第35話 透き通る風、透き通る船出
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まだ太陽の顔が見えない朝、酒場を出た僕は港の停泊所に向けて歩を進めていた。隣には青白い髪の少女、まだ目が覚めていないのかボーっとした表情で僕と手を繋ぎながら歩いている。
「ふわぁ…………」
「三番、三番……この辺りだと思うんだけど」
港には何隻もの船の列が並んでおり、この夜明け前の港を彩っている。
直前に見た停泊所の番号は四。バラに指定された三番停泊所とやらはまだ見つからない。だが、着実に近づいてはいるのだろう。
「おや……?」
しばらく歩いていると、一隻の船の前にある集団がいた。その集団の顔には見覚えがある。昨日僕達に絡んで来た男だ。
彼らの近くにある船を見る。
それは長さ15メートルほどの小さな帆船だった。
一本の柱に帆がかけられており、小さいながらもしっかりとした作り、そして柱のてっぺんには手描きであろう豚の絵が描かれた旗が掛けられていた。
「お! 来たね来たね!」
紺色のバンダナを頭に巻いた女、バラが船の上から僕達を見つけて手を振り、そして船から飛び降りた。
「あ、おい!」
待て、いくら小さい船とはいえ二階から飛び降りるようなものだぞ。
このままでは地面に激突してしまう、だが。
「"ソーフィーステップ!"」
しかし、バラはまるで鳥の羽根のようにゆっくりと落ちていた。
彼女は細長く綺麗な足でふわりと柔らかく地面に着地し、僕の元に駆け寄った。
「約束通り来てくれたねぇ! 来なかったら酒場に殴り込んでたところさ」
「お前、魔法が使えたのか」
「言ってなかったか? まあ軽く使えるぐらいさ」
そう言って彼女は僕の疑問を風のように受け流した。
まあいい、別に彼女が何の魔法を使えようとも関係ない。
「さあて、役者も揃ったことだし、早速出航しましょうかね! ほらアンタら! さっさと乗りな!!」
「「「「ヘイ! バラの姉御!」」」」
そうして男達は駆け足で船に乗り込み、帆を張ったり、荷物の積み込みをしたりと、出航の準備を始めた。
「改めてアンタに頼むのはこの船の護衛。アタイ達もそれなりに戦えるが、魔物や海賊相手には対応が遅れてしまう。だからアンタにはそれらを倒してアタイらの大事な積荷を守って欲しい」
「目的地は?」
「ここから東にある『フェリアル』っていう国さ。到着まで五日とかからないはずさ」
『フェリアル』というのは緑に囲まれた自然の国だ。耳長族が多く暮らしており、恵まれた土地で農業や狩りをして暮らしているらしい。
「わかった」
「よし! それじゃあよろしくな、サミーよ!」
そう言ってバラは右手を差し出し握手を促した。
「あぁ、よろしく」
僕は出された手を握り返す。
短い付き合いだが同じ船を共にするのだ。握手ぐらいやっておいても損は無いだろう。
それに、裏の稼業の人間は信頼を何よりも重んじる。彼女は僕の質問にちゃんと答えてくれたのだ。それは信頼できる。
「サミー……もう朝ですかぁ」
彼女が眼を擦りながら話しかけて来た。
「もうすぐ船に乗って海に出るよ」
「海…………海ですか」
と、いきなり眼を見開かせた。
昨日までは海を見てもそこまで反応しなかったが一体どうしたのだろうか。
「海の先には沢山のごはんがあるのですよね。わたし、それを食べてみたいです」
あ、なるほど。海の向こうにある色々な国の料理を食べてみたいということね。昨日のパエリアを沢山食べたのもだけどこの娘、結構な食いしん坊なのね。
「さ、もう出航するぞ! 船に乗り込みな!」
そうして僕達は船に乗り込んだ。
中心には帆を張るための柱。船首と船尾も広く余裕のある作り。見ただけでも立派な船というのがわかる。
「帆を張れ! 錨を上げろぉ!」
船の上では六人の船員達が忙しなく動き回っていた。しかしその手際はかなり良く手慣れている。
あれ、そういえば。
「バラ、風はどうするんだ? 今は吹いていないだろ」
「そのことか? まあ見てなって」
彼女はニヤリと笑って応える。
帆船は風がないと進むことができないはずだ。一体どうやって動かすのだろうか。
「姉御ぉ! 準備完了しましたぁ!」
「よっしゃあ! 一丁やるぞ!」
そう言って彼女が懐から取り出したのは細長い指揮棒だった。
