるいは、後々にとって良く運ぶように”
「・・・こんなの」
どうしろっていうんだ、一体。
いや・・・分かってる。一番いいのは両想いの京一とモリをくっつけることだ。
だが、それはつまり。
「このままじゃ、ユカちゃんが・・・」
十五年も温め続けたユカちゃんの想いはどうなる。切り捨てるって言うのか、丸く収めるために。
「―梅原」
唐突に、俊輔がオレの名前を呼んだ。
「・・・何だよ?」
俊輔はゲームから顔を上げて、じっとオレを見据えていた。
「・・・お前がやっているのは、そういうことだ」
「ッ・・・!」
全身の血が沸騰するのを、オレはどこか遠くから眺めていた。
怒りに任せて奴の胸倉を掴む。
「じゃあ・・・じゃあどうしろってんだよ!?」
返ってくるのは冷めた視線だけで、奴はまた何も言わない。
「そんな風に言うんだったら、お前がどうにかしろよ!!」
何もする気がないくせに、オレにだけ思わせぶりなこといいやがって。
「・・・幸せになる奴がいれば、その陰で傷付く奴がいる」
少し間を置いて、ボソッと俊輔が呟いた。
「・・・あ?」
「・・・それは、他人が操作していいものじゃないはずだ」
オレは掴む手を少し緩める。
「人質10人のうち生贄を1人差し出せば残りの9人を助けられるとして、お前は人質一人一人の経歴や家族関係を考え、最も殺すのに都合のいい生贄を選び出す。10人が何を思っているか勝手に察した気になって。残った9人の中には自分が生贄になってもいいと思うやつがいたかもしれない。あるいは、しばらく堪えれば警察が来て人質全てを救えたのかもしれない。何にせよ―」
俊輔はオレの手を掴んだ。
「―お前は“死んでもいい奴”を決めるのと同じように、“傷付けてもいい奴”を一方的に選別しているだけだ」
「・・・そんなこと」
「城夜でなかったなら、お前は迷わず傷付ける方を選ぶんだろう?」
・・・そうだよ。そんなの当たり前だろうが。
どうしたってオレには、ユカちゃんが一番大事なんだ。
「・・・シュンちゃんはさ」
ムカつくのは多分、こいつの考えが読めないから。
考えを読みたいのはきっと、その目にオレがどう映っているのか知りたいから。
「オレのこと、馬鹿みたいだって思ってんだろ?」
他人の事情に踏み込んで、勝手に掻き回して、その上傷付く人間を減らしただけで場を収めた気になって。そんな、神様気取りのオレのことを。
そうさ、オレは神様になりたかったんだ。
周りの人間のことを全部把握して、思い通りに動かせるようになりたかったんだ。
姉ちゃんみたいにうわべの空気だけ和ませるんじゃなく、根本から変えたかったんだ。
「なあシュンちゃん、教えてくれよ・・・」
関係が壊れてしまう前に、少しでも出来ることをしたかったんだ。
「・・・お前は」
俊輔が口を開く。オレは驚いて胸倉を掴んでいた手を離した。
「お前は、道化を演じてはいるが馬鹿じゃない」
半ば独り言のように言った台詞なのに、答えが返ってくるなんて思ってなかった。
「最善を尽くすのは悪いことじゃない。だが他人がどれだけ干渉しようとも動かせない想いはある」
動かせない想い。
それはユカちゃんが京一を想う気持ちだったり、京一がモリを想う気持ちであったり。
どんなにオレが手を尽くしても、その想いは変えられない。なかったことには出来ない。
「お前はそれをちゃんと分かっている。分かっているのに干渉を繰り返す」
・・・そっか。
そこがオレとこいつの、決定的な違いなんだ。
「・・・オレは、諦めが悪いんだよ」
だからユカちゃんへの想いを捨てきれないし、いまだに親父と兄ちゃんのことを引きずっている。
「・・・俺だって、諦めは悪いさ」
「え?」
ボソッと呟いて、背を向ける。
「ただ、お前みたいにそれが全方向に向かないだけだ」
それだけ言って、俊輔は部室を出て行った。
諦められないたった一つのものを、俊輔は持っているのかもしれない。
「・・・はは」
それはムカつくあいつが見せた、ずっと読めなかった心の片鱗。
―なんだか、少しだけ胸がスカッとした。