1-85.帝都での春3
「ご婚約おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
何回このやり取りをしたのでしょう。本当に疲れました・・・ネネは心の中では早く終われと思っている。ただ、それを顔に出すことはなく淡々と挨拶を続けている。隣にいるユグノーも顔一つ変えず作業をしている。
ネネがユグノーと初めて会ったのは昨日のことだった。婚約披露宴前に顔合わせということでユグノーがアンジェラ家の屋敷を訪れたのだった。
「初めまして、僕はユグノー・アタランタ。よろしくね。」
彼は、そう言ってほほ笑む。第一印象はフレンドリーそうな人だなと思った。
「私はネネ・アンジェラです。よろしくお願いします。」
「ふーん、リテラが言っていた感じとは全然違うな。」
ユグノーはまじまじとネネを見つめる。
「リテラさんとは同級生ですからね、何度かお会いしたことはありますが、どう思われているのかはわかりません。」
たぶん私に対する彼女の印象は最悪なのでしょうね・・・何せコテンパンにしかした覚えがないですし・・・それに彼女は私がヘイドをたぶらかしたとか言ってましたしね。
「そっか、リテラはヘイドを無理やり奪っていったとか言っていたからね。まあ、リテラはヘイドのことになると馬鹿になるから、変なことをしていないか心配で。」
もう被害を受けました。
「はい、まあ・・・」
「さて、妹の話はこれくらいにして。僕たちのこれからの話をしよう。」
「そうですね。」
「僕たちの婚約はあくまでも政略結婚だ。だが、僕は君をきちんと愛したいと思う。君は美しいし何より・・・」
ユグノーは恥ずかしそうに言いよどんだ。
「君は僕の好きなタイプだ。」
そう静かな声で言う。普通の少女なら顔を赤らめるところだが、ネネはそうしなかった。
「うん、いいね。ますますかわいくなってくるよ。」
この人の性癖が全くわかりませんね・・・まあ、愛がないよりはましでしょう。
貴族の政略結婚というものはあまり見られない。昔はよくある話だったのだが、だんだん恋愛結婚が増えていった。中には平民と結婚する貴族すらいるくらいだ。貴族社会での恋愛の自由化が進んだのだ。しかし、政略結婚が消えたわけではない。両家の思惑が一致すれば政略結婚が成立する。新興貴族などは他の貴族の家と結婚したりして地位を高めたりする。
余談はこれくらいして、ユグノーは度々ネネに言い寄って来たりしたが、ネネは特に何もしなかった。そして、ユグノーはネネを大層気に入った様子で帰って行った。
それが、昨日の出来事である。ユグノーは人前では驚くほど真面目な好青年を装っている。ネネも演じているという点では人のことは言えない。
「久しぶりだね、ネネ。」
聞き覚えある声が聞こえてきた。
「せん・・・レイリ。」
ネネは一瞬先生と言いそうになるが、言い直す。レイリは赤いドレスを着ていた。そして、隣に灰色の髪の黒いドレスを着た美しい女性を連れていた。
「婚約おめでとう。」
レイリはそう言ってネネに近づく。そして耳打ちをする。
「これもネネの策略なの?」
「さあ、どうでしょう。」
ネネはレイリ以外には聞こえないような声で囁く。レイリはネネの答えを聞いて少し離れた。
「こちらの方は?」
ネネはレイリの隣にいる女性について尋ねる。
「こちらはうちの客人のレナだよ。」
「レナと申します。この度はご婚約おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
「いや、元気そうでよかった。」
「レイリも元気そうで何よりです。何せ今はテロメア家は財政危機と聞いていましたので。」
「その点に関しては大丈夫だよ。」
レイリとレナはそのあと少し話した後どこかへ行った。
