王家の影は侯爵令嬢を落としたい。
「レイモンド。ちょっと休憩する。付き合え」
この国の王太子である殿下はそう言うと立ち上がって休憩用のソファに座った。
俺は紅茶をカップに注ぐと一つを殿下の前に置いた。もう一つは俺用。持ったまま殿下の前にあるソファに腰をかけると殿下は大して驚くこともなく俺を見た。
「お前は本当躊躇なく座るよなぁ…」
殿下は「今更だけど」と付け足して言った。
「付き合えって言ったのは殿下でしょう?」
「他の人間なら確実に遠慮するぞ?」
「でしょうね」
俺はそう言いながら紅茶に口を付けた。
こんなふてぶてしい人間が殿下の執事をしているなんて何処の誰も思わないだろうな。
ま、実際俺は執事ではない。王家の影。それが俺の本職。影の存在は王族だけしか知らないから表では殿下の執事ということになってるだけだ。
「何か面白い話はないか?」
「胸糞悪い話なら」
「いらん」
「ではクレームですかね」
「……いらん」
「早く婚約者を決めろと多くの貴族からのクレームが」
「いらんと言ってるだろ!」
折角話題を降ってやっているというのにこの王子は…
「俺を話し相手にするのやめてもらえます?面倒なんですけど」
「おいぃぃぃぃ!!相変わらず直球だなぁ?!!」
俺は手に持ったままの紅茶を見た。
あぁ、彼女の目の色に似ているな…と思う。
ちょうど1週間前の夜会で出会った彼女…俺は彼女をずっと忘れられないでいる。
「…ロッサーニ男爵令嬢が」
「それはクレームの続きか?続けるのか?聞かなくちゃいけないんだな?俺は」
「殿下が悪いんですよ。いい年して婚約者を決めないから」
貴族の結婚は早い。婚約はもっと早い。生まれた時から婚約者がいるなんてこともあるくらい早い。
だけど、今の若い世代の子息息女たちで婚約者がいる者は少ない。
理由はただ一つ。将来この国を担う王太子に婚約者がいないため、である。
娘がいる家はどこの家も自分達にもチャンスがあるかもと他の子息と婚約させない。だから必然と子息たちにも婚約者がいない。
だけどいい加減殿下が決めてくれないと子息息女たちが生き遅れてしまう。子息息女たちの親たちは皆焦り出していた。
そんな中、今、1人の息女が問題となっている。
「分かったよ……ロッサーニ男爵令嬢がなんだって?というか…あそこに子はいたか…?」
「平民のメイドとの間にいたらしいですよ。去年ロッサーニ男爵夫人が亡くなり、先月喪が開けたため再婚して正式に娘となったようです」
「……不義理の娘か」
殿下が吐き捨てるようにそう言ったのは平民の血が流れている男爵令嬢に対する偏見でもなんでもない。ただ、不義理をする人間を嫌悪しているからだ。
事実、殿下はこの後口にするはずだ。
「クソだな、ロッサーニ男爵は」
ほらな。言った。
王族は血筋なのか、純愛主義者が多い。だから陛下も殿下に婚約者をあてがわないし、せかしもしない。
だからこうしてちょっとした問題が起こってるんだが……まぁ俺には関係ないことだ。
「で?その男爵令嬢がどうした?いい女なのか?」
「…まぁ、見た目はいい女なんじゃないですか?」
背が小さく、少し肉付きのいい身体。大きな瞳に、一歩下がって人の話をきちんと聞く姿は…まぁ普通に男受けするだろうと思う。
「中身は?」
「真っ黒ですね」
影はどんな感情も持ってはいけない。どんな事にも心を揺さぶられてはいけないし、心を殺して人形とならなくてはならない。それは一番最初に徹底的に教え込まれることだ。その次は人を見る目を養わされる。
影な俺は人間の腹の中の色がよく分かる。
あの女の腹は真っ黒だった。
子息たちとの距離が近いと他の令嬢たちから言われた時、ただ友人として会話をしてるだけだなんて言っていたけれど、本心は友人として近付いて惚れさせて婚約者の座を射止めたいという下心しかないのだろう。
その証拠に、あの女は一番低くても伯爵以上の爵位を継ぐ予定の子息か、高位貴族の将来有望とされる子息としか話さない。
殿下にその話をすると殿下は「アハハハハ!面白い」と笑った。
「結婚したらどうですか?」
「おい!なんでそうなるんだ!俺が言った面白いはそいつがいつどうやって転げ落ちるか楽しみだってことだ」
人間、皆、腹は黒い。黒さに差があるくらいで、皆腹は黒い。だけど、俺は殿下の腹の黒さは嫌いではない。
「まさかとは思うが、俺の側近たちは引っ掛かってないよな?」
「腹の黒さを分かった上で面白がって会話に付き合ってますよ」
「ふっ、流石俺の側近だな」
俺は「そうですね」と軽く頷いた。類は友を呼ぶとはまさにこの事だろう。腹黒な殿下の側近たちは皆殿下と同じ色の腹黒さを持っている。それもそのはず。宰相の息子も騎士の息子も、影と同じくらい人を見る目を必要とされる。あの2人は相手が影でなければどんな芝居にも騙されることはないだろう。