そしてオーケストラの指揮者のようにその指揮棒を振るい始めた。
「"恵みの風、アタイらの旅路に黄緑色の風を、そしてこの晴れやかな朝日のハーモニーを奏でさせてくれ!"」
指揮棒を振りながら声高々に紡いだそれは詠唱。しかもシオンがやるような強力な魔法の詠唱だった。
そしてバラはフィナーレを飾るように両腕を大きく広げた。
「"ウィンドオブエタニティ……ファニット!!"」
その声が響くと同時に柔らかい風が僕達の背中を押した。その風は少しづつ帆を揺らし海の上に浮いた帆船を前に進ませる。そしていつしか船は広い海を優雅に帆走し始めた。
「すごい……」
「とても綺麗です」
彼女、ここまでの魔法を使えたのか。
まさか風の魔法を使って船を動かすとは。それにこれほどの規模の魔法はシオンやライングぐらいしかやれないと思っていた。
「くぁー! やっぱりこいつは疲れるねぇ!」
そんな大規模な風魔法を使ったバラは指揮棒を懐に仕舞い、疲れたように船の柱に足を組みながらもたれ込んでいた。
「お疲れ様。驚いたよ、こんな強力な魔法を使えるとは思わなかった」
「ハハハ! まあアタイもそれなり魔法の勉強したからな! だけどご覧の通り、一度使うとこうして休憩しないといけないんだ」
ふう、と息を吐きながらバラは笑いを浮かべていた。
おそらく、彼女は魔法を扱う能力はシオン並みだが、体内の魔力量が少ないのだろう。故に大規模な魔法を使えば疲労してしまうのだ。
「魔法に関してはほぼ独学でね。戦闘ではてんで役に立たないのさ」
これに関しては仕方ないことだ。大規模魔法は言ってしまえば全力で走るようなものなもの。そして鍛えたアスリートと鍛えていない一般人が全力で走れば一般人のほうが先に体力が消耗するものだ。
「ま、アタイに関してはいつもこんな感じさ。それよりな」
「え?」
そう言って彼女はある方向へ指を差した。
その先にいたのは、青白い髪の少女。あの神様の巫女の娘が甲板から海の方を向いている。
「嬢ちゃんのところへ行ってやりなよ。そんで気の良い一言でもプレゼントしてきな」
「あぁ、そうだな……。ありがとう」
そう言い残し、僕は少女の隣へ歩み寄った。
少女は目を輝かせながら波打つ海を眺めていた。
「海は、初めて見るの?」
「はい。わたしはずっと神様の元で眠っていました」
あの一面に広がる青い空。彼女はずっとそこで一人だった。僕がそこに訪れるまでは。
「だから見る物、聞く物、食べる物、感じる物。全てが初めてなんです」
「そっか…………」
「その初めてがとても楽しいんです。エンジュさんに服を作ってもらって、怖い人達と喧嘩して、美味しいごはんを食べて、そしてサミーと出会ってこうして一緒に歩くのがとても楽しいんです」
その横顔に映った表情は笑顔。僕と彼女が出会って三日、それまで見なかった初めての表情だった。
「この綺麗な景色もサミーと出会ったから見ることができました。本当に…………ありがとうございます」
『うん。ありがとう』
「…………っ」
とても大事な、大事な人の温もりの残滓がフラッシュバックする。
そうだね。僕がいたから彼女がここに存在している。それだけは変わりないか。
そんな時、太陽が海の向こうから姿を現した。夜明けだ。
「綺麗…………」
「あぁ………」
透き通るような水の先から見せるオレンジ色の光。そして海を揺らす爽やかな緑色の風。
その光と風は僕と彼女の新たな旅立ちを応援するかのように輝き、吹いている。
「そういえば、君の名前ってまだ付けて無かったよね」
「はい」
この景色を見て思いついた。少女の名前を。
透き通るように綺麗な髪と心を持つ彼女の名前を。
「『シアー』って言うのはどうかな?」
「シアー…………」
その意味は『透き通る』。安直だけど、この景色を見てこれ意外に思い付けなかった。
「どうかな」
「シアー………シアー………」
彼女は目を閉じ、ゆっくりとその名前を呟いている。そしてしばらく呟いた後に目を開き。
「とても、いい名前だと思います」
「なら…………!」
「はい。今日からわたしの名前はシアー。神様の巫女であり、あなたに仕える者、シアーです」
夜明けの太陽に照らされながら彼女は青白い髪を揺らしながらぎこちない笑みを浮かべた。
これが、彼女……シアーと初めて心が通った瞬間だった、と思う。