先ほどの財政危機というのは、テロメア家の賠償金の問題である。レイリが裏で糸を引いて起きたカタストロフィによる経済損失を賠償するという話になっていた。しかし、いざその損失を計算すると莫大な額になってしまったのだ。何せ世界の四分の一が二か月間経済的に機能停止したのだ。ネネはキョウにいたので被害を受けることはなかったが、ノイン大陸は大変なことになっていた。
まず、鉄道による物流が停止した。帝国の物流は船舶輸送が四割、鉄道輸送が五割、そのたの輸送が一割である。特に内陸に存在する都市の物流が完全に止まった。このせいで帝国経済はデフレとなっていたのだ。鉄道は二か月後には運転を再開したが、人々の生活に大きな影響を与えた。
帝国の一次エネルギーのほとんどは魔法エネルギーによって賄われている。水道、ガス、電気は魔法エネルギーによって各家庭に供給されているのだ。だから、ノイン大陸では二か月間ライフラインが止まった状況だった。人々は近くの川の水を生活用水として使ったり、外で火を起こして料理したりということをしていたのだ。
レイリが思っていた以上に経済損失額は大きかったのだ。そこでネネはテロメア家が十人衆会議でアンジェラ家に賛成することを条件にその額を半額にすると言ったのだ。レイリはそれを承諾した。しかし、半額と言ってもテロメア家にとっては大きな負担となっているのだろう。ノーズ大陸では増税が行われたという報道を耳にした。
「少し疲れたね、休もうか。」
ユグノーは一旦挨拶をやめるようだ。
「そうですね。私は少し外の空気を吸ってきますね。」
ネネはそう言ってバルコニーへと出て行った。
バルコニーではパーティー会場から漏れ出る光と月明かりがサンシー宮殿の庭園を照らしていた。
「疲れました・・・」
ネネは独り言を言う。そして、誰もいないことを確認すると庭園へと降りて行った。
春だということもあり、庭園には美しい花がいくつも咲いていた。ネネはしゃがみその花を触ってみる。
そして、立ち上がって先へ進もうとしたら、そこには人影があった。
「あなたは・・・」
その人はネネに背を向けて月を眺めていた。つやつやとした長い銀髪が春風によって少したなびく。ネネはなぜか奥ゆかしいと思ってしまった。
さっきまではいませんでしたし、気配が全くしなかった?
ネネは人一倍気配に敏感だ。昔暗殺されそうになったことがあり、それ以来はいかなる時であれ、気軽に人に近づかれないように気を付けている。
彼女はネネの方を向く。
「今晩は月がきれいだね、ネネ。」
「はい。」
ネネは躊躇わずに答える。
「僕はさっき挨拶したレナ、覚えてたかな?」
「ええ。」
「ありがとう、こんな大きなパーティーでは人の名前なんか覚えられないから。それに疲れるし・・・」
レナはわざとらしくため息をつく。
「ああ、そう、僕は君に聞きたいことがあったんだ。」
「何ですか?」
「ネネ、君は今幸せかい?」
ネネは驚きを隠しきれなかった。なぜ、その質問をと聞こうとして、思いとどまる。久しぶりに聞かれましたね・・・ネネはそう思い少し寂しそうな顔をした。
だが、今の自分は幸せだろうか。ここはただ、ええ、と答えることもできる。なにも本当のことをいうことはないのだ。でも、なぜか本当のことを言いたくなる。ネネはなぜそのような気持ちになるのかわからなかった。
「いいえ、でも私はこれから幸せになります。」
「ふーん、僕は君が幸せになることを心から望んでるよ。」
「ありがとうございます。」
レナはそのまま庭へと消えて行ったのだった。一体何だったのでしょうか?でも、なぜか心が落ち着くような気がします。
会場ではレイリが一人で座ってご飯を食べていた。そのテーブルにレナが座る。
「どうだった?」
「うん、うちの子天使だ。めっちゃ可愛かった。」
「それはよかったね・・・」
レイリは普段とは全然違うレナの様子に驚いていたのだった。
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