「クレームの内容はその女が男漁りをしていて迷惑だって話か?」
「まぁ、それもそうですけど…一番はその女、殺してもいいですか?って話です」
「ころ……えっ?!は…?!」
「どうもあの女、俺の思い人を嵌めようと企んでいるようで」
俺は紅茶にもう一度目を落としながら言った。
「……は?!?!」
「だから殺しの許可を頂きたいんですよね」
「…………待て待て待て…ちょっと待て……」
「殺していいですか?」
「いやいやいや!ちょっと待てって!そうじゃなくて!!は?!お前、好きな女がいるのか?!」
「はい」
「!!!!」
殿下は人生でこんなに驚いたことはないというくらいの驚きを見せた。
影はいかなる感情も持ってはいけない。だから本来恋などする訳がない。結婚をする影もいるけれど、それは偽装でありそこに感情はない。
俺が誰かに惚れることがあるだろうなんて…誰も、俺自身思いもしなかったことだ。だけど……俺は彼女を見た瞬間一目で恋に落ちてしまった。
「相手は誰だ?俺の知ってる奴か?!」
「ムカつくことに知ってますよ」
「ム……ってお前、それは嫉妬……か…?嫉妬なのか?!」
「彼女のことは俺が一番知っていたかったのに……」
「!!!!」
俺が人の感情を持ったことが嬉しいのか殿下は「そうかそうか」とにやけ顔を隠しもしない。
「で、相手は誰だ?」
「ベイナード侯爵令嬢です」
「シエラか?!」
「勝手に名前呼ばないで下さい」
俺がそう言うと殿下は何が面白いのか、まぁ俺が面白いんだろうが、「…アハハハハ!」と大声で笑い出した。
「シエラは…いや、ベイナード侯爵令嬢は確かにいい女だな」
「殺しますよ?」
「待て待て待て!ナイフを仕舞え!俺はシエ…ベイナード侯爵令嬢に恋愛感情はないから!」
「幼少期、婚約者候補として会ったものの芽生えたのは友情。現在の側近たちと一緒にそれはもう仲良く楽しく幼少期を過ごされたんですよね」
「よくご存知じゃねーか」
「しかし少し男まさりに育ってしまった娘に困ったベイナード侯爵は淑女教育の為に6歳の彼女を隣国の親類の家に預けてしまったのでその後は文でお互い近況報告をしていたんですよね」
「あ、あぁ…」
6歳から影としての教育を受け始めた俺はそのせいで彼女とは会ったことがなかった。
先月やっと帰国したらしく、彼女の帰国を祝うために開かれた先週の夜会で俺は彼女に初めて会った。
「調べ尽くしてるなー?さすが王家の影っ!」
「調査はきちんと勤務時間外にしていますよ」
「別にそこはどうでもいいよ。俺が取り持ってやろうか?」
「何ですか、その俺の方が彼女を知ってる感。上から目線やめてもらえます?殺しますよ?」
「ごめんなさい、殺さないで下さい」
影は誰よりも強くなければならない。騎士たちよりも誰よりも。
歴代の影の誰よりも腕が立つと言われている俺。証拠を一つも残さずに人一人消すことは息をする事と同じくらい簡単なことだ。影が謀反を起こさないのは感情がないからに過ぎないけれど起こそうと思えばいくらでも起こせる。
殺さないでと言いながらぷくくくと笑ってる殿下に本当に殺してやろうかとうっすら思うとその殺気を感じたのか、殿下は瞬時に笑うのをやめた。
「いや、うん、本当にゴメンナサイ。それで…なんだっけ?」
「クソみたいな令嬢を殺していいですかって話ですよ」
「いや、その話はおいとけ…!そうじゃなくて…色々聞きたいことがあるが……まぁそうだな。どこが気に入ったんだ?シエ… ベイナード侯爵令嬢の」
「真っ白な所です」
彼女は今まで見てきた誰よりも腹の中が白かった。
こんな人間がいるのかと衝撃的だった。
欲しい、と思った。
こんな闇より黒い俺が手を出していい白さではないとは思ったけど、誰にも渡したくないと思ってしまった。
俺の本気を察したのか、面白おかしそうに向けられていた目が少し真剣なものに変わった。
「……今度王家主催の夜会があるだろう?」
「はい」
「参加しろよ?」
「当然です」
間髪入れずに言うと殿下は満足気な顔をした。
夜会には彼女も来る。養子ではあるが俺も伯爵家の子息。参加権はある。その日は殿下の付き人ではなく伯爵家の息子として出る予定だ。
彼女に婚約者はいないから。彼女が誰かに取られる前に、彼女が誰かを好きになる前に…
俺のものにするために。
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貴族が集まるパーティや茶会では爵位が低い者が先に着いていなければいけないという暗黙のルールがある。
今か今かと彼女を待っていると、彼女は父親にエスコートされて登場した。
