第七話:尊厳か生存か
ユタは地中海で生まれた。
祖母、母、16人の姉に加え、叔母に従姉妹、遠縁の乙女たち。
のどかな環境、たくさんの家族に囲まれて、比較的幸せな幼年期だった。
やむにやまれぬ事情さえなければ、今なお生まれ故郷で、家族と共に過ごしていたかもしれない。
少なくとも、フラフス近くのバルト海になど、一生に一度も寄り付くことはなかったに違いない。
「───ワタシには、母と祖母、16人の姉がいたわ。
叔母とか従姉妹とか、親戚みんなも含めるなら、もっといっぱい。」
「直系だけでも結構な数だな。」
「そのうち、今現在まで生き残っているのは、何人だと思う?」
「………。」
「親戚みんなは、3年前に一網打尽。
祖母は昨年に寿命が尽きて、母は半年前に───。
人魚狩りに遭う寸前で、自死したわ。」
「……人魚狩り、ね。
なるほど腑に落ちた。」
「聞いたことはある感じ?」
「そりゃあな。
人魚も吸血鬼も、人外は漏れなく、排斥の対象だ。今世は特にな。
とはいえ人魚は、狩る人魚と狩らない人魚で区別されているとも聞いたが……」
「残念ながら、ワタシたちは狩られる側。
メロウですって偽れば、一回くらいは見逃してもらえるかしらね。」
人魚には様々な言い伝えがある。
人魚の涙を飲めば恋が叶う、人魚の肉を食えば永遠の若さが手に入る、エトセトラエトセトラ。
真偽のほどは定かでない。
未だかつて、それを実行した者はいない。
だからこそ人間は、定かでない人魚の神秘性に魅入られ、疎み憎んできた。
我欲のために人魚を捕獲しようとする者がいれば、世のため人のために人魚を排除しようとする者もいた。
そしてその対象は、メロウはもちろん、シルルーとて例外ではなかった。
「その上で、陸に上がったのは何故だ?」
「え?」
「文脈を読めば、嫌でも分かる。
お前は人間を憎んでいる。しかし生存のためには、人間と番になる方法が最も確実であるとも思っている。
だからこうして、海を離れ、陸に上がった。尊厳のためには悩みもするが、海にはもう帰れないと最初に言った。
違うか?」
「……続けて。」
「疑問なのは、"尊厳のために悩んでいること"だ。
魚にせよ人間にせよ、他種族と交われば、お前は人魚に戻れなくなるんだろう?
どっちみちなら、魚になる道を選んでも一緒じゃないのか?なぜ憎しみに蓋をしてまで、同胞殺しの人間になろうとする?」
「……説明が足りなかったわね。
確かに、繁殖を目的には、いずれも人魚の子孫を残せない。
ワタシが言っているのは、ワタシ自身の生存のほうよ。」
「魚になる道を選ぶことは、お前自身の生存には繋がらないと?」
「魚の子は産める。ただ、ワタシ自身は人魚のまま。同じ魚に生まれ変わることはできない。
海で生きると決めた以上、ワタシたちは結局、人魚狩りから逃げ続けるしかないのよ。」
「子種を貰うのと、対等に交わるのは別、ということか。」
「ワタシは、みんなや姉さま達と違って、生き汚いの。
子供が無事ならそれで、なんて、厳かには振る舞えない。どんな手を使ってでも、自分だけでも生き残りたい。
───野蛮なヤツだって、笑いたきゃ笑っていいわ。」
「……面白くないことで、笑えるわけないだろ。」
人魚狩り。
望まぬ流転をユタに強いた、やむにやまれぬ事情。
アドアストラの経験した吸血鬼狩りと同様、あるいはそれ以上の勢いで、シルルーも人間から迫害されていた。
たとえばユタが、シルルーではなくメロウであったなら。
メロウは人間に友好的な人魚だからと、容赦されることもあったかもしれない。
逆にシルルーとして、人魚狩りに遭ってしまったなら。
シルルーは人間に仇なす人魚だからと、捕獲や殺戮の大義名分を掲げられてしまう。
ましてやシルルーは、メロウほどの魔力を持たない人魚だ。
水中では絶対的な力を振るえても、陸に上げられてしまえば、ただの魚同然だ。
メロウよりも無力化しやすく、メロウよりも存在価値が低く、メロウよりも共存の道が薄い。
人魚族全体が人魚狩りの対象でありつつも、シルルーが際立って乱獲されている理由は、そういうわけだった。
「親戚は一網打尽で、祖母と母は相次いで死んで……。
16人の、姉さまたち?は、どうなったんだ?海に留まって、魚の子を産んだのか?」
「そのはずだったけど……。
みんなで一緒にいた時に、人魚狩りに出くわして、散り散りになって……。
あとは、わからない。」
「今もどこかで生きている可能性は?」
「たぶん、ないわ。
海は広しと言えども、同胞の気配は、波に乗って伝わってくるから。
あのまま狩りに捕まったか、殺されたか……。あるいは母に倣って、でしょうね。」
「そうか……。」
「でも、一人だけ。
生きている気配もないけど、死んだ気配もなかった姉が一人だけ、いるわ。」
「そいつは?」
「レニ。ワタシに一番優しくしてくれた、ワタシの2番目の姉。
彼女だけは、人間の男と番になるために、自ら陸へ向かったわ。
狩りに出くわしたのは、彼女を見送る道中よ。」
「レニの消息は?」
「そっちは完全にわからない。
失敗して死んだのかもしれないし、今頃は人間の男と手を繋いで、浜辺を歩いているかもしれない。」
「………。」
「ワタシに、人間の美しさを説いてくれたのも、レニだった。
レニがいたからワタシは、悪い人間がいれば良い人間もいると、知ることができた。」
「……会いたいか?
