二本松村の夏
2023年5月。新型コロナの影響から徐々に日常を取り戻しています。いやぁ~長かったぜ。これから復活だ! さぁ元気を出して行こう!
第一章
せいきちという若者が狐にバカされて、精を吸い取られて死んでしまうところを村の若い衆が助けた。というお話。これは村で起こった奇妙な事件として、お寺の坊さんが書にして仏様に奉納しましたとさ。
さて、それからこの村では興味深い事件が度々起きまして、お寺の坊さんはその度に顛末を書にして残しました。それが積み重なりますと、自然に村の歴史になりました。それまでの書は三つばかりしかなく、この村の成り立ちというよりはお寺の話ばかりでした。
そのどれもが村にとっての一大事でして、めでたいこともあれば、悲しいこと、不思議なことが後世の者にとっては貴重な文献となったのです。
例えば野武士が攻め込んで来て滅亡寸前までいった不幸なこともあります。干ばつや大雨による洪水による飢饉、疫病からの復興物語もそうです。その他近隣の村との付き合い方も大事ですね。収穫を増やすための取り組みやとその成否など、その辺の物語はまた、おいおいに記そうかと思います。
時は過ぎて人々は代替わりして、村は生き延びて二本松村という名がついて、今では二本松町と地図に載っています。二本松村の由来は、当時の村長が、人が狐などに二度と騙されない様にと、せいきちが山に入り込んだ獣道の所に二本の松を植えたことに由来します。
その松は代々の手入れが行き届いたおかげをもちまして、今では立派にそびえています。
ごろうにさんた。この二人は後に逞しく成長して活躍して村の窮地を救い栄えました。せいきちもあれから元気になって働きました。おりょうはごろうと夫婦になって、ごろうをグイグイとリードして子をなして栄えました。
さんたもせいきちも他の者も同様です。みんな元気に働いて、時には地頭ともめながら米を作ってその四割の年貢を納め、祭りを楽しみ、子を増やして村は栄えましたとさ。
このようなことはどこの村でもあったことで、危機的状況には必ず英雄的な者が活躍したはずです。でないと滅びていますからね。おかげさまで二本松村は時代を生き延びて、ここまで何代も命をつないできたのです。
やがて時代は武士の世が終わり、御維新の後に村人全員に姓名が与えられて戸籍が整備されました。元々この村は山奥にあって一切目立たず、偉い者などは一人もおりませんで、寺の住職が新政府のお役人から依頼されてみんなに苗字を与えたのでした。
「お前は川沿いに住んでおるから、川村じゃ。川村三郎がええ」
「お前は二本松の近くに住んでおるから、二本松じゃ」
という具合に、人を見て意外と簡単に苗字を決めて、紙で墨で書いて手渡しました。しかし、我も我もと押し寄せた群衆に和尚一人で対応するのでは、直ぐに限界が来たと言います。
そこで同じ地域周辺に住んでいる者を集めて、「お前達の所は格別なるものはないから、とっておきの氏佐藤にしよう。古来藤の字は公家とつながりのあるありがたい文字ぞよ」と説明を添えたそうです。
実は今でも多い名字である、佐藤さん、鈴木さん、高橋さんなどは、当時の“お寺さんネットワーク”で伝わっていた氏でした。
しかしもらった方は大いに喜びました。なにしろ氏の有る者は世にも一握り。わしも漸く一角の者になれたわい。というわけです。
しかし世は移り四民平等の時代、戸籍を管理してしっかり税を徴収するに、みんなに一角の人物になってもらう。というわけでした。
そんな時代になっても、この村は元々村長と頭の働く者、そして寺の住職が話し合いによって村を守ってきたのです。つまり合議制だったのでした。村にも選挙制度が導入されましたが、保守的な考えを持っている人が多いので余程の問題が無い限り、村長が町長になり村の有力者が町会議員になっても代々同じ家系が世襲してゆきました。
明治の御代には山々から、石灰やら石炭が出て財政は大層潤いました。景気も良かったので急激に人口が増えて、四つの村を合併したことによって広い海岸線を得ることになりました。
電気・水道・鉄道のインフラは早くから整い、市民の生活レベルが向上して、駐在の警官が治安を預かり、学校や病院、商店街もできました。
戦争の時は多くの若者を戦地に送り出しました。大勢が戦死してひどく悲しみましたが、その内の幾人かが復員して生き残ったみんなが一丸となって一生懸命働きました。その甲斐は確かにあって、それなりの幸せを掴んだものです。
その頃の人々は、幸せという定義をしっかり持っていました。だから幸せになれたのです。幸せを実感することができたのです。
一に快食、二に快眠、三に快便、などといったものです。これを基本に元気な身体で一体感を持って働くのです。そして周りを気遣い助け合うのです。
子供は良く遊んで良く学び、大人はその子供を可愛がりました。夫婦は子を増やして、家庭を円満に保つことを是としていました。
これらが実現されていれば、多少酒を飲んでも(飲む)、博打を打っても(打つ)、浮気をしても(買う)それは男の甲斐性として世間で認められていたのです。
喧嘩をしても、周りの者達が解決のために介入して長くても翌日までには解決させていました。後はノーサイドがルールです。
健全な成人男女がが30歳過ぎても独身でいれば、縁談を勧める者が必ずいて結婚したものです。世間ではこれを『片づいた』と言っていました。
世間では『ピンピンコロリで医者要らず』という言葉が浸透していました。元気に生きることを、ピンピンと表現し、歳をとって死ぬ時は苦しまずにコロリと死ぬのが理想とされていたようです。勿論そうなるとは限らないだけに、そうなれば医者や親族に迷惑をかけないだろうという気配りなのでしょう。実は当の本人は勿論、親族もそれを望んでいたのです。
昔の人々は個人もみんなも、上の様なことを思い・願いながら生きてこそ幸せだと実感できたようです。これが幸せの定義だといっても過言ではないでしょう。
全く現代では考えられないことばかりですね。だから現代はこの有り様なのです。別に昔が良かったというのではなくて、昔はそうだったということがわかりました。
そして、二本松村の話ですが、やがて石炭が売れなくなって炭鉱職が無くなると、一気に人口が減りました。若者は都会に憧れて出て行って町は目に見えて廃れ始めました。
今ではお寺が保育・幼稚園のかわりをつとめ、小学・中学がそれぞれ一校。高校・大学は別の市町に通わなければなりません。賑やかだった商店街は閉鎖の憂き目にあい、郵便局や銀行は手を引きました。鉄道の駅はとっくに無人になって本数は一日3~4便。買い物にコンビニやスーパーに行くには隣町まで車で10分走らなくてはならない状況です。
今この二本松町あるのは、山々に囲まれた所に水田があり、畑があり、南には海岸線があって瀬戸の海が望める美しい環境なのです。
昔は栄えたのかもしれませんが、今ではそんなことはないのです。中心産業は農業、次に水産業、次に農林畜産業ですが、人口は減少した上に高齢化が進んでいてとても豊かとはいえない町なのです。
しかし実際に暮らしている当の市民からすれば、特に若い者からすれば、良い時をまったく知らずにこれが日常なので、別にどうということはありません。
かつて若者といえば大抵都会に憧れて町を出て行ったものですが、今ではネットでつながっていればそれほどでもないのです。男子は地元志向が強く家業を継いでもいいかな、次男三男も何でもいいから就職して家から通いたいと考えています。