俺は彼女を目に入れると息を呑んだ。
何があっても心を動かすな、動揺を見せるなと心を殺された俺が、だ。
美しい空色を映した透き通った泉のような色のドレスを身に纏った彼女。
そのドレスは白に近い彼女のブロンドの髪によく似合っていて…天使…いや、女神かと思うような美しさだった。
彼女に魅入っているうちに王族が入場した。勿論殿下もいる。
陛下の挨拶が終わると夜会の始まりだ。
始まると殿下は直ぐに俺のところにやって来た。他の側近たちも集まる。
「よ。殿下から聞いたぞ。シエラ嬢が好きなんだって?」
「殺しますよ」
「いきなりっ?!?!」
「マジじゃねぇか…殿下の言ってた通りだな…」
宰相の息子、カールも騎士の息子のジョーイも面白いものを見るような目で俺を見た。
対外的には俺は仮面を被る。笑いもする。だけど人間の本質を見抜く力があるこの2人はそこに俺の感情が乗っていないことを知っている。俺が何にも感情を揺さぶられる男じゃないことを知っている。
「やっほー。先週振りね!」
3人に囲まれていると、シエラ嬢が声を掛けてきた。
彼女は長い間受けてきた淑女教育の成果はこの3人の前では出さないらしい。
「こんばんは、レイモンド様」
「……どうも…」
俺の名前は先週会った時に告げていた。そして家名ではなく、名で呼んでくれと伝えていた。
それを守ってくれている彼女にやはり愛しさを覚える。
「………」
ふと嫌な臭いがするなと思ったらロッサーニ男爵令嬢がこちらに歩いてくるのが見えた。
俺はすぐにシエラ嬢を自分に引き寄せた。
え?と戸惑った顔をしたのはシエラ嬢ともう1人、ロッサーニ男爵令嬢だった。
「…シエラ嬢にぶつかるつもりだったな?」
「……え…?」
悪巧みを暴かれた時、どんな人間も必ず動揺を見せる。表にどれ程表すかは人それぞれ当然違うけれど、どんな人間も必ず動揺する。そして、鈍感な人間なら気付かないそれも、敏感な人間が読み取れなかったそれも、影は全て簡単に読む。
ロッサーニ男爵令嬢は普通の人間なら気付かないくらいほんの極僅かにだけ眉を寄せた。
不愉快そうに歪められたその眉は俺が突然不躾に言い掛かりのような言葉を投げつけたせいで動かされたものではなく、邪魔をされ、そして自分の企みを当てられた不愉快さからだ。
「さも自分がぶつかられたように装ってそのグラスの中身を自分のドレスにかけるつもりだったんだろう?」
俺はシエラ嬢を自分の後ろに置いて言った。
ロッサーニ男爵令嬢はまた普通の人間なら分からないくらい僅かにその大きな瞳を細めた。
「…どうしてそのようなことを私が…?」
今度は思いっきり眉を下げ言うロッサーニ男爵令嬢。
舞台女優にでもなれば評価されるのだろうその演技力も…まぁやはり俺には無意味極まりない。
「彼女を使って殿下に近付こうとしたんだろう?」
「私が…殿下に……ですか…?!そんな!そんな恐れ多いこと考えていません!」
「恐れ多い?高位貴族の子息たちと話すのは恐れ多くはなかったのか?」
「……何が仰りたいのでしょうか…」
「シ」
ネ。死ねと言いかけたところで殿下に口を抑えられた。
「君の話は側近たちからよく聞いてるよ」
「で」
殿下、と言いたかったんだろう。助けて下さいとすがりたかったんだろう。
だけど殿下は女の言葉を遮った。
「あぁ、喋るの?私は君に喋る許可を与えていないけれど?」
「っ、!」
「カール。君は私に彼女のことをなんて教えてくれたんだっけ?」
「最近男漁りをしている距離感のおかしい頭の悪そうな女…いえ、女性がいる、とお話しさせて頂きました」
カールが真顔で伝えた。
女を女性と言い換えただけで内容は一切言い換えないのがこいつのいい所だ。
ジョーイもカールの言葉に「ハハっ」と笑う。
ロッサーニ男爵令嬢は今度は「は?!」という顔を隠さなかった。隠すことも忘れるくらいカールの言葉が、微塵も助ける素振りのないジョーイが衝撃的だったんだろう。
自分的にはいい感じで距離感を詰めれてると思っていたから。
つくづくアホな女だ。
「彼女はお前たち2人のことを友人だと言っていたそうだが、お前たちはそのことをどう思う?」
「ロッサーニ男爵令嬢が友人ですか?」
「「ありえない」」
2人は声を揃えて言った。
貴族の男女の間に友情は成立しない。婚約者ではない男女が仲良くしていれば周りによからぬ想像をさせるからだ。それは結婚してからも同じだ。すぐに不貞を疑われる。
殿下たちはシエラ嬢を友人だと言い張るが、それには友情だと言い張れるだけの理由がある。
”あいつは俺らにとって男友達でしかないんだって!テーブルを付き合わせて茶を飲んだのなんて最初のたった一回だけだぞ?辛い剣術修行を一緒に耐えて芽生えたのは友情!それ以上でも以下でもない!”
