最終話 日々は続いていくのです!
全員で一致団結して頑張った結果、無事夕方には店内は見違えるほど綺麗に整った。食材や茶葉の搬入も完了し、これで明日の開店準備はばっちりだ。
ハイタッチを交わす私達をよそに、ジルさんは心配げに顔を曇らせる。眉根を寄せてカウンターの中を歩き回った。
「……何か他に足りないものは……。チラシは配ったし……食器も充分……」
「大丈夫ですってば店主。明日は身内しか招待してないんだから、気楽にやりましょうよ。それに失敗するなら本格オープンの前がいいでしょう?」
何事も練習ですよ、練習。
軽く言い放つニールさんに、ジルさんは案外素直に頷いた。真面目なジルさんと楽天家のニールさん、二人は意外といいコンビになるかもしれない。
「本格オープンは来週からだったか?」
てきぱきと掃除道具を片付けつつ、ラルフさんが私を振り返る。
「はいっ。明日と明後日のお客様はお友達ばっかりです。だから私も店員側で参加しますよっ」
ガッツポーズで返事をして、明日のためにヴィンスさんが選んでくれた、黒いリボンがシックなフリルエプロンを見せびらかす。
プレオープンにはこの場にいる全員はもちろんのこと、旦那様にヴィンスさん、そしてお屋敷の使用人の皆さん、「通過の町」の町長一家も招待している。実はこっそりアビーちゃんにも声を掛けたので、エマさんと一緒にお忍びで来てくれるかもしれない。
あ、そして忘れてはならないもう一人――
「わふっ!!」
狼犬のグッさんの吠え声と、「よーし、よし」という嬉しそうな声が聞こえた。扉がカランと開き、彼がゆったりと店内に入ってくる。
刹那、ジルさんがカッと目を見開いた。
「滅びよ悪しき者ッ!!!」
ぶんっと腕を振りかぶり、白い何かを勢いよく彼に叩きつける。もんどり打って倒れた男の口から、ぐはぁっという悲鳴が漏れた。
ニールさんがきょとんと目を丸くする。
「店主。その粉は何ですか?」
「塩だ。塩は邪気を祓うというからな」
息を弾ませながら答えるジルさんをよそに、ラルフさんがさっき片付けたばかりの掃除機を取ってきた。床で顔を押さえて悶えている男に、「お前がしろや」と言わんばかりに無言で差し出す。
「あら、素敵に仕上がってるじゃない~! アタシは二日ともお客で行かせてもらうわねっ」
「……ああ。俺も昼はこちらで食べる事にする」
はしゃぎ声を上げるヴィンスさんに続き、旦那様も店内に入ってきた。二人とも床の男は華麗に無視して跨いでしまう。……えぇっと。
仕方なく私が助け起こそうと近寄るが、すかさず旦那様から阻止されてしまった。
がしっと腕を回されて後ろに引きずられる。あ~れ~と手を伸ばした瞬間、男が跳ねるように起き上がった。血走った目で私達を睨みつける。
「――このっ、無礼者共がぁぁっ!? この俺を誰と心得る!?」
「…………」
ぎゃんぎゃんわめく男に、私達は微妙な顔を見合わせた。お互いに目配せを交わし、いっせーので口を開く。
「邪悪な犯罪者」
「誘拐犯その一」
「勘当息子」
「借金大魔王」
「脳みそ砂糖漬け」
「わぉんっ」
てんでバラバラだった。
ニールさんが怒りに震える男に歩み寄り、乱暴に髪をかき混ぜる。ぱらぱらと塩を払い落として満足気に微笑んだ。
「まあまあ。――今日もお仕事お疲れ様でした、クライヴ様?」
***
厳密には、クライヴさんはルグロ公爵家から勘当されたわけではない。公爵家の跡継ぎ問題だって未決である。
――ただし。
「クッ……! なぜ、なぜこの俺がっ。シリルなんぞの下につかねばならない……!」
クライヴさんが憤ったように呻きながら、ガツガツとお皿を空にしていく。……おお、すごい食べっぷり。
感心する私をよそに、向かいに座るヴィンスさんが眉根を寄せて鼻を鳴らす。
「シリルの下どころか、団で一番の下っ端でしょーがアンタは。ていうか、しょっちゅうごはんを食べさせてもらってるくせに、文句なんか言わないのっ」
「そうですよクライヴ様。食費が浮いて、どれだけ助かってると思ってるんです」
ニールさんからもたしなめられ、クライヴさんはうぐっと言葉を詰まらせた。旦那様だけは全く気にしたふうもなく、ひとり淡々とフォークを口に運ぶ。
――あれから。
事の顛末を知ったルグロ公爵は、取るものも取り敢えず王都に駆けつけた。私と旦那様、そしてアーノルド陛下に謝罪して、旦那様が公爵家別邸の壁を破壊した件は不問となった。
ただし、彼のクライヴさんに対する怒りは凄まじかった。
その腐った性根を叩き直してこいと、クライヴさんを問答無用で魔法士団に放り込んだのだ。償いが終わるまで顔も見せるな、という脅し文句付きで。
その時のことを思い返したのか、クライヴさんは深々と嘆息する。うっすらと目に涙を浮かべ、私と旦那様の足元に寝そべるグッさんに手を伸ばした。
「ああグウェナエル、もう少しだけ氷の魔王の家で辛抱してくれ。必ずや貯金してボロアパートから脱出し、ペット可の物件を探してみせるからな?」
グッさんは閉じていた目を開き、お愛想のように一度だけ尻尾を振った。くあぁと牙を剥き出しに欠伸して、またうつらうつらする。
ヴィンスさんとニールさんが顔を見合わせた。
「イエお気遣いなく、って言ってるように見えたわね」
「幸せにやってるんで結構です、って感じですよね」
「…………」
可哀想に、クライヴさんはすっかり打ちひしがれてしまった。慌てて給仕の執事さんに耳打ちして、早めにデザートを持ってきてもらうようお願いする。
「クライヴさん、すぐにケーキが来ますからねっ。元気出してください! ねっ、シリル様も!」
隣の旦那様を揺さぶって目配せした。
慰めてあげて、の意だったのだが、旦那様は胡乱な視線をクライヴさんに向けた。
「……まずは借金返済だろう。貯金以前の問題だ」
ああっ、そんなド正論を!
