第27話 揺れる街と“消えた影”
夜の自由都市ヴァレクは、陽光の下よりもずっと騒がしく、そしてずっと危険だった。酒場の歌声と怒号、行商人の呼び声、そして路地裏でひっそりとうごめく取引の気配。街そのものが生き物みたいに脈を打ち、どこへ歩いても血の匂いと金の匂いが混ざり合って漂っていた。
孤児院へ戻る道すがら、翼はやけに“見られている感覚”を覚えていた。ギルドでの騒動、蒼鷹騎士団の副団長アークとの遭遇、スカウトの強い視線……そんな目立つ出来事があったからかもしれない。それでも、この視線は違う、と直感は告げていた。
(温度がねえ。血が通ってない……まるで“観察用の眼”だ)
セリアも気づいていたようで、歩きながら背後をチラチラ確認している。
「今日さ、街の流れが変だったと思わない?」
「変? 人が多いだけじゃなくて?」
翼が言うと、セリアは首を振った。
「人じゃない。流れてる“魔力”。人の欲とか野心とか、そういう生の感情がうねってるのはいつものヴァレクだけど……今日は“機械みたいに一定の魔力”が混じってた」
「それは……確かに気味悪いわね」
リリアが深く息を吐いた。
孤児院に戻った頃には、空の端が少し蒼みがかり始めていた。けれど街の喧騒はまったく衰えず、むしろ夜に慣れた住民たちの動きが鋭くなる時間帯だった。
扉を開けると、薄暗い食堂のテーブルにアークが座っていた。
ランプの明かりの中で、いつもは飄々とした表情が鋭く締まっている。
「やっぱり来たか」
「待ってたのか?」
「ああ。今日の街は妙だった。お前たちが気づいた通り“影が多い”。それも、普通のスカウトや冒険者の影じゃない」
翼が眉をひそめる。
「じゃあ……誰だ?」
「わからん。けど、街の境界に“ひずみ”があった。人でも魔物でも起こせない種類のひずみだ」
セリアとリリアが同時に顔を見合わせる。
「結界の上を走った何か……ってこと?」
「そういうことだ」
正体不明の来訪者。
都市結界の上を歩けるような異常な技術。
そして、こちらを観察する冷たい視線。
アークは続ける。
「気になるのは、そいつらの“目的”だ。街を見て回ってたが……どうにも“誰かを探している動き”がある」
静かな言葉なのに、その場の空気が一気に冷えた。
ユウがそっと翼の服を引っ張る。
「……翼。今日の話、全部じゃないけど、少し聞こえてた」
「そっか。眠れなかったか」
「ううん。なんか……怖い感じがして」
翼は子ども扱いせず、正面から向き合う。
「ユウ。お前が心配してるのは、今日の“影”が……」
「ぼくを探してるかどうか、でしょ」
ユウは自分で言葉を続けた。
「……ある、と思う。ぼくは逃げた。ぼくだけじゃない。番号の子は少なくとも七人いたし、ぼくより強い子ばかり。
もし、ぼくを連れ戻したいなら……探しに来る」
部屋の空気がさらに重くなる。
リリアが唇を噛む。
「番号制度……本当にやっかいね。まるで道具扱いじゃないの」
「事実、道具だったんだろう」
セリアが低く言う。
ユウは俯き、手を握りしめていた。
震えているのは恐怖だけじゃない。悔しさと、それでも逃げない勇気が混ざっていた。
翼はユウの肩に手を置いた。
「聞け、ユウ。もし来るなら、俺たちがぶっ飛ばす。それでいい」
「でも……」
「お前は悪くない。お前が悪いような顔すんな。
悪いのは、お前を“番号”で呼んで、生き物扱いしなかったヤツらだ」
ユウは小さく笑った。
「翼って、そういうところ……ずるいよ」
「褒めてんのか?」
「たぶん」
そんな会話をしていると、街の方向から一度だけ鐘が鳴った。
警戒の第一段階の合図だ。
アークが席を立つ。
「今日は本当に騒がしい。嫌な気配が濃くなってきた……」
食堂の窓から見える夜空は、星がかすんで揺れているように見えた。
風が街の奥から吹き抜け、灰色の砂煙を巻き上げる。
ヴァレクの夜はいつも荒っぽいが、今日の荒れ方は違う。
まるで都市そのものが、
“これから起きる出来事にざわついている”
そんな不穏な震えを感じさせた。
アークが窓の外をにらみながら呟く。
「次の鐘が鳴ったら動くぞ。あの影が本当に“ユウを探すため”なら、ここも安全じゃない」
「孤児院に手を出したら、俺が黙ってない」
「それは頼もしいけど……気持ちだけにしておきなさいよ」
リリアが苦笑し、セリアが肩をすくめる。
それでも全員の表情は冗談ではなく、真剣だった。
そして——。
街の方から、空気を裂くような魔力の振動が走った。
鐘の第二段階の合図かと思いきや、違う。
ランプが揺れ、床がわずかにきしむ。
外で誰かが叫ぶ声が聞こえた。
「……何だ?」
「魔力の衝突……!」
リリアが叫ぶ。
アークはすでに剣を腰に下げて走り出していた。
「全員、準備しろ! 何かが来る!」
翼は一度ユウを見て、静かに頷いた。
「ユウ。怖いなら俺の近くにいろ。
でも……もし何かあっても、お前は一人じゃない」
「……うん」
自由都市ヴァレクの夜が、ついに牙をむき始めた。
そしてこの時、まだ誰も知らなかった。
今夜の騒動が、三人と一人の運命を大きくうねらせる“前触れ”にすぎなかったことを。