かつてのようには、お前を呼んでくれなくても。」
「………会いたかったわ。
母にも祖母にも、みんなにも。
会いたかった、ずっと。これからもずっと、きっと死ぬまで、ね。」
このままでは、シルルーは遠からず絶滅する。
悩んだシルルーたちは、家族ごとに生存戦略を講じた。
海での暮らしを続けるために、魚に転じてしまうか。
二度と生命を脅かされないように、人に転じてしまうか。
いずれも、人魚としての尊厳を失う選択。
ユタの家族を含め、多くのシルルーが前者を選び、魚の子を産み落とした末に、自らは命を散らしていった。
「じゃあ、会いに行けばいい。」
「どうやって?」
「お前も人間になって、人間同士で再会すればいい。」
「……人間になったら、海での記憶を失うのよ?
再会できても、お互いのことをもう、覚えていないのよ?」
「覚えていないなら、またイチから仲良くすればいい。
死んでいるなら、墓を建ててやればいい。」
「アナタって……。
ロマンチスト?リアリスト?」
「生き汚いと言ったのはお前だ。
尊厳のため命を散らすのは美徳だが、逆を低俗だとは、私は思わない。
これからの人間社会を鑑みれば、そちらの生き方のほうが、理に適っているかもしれない。」
「人間になっても魚になっても、ワタシたちは、シルルーとしてのルーツを失うわ。
生存を選ぶなら尊厳を捨てろと、どうしても、どちらかを選ぶしかないのかしら?」
「私が語り継いでやる。
たとえ姿形を失くしても、シルルーの一族は、確かにこの世に存在した。
お前が生存を選ぶというなら、お前が抱えきれなかった尊厳は、私が未来へ繋いでやる。」
「……アナタと、こうして、語り明かした夜のことも、忘れてしまうのかしら?」
「言ったろ。失くしたなら、また作ればいいんだ。
墓も、縁も、思い出も。何度壊されたとしても、何度でも作り直せばいい。
せっかく人間になるんだ。忌まわしい科学力とやらで、ついでに人間どもの鼻も明かしてやれ。」
「アナタから、そんな風に言ってもらえるとは思わなかった。」
「私も、こんなことを言う日が来るとは思わなかった。」
「ふふ。
耳が赤いわ、ロマンチストさん。」
「お前は目が赤いぞ。マゾ女め。」
中には、後者を選ぶシルルーもいた。
ユタにとって2番目の姉に当たる、ユタに最も優しかったという、レニである。
レニはユタを含む姉妹たちに別れを告げると、スマグナーを片手に地中海を出た。
南国の人間は人魚に寛容な者が多いので、自分を妻に迎えてくれる人間が見つかるかもしれないと、涙ながらに言い残して。
ユタと姉妹たちは、途中まではレニの旅路に同行したものの、人魚狩りに遭遇して散り散りに。
今や誰の消息も分からずじまいとなったが、恐らく全滅したのだろうとユタは語る。
たった一匹。
ユタたちとは反対の方角へ泳いでいった、レニを除いて。
「───方針は決まった。町に出るぞ。支度しろ。」
「何しにいくの?」
「野暮なことを聞くな。人間の男あさりだ。
ボンクラぞろいだが、いくぶん話の通じる男には当てがある。」
「ちょっと待って。
その男とやらとワタシを引き合わせるつもり?」
「嫌なら自分で見繕え。
行き帰りの護衛くらいはしてやるが、色恋の目利きは私も不得手だぞ。」
「そこも気掛かりだけど……。
それ以上にまず、前提として、その……。」
「なんだよ?」
「……とられたの。」
「なにを?」
「スマグナー。」
「……人間に化けられる帽子?」
「うん。」
「いつ?」
「あなたと出会う前。
鳥か何かに持っていかれて、それっきり……。」
多くのシルルーたちに倣い、魚の子を産むべきか。
人間の善性を信じて、人間に生まれ変わるべきか。
もはや猶予はなく、ユタも陸に上がる決意をした。
なんの用意も希望もないままに、人魚狩りの手を逃れ、服代わりの海賊旗を身に纏って、たったひとつのスマグナーを携えながら。
「そういうことは早く言え。」
かくしてユタは、アドアストラに出会った。
シルルー最後の純血種となったユタは、吸血鬼最後の純血種であるアドアストラに、出会ってしまったのである。