女子も同じで、就職は地元で農家に嫁ぐのも全然OK。むしろ結婚などしなくてもいいかな。と考えているのです。都会はたまに旅行で行く程度で十分。そこで働いて暮らすなどは大変なことだと考えているのです。
男も女ものんびりと暮らしていければ現状でOK。明日もそれでOK。先のことなど多くは望んでいないのでした。
第二章
ここはそんな二本松町の、国道から外れたドライブインの駐車場。とても暑かった八月の夜8時過ぎ。二人の女子が静かにドライブインの外に座り込んでスマホをいじっていた。他には誰もいない。傍らには二台のスクーターが停まっていた。
二人は隣り合っているが会話はない。スマホをいじって暇を潰しているように見えた。一人はブロンドのショートボブで、もう一人は黒に下が紫のロングヘアーだ。
やがてバイクのエンジンの音が近づいて来るので、二人はスマホから目を上げた。二台のビッグスクーターが駐車場に入って来て、女子の方に進んできた。女子はそれが誰だかわかったし、すぐに興味を失ったように目をスマホに落とした。
二台のバイクを停めてヘルメットを脱げば男子二人とわかった。女子二人組を見ると手を振って挨拶をし、「ちょっと小腹空いたからうどん食べる」と行ってドライブインの中に入った。
ドライブインといっても、無人でか~なり年季がいった小屋でうどんやソフトドリンクの自販機があって、小汚いテーブルが三つに不愛想でくたびれた椅子が何脚かあるだけである。
二人の男子はそれをよく御存知のそぶりで自販機にコインを入れて天ぷらうどんを選ぶと出来上がる様子を見守りながら待った。というのも、たまにつゆをすっとばした状態でもおかまいなしに出してくるからだ。
このうどん自販機もかなりの骨董品で凄い音がする。中に乱暴な人が入って作っているんじゃないかと思えるくらい何やら不穏な音だ。
今回は運良くまともな状態のうどんが出てきて、男子は「おぉ」と声を上げてプラ製の器を取り上げた。二杯目のきつねうどんはつゆがやや少なめだったので、前のうどんのつゆを分けてもらった。
二人の男子はそれをわーわーはしゃぎながら楽しんでいる様子だった。おそらく大失敗作が出てきたとしても、それを楽しんだことだろう。外の女子二人はそんなことも別に気にならないようにスマホをいじっていた。
やがて中でうどんを食べ終えた男子は、美味しかったと言いながらプラ製器を所定の箱に戻してからエナジードリンクを手にして外に出てきた。
「あれ? ヒロシまだ来てないの? 」
「まだ、ウチらだけ」
「そっかそっかぁ」
男子二人はヒロシが来ていなくても、別段気にも留めずに女子の横に座り込んでスマホを取り出していじり始めた。
若い男女四人が集まったところで、何か会話が始まることはない。四人はこの二本松町で生まれて育った。年齢は一つか二つ違いで幼稚園から小中学までずぅ~と一緒に過ごしてきた。なのでお互いがどこの誰で気心は知れている言わば家族の様なもので、いてもいなくても特別気にならない関係だから、会ったところで特に話すことはない。
何か特別の話題があれば話をするが、四人そろっても会話がないのだから今話題は特にないのだろう。それではここにいる意味がないではないか。と思ったら、彼らのことをまるで理解していない。
彼らはこれでしっかりと互いの存在を認知確認している。その為にここにいるのかもしれない。そもそも待ち合わせなどしていないから、ここにいようがいまいが自由そのものなのだ。
例えば、ここに荒くれ悪者集団が乗り込んできて、自分達に危険を感じれば、間違いなく連携して警察に通報しつつ互いの安全を確保しようと行動するだろう。
あいにくもうそんな荒くれ集団など存在しない。わざわざここに来て自販機を壊して小銭をせしめようとするちゃちぃ悪者はいない。町で犯罪は滅多に発生しない。みんな善良なのか高齢で動けないのか、とても平和で静かな町だから、犯罪者が来ることもないからか治安はとても良いようだ。
ドライブインは無人で隅に汲み取り式トイレがあるのだが、用を足した者が自分で綺麗に掃除するのがルールになっていて、四人もそれに従っているので衛生上の問題は無いようだ。
四人は並んで人気の無い寂れたドライブインを背にしてスマホをいじっている。夏休みの間は殆どこうしている。気が済めば「帰るわぁ」「じゃねぇ」で帰る。
今夜はヒロシがまだ来ていない。こんな夜もある。この四人の誰かがいなかった日もあった。だからヒロシが来なくてもそれ程のことではない。しかし……。
「あ! 」アユミという女子が夜空を見上げた。そこには黒い空に月があり、幾万の星が静かにチラチラしていた。音は何もしない。他の三人はアユミの「あ! 」に反応して上を向いた。みんなは彼女の感性の鋭さを知っている。
やがて、かすかにヴゥ~ンという音が聞こえてきた。それが徐々に大きくなっていることがわかった。この中ではアツシだけがこの音の正体を知っていて、それでヒロシが来ることがわかった。でもそれをみんなには伏せた。
その音は聞いたことが無い単調なもので、アユミは少し怖さを感じて立ち上がって空を見回した。見慣れた月と星々の外に近づいて来る物を見た。
それは見たままを言えば、バイク型のドローンだった。今時ドローンは珍しくないが、乗用は珍しかった。乗用ドローンはトンデモなく高価なので、こんな地方都市で飛んでいるのは非常に珍しいのだ。
この乗用ドローンは4点浮上ファンではなく、前左右にファンがあり、後ろ1点のファンが本体底に付いていた。座席は単座ではなく、縦列複座でデザインもスタイリッシュで色は白だった。恐らく新型なのだろう。
下から見ると標識灯が眩しかったが、みんなとは反対側にゆっくり高度を落として着陸した。おそらく下の人が風に吹かれるのを避けたのだろう。
アユミはヒロシ! と叫ぶと真っ先に乗用ドローンに走った。彼女は何かを根拠にドローンを操縦しているのがヒロシだとわかったのだ。他の三人もそのドローンに近づいた。
ドローンは着地すると、左右に広がっていたファンが自動で本体に収納されて、キャノピーを手で後ろにスライドさせてヘルメットの男子が一人降りてきた。彼はヒロシだった。
「ヒーちゃん。 これドローンでしょ。格好ええわぁ、後ろにも乗れるんならウチも乗せてよ」
アユミはそれまで“無”だった顔が嘘のように瞳を輝かせながらヒロシに言った。
「いや、これはアツシんとこの試作品だよ。まだテスト中で危ないから、他の人は乗せられないんだ」
ヒロシはヘルメットを脱ぐと穏やかに言った。どうやらヒロシはこのグループの中心的な存在であることは、みんなの笑顔を見れば明らかだった。
「(ドローンの乗り心地は)どうだい? 」
アツシがヒロシに訊いた。
「うん。もうだいぶ慣れたよ。調子は良いんじゃないかな。ここまで無事に来れたわけだしね」
それを聞いたアツシはとても満足気な笑顔を浮かべた。彼の家は代々、鍬や鎌などの農具を二本松村で商う道具屋だった。それが時代が変わって後藤という姓を与えられてからも、道具屋稼業は続いて商う物は、田植え機やコンバイン、トラクターなどに広がった。21世紀ともなれば更に広がり、農業用ドローンやロボットを開発・製造・販売・メンテナンスを行ってきた。
後藤家にとって大きな転機となったのは、太田という偏屈な引きこもり独身男を引き取ったことだった。
