第36話 東奔西走クルージング
海は気まぐれな女神のようだと誰かが言った。
それはそうだ。実際にこの海には女神がいるんだからな。
*
出航してから三時間ほど経った。バラは充分に休息を取り、今では元気に船員達に号令をしている。
目的地まで大体五日ほどかかる。なのでそれまではこの船での仕事をこなさなければならない。
「うーん! 船の上は揺れるなぁ」
身体を伸ばし、準備を整える。そうしていると大きな声が響いて来た。
「おーい! 帆の調整をするぞ!!」
「「「了解!!」」」
その掛け声を聞いた僕と船員達は、共に柱に括り付けられた帆を継ないでいるロープを引っ張り始めた。
船上の仕事で一番多いのが帆の角度調整だ。
帆船は風を帆で受けて移動する。しかし風は気まぐれな存在、常に理想な位置に吹いてくれるとは限らない。故にその都度帆の角度を調整しなければならない。これが結構力を使う、のだが。
「はぁ!!」
ロープを思いっ切り引っ張り、あっという間に帆をしっかりと横風で受け取れる場所に調整できた。
「おぉ! お前すごいな!」
リーダーの男が驚きの声を上げた。周りの男達も感嘆の目で僕を見ている。
「いや、そんなに大したことないよ」
「うん、そうなのか?」
神様の力を受けたこの身体ならこの程度の仕事は容易くできる。言ってしまえばそれだけのことだ。別に自慢できるものじゃない。
「次やる時にはまた声をかけてくれ」
「おう! 助かったぜ、ありがとな!」
そして僕は甲板にいるシアーの元に向かう。彼女は海を楽しそうな目で眺めていた。
「シアー」
「あ、サミー、お手伝いは終わりましたか?」
「一応はね。また呼び出されるかもしれないけど」
「そうでしたか、それまではゆっくりしましょう」
こうして僕とシアーは甲板に座り波打つ海と、青い空を眺めて過ごした。
「おうネック! 次は三倍だ!」
「ちょ、姉御、勘弁してくださいよ〜」
後ろでワイワイとゲームをしているバラと男達の騒ぎを背景に。
「元気なヤツらだなぁ」
「元気なのは良いことです」
今のところ海の上は平和だ。できればこのまま何事も無いことを祈ろう。
*
しかしその祈りは儚く散った。
「魔物は僕がやる! バラとシアーは船室に入って積荷を守れ!」
「頼むぞ! 嬢ちゃんも任せろ!」
「シャー!!」
ピラニアのような鋭い牙を持つ大量の魚の魔物が船に飛びついてくる。
船員達もカトラスを持って応戦するが立て続けに魔物は船に雪崩れ込んでいてキリがない。
「二人一組で戦え! 一人だとすぐにやられるぞ!」
「おう! わかった!」
「シャー! シャー!」
船員達に指示を出し、魔物の飛び交う船を駆け抜ける。
コイツらの怖いところは集団で一斉に襲いかかるところだ。早くしなければ。
そうして魚どもを蹴散らしながらその場所に辿り着く。
「……ここが良いか」
場所は船の船尾。魔物が一番多くいる場所で尚且つ船首までを一望できる。
そして、魔物達へ一気に方をつけられる場所だ。
「どこかに捕まれ! 魔法でコイツらをまとめて吹き飛ばす!」
「りょ、了解!」
そう叫び、剣を持たない左手を前に出し言葉を紡ぐ。
「"猛き水よ、渦となり水の刃を以て敵を切り裂け"」
左手を握りしめ、身体に流れる魔力を集中させる。
そして船の柱に狙いを定め。
「"スプラッシュウェアー!"」
魔法を放つ。それは小さな渦、掌ほどの大きさの渦は柱に向かって飛んで行く。そして魔法が柱に触れると。
強力な風の渦が柱を囲うように渦が大きくなり強力な風が吹き出した。
渦巻く突風は帆を揺らしながら魔物達を吸い寄せ、巻き込んでいく。
「「「シャー! クシャー!」」」
今の魔物達は文字通り水を失った魚。渦に切り裂かれながら回り続けるヤツらにもう襲いかかる力は無い。
そして。
「吹き飛べ、"ブロウ!"」
