第31話 誘惑する薔薇の香り
✳︎
目の前には垂れた眉毛、眠そうな茶黒い瞳孔、跳ねてパーマみたいになっている青みがかった黒髪、そして眉間の皺が増えており一昨日より少し大人びている童顔が写っていた。
「あー、土埃で結構汚れてるなぁ……」
僕は今、紫色とピンク色の目立つ場所に店にあるとても綺麗な立て鏡の前で顔の調子を確認していた。何年経っても変わらない童顔に少々うんざりするがもう慣れた。
「それにしても怪我が全て治ってる……」
先の巨大オオカミとの戦闘では顔どころか全身重傷になっていた。だか、その時の傷は全て塞がっており、まるで最初から無かったかのようだ。
これが、あの神様とやらの力だろうか。まあ痛いのは嫌だったから治してくれたのは素直にありがたい。
「あの、なにをしているんですか?」
そんな僕の様子をジーッと眺めていた水色の髪の少女が話しかけてきた。その声色は疑問と困惑が入り混じっている。
「あぁ…………、昔からのクセでね。自分の顔を確認していたんだよ」
「なんでそんなことを?」
「何でと言われると返答に困るな……。まあ定期的にやらないと落ち着かないからかな」
「そうわよねぇ〜、お姉さんも自分の顔を見てうっとりしちゃうことあるわぁ〜」
店の奥から猫撫で声と共に筋骨隆々の大男が現れた。
手には巻き尺と定規、そして上質な布を持っている。
「あ、鏡を貸してくれてありがとうございます」
「いいのよぉ〜、困った時は、お・た・が・い・さ・ま♡ さ、お嬢ちゃん、早速測りましょう♡」
「はい」
そうして少女は彼と共に試着室へ向かった。
ここはヨア村の中心地にある、薬屋兼服屋『誘惑の宮殿』。
そして彼はこの店の店主のエンジュさんだ。
「偶然ってあるもんだよなぁ」
エンジュさんはこの村で唯一服を取り扱っている店の人だった。
話しかけてきた少女に一目惚れして、結果こうして店に招かれて、彼女の服を仕立ててもらえていた。
「それにしてもすごい匂いだな」
店内には様々な色合いの服が架けられており、その光景は前の世界の服屋と特に変わらない。
だが奥にある棚は別だ、紫や緑などキツイ色合いの薬瓶が所狭しに敷き詰められており、店内には植物や薬品の匂いが充満している。内装の色合いからしてまるで魔女の家みたいだ。
「服に匂いとか染みつかないのかな……」
そんなことを考えていると試着室から少女とエンジュさんが現れた。
「測り終わったから、少し待っててねぇ〜」
そう言ってエンジュさんは店内に架けてある服を何着か手に取ると再び奥に入って行った。
そして店内には僕と彼女だけになった。
「あー……、測ってもらって、どうだった?」
「なにも問題ありませんでしたよ」
「そっか」
「…………」
「…………」
微妙な空気が流れる。よくよく考えれば彼女とは出会って一日も経っていないのだ。さっきまでは話題があったから会話ができていたが、それが無ければこうして黙っているしかなかった。
そうしてお互い黙ったまま二十分ほど過ぎていった。
「おっ待たせぇ〜、お嬢ちゃんの服ができたわよ。早速着てみてぇ〜」
エンジュさんが奥の部屋から服を手に出て彼女を手招きする。
「さ、行っておいで」
「はい。行ってきます」
彼女は試着室に入り着替えを始めた。
「お嬢ちゃん、素直で可愛い娘よねぇ〜」
着替えが終わるのを待っていた時、エンジュさんが話しかけてきた。
「……そうですね」
「アナタ、お嬢ちゃんはどういった関係なのぉ〜?」
「………………」
マズい、バタバタしすぎて彼女との関係について考えていなかった。
正直に話してもいいが、いくら何でも『神様に託されて彼女の保護者をやっています』と答えたらどんな目で見られるかわかったもんじゃない。
とりあえずそれっぽいことを言っておこう。
「か、彼女とは兄妹です。親が死んでしまって彼女と一緒に旅をしているんですよ」
「あらぁ〜、妹さんなのぉ〜」