日本には、いわゆる8050問題というものが存在していて、引きこもっている子供を親が財産や年金で長年養っていて、やがてその親が亡くなると、社会生活が殆どない子供が中高年となり、いきなり世間に放り出されて様々な問題を引き起こしているというものだ。
太田もそのその一人で、中学で苛められたことがきっかけで家に引きこもってゲーム三昧、それに飽きたらアニメ三昧、それも飽きたらゲーム・プログラミング。という日々をほぼ毎日送っていた。
太田が40歳を過ぎた時、父親が亡くなった。50歳を過ぎた時、母親が亡くなった。太田はここで引きこもり生活が続けられなくなったことに絶望する。
その当時はこういった絶望を抱えた中高年が増えて、社会にうまく適応出来ずに自殺したり、罪を犯して刑務所暮らしを送るというケースが急増した。
しかし今はそれ程でもない、国や地方自治体がそういった人々を積極的に支援する仕組みが出来たのだ。ひきこもり支援相談士が、人付き合いが必要無いネットを使って社会に貢献できる仕事、プログラミングや設計、文筆業、アニメ制作などの仕事を契約制でしてもらう対価として衣食住を保障するものだ。
太田の場合はプログラミングがヒットした。後藤アツシの父親が、農業用のドローンのプログラムを作って欲しいと依頼すると、前代未聞の仕様を提供してきたのだ。
それは、長年高級さくらんぼの泥棒被害に悩んでいる果樹園のオーナーさんから、収穫時期に全自動で24時間体制で監視し、泥棒を撃退するシステムはできないだろうか。という依頼に応えたものだった。
実は昼夜兼用のカメラを搭載したドローンをパイロットが操縦して空撮するというものは、既に世の中にあって様々な用途に既に実用化されていた。
全自動で24時間監視体制となると、パイロットに替わってAI(人工知能)がドローンを操縦し、電気が少なくなれば自動で充電するシステムが必要になる。そしてただ監視するだけでなく、状況に応じて迅速に対応するシステムが必要になってくるのだが、太田はそれに応えた。
太田システムは、12機の小型ドローン編成で、1チームが3機で、常に2チーム飛んで監視、バッテリーが無くなれば交替して充電。
深夜に農園に近づく人物を撮影、乗ってきた車を特定して撮影し異常事態と判断。その証拠映像をサーバーに保存しつつ、人物を追尾。
その人物がいよいよ泥棒を始めたら、第一段階は警報を鳴らす。それでも帰らない場合は第二段階として、近づいて行動の邪魔をする。
それでも、帰らず泥棒をやめない、或いはドローンを攻撃した場合、第三段階の反撃に転じます。
その反撃内容がなんともエグイものでした。それは煮て熟成させた糞尿を泥棒に向けて噴射するというものでした。勿論同時に泥棒の車にも噴射します。
これを喰らっても逃げずに盗んだ泥棒はこれまでにいません。みんなその匂いに悶絶してのたうち回り、転がるように自分の車に戻りますが、車も汚染されたと匂いで知るや絶望します。車の中に仲間がいたり、窓が開いていれば第三段階のドローンは人にも車内にも糞尿を噴射します。その後の車などもう乗れたものではありません。
後藤は即座にこのシステムのハードを作り、太田にAIソフトを作ってもらってわずか半月で、先の果樹園のオーナーさんに納品した。
効果は上々で、収穫の数日前に見事泥棒を捕まえることに成功しました。その光景、泥棒が第三段階のドローンから糞尿を顔面に浴びせられて悶絶するところは大いに笑えます。逃走用の車も糞尿だらけと知ってひっくり返るところも又笑えます。
ただ気の毒なのは警察の対応でした。この臭い泥棒をパトカーに乗せて警察署に連行しないわけにはいかないからです。又泥棒の車も強烈な匂いを発しているのに押収しなくてはならないのです。おまけにこいつを署に入れて取り調べをしなくちゃならない。まあ証拠映像音声もしっかりあるので手続きはスムーズだが、非常に臭いのであった。
このシステムはたちまち評判になって凄く売れました。それから太田は太田博士と呼ばれる世になり、後藤さんの会社は空前の利益をもたらしましたとさ。
世間ではこの強烈な悪臭を放つスプレーが武器か否かという論争が起きましたが、結局のところ武器とは認められませんでした。
古来元寇の時、日本の武士は元の兵士に向かって、煮たてた糞尿を撒きかけた。という故事がある。これは武器としてではない。いくらこれを浴びたところで死傷することはない。不愉快な思いをするだけである。渡来してきた兵の戦意喪失を狙ったものであることがわかる。
翻って現代において、果樹園に侵入した泥棒を撃退する目的でこれを使用しても違法とは言えない。そもそも窃盗の目的を持って他人の果樹園に侵入しなければ糞尿を噴射されて不快な思いをしないですむのである。
この警備システムは、タブレット操作で対話形式で地図ソフトで警備エリアを指定してドローンをセットすれば、空から24時間自動で交替して監視し、怪しい者が現れたら警告、棒などで抵抗されたら糞尿をかけて窃盗の意図や意思を喪失させる。という画期的なシステムで、スプレーを害獣用に変更すれば、熊や猪などから作物を守ることができるので、全国レベルで注文が殺到した。
太田博士は、相変わらずのコミュ障で引きこもりだが、何故か後藤の父さんとは性が合うようで、ビジネスは広がるばかりだった。又ネットで技術系の友人が多く、ロボットを開発して人の役に立とうとして、友人に図面を引いてもらって、草むしりロボットを後藤の会社のみんなで作って又話題になった。
2m程の蜘蛛型の8本足のロボットで、雑草を自動で認識し、タブレットで「このエリアの雑草抜いて」と命令すると、器用に雑草を根尽きで引っ張り抜いては腹のタンクに溜め込むのだ。
改良・試行錯誤の後、かなりのパフォーマンスを見せたが価格が高すぎた。草しか取れないロボットに1億円払う酔興な者はいないのだ。まぁまぁこれは通過しなくてはならない門みたいなもので、それを潜れば自動運転ロボ、を開発してしまった。既存のトラクター、田植え機、コンバインなどの農業車全般に取り付けるだけで無人・自動で作業をするシステムである。
車体全方位にカメラ、ハンドルを回すモーター、アクセルやブレーキを踏むフット、各ボタンやレバーを操作するアーム複数が連動してあって、腹にあたる部分にはバッテリーとメモリーが入ったもので、これだと20万円位で、必要な材料をセットしてタブレットで命令すると、普通に仕事を安全にこなしてくれるのだ。高齢化や人手不足、日照りや寒波、大雨大雪でもバリバリ働くのでこのロボシステムも大変売れた。
という経緯で後藤農具店は次々にヒット商品を飛ばし、それらはロングセラーとなったおかげで町一番のお金持ちになったとさ。
そんな後藤氏の倅のアツシは高校二年生。メカいじりが好きな少年で、今は乗用ドローンの試作に夢中で、今年になって漸く試作機を公道で飛ばせる許可が国土交通省からおりた。
それを親友のヒロシに預けていたというわけだ。こうしてみんなの前に乗用ドローンで現れたのは初めてである。
どうやら、この松田ヒロシという高校二年生がこのグループのリーダーらしい。彼がドローンから降りるや囲まれて輪ができた。
ヒロシはいつも笑顔で話しかけて、どんな人とも友達になることができた。現にこのグループでも会話が増えている。みんなの表情も明るくなったように見えた。