……そう、クライヴさんはお父さんであるルグロ公爵に借金をしているのだ。
「借金って……。壁の修理費用と、誘拐に使った馬車の代金って言ってたかしら?」
首をひねるヴィンスさんに、ニールさんが笑って頷いた。
「ええ。あの日雇ったゴロツキには、公爵家の馬車は遠くに隠しておくよう命じたのですがね。約束の場所に馬車はなく、どうやら闇ルートで売り払われてしまったようで」
「買い戻すのに、かなり金を使ったらしい……」
クライヴさんがげんなりと呟いた。どうやらゴロツキさんの方が一枚上手だったらしい。
そしてもうひとつ、としたり顔のニールさんが人差し指を振る。もったいぶって私達を見回した。
「別邸の使用人達への見舞金もあるんですよ」
「え? それは初耳です」
身を乗り出す私に、ケーキをヤケ食いし終わったクライヴさんがくわっと噛みつく。
「お前の夫が恐ろしすぎるせいだっ。散々脅しつけられた使用人達は、多大なる精神的苦痛により睡眠もままならず、可哀想にやつれる一方で――」
「という振りをして、ほくほくと慰謝料を受け取ったんですよ。臨時収入やっほーって喜んでましたから」
「…………」
ニールさんの無情なネタばらしに、クライヴさんはあえなく撃沈した。
苦笑いしたヴィンスさんが、ぽんとクライヴさんの頭を叩く。
「――さっ、じゃあそろそろお暇するわよ。皆様の安全を守るため、明日も大事なお仕事なんだから」
帰路につく三人を玄関先まで見送った後、私と旦那様は踵を返した。わくわくと指折り数える。
「明日は朝からお店に行ってー、お昼ごろにシリル様が来てー」
「ああ」
「午後はローズ達が来る予定でー……って、あああああっ!?」
突然叫び出した私に、旦那様が驚いたように足を止める。私は旦那様を必死で見上げ、彼の腕をぐいぐい揺さぶった。
「大変っシリル様! クーちゃんとヒューさんを招待するの忘れてましたっ」
慌てふためく私に旦那様が目を瞬かせる。
しばし黙りこくり、ためらうように視線を泳がせた。
「……母達には。俺の方から手紙を送っておいた」
「へっ!?」
「来るかどうかは知らんが。一応義理として必要かと」
なんともバツが悪そうに、大急ぎで言い終える。私はぽかんと旦那様を見返して、それから勢いよく噴き出した。
「そっかぁ、きっと来てくれますよっ。――明日が楽しみですねっ?」
くすくす笑う私から、旦那様はぷいと目を逸らす。
「……別に」
拗ねたような返事に、私はわざとらしく首をひねってみせた。旦那様はますます怒ったような顔になる。
「別に、明日だけが楽しみなわけじゃない」
ぶっきらぼうに言い放つ。なるほどなるほど、と私は笑み崩れた。
「確かに。明日だけじゃなくて明後日も、その先もずっとずうっと。シリル様が一緒なら、私は毎日楽しみです!」
「……俺もだ」
穏やかに微笑んで、旦那様が私に手を差し伸べる。その手を無視して、体当たりで旦那様に抱き着いた。
私達の足元をグッさんが嬉しそうにぐるぐる駆け回る。旦那様が小さく笑い声を上げ、私を抱く手に力を込めた。
――今日も、明日も明後日も。
二人で紡いでいける未来があるから、何があってもきっと乗り越えられる。
旦那様の腕の中、幸せな明日を思って目を閉じた。
 




