「地味すぎる」と深夜ラジオを打ち切られた私ですが、七年間毎晩聴いてくれていた御曹司に見出されて幸せを掴みました。今更戻ってこいと言われても、もう遅いです
【お知らせ】
この作品は生成aiを用いて執筆を行なっています
あらかじめご了承の上、お楽しみください
「本日をもちまして、『ミッドナイト・ステラ』は最終回となります」
震える声を、必死で押さえ込んだ。
深夜一時。FM東京の片隅にある小さなブース。蛍光灯の青白い光が、七年間使い続けたマイクを照らしている。
藤崎凛は、いつものように黒縁眼鏡の奥で瞬きを繰り返した。泣いてはいけない。最後まで、この声を届けなければ。
「七年間、毎週この時間を共有してくださった皆様に、心から感謝申し上げます」
(嘘だ)
心の中で、別の声が囁く。
(本当は叫びたい。なぜ終わらなければならないのかと)
ガラス越しに見えるミキサー卓の向こうで、ディレクターの村瀬が静かに目を伏せている。白髪交じりの髪、深い皺が刻まれた目元。彼もまた、この番組と共に七年を歩んできた人間だった。
三日前のことが、脳裏に蘇る。
「君の番組、スポンサーがつかないんだよ」
新プロデューサー・榊原の声は、まるでコーヒーの注文でもするかのように軽かった。ジェルで固めた髪、ギラギラとした目。タブレットに表示された視聴率グラフを、まるで死刑宣告のように突きつけてきた。
「地味すぎるんだ、藤崎さん。深夜に誰がラジオなんて聴くの? 時代遅れでしょ」
(時代遅れ)
その言葉が、胸に突き刺さったまま抜けない。
「華やかなタレントに枠を譲ってくれ。星野ルナって知ってる? SNSフォロワー五十万人。彼女なら数字が取れる」
七年間、毎週欠かさず放送を続けた。風邪を引いても、祖母の葬儀の日も、この席に座り続けた。
それでも——数字にならなかった。
「眠れない夜を過ごしている、どこかの誰かへ」
凛は、最後のメッセージを読み上げ始めた。
「あなたは今夜も、暗い部屋で天井を見つめているのでしょうか。明日が怖くて、目を閉じることができないのでしょうか」
声が、自然と落ち着いていく。低く、深く、夜の闇に溶け込むような——恩師が「特別な温かさ」と呼んだ、この声。
高校時代、クラスメイトには「暗い」「陰気」と笑われた声。
でも、たった一人だけ。
『君の声には、夜の静けさに寄り添う特別な温かさがある』
放送部顧問の吉田先生だけが、そう言ってくれた。
その言葉を信じて、専門学校で七年。誰も望まない深夜枠を、自ら志願した。
「番組宛てに届いたお手紙を、最後に読ませてください」
凛は、手元の紙の束に目を落とした。
七年間で届いた、何百通ものメッセージ。
『あなたの声で眠れるようになりました』
『死にたい夜に救われました』
『妻を亡くして眠れなかった一年間、あなたの声だけが友達でした』
——どれも、数字にはならなかった。
視聴率調査には反映されない。スポンサーの心は動かさない。榊原の言う「価値」には換算されない。
それでも。
それでも、確かに届いていたはずだ。
「最後に……今夜届いたメールを、一通だけ読ませてください」
ディレクター卓のモニターに、新着メッセージの通知が光った。
送り主は『ヨルノ』。七年間、毎週欠かさずメッセージをくれた常連リスナー。
凛は、その文面を読み上げた。
「『七年間、毎晩あなたの声を聴いていました。私は不眠症で、あなたの声だけが唯一の安定剤でした』」
声が、震えた。
「『番組がなくなったら、私はまた眠れない夜に戻るのでしょうか——』」
堪えきれなかった。
黒縁眼鏡の奥から、涙が一筋、頬を伝った。
(ああ)
(私の声は、確かに誰かに届いていたんだ)
「……リスナーの皆様」
凛は、震える息を整えた。
「私の声が、皆様の眠れない夜に寄り添えていたなら。それだけで、七年間の全てが報われます」