今は夏休みで、自由な時間が多いから若者は青春を楽しく過ごすことができる。まぁそうしようと思っても、うまくいくこともあればそうでない時もある。そんな時は、秋には来年こそはと心に決めるものだ。
小学生までは親がどこかに連れて行って楽しい思い出が残るが、今では子供にそんな気のない親が増えたようだ。9月になって久しぶりに友達に会って、夏休みにしたことなどを話し合ってとても盛り上がるものだが、下を向いてしまう子を見るのは辛い。でも子供同士ではどうしようもないことだ。
中・校生ともなれば親離れが進んで、夏休みの楽しみ方に個性が出る。友達同士で互いの家に遊びに行く、時にはお泊りする。なんてことはもう昔の話。今はスマホが普及したおかげで、いつでもコミュニケーションができるから、お互いの親に遠慮して家にいくことは無くなった。
新型コロナが流行した3~4年間は特に酷かった。国単位で人との濃厚接触が禁止されて、公衆の場所でマスクをしない者は逮捕された。恐ろしい時代だった。そんな時代に命を落さずに済んだ者の友情や愛情などの絆の形が又変わってしまった。
流行病の脅威が去り、罹患者も極少数になってインフルエンザ並になったことで、人の情や行動が、つまり経済活動が元に戻るのか。心配する人がいるけれど、元になんか戻りませんよ。あの時代を経験した若者達はそれを残念とも思いませんよ。
それでも今年の夏は、寂れた夜のドライブインで五人の高校生がこうして明るく談笑しているのは微笑ましい。
「あれ? 」
この中で一番敏感な女子アユミが空を見上げて声を出した。今の今まで呑気で楽しい会話をしていただけに、出し抜けの感じがした。
「どうした? 」
ヒロシが聞くとみんなつられて上を見上げた。そしてみんな気がついた。
夜空には満天の星々が煌めいて、その中でも大きな月が静かに浮かんで青白くに輝いていた。
「……月ってこんな大きかったっけ? 」
高校一年生のコージが呟くように言った。
夜に月なんてあって当たり前と思っていたが、今夜の月は満月で特に大きく見えた。ウサギが餅をついているような模様は勿論、目を凝らせばクレーターまで見える。今更ながら今夜は月明かりで周囲のものが良く見えた電柱の影さえ見えることに気がついた。
みんながしばし夜空を見上げていると、もう一人の女子高生キョウコがスマホで調べたらしく、今日は「スーパームーン」で、いつもより大きく見えるんだって。と教えてくれてみんなが理解した。
「なんか……不気味な感じしない? 」
アユミが呟くと、
「こんな夜は何かが起こる」
アツシが大げさに声を震わせて言うと、妙に明るい夜の中でキョウコがふざけてキャ~と叫んだので、ヒロシは少なからずゾッとした。
「ねぇねぇ、これ見て。この月なんか変」
スマホをかざして月をアップで撮影していたアユミが上ずった声でみんなに見せた。
その月のアップは画面いっぱいに白く輝き、ウサギの模様はおろかクレーターまでが映っていて、ゆらゆらしているように見えた。それが今宵のマジョリカな雰囲気にあいまって不気味な映像に見えた様だ。
「……これは手振れだよ」
「違うよ、アユミが言いたいのは、この月の輝きの周りの揺れみたいなもののことだよ。確かにこれは珍しいと思うよ」
アユミをフォローするようにコージが言った。するとヒロシが「狼男」と呟くと、みんなは満月の夜に豹変するあの狼男を連想して場が、一気にいつもの若者たちのじゃれ合いになった。
「狼男なんて、やだぁもうヒロシ」
怖がりで知られているキョウコがホッとした口調で言うと、場が再び和んだ。当然今宵の月についてスマホで検索して、月が地球を周回する軌道は大きな楕円であり、今夜はたまたま地球に近い軌道を通っていることがわかり、それほど怖いものではない。とアツシが解説した。
五人の若者が、スーパームーンの下で他愛もないおしゃべりをしていると、一瞬誰もしゃべらず間があいた。
「今、天使が通った」とヒロシが呟いた。それがきっかけでみんなが又笑いながら話を始めた。誰もが経験したことがあるこの”途切れ”みたいなものを繋ぐ常套句として、古来から使われているらしい。とヒロシが言った。昔お爺ちゃんと見た映画で覚えたようだ。それが21世紀の今も効力を発揮したその時、それは起こった。
第三章
トラックがドライブインの駐車場に乗り込んできたのだ。みんなが集まっている時に車が来たという記憶は無かった。そのトラックはかなりクラッシックな丸めなフォルムをしていて、慌てた様子でこちらに、つまりドライブイン側に向かって来た。
そのトラックの後ろには、大き目のクラッシックカーも続いて来た。若者はただそれらに注目している。
「随分と見ない(古めかしい)タイプだな~ 」
「丸に3本の放射線のマークて、ベンツじゃね? 」
「後ろの車もなんかクラッシックだよ」
「なんかエンジンうるさくない? なにあれ」
ここをトラックの運転手が休憩に訪れることはたまにみたことはある。あるが、車種はあんなに古めかしくないし、運転はもっと穏やかで音も静かだ。それに比べたら、明らかに珍しい方に入る。トラックは自分達にヘッドライトの光が当たるように止まった。駐車用スペースの白線などは知ったことではないらしい。尤もその白線はとっくに禿げていてボロボロだが……。
アツシは、ライトが眩しいし失礼な奴らだと思った。でも口には出さなかった。そう思ったのは彼だけではないだろう。
そのトラックの荷台には人が8人乗っていて、素早く下りると駆け足で駐車場を駆け出した。その内の二人がこちらに向かって来た。そしてサブマシンガンをこちらに向けるとこう言った。
「Hände hoch, wo ich sie sehen kann! 」(両手を挙げて、見えるようにしろ!)
「ヒロシ、こいつらなんて言ってるんだ? なんか怒ってるみたいだが 」
アツシが横のヒロシに言った。アツシはヒロシがハワイに家族旅行で行ったことがあることを知っているので、英語がわかると信じていた。
「俺がわかるわけないだろ。こりゃ英語じゃないし見た感じ日本人じゃないぞ。確かに怒っているみたいだ。みんな、ここは手を挙げて見せようよ 」
ヒロシはみんなにそう呼びかけると、作り笑いで両手を挙げて見せた。するとみんな同じように手を挙げて抵抗するつもりはないことを見せた。男たちの表情を見れば本気らしいし、銃の質感はオモチャじゃなさそうだから、撃たれたくない一心でそうしたまでだ。
「どうする? 警察呼ぶ? 」
キョウコが両手を挙げたまま横目でヒロシに言った。ヒロシはそれもあるなとも思ったが、もう少し待ってと返した。彼らは武器を持った本物の兵士に見える。あの鍵十字のマーク(ハーケンクロイツ)は、間違いなくナチスだ。ならば言葉はドイツ語なんだろう。勿論全然わからない。
なんで現代のこんな所にナチスが出て来るんだよ。とは思う。映画の撮影の帰りか、コスプレでなりきって遊んでいるのか? しかしその有り得ないことの理由を考える前に、自分達は銃を向けられている大ピンチなのだ。これを何とか乗り切ることが第一だと考えた。
もしここで警察を呼んだら、間違いなく撃ち合いになって、平和ボケした警察の方が殲滅されるだろう。そうなれば自分達も巻き込まれる。勿論警察は更に応援を差し向けてもっと大きな銃撃戦になるかもしれない。
「Wo sind wir denn?」(ここはどこだ?)
