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それはひそかな  作者: 鮃
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ひそかな想い

「きっとどこかに」の続編です。前作を読まれることを強くおすすめします。

―ごく普通の日常を送るには、それ相応の努力が必要で。


それはひそかな


物心つく前から、彼は傍にいた。

私と彼のお母さんは聖陽学園で六年間一緒に過ごした親友同士で、お腹に私のいるお母さんたち夫婦がここへ引っ越してきたとき、偶然向かいの家に住んでいた彼の一家と再会したんだそうだ。

半年ほどして彼―京一くんが生まれ、一月ほど後に私が生まれた。

住宅街とはいえ近所に年の近い子供はいなくて、私たちの世界は常に二人で完結していた。だから、なのかもしれない。

―おおきくなったら、“けっこん”しようね。

大きくなってその年齢に達したら、私たちは結婚する。それはとても自然なことのように思えた。

「・・・私しか、いなかったんだもんね」

他に選択肢がなくて、だからこそ成立した約束。そうでなければ、京一くんが私を選んでくれることなんて一生なかったんだろう。


けたたましいベルが鳴った。

枕元には目覚まし時計がふたつ。机の上にもうひとつ。

少し離れたところに置いておけば、それを止めるためにベッドから起き上がるしかない。朝ちゃんと起きられるようになるために、昔必死に考えたっけ。

でも、不思議。この方法を使ってもいつもは絶対に起きられないのに、京一くんに会えるって思ったらちょっと頑張れるんだ。

「・・・すごいなあ、京一くん」

いつもいつも、私に勇気をくれる人。憧れの人。

昔からずっと大好きな、優しい人。


鞄を提げて、玄関に耳を当てる。

今日はサッカー部の朝練がないはずだから、こうして待っていれば京一くんに会えるはず。

「―姉貴、邪魔なんだけど」

不意に後ろから声が掛かった。

「ユキくん!?もう、いきなり声かけないでよ」

「ンなとこ突っ立ってる姉貴が悪い。まったく、毎回そんなことしてんなら自分から迎えに行けばいいだろ?」

「そんなこと言ったって・・・」

私は鞄を持つ手にぎゅっと力を込める。

「そんなことして、もし気付かれちゃったら・・・」

想いが伝われば当然、それに対する返事も返ってくるということ。京一くんは多分、真剣に考えて答を出してくれると思う。

・・・でも、その結果ダメだったら?振られちゃったら?

幸せな想像は楽しいけれど、残酷だから。現実で打ちのめされるくらいなら、なるべく悪い想像をしておいた方がいい。だって、少なくともそれ以上悪くはならないってことでしょう?

溜息が聞こえた。

「姉貴って本当マイナス思考だよな。・・・時々うざったいくらい」

そう言って目を眇めると、ユキくんは私の横をすり抜けて玄関から出て行った。

「・・・そんなにだめなのかな、私」

京一くんのために頑張ったことはたくさんある。けれどそれは、嫌われたくないっていうマイナスな思考から生まれた努力でもあって。

ユキくんはそういうのが嫌いみたい。

『上を目指すために頑張るんだろ、普通は。下へ落ちないために頑張るのなんか努力のピラミッドの底辺でしかねーし』

嫌われないためじゃなく振り向かせるために努力してみろ、そうユキくんは言うけれど。

「京一くんは、どんな女の子が好きなのかな・・・?」

私には、それが分からないんだもの。

待ちわびた音がドアの向こうから響いて、私は笑顔を浮かべて玄関を出た。

「あ、おはよう京一くん―」

▲▲▲

どんなときでも空気を読んで立ち回るようになったのは、いつからだろう。

多分、まだ兄ちゃんが家に居たころだと思う。

「お前にそんな仕事出来るわけがないだろう!」

「やりもしないでそんなこと分かるかよ!」

医者になりたい、って医学部を志望した兄ちゃんは、親父の猛反対を受けていた。親父が反対するのも無理なかった。だって兄ちゃんは偏差値37の高校の中でも後ろから数えた方が早いくらい、頭が悪かったから。ま、オレも似たようなもんだけどさ。

「父ちゃん、兄ちゃん、何でそんなに怒ってんだよー?」

進路のことなんか小一のオレに分かるはずもなくて、そうやって尋ねるたびにオレは一蹴された。

「うるさい、黙ってろ!」

「アツシにはわかんねーよ、すっこんでろ!」

泣きそうになるオレを宥めてくれるのはいつも姉ちゃんだった。

「ごめんねアツシ、そうだよね、どうしてケンカしてるんだろうね」

オレの味方であり、けれど親父や兄ちゃんの味方でもあった姉ちゃん。母さんは黙って親父の味方をしていた。

姉ちゃんは多分、優しすぎたんだ。皆の味方でありたいと願い、けれどそれは叶わない。

介護の道を志した姉ちゃんは三年前家を出て、今東京の大学へ通っている。

兄ちゃんは・・・黙って家を出て、それっきりだ。どこに居るのかも分からない。

オレは、姉ちゃんみたいになりたくないのかもしれない。皆の顔色を伺って曖昧に笑ってるだけじゃ、意味はないんだと気付いたから。

そう、多分そのときからだ。オレは所謂“お笑い野郎”になった。空気を読み、一番その場が丸く収まるように―あるいは、後々にとって良く運ぶように動くこと。状況に合わせるんじゃなく、状況を変えてやるんだ。それがオレのモットーみたいなものになった。