時計が、午前二時を指す。
「それでは、『ミッドナイト・ステラ』——最後のお別れです」
ジングルが流れる。七年間使い続けた、星が瞬くような音色。
「おやすみなさい。どうか、よい夢を」
オンエアランプが消えた。
静寂が、ブースを包み込む。
凛は、マイクの前で小さく息を吐いた。
終わった。
七年間の全てが、たった今、終わった。
「凛ちゃん」
村瀬の声が、インカムから聞こえた。いつもより、少しだけ掠れている。
「……よく頑張った。最後まで、本当に」
「村瀬さん」
凛は眼鏡を外し、目元を拭った。
「七年間、ありがとうございました」
「君の声は、必ずまた誰かに届く日が来る」
白髪交じりのディレクターは、ガラス越しに静かに微笑んだ。
「俺は、ずっとそう信じてる」
凛は、小さく頷いた。
信じたい。信じたいけれど——もう、どこにも居場所がない。
機材の電源を落とし、荷物をまとめる。使い込んだヘッドフォン、お気に入りのボールペン、リスナーからもらった手紙の束。
段ボール一箱に収まる、七年間の全て。
ブースを出ようとした時、廊下の向こうから足音が聞こえた。
深夜二時。こんな時間に、誰が——
「藤崎凛さん、ですね」
長身の男性が、廊下の闇から姿を現した。
色素の薄い髪、どこか疲れたような優しい目元。高級なスーツを着こなしているが、ネクタイは緩められ、どこかアンニュイな空気を漂わせている。
「どちら様ですか」
凛は、警戒心を隠さずに問いかけた。
男性は、静かに微笑んだ。
「七年間、毎晩あなたの声を聴いていた者です」
——その言葉に、凛の心臓が跳ねた。
「僕が『ヨルノ』です」
深夜のFM東京。
蛍光灯の青白い光の下で、凛は息を呑んだ。
七年間、毎週欠かさずメッセージをくれた、顔も名前も知らないリスナー。
その人が——今、目の前に立っている。
◆
「『ヨルノ』……さん?」
凛は、目の前の男性を見上げた。
身長差は二十センチ以上あるだろう。見上げる形になった凛の視界に、疲れたような優しい目元が映る。
「改めまして。白石蒼介と申します」
男性——蒼介は、名刺を差し出した。
『株式会社ヨアケ 代表取締役 白石蒼介』
「音声配信プラットフォームを運営しています。……立ち話もなんですから、少しお時間をいただけませんか」
深夜二時過ぎ。
普通なら断るべきだろう。見知らぬ男性からの突然の申し出。しかも、番組が終わったばかりの、精神的に不安定な時間。
(でも)
凛は、蒼介の目を見つめた。
嘘をついている目ではなかった。むしろ、どこか必死な——切実な光が宿っている。
「……場所を変えましょう」
局の近くにある、深夜営業のカフェ。
窓際の席で向かい合い、凛はホットミルクを、蒼介はブラックコーヒーを注文した。
「単刀直入に申し上げます」
蒼介は、カップを両手で包み込むように持った。長い指が、少しだけ震えている。
「僕は高校時代から不眠症でした。眠れない夜が続いて、精神的にかなり追い詰められていた時期があります」
「……」
「ある夜、たまたまラジオをつけたんです。深夜一時。あなたの番組に出会いました」
蒼介の目が、遠くを見つめる。
「あなたの声を聴いた瞬間、体の力が抜けていくのがわかりました。低くて、落ち着いていて、夜の静けさに溶け込むような声。……生まれて初めて、声だけで安心できた」
凛は、黙って聞いていた。
「それ以来、七年間。毎晩、あなたの声を聴いて眠りました。あなたの声だけが、僕の唯一の安定剤だった」
「だから……『ヨルノ』」
「はい。夜の、野良猫のような存在だったので」
蒼介は、小さく笑った。
「大学を出て、大手企業に就職しました。でも、ずっと考えていたんです。あなたのような声を、本当に必要としている人に届けるプラットフォームを作りたいと」
「それが『ヨアケ』……」