ヒロシがそんなことを考えている時、兵の一人が銃口を向けながらそう言った。ヒロシ達は何を言っているのかわからずに動揺した。彼らも同じ言葉を発している内に落ち着きを失ってきた。
やばい雰囲気になりかけた時、トラックから制帽を被った男が一人降りてきた。黒の制服に鍵十字の腕章、そして黒のブーツをカツカツ鳴らしながら近づいて来た。威厳のある姿勢を保っていることから、上官のようだ。
「Guten Abend, meine Damen und Herren !」(今晩は、みなさん)
精悍な顔をした上官らしき男は笑顔を作って、ヒロシ達にこう発した。ヒロシは彼の笑顔に少し気持ちが柔らかくなった。
「Good evening, English please.」(今晩は、英語でお願いします。)
ヒロシは英語なら少しわかるので、そう言ってみた。その男はそれを理解した様で、「English!」と言うと、「So you speak English? 」と続けた。
ヒロシは苦笑いで「Just little.」と答えた。すると男は「Me too.」と答えた。これで初めて極初歩的なコミュニケーションが成立した。(ここからは英語での会話ですが、日本語での表記にします。)
「私は敵の捕虜への尋問をするために、少しは英語を話すのだよ。君が英語を話すのなら何よりだ。カール大尉だ。宜しく。会えて嬉しいよ」
男は今度はやや安堵の笑顔でヒロシに右手を差し出した。当のヒロシは英語でそこまでペラペラやられては殆ど意味がわからなかったが、相手はカールさんと言って宜しくと握手を求めているのがわかったので、やはり安堵の笑顔で握手した。「My name is Hiroshi. Nice to see you.」と付け足した。
「あら、なんか握手しちょう。もう手降ろしてもええんやろ」
キョウコがそう呟くと、両手を降ろした。二人の兵士もとっくに銃を降ろしていた。
「ところで、ここはどこなのかな? 」
カール大佐はヒロシに尋ねた。
「ここは日本です。そして我々は日本人です」
カール大佐はそれを聞いて言葉が出なかった。苦笑いさえ浮かべて「本当かね? 」と確認した。ヒロシは本当だと答えた。
カール大佐は母国語であるドイツ語で、その旨を部下に伝えた。部下は他の者に伝えて良いかを問い、彼は許可して、ここは異国だから、発砲を禁ずると付け加えた。部下は了解すると護衛や見張りについている兵に伝えに走った。
カール大佐はヒロシの方を見ると、この異常事態を理解しようと努めているように見えた。
「何と言うか、衝撃的だな。我々は、ミュニック(ミュンヘン)を南西に走っているところを急に深い霧に包まれて、それが晴れたら急にここへ来てしまったのだ。
そうだな……。簡単には信じがたいことだが、我々は君達のような日本の若者を見たことがない以上、受け入れるしかなさそうだ 」
カール大佐はなんとも困惑した表情を浮かべていた。
ヒロシはカール大佐にことわってから、日本語でみんなに事情を伝えた。アユミは両手を口に当てて驚いていた。勿論みんな一様に驚いていた。
ヒロシは、「我々も相当驚いています」と伝えた。
カール大佐は気を立て直して言った。
「これは不思議なことであるが、我々はここにいるべきではないのだ」
「でしょうね」
「そうだな。ここが日本となれば、一先ずは良かったと考えよう。友好国だからね。これがフランスだったらと思うとゾッとするよ。ところでヒロシはオーシマ大使を知っているかね? 」
「オーシマ……大使、ですか? すみません。知らないです」
「そうか、彼は我が国では大変有名な日本の大使なんだが……。それでは日本政府に連絡してくれたまえ。直ちに帰国する為に船をチャーターしてもらうことにしよう 」
ヒロシは冷静に船で帰ると主張するカール大佐を見て、この人達は本物だと思った。有り得ないことが起こっていると自覚しているが、それでも冷静に何とかしようとしているカール大佐に「OK」と引き受けて、とりあえずドイツの大使館に連絡して事情を説明して彼らに帰ってもらおうとポケットからスマホを取り出して電話しようとした。
「ヒロシ、それは何かね? 」
「スマホです。ああ電話ですよ」
「まさか! 電話線がつながっていないじゃないか」
「えええ! スマホを知らないんですか? 」
「知らない。私は電話線が無い電話など見たこともない。無線機にしてはかなり小型だな。ただのガラスの板ではないか」カール大佐は珍しそうにスマホを覗き込んだ。
ヒロシはここで又驚いた。スマホを知らない人を初めて見たからだ。思わずみんなに「この人はスマホを知らないんだって」と日本語で伝えると、みんなも驚いて「いつの時代の人だよ」と日頃無口なコージが言った。
そう、いつの時代。ヒロシもそう思った。
「失礼ですが、皆さんはいつの時代から来られたのですか? 」
「いつの時代……、今は1933年だが、違うのかね? 」
「1933年……。今は2039年です 」
カール大佐はヒロシの答に再び声を失った。「まさか」と言いたげだったが強い目力でヒロシを見つめると、
「今が2039年という何か証拠があるかな? 」というのが精一杯だ。
「そうですねぇ、カレンダーをお見せしましょう」
ヒロシは苦も無く携帯のカレンダー画面をカール大佐に見せた。
「君達はカレンダーを持ち歩いているのか? おおお! 」
カレンダー画面は2039年8月を表示していた。カール大佐は驚いたが、その横にはアナログ時計が動いているのを見て更に驚いたのだ。彼はこんなにも小さく薄い時計を見たことが無かった。
「カレンダーはわかったが、何故時計が動いているんだ? これはさっき電話だと言っていただろう」
と驚きと感心が混じった声を発した。ヒロシはみんなに、彼らは1933年から来た人達だと伝えた。「ウソ、タイムスリップじゃん」とアユミが言った。
タイムスリップの映画やドラマなどはみんな何度か見たことがあるが、それは娯楽の創作で、現実にはあるわけがないと思っていただけに、現実にタイムスリップしてきた人を見たのは初めてだ。しかもなんでナチスなんだよ。とみんなが思った。
ヒロシは、これは電話だけじゃなくて、時計、カレンダーとか他にも色んな機能が入っていて、インターネットという設備がこの世界のあらゆることが全てわかるようになっていると拙い英語で説明した。が、思い出したように同時通訳アプリを起動させて、ドイツ語と日本語の言語の壁を超えて見せた。
それからは殆ど同時に会話が出来るようになった。普段なら直ぐに出来ることなのに、今の今まで思いつかなかったのは、きっとタイムスリップしてナチスが出てきたものだから驚いたからなのだろう。
カール大佐はスマホの存在に非常に驚くと同時に興味を持った。更にその様に便利なものが月々の安い料金で全世界的に普及しているという現実に、大きな衝撃を受けていた様子であった。
がドイツ語で携帯に話すと、瞬時にスピーカーから日本語に翻訳されて聞こえてくるので、今度は皆に伝わった。又こちらの言葉もドイツ語で伝わることにみんなが笑顔になった。
「こんなに便利な機械装置があるのだから、私は今が2039年であることを信じるよ。となれば、私はこの事態を総統に速やかに御伝えしなければならない」