それさえやっていれば上手くいくと、本気で思ってたんだ。


文字というやつが大嫌いなオレが、小学校の頃図書室に通い詰めていたのには理由がある。

そりゃあもちろん・・・分かるだろ?ユカちゃんが居たからさ。

一目惚れってやつが本当にあるんだってことを知ったのは小一の時。廊下でふざけてたら背中に何かがぶつかった感触があって、慌てて振り返ったらすっげえ可愛い女の子が倒れてたんだ。

肌が白くて、髪なんかふわふわしてすごく柔らかそうで。それから人形みたいに長いまつ毛と、濡れたように潤んだ瞳。

すげえ長い一瞬って、きっとこういうことを言うんだぜ?なんだっけ、せつ・・・な?

その子は泣きもしないで、ただびっくりしたようにオレを見上げてた。オレの方もその顔に見とれてたもんだから、何とも言えない間が空いちまったわけだ。

やべ、謝らなくちゃ、と思ったときにはもう結構な時間が経ってて、何か今謝んのも変な感じだよな、とかいろいろ考えちまって。

気付いたら、その子は居なくなってた。周りを見回しても全然見当たらねえ。仕方なくオレは諦めて、そのままその場を離れたんだけど。

一週間くらい後かな、また偶然その子を見つけたんだ。放課後に教室から出て行くとこでさ、でも帰るわけじゃないみたいでランドセルは背負ってなかった。オレはなんとなく、本当になんとなくその後を追ったんだ。

辿り着いたらもう唖然、だぜ。出来ることなら一生近付きたくなかった図書室の前だったんだ。でもまあ、なんか納得だったよ。ユカちゃん、いかにも本が好きそうなおとなしい雰囲気だったしさ。

嫌悪感で汗が噴き出しそうになるのを堪えて、オレは図書室に足を踏み入れた。踏み入れた瞬間―ユカちゃんと目が合った。

オレは突然一週間前のことを思い出して、謝らなくちゃって思ったんだ。でも図書室って環境の所為もあるのか、結局何も言えなくてさ。ずっと黙って見つめ合ってた。

沈黙を破ったのはユカちゃんだった。本が好きなの?って聞いてきたんだ。向こうからしたらただの世間話みたいなノリで、間を繋ぐために聞いたんだろうけど、でも余裕のなかったオレは正直にこう答えちまったんだ。本なんか嫌いだ、ってさ。

心底不思議そうな顔でユカちゃんは首を傾げた。じゃあどうしてここに居るの?って。

・・・ごもっとも。オレも来たくて来たわけじゃねーんだけどな。

やっと余裕の出てきたオレは知った風な口で、苦手は克服するためにあるもんだ、とかなんとか適当なことをぬかした。

でも、そんな適当な台詞にユカちゃんは目を輝かせた。偶然にもその台詞は、ユカちゃんが大好きな本の主人公が言っていた台詞だったらしい。オレはへえ、としか思わなかったけど。

でも、楽しそうにその本のことを話すユカちゃんを見てたらなんかこう・・・いいなって思っちまったんだ。一目惚れがマジ惚れに変わった瞬間ってやつさ。


話しててすぐに、分かったことがあった。

ユカちゃんはキョーイチくん、とやらが大好きらしい。幼いながらも嫉妬心が芽生えたオレはキョーイチくんに近付いた。

・・・特にいいところがあるとは思えなかった。ユカちゃんは真面目で~背が高くて~カッコよくて~頭が良くって~頼りになって~なんて惚気ていたが、話してみると別にそんなこともない。

真面目、というよりは堅物というべき部類だし、背はオレと大して変わらない。ただユカちゃんが小柄なだけだ。勉強が出来るのはまあいいとして、頼りになるとは全く思えなかった。

オレが奴から受けた印象は、ひたすら“優柔不断”だということだった。あと何か、頭が固い。

でも接していて特別ムカつきもしなかったので、オレたちはそのままつるむようになった。そんな上っ面だけの関係が今まで続いている。

常に一緒に居ながら、互いに互いを“親友”だとは認めない。何だか妙な関係だった。ま、いつもくれる絶妙なツッコミだけは頼りにしてるけどな。

―“一番その場が丸く収まるように。あるいは、後々にとって良く運ぶように”

・・・分かってるよ、とオレは一人ごちる。

ユカちゃんは京一が好きで、京一はユカちゃんを大事に思ってる。二人が結ばれるのが一番いいに決まってるんだ。

オレが上手いことやれば、二人は正しく結ばれる。

そして上手いことやるには、この気持ちを隠すしかない。

オレは初恋を封じ込める決意を固めて、手始めに幼馴染モノの漫画をおしつけた。

もちろん、“幼馴染が恋愛対象になるのは当たり前のことだ”って奴の頭にすり込むためにさ。


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