「三年前に起業しました。何度も資金難に陥って、倒産しかけたこともあります。それでも諦めきれなかった」
蒼介は、真っ直ぐに凛を見つめた。
「あなたの声を、数字でしか測れない世界から救い出したかった」
——その言葉が、胸の奥深くに響いた。
数字にならない価値。
榊原に否定され、スポンサーに見放され、七年間の全てを『老害コンテンツ』と嘲笑された、その価値を。
目の前の男性は、ずっと見ていてくれた。
「藤崎さん」
蒼介が、姿勢を正した。
「僕たちのプラットフォームで、もう一度ラジオをやりませんか」
「……」
「サブスクリプション制です。本当にあなたの声を必要としている人だけが、お金を払って聴く形式。視聴率なんて関係ない。スポンサーの顔色を窺う必要もない」
「でも、それで採算が……」
「取れます」
蒼介は、タブレットを取り出した。
「これは、今夜の最終回のリアルタイム視聴データです。『ヨアケ』では、FM東京の放送をサイマル配信していました」
画面に表示された数字を見て、凛は目を見開いた。
「同時接続……三万人?」
「深夜一時から二時の一時間で、三万人があなたの声を聴いていました。FM東京の視聴率調査には反映されない、『見えない聴取者』たちです」
「そんな……」
「あなたの声には価値がある。数字で測れないんじゃない。測り方が間違っていただけです」
蒼介の目に、強い光が宿った。
「僕たちと一緒に、証明しませんか。あなたの声が、どれだけ多くの人を救ってきたか」
凛は、しばらく黙っていた。
ホットミルクの湯気が、ゆらゆらと立ち上っている。
七年間、信じ続けてきたもの。
恩師の言葉。リスナーからの手紙。眠れない夜に寄り添い続けた、この声の価値。
——それを、目の前の男性は見ていてくれた。
「白石さん」
凛は、顔を上げた。
「一つだけ、聞いてもいいですか」
「何でも」
「あなたは今も、眠れない夜があるんですか」
蒼介は、一瞬だけ目を伏せた。
「……あなたの番組がある夜は、眠れます」
その答えに、凛の目から涙が溢れた。
「お願いします」
震える声で、凛は言った。
「私に、もう一度——声を届けさせてください」
深夜三時。
カフェの窓の外で、東京の夜が静かに更けていく。
七年間の終わりは、新しい夜明けの始まりだった。
◆
一週間後。
FM東京、第三会議室。
「いやぁ、やっと厄介払いができたよ」
榊原誠一は、タブレットを弄びながら上機嫌で笑った。
ジェルで固めた髪、ギラギラとした目。会議室の上座に陣取り、周囲のスタッフを見下ろしている。
「藤崎の後番組、準備は順調か?」
「はい。星野ルナさんのスケジュールは確保済みです」
若手スタッフが、恐る恐る答える。
「よし。あのコーナーも引き継がせろ。『眠れない夜の処方箋』だっけ? あれ、コンセプトは悪くないんだよな。藤崎が地味すぎただけで」
「あの……著作権的には……」
「アイデアに著作権なんてないでしょ? 藤崎が温めてただけ。華のある子がやれば数字取れるんだよ」
榊原は、タブレットの画面をスタッフに見せた。
星野ルナのSNSプロフィール。フォロワー五十万人。華やかな茶髪、大きな瞳、アイドル出身の二十歳。
「この子がやれば、スポンサーも食いつく。深夜枠だって、やりようによっては金になるんだよ」
「村瀬ディレクターは、反対されてましたが……」
「あの老害? 定年も近いし、口出しさせるな。これからは俺の時代だ」
榊原は、窓の外を見やった。
夜のビル街が、煌々と光っている。
「数字が全てなんだよ。この業界は」
◆
同じ頃。
渋谷区の雑居ビル、五階。
『株式会社ヨアケ』のオフィスは、想像していたよりもずっと小さかった。
「ここが、僕たちの城です」
蒼介が、少し照れくさそうに言った。
ワンフロアに、デスクが六つ。壁一面に貼られたホワイトボードには、配信スケジュールや企画案がびっしりと書き込まれている。