「えっ。総統って」
「アドルフ・ヒトラー? 」アユミが驚いて声が裏返ってしまった。
「106年先の日本人でも我が総統を知っているのか? 」
「だって教科書に乗ってるし、顏もね」
「ちょび髭でさ、なんかカッコつけてね」アユミとキョウコがふざけ始めたので、ヒロシが慌ててとりなす。
「ヒトラーさんは、歴史上の人物として今でも大変有名ですよ」
「……そうか、それは結構。では私はこれで失礼するが直ぐに戻ってくる。それまで待っていてくれないか? 」
「ええ。それはいいですけど。何故ですか? 」
「それは、君達は我々から見たら人種は異なるが未来人であり、スマッホのおかげで言葉の壁を乗り越えて自由に意志の伝達が可能だからだ。更にインターネッツというものを使わせてもらって、我々は未来を知りたいのだ」
ナチスドイツの人が、未来を知りたい……。ヒロシはカール大佐の発言の意味を知ると、ゾゾゾっとした。ヒロシが返事を躊躇していると、カール大佐は踵を返すとトラックの後ろに控えているオープンカーに乗っているであろうヒトラー総統に向かって行った。
ヒロシ達は遠ざかるカール大佐の背中を見ていた。その横に目をやると、護衛の兵士が銃を構えるでないが、いつでも撃てますよという顔でこちらを見ていた。
これでは隙をみて逃げるなんてことはできそうもない。アツシがヒロシに呟いた。自分達の拙い知識だけならまだしも、スマホを駆使すれば物凄く詳しく彼らに伝えることになる。なってしまう。そうなると、彼らが彼らの時代に戻った後、史実と違う動きをしたら、歴史変っちゃうじゃないかというのだ。
ヒロシは、え? そうかな。と応えた。アツシはヒロシの呑気な返答に驚いた。ちょっとヒーちゃん。そんなん歴史変るの決まってるやん。アユミも強めにヒロシに言った。コージもキョウコもそうだそうだとヒロシに言った。
ヒロシは呆っとしていて、皆から詰められて少し慌てた。
「ちょっと待ってよ。こんなとこで言われるとは思わんかったわ、あ~びっくりした~。みんなよく考えてよ。あんな100年前の人に何言ったって、今更なんもかわらんでしょう」ヒロシはみんなを窘めるように言った。
「オレ昔爺ちゃんとバック・トゥ・ザ・フューチャーいう映画観たけど、過去をいじると未来が変るんだって、なーみんな」コージがそう言う、ヒロシ以外のみんなは激しく頷いた。勿論みんな半笑いだ。
「だってアレ映画だよ。リアルじゃないの! もう決まっちゃった歴史はそうそう変わらないって。みんな一旦落ち着こう! 」ヒロシはそう言って両手を前に出して上下に振った。
みんな映画はリアルではないことは理解している。みんな世界史は得意ではないが、ナチスは連合国軍に負けたことぐらいは知っている。ついでに日本も負けたこともそうだ。
ここでナチスに史実を伝えたところで、あの第二次世界大戦の結果がひっくり返って世界の歴史が急に激変するとは、正直考えられない。でも、もしナチスが対策をこうじて勝ってしまったらどうなるのか? きっと世界線がズレてナチスが勝った別の世界が広がるのではないか。勿論この世界の歴史は変わらない。などの議論が出た。そもそも彼らが今になって現れた時点で世界線がズレたと言えるのではないかい? これは量子論だよ。
5人の高校生は自然に輪になってブツブツ話し合って思考実験をしていたが、カール大佐がオープンカーに乗ったヒトラー総統に現状報告を終えたような気配を鋭いアユミが察知した。
「ちょっとちょっと。カールちゃん報告終ったみたいよ」
「カールちゃんめっちゃ緊張しちょう」
全員がトラック後ろのオープンカーとカール大佐に注目した。丁度トラックの影に隠れた状態で左ハンドル横つまり右座席にいるであろうヒトラー総統はぎりぎり見えることはなかった。それでも5人は怖くてオープンカーが見える位置に移動できなかった。それでも少しでも見てやろうと首と頭を精一杯伸ばして曲げていた。
「おいおい、カール車のドア開けたよ…… 」
アツシがそう呟くと、開いたドアから颯爽と男が降り立った。後部ドアから付き人のような男が続いた。マルティン・ボルマンだが5人は知るはずもない。カール大佐は、顔をこわばらせながら右手をサッと突き出しナチス式敬礼を捧げた。ヒトラー総統はそれを当然の様に受けて自然に右腕を120度位に曲げて応じた。
いよいよアドルフ・ヒトラー総統がこちらに顔を向け歩き出して、こちらに向かって来た。その威厳と迫力は、現代ではオーラというのか、その風貌と目の力と余裕を持った立ち居振る舞い以上に、見えない力となって5人に降りかかり、背筋をゾクゾクとさせた。一歩又一歩まるでスローモーションに感じたが、現実はそれ程のこともなく5人の輪は自然に解けて眼前のヒトラー総統を迎えた。
身長は170センチ位、七三に撫でつけた黒髪に高い鼻の下には整えられた髭があり、左右にはギラギラとした大きな黒い瞳がこちらを見ている。表情は柔らかくて幾分笑みを浮かべていた。服装は意外にも上下黒のスーツに白いシャツに黒いネクタイをしていた。
ヒロシは、いや他のみんなも、これほど格好良い中年男性を生で見たのは初めてだった。大体この二本松の中年男の格好といえば、よれた作業着かランニングシャツにタオルを首に巻いている。冠婚葬祭の時はさすがにスーツを着るが、大抵身体のサイズに合っていない。カスタムメイドのスーツなどは学校の教師だって見たことがなかった。
ましてや生の外人も見たことが無いのだから。それはもう口がポカンと開いて見入るばかりだった。
「やぁ、日本の若者達よ。こんばんは、ここは少々蒸し暑いが元気かな? 」
ヒトラー総統は笑みを浮かべながら5人を見渡してこう言った。アツシが差し出したスマホが直ちにドイツ語を日本語に翻訳してくれるので助かった。
それは堂々としていて優し気な男性の声だった。5人は緊張気味に「こんばんは」と返した。不思議なものでみんなの視線はヒトラー総統に釘付けだ。
彼は一人一人に握手をして、名前を名乗ると丁寧に名前を聞いて回った。5人はこれではやくも心を持っていかれてしまったかもしれない。
「カール大佐からの報告によれば、ここは日本でしかも2039年だという。我々は一瞬のうちに時空を飛び越えてしまったわけだ」彼は楽しそうに言った。
「あのぅ。驚かれないのですか? 」ヒロシが言った。
「驚く? 何故かね? 私は100年余未来の君達と出会えて嬉しい限りだよ。それに私は未来に何度も行き来しているよ」と事も無げに言うヒトラー総統に5人の方が驚いた。
「理由はわからないが、私にはそういった能力があるようだ。あれは二十代の頃だな。私はフランスとの戦いで伝令兵をしていたよ。そんな時、今すぐ20メートル移動して伏せろという声が聞こえた。何度もだ。
それは誰の声とも知れなかった。声の主は友軍の兵たちのものではなかったのだ。仕方なく私だけ移動して伏せた途端、約20メートル先に敵の榴弾が落ちたのだ。部隊は全滅、生き残ったのは私だけだった。
幸運だったと思うかね? いや違う。私は謎の声に従ったから助かったのだ。それからというもの、私は何度も、少なくとも5度はその声に救われて、不死身の男という異名を頂いた。それだけではない。この鉄十字勲章まで頂いたのだ!
