1-44.帆船レース8
そう、感じてはいたが風が強くなっている。海は荒れるのだろう。ネネはつかの間の平穏な船上を楽しんだのだった。
嵐は突然やってきたわけではなかった。夜になるにつれてどんどん波が高くなっていった。そして、深夜三時くらいに雨がぽつぽつと降り始めた。十一月なのに当たっても冷たくない雨だった。赤道に近いからだろう。
「降ってきたね。」
夜遅くにも関わらず私の隣にはヘイドがいた。船が揺れてなかなか眠れないらしい。
「濡れますよ。」
「ネネも同じだろう。」
「私が舵を取らないといけないので。」
ネネはフタバを肩車しながら、ナビゲーションボードに触れた。そして、その自動操縦モードを切った。
「どうして?」
「ヘイドの作った機能を信用していないわけではありませんが、嵐では人が操縦したほうがいいでしょう。」
「それだったら、マコトやスミレがやればいいじゃないか。ネネがやることはないよ。」
ヘイドは私のことを心配してくれているらしいですね。
「大丈夫ですよ。二日間寝ていたのですから。」
「病み上がりだからまた風邪をひいちゃう。」
「これ、防水ですから。」
ネネは着ていた黒色のポンチョのフードをかぶった。
「あれ、なんか波が治まった?」
「いいえ、波は激しいですよ。」
「そうか、ネネが舵を握っているから。」
「たぶん気のせいでしょう。」
ネネは笑ってごまかした。雨風が一段と強くなってきた。
「ネネ、まさかじゃないけど、この船を漂蹰させないで嵐を乗り切るつもり?」
「うん、そのまさかですけど。」
ネネはそう言って魔法でトップスルを畳んだ。
「シーアンカーは?」
「もちろんつけないですよ。」
ヘイドはうつむいて黙った。そして、歯を食いしばった。
「無茶だよ。お願いだからやめてよ。」
「私はこのレースに勝ちたいだけです。」
「そうだけど、それだからって無茶することはない。」
私は左手をホイールから放して、ヘイドの右頬を触った。
「ヘイドだっていつも無茶してばっかりじゃないですか。」
そう、私は知っている。ヘイドがどんなに無茶をしてきたのか。サヤカをかばった時だってそうだ。自分じゃ無力なはずなのに、なんで一歩前へ踏み出せる勇気があるのだろう。私はずっと不思議だった。私とあった時もそう、ヘイドには私にはない勇気がある。私は臆病だ。
お母様の敷いたレールの上をただ歩いているだけ。変わることを恐れてしまう。しかし、ヘイドは違う。政治貴族なのに親の反対を押し切ってまでここに来た。魔法ができないのに自分ができる最善の手段でいまここに立っている。
そんなヘイドに自分は憧れているのだろうか、惚れているのだろうか。ヘイドは私に今までのやり方を変えてくれる松明、いや、マッチと言ったほうがいいかもしれない、をくれた。私に少しでも変える勇気をくれた。
「俺は・・・」
ヘイドは赤くなった。
「私はこの船、みんな、私を信じてる。だから、無茶する機会をくれないかな?ヘイドみたいに。」
ヘイドは私の本気度を感じ取ったらしい。
「頑固だな。」
「ヘイドだって。」
「いいよ、無茶しすぎないため、俺が一緒にここにいてやる。」
「頑固ですね・・・」
どうせヘイドのことだ。もう動くことはないだろう。
「じゃあ、私とヘイドの分の命綱を持ってきてください。」
それから、雨と風がだんだんと強くなって私のポンチョに雨が殴るように降ってくるようになった。私は大波に乗ったりしながら、嵐のなかを懸命に速度を落とすことなく懸命に進んでいった。船は死ぬほど揺れた。途中で部屋からみんなが眠れなくなったのか出てきたが、命綱をつけていないので、下に戻ってもらった。
夜が明けて、明るくなったが、嵐は一向に収まる気配はない。
「ああ、嵐なくなってくれないかな。」
