1-1.エレ・アンジェラ1
そしてそれから長い年月が経ち、ネネは三歳になっていた。
「お母様、早く早く。」
ネネは丘の頂上に向かって野原を駆け抜けた。
「はいはい。」
エレはネネに追いつこうとスカートをまくり上げて必死で坂を上る。家から五キロほど離れたところにある、小高い丘に二人は来ていた。遠くに見える山々にはまだ残雪があったが、山の麓では土筆が顔を出し、すっかり春の陽気だった。
「ネネは元気だね。」
エレは少し息が上がっていた。
「ネネはいつも元気です、だってお母様が一緒なのですから。」
ネネはそう言って笑った。二人は丘の上に着いた。この丘はこの辺りでは珍しく木が生えておらず、景色がとても良い。春のまだ冷たい風を感じながら、エレは遠くの森の方を眺めていた。
「はあ、疲れた。」
エレは草むらに大きな布を敷いて、そこに座った。
「それにしてもいい天気ね。」
「そうですね、お母様。」
ネネはエレが敷いた布に座った。そして、そのまま寝ころんだ。
「寝るんじゃありませんよ。お昼食べるまでは。」
エレはバスケットの中からサンドウィッチとリンゴを取り出した。
「わーい、サンドウィッチだ。」
「ネネの好きな奴ですよ。」
二人はサンドウィッチをほおばった。そして、それを食べ終わるとりんごを丸かじりした。
「りんごもおいしい。」
エレはりんごをほおばった。
「ひんこおいひいです。」
ネネはエレの真似をした。
「そうね。」
エレはそんなネネを見て微笑ましく思った。
食後はエレはのんびりと布の上で横になって、春風に当たっていた。
「待って、蝶さん。もう・・・」
ネネは蝶を追いかけながら、春の野原を駆け抜けた。
ああ、のんびりとした日常だな。これであの方は満足してくれるだろうか?でも、まだ三歳だ、これからまだまだ私が責任をもって育てていかなくては、とエレは思うのであった。
実際エレは子育ての経験などなかったし、親に育てられたわけでもない。ただ、生まれた時からそう存在していたのだった。はじめは子育てに不安を覚えていたが、赤ちゃんはかわいいもので、そんな心配をする必要もないくらい、過保護だった。今となってはもう三歳なので自由に走り回らせていたが、一年前は到底考えられないものであった。
その時エレは何かが近づいてくるのを感じた。そして、ネネを呼んだ。
「お母様―。」
エレが泣きそうになりながら、必死に何かから逃げてきている。エレはそちらの方向に顔を向けた。すると、猪の二倍くらいの大きさの魔物がネネを追っていたのだった。ネネは魔物を見るのは初めてであったし、ここらによく出没するものでもない。
「安心なさい。私が倒しますから。」
エレはネネに諭した。エレは手のひらをその猪に向けて、炎の玉をひゅうと飛ばした。炎は猪に見事当たって、燃え上がった。そして、すぐに死んでしまった。死体は黒焦げになっていて、生前の面影はなくなっていた。
「お母様。」
ネネはおびえながらエレに抱きついた。そして、泣き出した。
「お母様、私、ぐすん、怖かった、ぐすん。」
エレはネネを抱きしめた。頭を右手でそっと撫でた。ネネの体の震えが伝わってくる。
「もう大丈夫。お母さんはここにいるからね。」
エレはどうにかしてネネを安心させようとした。しかし、ネネはなかなか泣き止まなかった。
「大丈夫だよ。もう怖くない。」
エレは泣き止むまでずっとそうしてネネのことを抱きしめていた。そしてネネはすっかり元気になったら、エレは手をつないで、ネネと一緒に家に帰ったのだった。