あの戦争は屈辱的敗北に終った。それからの我が国は混乱を極めた。そんな中で、私は未来が見えるようになっていた。初めは一週間後、数カ月後とありありと見えるようになった。それから今度は身体毎が未来に行けるようになったのだ。そして数年後へと遠い未来へ行くことが出来たのだ。但し、私が望む先へは行くことが出来なかったな。
おかげで私はドイツの指導者となり、第三帝国を建設することができたのだ! 1933年、私は演説を終えて車で移動中に突如深い霧に包まれ、それが晴れたらなんと百年余の時空を飛び越えて、今諸君の前に立っているというわけだ」
「さすがヒトラー総統だ。話がわかりやすい」アツシは感心しきりに言った。彼はみんなの反応を見て満足そうに右手を腰に当ててやや反り返った。
「あのう、ちょっとよろしいでしょうか」日頃は大人しいキョウコが自分のスマホでヒトラー総統を撮影を始めたので、ヒロシが慌てて説明した。
総統はそれに快く応じた。彼の容姿や顔がキョウコのスマホの画像に映っている。キョウコはそれをヒトラー総統に見せた。
「おお! これがスマッホという装置か。先程は無線電話で翻訳機能を有していると聞いていたが、カメラの機能まであるのか。
私がこのガラス板の中で動いている……。我々の時代では、天然色で動いている様子を残すことができる物といえば映画だけだ。しかし殆どは白黒で、天然色となればそれは貴重なものだ。それがフィルムの現像も無しでこんなに鮮明に、こんなに手軽に撮影できるとは、素晴らしい物だ。是非とも持って帰りたい。これは幾らなのかな? 」と感心しきりであった。
「この機種はそれ程高い値段ではないですが、ええとそうですねぇ、10万円位です。ヒトラーさんの時代でも電気はあるでしょうから、ヨーロッパでは240ボルトと聞いていますから100ボルトに変換して充電して使って下さい。でないとすぐ壊れてしまいます。でもインターネット環境が無いから、SNSや電話は使えないから、カメラ機能くらいしか使えないですよ。
これはキョウコの個人データが入っているからお渡しできませんが、明日お店に行けば幾らでも買うことができますよ」
「なるほど、して10万円とは、ドルにすると幾らくらいなのかな? 」
「2000ドル位ですかね」
「なんと! とても高価な品だな。そうか、我々の時代よりもインフレが進んでいるのだな。でなければ少年少女までが当たり前の様にこれが普及している説明がつかない。
我々は幾らかゴールドを持っているから、それを換金すれば買えるだろう。
しかしこの様なハイスペックな装置が誰でも買うことができるのか。この性能は国家機密クラスだぞ。早く夜が明けないものかな」
「えーと、その時は、その服装はいいとして、武器は隠しておいて下さいね。今の日本は武装禁止なので、警察に捕まって物凄く面倒なことになります」
明日ヒトラー総統と護衛部隊が武装解除して? あの格好でケータイショップに行くの? 想像しただけで笑える。お金は通用しないだろうが、ゴールドがあるなら換金すれば問題無いだろう。しかしパニックになってケータイ買うどころではなくなるかもしれない。
それよりも、キョウコはヒトラー総統の顔をアプリで解析して、何パーセントヒトラー総統なのかを試してみたかっただけだった。顔の輪郭、目と目の間、鼻や口の形、そして髭の形を解析した結果は99パーセントだった。
それを見た総統は、本人なのに何故100パーセントでないのか? と問うと、だって2039年にヒトラーさんが生きているはずないじゃないですか。という説明に彼は納得した。
ヒトラー総統とマルティン・ボルマンは、今では小学生でも持っているスマホの高機能に感心しきりである。
それがきっかけとなって、5人の若者はヒトラー総統を中心に記念撮影+動画撮影が実現した。おかしな光景だが、みんな笑顔でとても和やかな雰囲気だった。5人が学校の世界史で学んだ、ヒトラー総統がこんなに近くにいる。世界を恐怖に陥れたという印象は少しも連想出来なかった。尤も5人は揃って世界史などそれ程熱心に勉強したことはないのだが。
第四章
ヒトラー総統は部下に折り畳み式のディレクターチェアを持って来させてゆったりとしていた。笑顔でマルティン・ボルマンにここで見聞きしたもの全てを記録するように言っていた。とても機嫌が良い様だ。ヒロシは気を利かせて自販機で冷たい缶コーヒーを買って渡した。
「これは何かね? 」
「アイスコーヒーです。意外と美味しいですよ」ヒロシはそう言ってフタを開けてあげた。
「何という芳醇な良い香りなのだ。ちょっと失礼するよ」ヒトラー総統は缶コーヒーの香りに驚き、ことわりを入れてからおそるおそる一口含んだ瞬間、彼は目を剝いた。
「旨い! このコーヒーの味に加えて優しいミルクの見事なハーモニー」彼は興奮気味にまくしたてると又飲んだ。ヒトラー総統は酒も煙草も一切やらず、甘党で知られている。
「そしてこの絶妙な甘さが私を感動させる。すまないがあの箱について教えてくれないか」
「気に入ってもらえて良かったです」
ヒトラー総統は缶コーヒーの旨さに酷く感激しながらドライブインの中に入り込んで自販機をしげしげと眺めた。田舎の古ぼけた自販機に感心しているヒトラー総統を見てアユミは声が漏れないように笑っていた。
「おおお! 何という種類の多さだ! なるほど、この箱に人が入っていて、注文したものを出すのだね? 」
「中に人は入っていませんよ。こうやってお金を入れて、飲みたいものを選んでボタンを押すと、ほら、自動で出てくるのです」
ヒロシは説明しながらお金を入れて、もう一つ同じ缶コーヒーを取り出して見せた。マルティン・ボルマンもカール大佐もその光景に感嘆の声を上げる。
「そんなはずはない。確かにこの箱は何か喋ったのだ」
「この時代では、自動で喋る自販機など沢山あるのです」
「そうなのか……。すまないが、アイスコーヒーとやらをもっと出してくれないか。皆にも飲ませてやりたいのだ。料金はマルクは使えないとすると、ボルマン、彼にゴールドを渡してやれ」
言われたボルマンは懐からサッと金の入った袋から粒をゴロゴロと取り出すとヒロシに手渡した。
「これ本物の金ですか? 」
「この私がまがい物を出すと思うか。見くびってはいけない」
「いえ、僕らは金なんて見たことがないんです。それにこんなにいただけません。お釣りだってないし…… 」
「人の好意に報いるのは当然のことだ。遠慮せずとっておきたまえ」
「どうも有難うございます。それじゃあ、兵のみなさんにも出しましょう」
金をもらったヒロシは、缶コーヒーが全員に行き渡るようにどんどん買うと、それは売り切れになったので、違うもの(エスプレッソなど)を買って渡した。カール大佐はフタの開け方をアツシから教わると、両手に抱えて兵士に配りに走って行った。
それを飲んだボルマンも総統と同じように目を剥いて褒めちぎっておかわりした。総統とボルマンは缶コーヒーの旨さと自販機の優秀さに驚いていた。
遠くの方では、缶コーヒーを飲んだ兵士が口々に「Lecker!(レッカー!)」と言って顔をほころばせてタバコを吸い始めた。