「凛さん、ようこそ」
ショートカットの女性が、笑顔で手を振った。
「高梨美咲です。共同創業者で、経営・マーケティング担当。蒼介の大学時代からの腐れ縁」
「はじめまして。藤崎凛です」
「知ってます。ずっと聴いてましたから」
美咲は、凛の手を両手で包んだ。
「私の母も不眠症なんです。凛さんの声で、やっと眠れるようになった。本当に、ありがとうございます」
「そんな……」
「あなたの声には、数字に換算できない価値がある。それを証明するのが、私たちの仕事です」
美咲の目は、真剣そのものだった。
「蒼介はロマンチストだから、理想ばっかり語るでしょ? 私は現実担当。ちゃんと数字で結果を出します」
「……心強いです」
凛は、小さく頭を下げた。
オフィスの奥に、小さな収録ブースが見えた。
防音パネルで囲まれた、二畳ほどのスペース。FM東京のブースとは比べ物にならないほど狭い。
でも——
「ここで、新しい番組を始めます」
蒼介が、ブースの扉を開けた。
「番組名は『眠れぬ夜のほとりで』。サブスクリプション制で、月額五百円。本当に凛さんの声を必要としている人だけが聴く番組です」
「……私なんかに、お金を払って聴いてくれる人がいるでしょうか」
「います」
蒼介は、真っ直ぐに凛を見つめた。
「七年間、毎晩あなたの声を聴いていた僕が保証します」
◆
三ヶ月後。
FM東京、深夜一時。
「はぁい、星野ルナでーす! 今夜も元気にいくよー!」
明るい声が、スタジオに響く。
茶髪のロングヘア、大きな瞳。二十歳のアイドルパーソナリティ・星野ルナは、精一杯の笑顔でマイクに向かっていた。
「それじゃあ、人気コーナー『眠れない夜の処方箋』いくよー! 今夜のお悩み相談は……」
——反応が、薄い。
SNSのリアルタイム反応を見ても、コメントがほとんど流れてこない。
「あれ……? みんな聴いてる……?」
不安が、胸をよぎる。
収録後、ルナはプロデューサーの榊原に詰め寄られた。
「数字、全然ダメじゃないか。前番組より下がってるぞ」
「で、でも……私、頑張ってますし……」
「頑張ってる? 結果を出せよ、結果を。処方箋のコーナーも全然ウケてないじゃないか」
「あのコーナー、私に合ってない気がするんです。なんか、リスナーとの距離感が掴めなくて……」
「言い訳するな。お前のフォロワー五十万人はどこ行ったんだ」
ルナは、唇を噛んだ。
深夜ラジオは、SNSとは違う。フォロワー数は関係ない。画面越しではなく、声だけで——暗闇の中にいる誰かに寄り添わなければならない。
それが、どれほど難しいことか。三ヶ月やって、やっとわかった。
「あのコーナーは藤崎さんの声だから意味があったんですよ」
ベテランスタッフの呟きが、背中に突き刺さった。
◆
同じ夜。
『ヨアケ』配信スタジオ。
「それでは今夜も、『眠れぬ夜のほとりで』——始めましょうか」
凛の低く落ち着いた声が、マイクを通じて配信される。
「今夜も眠れずにいるあなたへ。私はここにいます」
配信画面のコメント欄が、静かに動き始める。
『今日も来ました』
『凛さんの声、待ってました』
『会社で嫌なことがあって……でも、この声聴くと落ち着く』
有料会員数は、三ヶ月で五万人を突破していた。
月額五百円。つまり、毎月二千五百万円の売上。
「数字」は、ついてきた。
でも、それは結果に過ぎない。
本当に大切なのは——
『妻を亡くして眠れなかった一年間、凛さんの声だけが友達でした。新しい番組が始まって、また眠れるようになりました』
——こういうメッセージが、毎日のように届くこと。
「皆さんのメッセージ、全て読ませていただいています」
凛の声が、夜の闇に溶けていく。
「私の声が、あなたの眠れない夜に寄り添えているなら。それだけで、私は幸せです」