パチンと指を鳴らす。それと同時に大きな渦が弾けた。渦に巻かれていた大量の魔物達は弾け飛び、海に飛び散った。
「………………」
船を見渡し、残りの魔物がいないのを確認する。
敵の影は無い。船の被害はマストの角度が少し傾いてしまったぐらいだ。
「よし、終わったな」
「「「「ウォーーー!! やったぜ!!」」」」
男達のけたたましい声が響く。そしてバラがシアーと共に船室から出て来た。
「すごいじゃないかぁサミー! あんな魔物の群れを一瞬で蹴散らすとは!」
「怪我が無くてよかったです」
二人とも安堵した表情で僕を見た後、バラは周りの船員へ目を向けた。
「お前らは大丈夫だったか?」
「へい! あいつのおかげで助かりましたぜ!」
リーダーの男が僕を指差しながら笑って答えた。
二人ほど怪我をしたが、傷は浅く治療すればすぐに元気になるだろう。
「それにしてもすごかったぜ! こう水がブワァッて回って魔物共を吹き飛ばしたんだ!」
「ほぉ!? そりゃあすごいな!」
「まあ……成功できてよかった」
僕はあの日まで水魔法を碌に使っていなかった。しかしその技量不足を補うために僕は真似をしたのだ。
あの魔法もシオンが使っていた風魔法を水魔法に応用したやつだ。
初めての試みだったが神の力は偉大らしい。簡単に使えてしまった。
「ハハハ! やはりアタイの目は狂っていなかったな!」
バラは大笑いしながら僕の肩をバンバンと叩いた。
結構痛い。
「よし、それじゃあ帆の調整をした後に再出発するぞ!」
「「「「了解!!」」」」
その掛け声と共に船は再び動き出した。
*
喧騒の昼間を終え、静寂の夜が訪れた。
帆は畳まれ、錨が下ろしてある船はゆっくりと揺れながら広い海に佇んでいる。
そんな時間に僕は甲板に出て海を見ていた。
「………………」
暗い、とても暗い海を眺める。
青黒い波は静かに揺れてこの船をゆっくりと、どこかへ運んでいる。シアーと船員は既に船室で寝ており、この甲板にいるのは僕だけ。僕は何も考えずにその光景に身を委ねていた。
時折吹く波風が一つの線のように海を駆けている。とても綺麗な眺めだ。
「………………」
「おや、先客がいたか」
後ろから高い声が聞こえた。振り向くと紺色のバンダナを巻いた女性、バラが酒のボトルを片手にこちらに近づいてきていた。
「ハハハ、良い景色だろ?」
「あぁ、魔物の群れが襲って来たのが嘘のようだ」
「アタイの楽しみなんだ。船の上は楽しみが少ないからな」
そうして酒瓶を口に付け、中身をゴクリと飲んだ。
細長い足を組み、笑いながら、酒を飲む。その様子は海の女とでも言うのか、とでも絵になっていた。
「というか酒を持って来たのか」
「そりゃあそうだ。いい景色を見ながら酒を飲む。これに勝る楽しみは無いね。なんならサミーも飲むかい?」
手に持ったボトルを差し出しながら聞いて来た。
「アンタの口を付けたのを飲めるか」
「はあ、連れないねぇ」
そう言って彼女はもう一口酒を飲んだ。
どうやら彼女、酒は結構イケるタイプらしい。
「………………」
「………………」
再び訪れた静かな時間、僕達は無言で海を眺める。
それにしても今日は忙しない一日だった。バラ達と共に船を出航させ、シアーに名前を付け、帆の位置を何度も調整し、襲って来た魔物の大群を撃退した。
まさか初日からこんなに忙しいとは思ってもいなかった。
「お、見てごらんよ」
「うん?」
彼女は空を指差した。
そこには満点の星空が光り輝いていた。
赤、黄色、青。様々な色の星が僕達を照らし、ゆっくりとその影を海に映し出している。
「はぁ、いいなぁ」
「………………」
感嘆の声が静かな夜に漏れた。
細長い脚で爪先立ちして微笑みながら海を眺めていた。そんな微笑みを浮かべて海を眺めるバラの姿が少しだけ、ほんの少しだけ綺麗に見えた。