みんなにそこまで喜ばれると、ヒロシははにかみの笑みを浮かべていた。アユミがすかさず、あんたが照れてどうすんのさと突っ込んだ。
「それにしても、我々は冷たいコーヒーなど飲む習慣が無いのだよ。不味いに決まっているからね。しかしこれはどうだ。非常に旨い」
アイスコーヒーの発想は日本人だと言われている。勿論ヒロシ達はそんなことは知らない。
「まったく、箱に入っている以上、いつ誰が飲むかもわからないのに今飲んだものが何故これほどまでに何故フレッシュなのかね。旨いコーヒーなど我が国にもあるが、古いものは飲めたものではないのだが…… 」
「僕も詳しいことはわかりませんが、コーヒーを大量に作ってそれぞれの缶に入れてフタをする時に、酸化防止のために窒素を入れて酸素を追い出しているようです」
「……なるほど、そうだったのか。それにこの缶の造形も見事だ。この形といい塗装のデザインといい実に秀逸だ。私には手に馴染む爆弾にしか見えないが材質は何かな? 」
ヒトラー総統は飲み終えた缶をまじまじと見つめながらヒロシに問うた。
「鉄じゃないですかね」
「何と! その様な高級な素材をふんだんに使って、これほどまでに見事な塗装を施すとは! 日本には余程一流の職人が多いと見える」総統の興味は今度は缶に移ったようだ。
「これは、大量生産品ですよ。そこには職人はいなくて、工場で全部自動で造っていると思います」
「何と! それほどまでに機械化、自動化が進んでいるとは! 日本が恐るべき進化を遂げたことが、これだけでもわかるというものだ! 」
「いちいちうるさい」アユミが翻訳されないように小声で呟いた。まったくだ。
「いえいえ、こんなものは日本だけではなくて、世界中にあると思います」
「なるほど、わかった。つまり、カフェのマスターが街で旨いコーヒーを1日数百売って生計が立つのだから、飲料企業が工場を建設してレシピに従って大量に旨いコーヒーをつくり、専用の缶に封入してこの箱に入れて全国に配備すれば、1日にして数万の売り上げが大きな利益が得られるということか。これはビジネスとしては非常に興味深い。勿論売れ行きを管理し、売り切れにならぬように補充する仕事が必要になるな。ボルマン! 記録しておくように」
総統がそう命じると、マルティン・ボルマンは既に記録を始めていた。ヒロシ達は総統の鋭い観察眼に感心した。現代の自販機はコインだけでなくスマホをかざすだけで電子マネー決済が可能だが、ここの自販機は古いものが多いのでコインしか受け付けないのだ。
「そうですね、多分明日には業者さんが補充に来ると思いますよ」
「そうだろう、そうだろう」総統は満足気に頷いた。
「それにこの缶コーヒーの値段だ。極々普通に見える少年がこんなに気軽に我々に振る舞えるということは、きっと手頃な値段であるにちがいない」
「ヒロシのお父さんは市長ですから、こんなことはわけないのです」アツシが笑顔で話した。
「おお、ヒロシ君のお父上も政治家だったのか。道理で物分かりが良くて優しい少年だとは思っていたが、これだけでもお父上が立派な市長であることが推察できるというものだ。是非お会いして会談したいものだ」ヒトラー総統は、冗談とも本気ともつかない調子で言った。
「ヒトラー総統と会談だなんて、畏れ多いですよ。父などは余りに器が小さくて、まるで少年サッカーチームがドイツのプロ・チームと試合するようなものです。規模が違い過ぎて試合になりません」
「ヒロシ君! 君は中々に面白いことを言う」
総統は嬉しそうに笑った。それからドライブインから出て再びディレクターチェアに座ると、ヒロシにも座る様に促した。それから側近達に気を使いながら、やや浅く坐り直すとわずかに上目づかいでこう言った。
「ところで、諸君らは私から見れば世界の未来を知っている未来人だ。実はとても興奮している。……それでどうだろう、そのスマッホを駆使して私に我々の未来を教えてはくれないだろうか」
ヒロシは総統にジッと目を見られて、視線を外すことが出来なくなった。何故だかわからない初めての経験だった。なんというか、総統の両の目しか見えない感じだ。その目は静かで、優しくて、やがて大きくなり、まるで総統が自分の心の中にゆっくりと入り込んでくるような感じがした。
「ええ、いいですよ。でも、それがどの様な結果でも、絶対に怒らないで下さいね」
「……それは、あまり良い方向とは言えないということだね。こちらとしても覚悟が必要だな。わかった。君が何を言おうと諸君の安全を保障しよう」
両者のやりとりは、ドイツ側と日本側双方に殆ど同時翻訳されてヒロシを含めた5人の少年少女もやや緊張した。
「なんかエライさんの会談みたい」アユミがキョウコに小声で言うと、クスリと笑い静かにと手で制した。
ヒロシは総統の目が異様な力を放射しているような気がしていた。それは人を萎縮させるような種類のものだったが、彼はもう覚悟を決めて総統に向き合うことを心に決めた。すると、第三帝国の総統を前にしても臆することなく自分の考えを伝えることができる気がした。
「ヒトラーさん。とても不思議なことですが、僕らはみなさんとお会いして、正直驚きと恐怖と不安でいっぱいで、ここから早く逃げ出したいと思っていました。でも今はそんな気持ちは吹き飛んでいます。
それはヒトラーさんがとても素晴らしい人物だとわかったからです。総統という地位にありながら、威張っているところは少しもなく、百年先の未来に来たというのに冷静で、興味津々に色んなことを鋭い観察力で理解され、部下の人にも優しい気遣いをされているからです。
部下のみなさんもとても紳士的で、本当に心からヒトラーさんを尊敬しておられることがよくわかります。
でも、そんなヒトラーさん。結論から申し上げます。あなたは1939年9月1日、ポーランドに侵攻して大戦争になって敗れます。そして1945年、ベルリンの総統官房地下壕でピストル自殺されます」
ヒロシの日本語が殆ど同時にドイツ語に翻訳されてヒトラー総統と側近に伝わった時、みんなの顔が強張った。
「なんと…… 」総統はその後の言葉が続かなかった。側近たちは狼狽した。
「……信じられないでしょうが、これは本当の歴史です。僕は世界史が苦手で、こうなるとわかっていればもっとよく勉強していればよかったと思いました。
年号は、スマホに頼りましたが、あの大戦は今では第二次世界大戦と呼ばれていて、大勢の犠牲の末にドイツは敗北します。そしてヒトラーさんが自殺されたことはみんな知っています。
ですからヒトラーさん、結果はもう明らかです。戦争など絶対にしないで下さい! 御願いします! 」
ヒロシは言葉に力を込めて頭を下げた。彼は自分達が彼らに歴史を教えると未来が変ってしまうなどということを全然恐れていなかった。いや、むしろそんなことはどうでもよいことで、自分達の行動で戦争など起こらなければよいと思っていた。
なにしろ戦争を起こした張本人が目の前にいるのだから真剣そのものだ。1933年から来たというのだから、まだ戦争前だ。負けて自殺に追い込まれるとわかって戦争をするわけがないと思った。
果たしてヒトラー総統はどう出るのであろうか。