ブースの外で、蒼介が静かに聴いていた。
美咲が、隣で囁く。
「FM東京の後番組、打ち切りになるってよ」
「……そう」
「榊原、左遷だって。『老害コンテンツ』って馬鹿にしてた番組に負けたんだから、当然だよね」
蒼介は、何も言わなかった。
ただ、ブースの中で語り続ける凛の横顔を、静かに見つめていた。
(君の声は、僕にとって世界で一番安心できる音だった)
その想いを伝える日が、いつか来る。
でも今は——まだ、彼女の声を聴いていたかった。
◆
「どうして、起業しようと思ったんですか」
深夜の収録後。
凛と蒼介は、オフィスの片隅にある小さな休憩スペースで、缶コーヒーを手にしていた。
三ヶ月間、毎晩のように顔を合わせてきた。でも、プライベートな話をするのは初めてだった。
「……聞きたいですか」
蒼介は、缶コーヒーを見つめたまま言った。
「無理にとは言いません。でも、知りたいと思いました。白石さんのこと」
「蒼介、でいいですよ。ずっと『ヨルノ』として、一方的に凛さんのことを知っていたんですから」
「……蒼介さん」
名前を呼ぶと、蒼介は少しだけ目を細めた。
「僕が不眠症になったのは、小学生の頃です」
「小学生……」
「両親の仲が、最悪だったんです。毎晩のように怒鳴り合いが聞こえてきて、眠れなかった。布団の中で耳を塞いでも、壁を伝って声が響いてくる」
蒼介の指が、缶を握りしめた。
「中学で離婚して、僕は父親に引き取られました。でも、父は仕事ばかりで、家には誰もいない。夜になると、あの怒鳴り声がフラッシュバックしてきて……」
「……辛かったですね」
「高校二年の時、たまたまラジオをつけたんです。深夜一時。凛さんの声が流れてきた」
蒼介は、凛を見つめた。
「あの瞬間のこと、今でも覚えています。体中の力が抜けていって、呼吸が楽になって……ああ、こういう声があるんだ、って」
「私の声が……」
「世界で一番安心できる音でした。それ以来、毎晩聴きました。凛さんの声がないと眠れなくなった。ある意味、依存していたんだと思います」
蒼介は、自嘲するように笑った。
「大学に入って、このままじゃいけないと思いました。凛さんの声に頼るだけじゃなくて、自分も何かを作る側になりたい。凛さんみたいな人が、正当に評価される場所を作りたい」
「それが『ヨアケ』……」
「大手企業を二年で辞めて、貯金を全部注ぎ込んで起業しました。何度も失敗して、資金が底をついて、このまま終わるのかって思った夜もあった」
蒼介は、窓の外を見た。
深夜三時。東京の夜景が、静かに瞬いている。
「でも、凛さんの声を聴くと、また頑張れた。『この声を守りたい』って思うと、諦められなかった」
「……私なんかのために」
「『なんか』じゃないです」
蒼介の声が、強くなった。
「凛さんは、僕の命を救った人です。大げさじゃなく。あの頃の僕は、本当にギリギリだったから」
「……」
「だから、今度は僕が守りたい。凛さんの声が、必要な人に届く場所を。数字でしか価値を測れない世界から、凛さんを守りたい」
凛は、目頭が熱くなるのを感じた。
七年間、「数字にならない価値」を届け続けてきた。
認められなかった。嘲笑された。『老害コンテンツ』と言われた。
でも——ちゃんと、届いていた。
目の前にいる人に、確かに届いていた。
「蒼介さん」
凛は、震える声で言った。
「私も……私も、ずっと認められなくて。高校の時から、声が暗いって言われて。専門学校でも、『華がない』『地味すぎる』って」
「……」
「でも、たった一人だけ。恩師の吉田先生だけが、『君の声には夜の静けさに寄り添う特別な温かさがある』って言ってくれた。その言葉だけを信じて、七年間やってきたんです」
「凛さん……」
「だから、蒼介さんに言われた時、本当に嬉しかった。『数字じゃない、価値がある』って。ああ、信じてきてよかったって……」