私はそうつぶやいた。嵐のなか舵を取るのはとても疲れる。ホイールが重くて、体重をしっかりかけないと回ってくれないのだ。そのとき、私の胸のなかで寝ていたフタバが目を覚ました。
彼女は雨風お構いなしにぷかぷかと浮いた。この風を耐えられるとはすごい、などと感動していたが、まだ早かったようだ。フタバはいつもより神々しかった。彼女は船の前方を向いて、手を合わせた。その小さな手は白色の光が宿って激しく輝いた。フタバはその光を真上の空に向かって放った。それは一筋の光となり、上空の雲に届いた。
その瞬間、その光が上空で爆発したのだろうか、空がパッと光った。その光は空全体を覆った。そして、その光の輝きが失われたとき、空は何事もなかったかのように澄んで晴れ渡っていた。朝日がまだ荒れている海を照らした。少し不思議な感じだった。
「おい、嘘・・・だろ?」
「きれい・・・」
フタバは私の腕に降りてきた。ネネはそれをキャッチするとぎゅっと抱きしめた。
「フタバがやったの?」
フタバは私を見上げてこくりと頷いた。
「まあ、すごいですね。本当にすごい。」
ネネは彼女を撫でて、思い存分かわいがってあげた。
「一体どこからその力が来るのでしょうかね?」
ヘイドはというと私の隣で腰を抜かしていた。
「あら、晴れましたね、ご主人様―。」
ディアがデッキに上がってきた。そして、それとなくヘイドの手を取り、彼を起こした。
「どうやってこうなったかわかるか、ディア?」
「フタバが魔法でも使ったのでしょう。それより、ご主人様。睡眠をとっていないようですが。」
あっさりとネネの使い魔の偉業がスルーされる。
「ああ。」
ヘイドは急に疲れを感じたのだろうか、それとも安心したのだろうか、ディアの胸に倒れて行った。
「もう、ご主人様ったら。」
なんだかとても嬉しそうですね。そういえば・・・・
そう、私も一晩中操船していたのだ。疲れていないはずがない。自覚したとたん急に体が重くなった。緊張が解けたせいだろう。
「何があったのー?」
そのとき、イオがデッキに上がってきた。
「あれ?晴れてる。さっきまでは嵐だったのにー。」
「イオ、あとは頼みますね。私は船長室で休みます。」
私はフタバと一緒におぼつかない足取りで船長室のベッドにダイブした。
私が起こされたのは昼食の時間になってからだった。
「そういえば、先ほどの嵐は一瞬にしてなくなったように見えましたが、何があったのでしょう?」
アルベール先生が興味ありそうな顔で私に聞いてきた。
「なぜ私に?」
「船長でしょうが。」
「そうでしたね。私が使い魔に頼んだんですよ。嵐を消してくださいと。」
「それで、消えたわけですか。」
「それは本当なのかよー?」
カイが聞いた。
「おい、てめーがネネにそんな口を利くんじゃねー。」
サヤカはカイを責めた。
「別にいいだろう、俺様がどんな口をきこうが。」
「二人とも、喧嘩はそれくらいにして。」
イオが仲裁に入った。
「イオちゃんが言うなら、へへ。」
「変態め。まあ、いいだろう。」
イオがいると丸くおさまるのですね。
「今更、この船に何があろうが私は驚きませんがね。」
アルベール先生は満足したようだった。
「先生、他のアルティの状況はどうなんですか?」
「今は二位ですよ。さっきの嵐でだいぶ一位との差はつめたようです。あと、二位だったアルティは嵐で流されたようで。」
「よっしゃ。」
みんなの顔が笑顔になった。もとから士気は低くないのだが。
「マコト、この船の進行具合を報告してくれ。」
「はい、ただいまわが船は予定通り北緯33度線上を航行中。全航路の約六割を航海しました。予定以上の速さで進んでいます。このままいけば、十一月二十三日にはナハ港に到着できます。」
「そうか、ありがとう。」
風魔法を使っているからだろう、普通の船なら三十日かかる航路を二十日で航海できそうだ。




