第41話 ラブル地帯の怪異
*
「親父! お袋! モモ! 起きてくれよ!」
荒らされた石造りの家の中で叫び声が聞こえる。
血に塗れた手で大切な人達の亡骸を抱き抱え泣き叫ぶ少女。
暗い、とても暗いのにその空間の赤色が嫌というほど目に焼きつく。
「あたし帰って来たんだよ! 帰ったら一緒にご馳走を食べようって約束したじゃないか!!」
変わり果てた家族を見ながら少女は狂ったように叫ぶ。しかし返事は返って来ない。いくら叫んでも返ってくるのは外からの喧騒と、ポタリ、ポタリと落ちてくる血の音だけだ。
「ひとりに……しないでくれよぉ…………」
少女の叫びは嗚咽に変わる。なんでこんなことに、なんでこんなことに。少女の心の奥底からの悲しみは徐々に怒りと憎しみに変わって行った。
そうして少女は全てを失った。
*
「…………」
船の揺れる感触と共に目が覚めた。
暗い船室には僕とシアー、そして五人の船員が横になって寝ていた。
「…………まだ暗いな」
船室の窓から見える景色はまだ夜明け前の暗さ。そしてこの船室内で起きているのは僕だけのようだ。
二度寝しようと思ったが、思いの外目が冴えてしまった。
「はぁ……」
このまま横になっても仕方がない。僕は周りを起こさないようにして船室から甲板へ出て行った。
「少し冷えるなぁ」
外は未だに暗いが、水平線の先には薄らとオレンジ色の光が見える。
帆が畳まれゆっくりと揺れる船内で僕は甲板の手すりに手を置きながら、何か考える訳でもなくぼーっとしながら夜明け前の海を眺めていた。
「あれ? サミーの旦那?」
ふと背後から声が聞こえた。振り返るとネックが木箱を持ちながら驚いた顔で僕を見ていた。
「こんな暗い時間に甲板にいるのは珍しいっすね」
「たまたま目が覚めたんだよ。ネックはどうしたんだ?」
「俺は暗礁のための準備をしていたんです」
「準備?」
「えぇ、操舵輪の動きの確認とバラの姉御が全力で動けるための準備を」
そう言ってネックは柱の方を指差した。そこには船首から海を一望できる一つの台座、指揮台らしきものが置かれていた。
「暗礁では俺の舵と姉御の風魔法が大事になってきますからね。万全でやるためにこうして朝早くから準備してたんすよ」
「なるほど」
さすがこの船の水夫長だ。彼のこういった行動が安全な航海を保証しているのだろう。
最初に出会った時のニヤニヤしながら襲って来た時とは印象がまるで違う。
「旦那ぁ、それは姉御に襲えって言われたから仕方なくやっただけですからね」
「あはは、あの時は容赦なくやって悪かったな」
何はともあれ暗礁地帯は彼の操舵術とバラの風魔法で突破するのか。
そういえば一つ気になることがあった。
「バラの魔法はどうやって習得したんだ? 出航する時に見ただけだがかなりの実力だぞ」
規模だけ取ってもかなり大掛かりな魔法。それをやれるのはかなりの実力者ぐらいだ。
「あの魔法ですか? 実は俺達も知らないんですよ」
「知らないのか?」
「ええ、姉御は『勇者から教えてもらった』とだけ言って他はまったく知りません」
「勇者ぁ?」
なんとも眉唾な話、だが何故だが納得できてしまった。あんな魔法を使えるのはそれこそ勇者みたいなヤツぐらいしかいなさそうだから。
「まあ気にしてても仕方ないっすよ。それより今日の航海の成功させましょうよ!」
「…………それもそうだな」
ネックの言う通り気にしても仕方ない。まずは目の前の問題を解決しよう。
海の方を見ると水面に写る太陽が大きくこちらへ近づいている。もうすぐ夜明けだった。
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太陽が真上に上がった頃、暗礁地帯の近くに到着した。
青々とした海から、黒い岩の影の斑点模様が目立っている。船はしっかりと重さを確保し、潮に流されない対策をしているが油断は禁物だろう。