殿下はそう言っていた。
「本人を目の前にして言うのもなんですけど、わざわざ他の者たちから疑われるようなリスクをおかしてまで仲良くするだけの魅力なんて…どっからどう見てもこの方にはないでしょう」
カールがゴミでも見るかのようにクソ女を見て言った。
ジョーイはうんうんと頷いている。
「シエラとの関係やシエラの話ばかり聞き出そうとするから何か変なこと企んでいるんだろうと泳がす為に話し相手になっていただけです」
「右に同じ」
カールが言ってジョーイが言った。
本当に類は友を呼ぶよな。殿下によく似たこの2人の腹の黒さもやはり俺は嫌いじゃない。
「シエラ嬢、テラスへ行きませんか?」
俺はその場を3人に任せることにしてシエラ嬢に手を出した。
シエラ嬢は「え?」と戸惑いながら「あ、はい」と言って俺の手を取ってくれた。
昔剣を握っていたという話通り、その手は少し男性に似た手だったけれど、だけれどしっかり女性らしい手でもあった。
「あの…ありがとう…ござい…ました?」
「………ハハッ!あ、いえ、すみません。そうですよね。あなたからすると意味不明ですよね」
急によく知らない女性に俺が詰め寄ったかと思いきや、殿下たち3人も追従して。困惑して当然だ。
「よく分からないですが……何か悪い事柄から守って下さったんですよね?」
丁寧な物言いにやっぱり殿下たちへの嫉妬心を感じる。俺にももっと砕けて話してくれていいのに。
「シエラ嬢、突然で驚かせることになってしまうことを承知で聞いていただきたい話があります」
真正面に顔を合わせて言えばシエラ嬢は「え…」と少し嫌そうな顔をして「いい話ですか……?」と不安そうに聞いてきた。
あぁ、本当にやばい。可愛すぎる。
「いい話かどうかはシエラ嬢の捉え方次第としか言えません。私としてはいい話だと思って頂けることを祈ってますが…」
申し訳なく思いながら伝えるとシエラ嬢は「えー!なんだろ?こわーい!」とケラケラ笑った。
心臓を刺されたんじゃないかと思うくらいの衝撃の可愛さだ。
殿下たちは幼少期の頃の話とはいえ、こんなにも可愛らしいシエラ嬢と同じ時を過ごしていたのか…
今度物凄く不味い茶でも出してやろう。
「あなたが好きです。俺と結婚して下さい」
「………わぁ」
目を大きく開いてきょとんとした顔をするシエラ嬢。
あぁ、今すぐ抱きしめたくなるくらいの可愛い反応だ。
彼女にとっていい話だったかどうかは顔を見れば分かる。俺が影じゃなかったとしても分かったと思う。
彼女の言った”わぁ”は恥ずかしい気持ちを誤魔化すための”わぁ”。嬉しい気持ちを誤魔化すための”わぁ”。……だったと思う。人間の感情を読むのは誰よりも得意なはずなのに彼女相手だと自信がなくなる。
「返事を…頂けますか?」
「父に…聞いてみます……」
シエラ嬢は消え入りそうなくらいの小さな声で目を彷徨わせながら言った。
「もし、駄目だと言われたら…剣を抜いて…いいと言って貰えるまで説得します」
殿下たちがここにいたら「淑女教育どこ行った!?」などと言うのだろうが、俺は剣先を自らの父に向けて脅すシエラ嬢が簡単に想像できた。
愛しい愛しい愛しい。愛しい以外の言葉が見つからない。
紅茶のような綺麗な透き通った瞳。
真っ白なのに、黒い彼女。
「……………まじで最高なんですけど…」
最後までお読み頂き有り難うございました!
前回書いた短編が気付いたらランキングに入っていて嬉しくてまた書いてみました。
評価、ブクマ、本当に励みになりまた書こうという気力になります。ありがとうございます!
こちらも評価、ブクマ頂けると嬉しいです!