涙が、頬を伝った。
蒼介が、そっとハンカチを差し出した。
「僕たちは似てるのかもしれません」
「……似てる?」
「数字にならない価値を信じて、傷ついてきた人間同士」
凛は、ハンカチで目元を拭った。
「……そうかもしれません」
「だから、一緒に証明しましょう。数字じゃない価値が、ちゃんと存在するって」
蒼介の目が、真っ直ぐに凛を見つめている。
深夜三時。
二人の間に、静かな絆が生まれていた。
◆
配信開始から一年。
『眠れぬ夜のほとりで』は、深夜音声配信の最大手コンテンツに成長していた。
有料会員数、二十万人。
関連グッズの売上、年間一億円。
メディア取材も増え、「深夜の女王」という称号まで付いた。
でも、凛にとって大切なのは——
『凛さんの声のおかげで、人生を諦めずに済みました』
『転職活動中、毎晩聴いてます。明日も頑張れそうです』
『入院中の母に聴かせています。穏やかな顔で眠ってくれます』
——こういうメッセージが、毎日届くこと。
「数字は結果でしかない」
美咲が、よく言っていた。
「本当の価値は、数字の向こう側にある。凛さんは、それを体現してる」
◆
ある夜の生放送中。
「それでは、リスナーの皆さんからのメールを読んでいきましょう」
凛は、いつものように落ち着いた声で番組を進行していた。
スタッフが選んだメールを、一通一通丁寧に読み上げていく。
不眠症に悩む人、仕事で追い詰められている人、大切な人を亡くした人——
眠れない夜を過ごす、無数の孤独に寄り添い続ける。
「次のメールです。ペンネーム……」
凛は、画面を見て息を呑んだ。
『ヨルノ』
七年間、毎週欠かさずメッセージをくれた常連リスナー。そして今は——
「えっと……」
動揺を隠しきれない。ブースの外を見ると、蒼介がいつもの場所に立っていた。
でも、その表情がいつもと違う。緊張しているような、覚悟を決めたような——
「読み上げますね」
凛は、深呼吸した。
「『凛さん。七年と少し前、僕はあなたの声に出会いました。眠れない夜の中で、唯一の光でした。あなたの声だけが、僕を朝まで連れていってくれた』」
声が、震えそうになる。
「『一年前、ようやくあなたに出会えました。声だけじゃなく、あなた自身に。一緒に仕事をするうちに、僕は気づいてしまいました』」
心臓が、早鐘を打っている。
「『声だけじゃなく、あなた自身を——好きになっていました』」
……。
ブースの中が、静まり返った。
リアルタイムのコメント欄が、ざわめき始める。
『えっ?』
『告白!?』
『ヨルノさんって、まさか……』
凛は、ブースの外を見た。
蒼介が、真っ直ぐにこちらを見つめている。
その目に、嘘はなかった。ただ、真剣な想いだけが宿っている。
「続きがあります」
凛は、画面に視線を戻した。
「『この声で、僕は生きてこられました。この声を、一番近くで聴いていたい。僕の隣で、ずっと声を届けてほしい。——これからの人生を、一緒に歩いてくれませんか』」
涙が、溢れた。
堪えきれなかった。
「……蒼介さん」
凛は、マイクに向かって言った。
リスナーの前で。全国に配信される声で。
「ずるいです、こんなの」
涙声が、電波に乗る。
「私……ずっと、声にコンプレックスがあって。暗いって言われて、地味だって言われて。でも、あなただけが……あなただけが、私の声を『世界で一番安心できる音』だって言ってくれた」
「……」
「私の声を必要としてくれて、私自身を見つけてくれて。ありがとうございます」
凛は、涙を拭った。
「この声を、一番近くで聴いてくれる人が見つかりました」
コメント欄が、祝福の言葉で埋め尽くされた。
『おめでとう!!!』
『泣いてる』
『ヨルノさん、よかったね……』
『二人とも幸せに!!』
放送終了後。
凛がブースを出ると、蒼介が待っていた。