「よーし! ようやくアタイの番だな!」
バラはこんな状況でも元気に笑っている。
そうして指揮棒を取り出して柱の前に建てられた指揮台に立った。
「ネック! 準備は良いかぁ!?」
「オーケーです姉御!」
ネックは首を鳴らして操舵輪をがっしりと掴みながら返事をする。
さあ突入の時間だ。バラは声高々に言葉を発した。
「"希望の風、この旅路に祝福された黄緑色の風を━━」
オーケストラを奏でるように指揮棒を振りながら詠唱を紡ぐ。出航の時とは違う静かなオペラの歌のような声が響く、高いソプラノの声は海をゆっくりとゆすり、小さなさざ波を立てた。
あぁ、とても綺麗な声だ。
「━━晴れやかな太陽と波のハーモニーを奏でさせてくれ"」
そして出航の時のように大きく手を広げた。
「"ウィンドオブエタニティ…………リービング"」
その言葉と同時に暖かい風が吹いた。
柔らかく背中を押すような風、晴れやかな祝福の風は帆を押し、ゆっくりと船を進めさせた。
一歩、また一歩と歩くように船は進み暗礁地帯に入って行った。
「くぁー疲れた! おいネック! あとは頼んだぞ!」
「あいよ! バラの姉御は次の時までゆっくり休んでてください!」
そう言ってネックは手描きの地図を頼りに暗礁地帯を進み始めた。
「…………」
「ネックが心配か?」
操舵席を見つめる僕に向かってバラが声をかけた。
「大丈夫さ。アイツは自分の家より長くこの船で過ごしてるんだ。この船を自分の身体を動かすように操れるのさ」
「そうか…………」
バラがそう言うのならそうなのだろう。僕が心配してても仕方ない。
「ま、嬢ちゃんと一緒に硬いパンでも食べながらゆっくり休みな」
「あぁ、そうしよう」
こうして僕達は最後の航海へと赴いたのだった。
*
暗礁地帯に入ってから三時間ぐらい経った。船は牛が歩くようにゆっくりと進んでいた。
「よーし、一区切りだ! 少し休憩にするぞ!」
しばらく黒い岩に囲まれた海を進んで行くと、大きく開けた場所に辿り着きネックが声を上げる。
「はぁ……やっぱり疲れるぜ……」
「お疲れネック! さ、飲みな!」
バラは緊張と疲れて汗まみれのネックを労っていた。
三時間ずっと神経を尖らせながらこの『ラブル地帯』で船を動かしていたのだ。疲れるのも仕方ないだろう。
「結構広いな」
「でも綺麗な景色です」
シアーと共に周りを見渡す。切り開かれたようなこの場所はまるで暗礁が船を丸く囲んでいるようだ。
だが、青々とした海に覗く黒い岩肌、そしてその中心で揺れる一隻の船。意外と絵になる光景だ。
「シアーは船酔いとかは大丈夫か?」
━━━ガン
「はい。身体は元気いっぱいです」
━━━ガン……ガン
「なら良かった。とりあえずはネックの休憩が終わるまで…………?」
━━━ゴン! ガン!
何か聞こえる。音、それも岩のような硬くてデカい物が壊れるような音。そんな音がこの船に向かって近づいて来ている。
「見張り! 周りに異常は無いか!?」
「え、異常っすか? いや特には……」
━━ゴンッ!! ゴンッ!
「この音が聞こえないのか! 岩が壊れるような音が━━」
言葉は続かなかった。ザッバァーンという水の弾ける音と共に大きな波がこの船に乗り上げたのだ。
水浸しにされる船内を見つめ、ふと顔を上げると。
「━━ァァァゥゥ!」
それは一昨日も見た緑色のヘビのようなゴツゴツした色合いの肌に大きく見開いた瞳、大きく強靭な顎の生き物。そして…………超巨大。
「嘘だろ…………」
そこには見ただけでも体長が20メートル、太さは3メートルを超える。一昨日のヤツとは比較にもならないその姿はまさに『青海のドン』。そんなヤツが僕達の船を鋭く睨んでいたのだった。
「━━ァァァァァァァァ!!」