「はい」
よかった。突発的に考えた嘘だが、どうやら納得してもらえたようだ。
そうして胸中でホッとしていると、エンジュさんが笑顔でこちらを見て。
「嘘はよくないわよ」
「え……」
バッサリと言い切った。
「アナタ、彼女の名前を一度も言ってないじゃない。家族なら彼女の名前を知っているわよね?」
「…………」
冷や汗が止まらない。
会って間もないのに、ここまで察するとは思わなかった。
「…………一言では言えない関係なんです。それに…………彼女、名前が無いんですよ」
「そうなの?」
「はい。なのでこれ以上はご勘弁を」
本当のことは話せない。僕と彼女を守るために話すわけにはいかない。
エンジュさんは観念したかのように息を吐いた。
「わかったわぁ〜。でもこれだけは言わせて」
「なんですか?」
「アナタとお嬢ちゃんの関係はわからないけど、アナタがお嬢ちゃんを、そしてお嬢ちゃんがアナタを大切に思っているのはなんとなくわかったわ」
エンジュさんはどこか遠くを見ながら話している。まるで自分に言い聞かせるように。
「だから、しっかりと守ってあげなさい」
『自分の心にだけは絶対に嘘をつかないでね』
その言葉に重なるように、大好きな人の声が聞こえた。
そうだ、もう大事な人を失うのは嫌なんだ。親友でも、家族でも。
「…………もちろんですよ」
✳︎
「着替えが終わりました」
そうして彼女は試着室から出てきた。
「どうですか?」
首を傾けながら僕に聞いてきた。
上は薄い赤茶色を基調とした服装だ。シンプルなデザインだが、肌にしっかりフィットしており冒険の実用性が高そうだ。
下は膝下まである紺色のスカート。スカートは冒険に不向きだと思うだろうが、長いスカートは脚を守るのに意外と向いている。まあ彼女を戦わせることは無いだろうがね。
靴は動きやすい茶色のブーツ。僕が履いているのと同じような見た目だ。
「うん、似合ってるよ。これなら悪目立ちすることは無いね」
「本当ですか? それならよかったです」
表情に大きな変化は見えないが、あの長い水色の髪がひらひらと左右に揺れているので喜んではいるのだろう。
「やっぱりお姉さんの仕立ては間違っていなかったわぁ〜! すごくお・似・合・いよぉ〜♡」
「はい、選んでいただきありがとうございます」
「それで、お兄ちゃん、これがお代ねぇ〜」
そうして伝票を受け取りその金額を見た。
「銀貨三枚……あの服が?」
言ってしまえば安いのだ。
冒険者用に合わせた上質な素材で作られた彼女の服には銀貨九枚分の価値がある。
それが銀貨三枚、いくら何でも安すぎる。
ちなみに銀貨三枚で上質な剣を買えるぐらいの貨幣価値だ。
「あの、これ安すぎませんか?」
「ふふっ、いいのよぉ〜。久々に服の仕立てができたし、アナタとお嬢ちゃんを見て若い頃を思い出しちゃったからね♡」
「いや、でも……」
「そんなに納得いかないならこう考えて欲しいわぁ。これは先行投資。いつかワタシに沢山の利益で返してくれればいいわぁ〜」
どうやらエンジュさんは本当にこの値段で売る気らしい。
いくら先行投資としても気前が良すぎて逆に不安になる。
「……わかりました。銀貨三枚ですね」
だが、あちらの好意を無碍にするのも野暮な話だ。それに僕自身、現状そこまで金は持っていないのだ。
そうして僕は彼にお代を支払った。
「まいどありぃ〜」
そんな陽気な猫撫で声と共にエンジュさんはお代を受け取った。
そして笑顔を浮かべながら僕と彼女を交互に見た。
「それでぇ〜、お二人はこれからどこに行くのぉ〜?」
「そういえばわたしも聞いていませんでした」
そんな唐突に質問をぶつけてきた。
これからの向かう先、実はもう決まっている。
「港街『ディエルク』へ向かいます」
こうして僕と彼女の新しい旅が始まった。
そこでは様々な出会い、そして別れが待っているのだろう。