「……聴いてた?」
「全部」
蒼介の目も、少し赤くなっていた。
「返事、もらえたと思っていいですか」
「……馬鹿」
凛は、蒼介の胸に飛び込んだ。
「こんな公開告白、一生恨みますからね」
「ごめん。でも、凛さんの声で届けてほしかったから」
「意味わかんない」
「僕の人生を変えた声で、僕の人生の続きを始めてほしかったんだ」
凛は、蒼介の腕の中で泣いた。
七年間、届かないと思っていた声。
届いていた。ずっと、届いていた。
そして今夜——一番届けたかった人に、届いた。
◆
二人の交際が公になってから、一週間後。
FM東京から、凛のもとに連絡が入った。
「藤崎さん、お久しぶりです」
応接室に現れたのは、スーツ姿の中年男性だった。名刺には『FM東京 編成部長 三島』とある。
榊原の後任——いや、上司にあたる人物だ。
「単刀直入に申し上げます」
三島は、深々と頭を下げた。
「藤崎さんの価値を見誤っていました。どうか、FM東京に戻ってきてください」
「……」
「『眠れぬ夜のほとりで』の成功、拝見しています。あれほどの実力をお持ちの方を、我々は手放してしまった。榊原の判断は、完全に間違っていました」
凛は、静かに相手を見つめた。
一年前、榊原に言われた言葉が蘇る。
『地味すぎるんだ、藤崎さん』
『深夜に誰がラジオなんて聴くの? 時代遅れでしょ』
『老害コンテンツ』
——そして、アイデアを盗まれそうになったこと。七年間の全てを否定されたこと。
「三島さん」
凛は、穏やかな声で言った。
「榊原さんは、今どうされていますか」
「……地方局に異動になりました。実質的な左遷です」
「そうですか」
「彼の判断ミスで、深夜枠の視聴率は壊滅的です。星野さんの番組も三ヶ月で打ち切りになり、スポンサーも離れていった。全て、彼の責任です」
三島の言葉には、責任転嫁の響きがあった。
(この人も、同じだ)
凛は、心の中で呟いた。
(数字が落ちたから焦っているだけ。私の声の価値なんて、本当にはわかっていない)
「三島さん」
凛は、静かに立ち上がった。
「ご提案、ありがとうございます。でも、お断りさせていただきます」
「なぜですか。条件は交渉に応じます。ゴールデン枠でも——」
「私は、もう自分の居場所を見つけたので」
凛の声は、穏やかだが揺るぎなかった。
「私を必要としてくれる人がいる場所。私の声を、数字じゃなく価値として見てくれる場所。そこが、私のステージです」
「藤崎さん……」
「七年間、深夜枠を守ってきました。誰も望まない時間帯を、毎週欠かさず。その間、FM東京は私を評価してくれましたか?」
「それは……」
「『数字にならない価値』を、誰か一人でも見てくれましたか?」
三島は、言葉に詰まった。
「村瀬さんだけでした」
凛は、静かに微笑んだ。
「村瀬さんだけが、最後まで私を信じてくれた。でも、組織としてのFM東京は——私の価値を、一度も認めてくれなかった」
「……」
「もう遅いんです、三島さん」
凛は、頭を下げた。
「今日はありがとうございました。お体に気をつけて」
応接室を出る時、背中に三島の声が追いすがってきた。
「条件は、いくらでも——」
凛は、振り返らなかった。
(私を必要としてくれる人がいる場所)
(それが、私のステージです)
ビルを出ると、秋の風が頬を撫でた。
スマートフォンが震えた。蒼介からのメッセージ。
『話、終わった? 迎えに行こうか』
凛は、小さく笑った。
『大丈夫。今から帰ります』
『待ってる』
——待っていてくれる人がいる。
それだけで、七年間の全てが報われた気がした。
◆
一年後。
「本日をもちまして、『眠れぬ夜のほとりで』は——」
凛の声が、マイクに乗る。
リスナーたちが息を呑む。
「——新番組へとリニューアルいたします」
コメント欄が、安堵と歓喜で溢れた。
『びっくりさせないで!!』
『心臓止まるかと思った』
『新番組!? 楽しみ!!』
凛は、隣を見た。
蒼介が、同じマイクの前に座っている。
「新番組の名前は『ふたりぼっちの夜明け前』。私と、白石蒼介の二人でお届けします」
『えええええ!?』
『夫婦でパーソナリティ!?』
『神番組すぎる』
——そう、二人は婚約していた。
来月には、入籍する予定。
「眠れない夜を過ごしているあなたへ」
凛の声が、夜の闇に溶けていく。
「あなたの孤独は、きっと誰かに届いています。私がそうだったように」
蒼介が、マイクに向かって言葉を継いだ。
「僕も、長い間眠れない夜を過ごしてきました。一人で、暗闘の中にいました。でも——」
「——でも、声が届いたんです」
凛が、蒼介の手を握った。
「数字にならない声でした。視聴率には反映されない、スポンサーの心は動かさない。でも、確かに届いていた」
「その声が、僕の人生を変えました」
二人の声が、重なる。
「だから——これからも、届け続けます」
「眠れない夜の、あなたのそばに」
コメント欄が、メッセージで埋め尽くされた。
『泣いてます』
『ずっと聴いてました』
『これからもよろしくお願いします』
『二人とも、幸せにね』
◆
放送終了後。
スタジオに、一人の来客があった。
「お久しぶりです、凛さん」
柔らかな笑顔。白髪が少し増えた、穏やかな目元。
「吉田先生……!」
凛は、目を見開いた。
高校時代の放送部顧問。「君の声には、夜の静けさに寄り添う特別な温かさがある」と言ってくれた、たった一人の恩師。
「番組、聴きましたよ。十年間、ずっと聴いていました」
「先生……」
「やっと本当の居場所を見つけたのね」
吉田は、凛の両手を握った。
「あの時、私が言ったこと、覚えてる?」
「はい。『君の声には、夜の静けさに寄り添う特別な温かさがある』」
「ずっと信じていたのね。私の言葉を」
「先生の言葉だけが、支えでした」
凛の目から、涙が溢れた。
「ありがとうございます。先生のおかげで、ここまで来られました」
「私は何もしていないわ。あなたが信じ続けた。それが全てよ」
吉田は、蒼介に視線を向けた。
「この方が、凛さんの声を守ってくれた人ね」
「白石蒼介です。先生のこと、凛からよく聞いています」
「凛さんを、よろしくお願いしますね」
「はい。一生かけて、この声を守ります」
吉田は、満足そうに微笑んだ。
「いい声ね、あなたも。きっと、いい夫婦になるわ」
◆
深夜三時。
スタジオを出ると、秋の夜風が心地よかった。
「疲れた?」
蒼介が、凛の肩を抱いた。
「ううん。幸せすぎて、疲れてる暇がない」
「欲張りだね」
「蒼介さんのせいでしょ」
二人は、笑い合った。
東京の夜空は、星が見えない。でも——
「見て」
凛が、東の空を指さした。
ビルの隙間から、わずかに空が白み始めている。
「夜明け前だ」
「うん。私たちの番組の名前」
「『ふたりぼっちの夜明け前』」
蒼介が、凛の手を握った。
「これからも、一緒に夜明けを迎えよう」
「うん」
凛は、蒼介の肩に頭を預けた。
七年間、届かないと思っていた声。
認められなかった価値。嘲笑された夢。
全てが——今、報われている。
「蒼介さん」
「ん?」
「私の声、これからも聴いてくれる?」
「当たり前でしょ」
蒼介は、凛の髪を撫でた。
「世界で一番安心できる音を、一番近くで聴ける。最高の特等席だよ」
「……ばか」
照れ隠しに、凛は蒼介の胸を叩いた。
夜明けの光が、二人を包んでいく。
「数字にならない価値」を信じ続けた二人の物語は——これからも、無数の眠れない夜を照らし続ける。
◇
『眠れない夜を過ごしているあなたへ』
『あなたの孤独は、きっと誰かに届いています』
『私がそうだったように』
——おやすみなさい。どうか、よい夢を。
【完】




