第82話 辿り着いた答えは……
驚愕に顔を引きつらせたクライヴさんが、弾かれたように私を突き飛ばす。
「うわああああッ!!」
「ちょっ……クライヴ様!? どうなさったんですか!」
尻餅をついた私を助け起こしながら、ニールさんが目を白黒させた。
クライヴさんはそんな彼に一切構わず、愕然とした様子で己の手のひらを見つめている。その顔は完全に血の気を失っていた。
「――お前……っ。今、俺に何をした!?」
「魔力を吸い取ったんです。洗いざらい。綺麗さっぱりと」
ぶすりと告げて、私は再び地面に座り込む。
だって立ちたくない。足を踏ん張る元気もない。
体育座りして、敵のように土を殴りつけた。
やさぐれた雰囲気がにじみ出ていたのか、クライヴさんとニールさんが困ったように顔を見合わせる。しばし二人で無言の押し付け合いをした結果、負けたらしいニールさんがおずおずと進み出た。
「……ハニー? 魔力を吸い取るとはどういう事ですか。それに……一体何を、そんなに怒っているんです?」
「…………」
無視してぶちぶち草を抜く。
業を煮やしたのか、今度はクライヴさんが大股に歩み寄ってきた。頭の上から怒声が降ってくる。
「黙っていたらわからないだろうっ! 第一、怒りたいのは俺の方――」
「うるさいなぁっ!! 私は怒ってるんじゃなく、悲しんでるんですっ!!」
ひび割れた声で怒鳴り返した瞬間、目尻から大粒の涙がこぼれた。腕を持ち上げる気力すらなく、そのままほたほた落ちるに任せる。
地面にへたり込んで泣きながら、感情のままにクライヴさんを睨みつけた。
「違反だって、はっきりわかっててやったんだもん! 契約、終わっちゃうかもしれないっ。そしたら……そしたらシリル様の、側にいられなくなっちゃう……」
言葉が尻すぼみに消えていく。
情けない。
覚悟を決めて、クライヴさんの魔力を奪ったはずなのに。
いざ取り返しのつかない所まで来てしまうと、みっともないぐらい取り乱して、クライヴさんに当たり散らして。馬鹿みたいだ。
膝を抱え込んできつく目をつぶる。頬をはもうびしょ濡れだが、それすらももうどうでもよかった。
「……契約? だから、何の話だ。落ち着いて最初から話してみろっ」
クライヴさんが声を荒らげながら、私の傍らに屈み込んだ気配がする。途方に暮れたようなニールさんの声も降ってきた。
「そうですよ、ハニー。まずは涙を拭いて、思いの丈をこぶしに込めましょう? クライヴ様の顔面ならすぐそこにありますからね」
「俺かよ!? そこはお前が受け止めろよ!」
「あ、僕そういう趣味無いんでー」
「俺だって無いわ!」
なぜか口論を始めた二人に、のろのろと顔を上げる。すかさずニールさんがハンカチを差し出し、クライヴさんはどっかりと地面に座り込んだ。偉そうに腕組みしてふんぞり返る。
「――で?」
……う。
自信たっぷりな眼差しに強制されるがまま、私はこれまでの経緯を説明した。洗いざらい。綺麗さっぱりと。
長い話を終え、全力疾走した後のように息を弾ませる。
すんと鼻をすすったニールさんが、壊れ物を扱うように優しく私の手を取った。
「よくぞ話してくれました。――つまり、僕とハニーの間には何の障害も無いという事で」
「お前は少し黙っていろニール」
ニールさんの後頭部を叩き、クライヴさんが眉をひそめて私を見やる。
「お前達の契約については理解した。……で、だ。お前は何をそんなに泣いていたんだ」
……は?
「何、って……。だから、今ちゃんと説明を……」
もはや噛みつく元気すらなく、力なくクライヴさんの顔を見返した。クライヴさんはやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。
「してない。聞いたのはお前とシリルが実は契約結婚で、今回お前が契約違反をしたという事だけだ。――仮にシリルから契約を解消されたとして、何の問題がある。そもそもお前はシリルに同情して契約を結んだだけ。まして、お前にはちゃんと帰る場所があるのだろう?」
「それは……っ」
そうだ。
最初はただ、体調不良に苦しむ旦那様に前世の自分の姿を重ねたのだ。放っておけないと、力になりたいと思ったから付いていくと決めた。
帰る場所だって確かにある。町長家の皆は私を待つと言ってくれた。私だって皆の事が大好きで、いずれは使用人として戻るつもりだった。
――そう、最初は。
契約を結んだ理由は同情『だった』。
帰るつもり『だった』。
「……でも、今は違うっ。私は、シリル様の側にずっといるって決めたんです! シリル様だって、私を手放す気はないって。私のことを、家族だって言ってくれて……っ」
――それなのに、私は契約を破ってしまった。
枯れたと思っていた涙があふれる。
しゃくり上げる私を眺め、クライヴさんは呆れ果てたように長いため息をついた。
「あのなぁ。それ、もう魔力譲渡は関係無くなってるじゃないか。シリルがどれだけお前を大切にしているか、父からも、市井の噂でも嫌というほど聞いた。お前とシリルは互いを必要としているんだろう? 想い合っているんだろう? ――なら、そこに契約書なんか要るか?」
要らないだろ。
きっぱりとした言葉に、最後の涙が一粒落ちた。ぱちくりと瞬きを繰り返す。
(……ええと)
もしや今、目から落ちたのは涙ではなくウロコかもしれない。私は大変な事実に気付いてしまった。
「契約……むしろ邪魔っ?」
「だからそう言ってるだろがっ」
クライヴさんから全力の突っ込みと共に頭を軽くチョップされた。乱れた髪をうわの空で撫でつけつつ、じわじわ笑いがこみ上げてくる。
いつからだろう。
この契約は旦那様のためなんかじゃなく、単なる大義名分になっていた。私が当たり前の顔をして旦那様の側にいるための、都合のいい言い訳だ。
(……馬鹿だなぁ。私……)
契約関係に甘えて安心しきっていたから、今の今まで自分の気持ちにすら気付いていなかった。
私の中心にずっと存在していた、揺るぎない想いをやっと見つけた。わかってしまえば、こんなにも簡単なことだったのに。
お腹を押さえて笑いをこらえる私を見て、クライヴさんが聞こえよがしに舌打ちする。
「ああクソッ。それにしても、魔力吸収だと? お陰でせっかくの勝負が台無しだ」
苛々と頭を掻きむしり、「あーあ!」と叫んで地面に寝っ転がった。
「ちょっ、クライヴさん!? 汚れちゃ――」
慌てる私に小さく首を振り、クライヴさんは睨むようにして空を見据える。
「……本当は、決着なんかどうだってよかったんだ。だが、名目を設けなければ奴は俺と向き合おうとしないだろう。まして、本音など話すはずが無い」
「はあぁ? ちょっと、それどういう事ですか。クライヴ様っ」
今まで立っていたニールさんまで地べたに座り込み、クライヴさんに向かって声を荒げた。クライヴさんは大の字になったまま、ちらりとニールさんに視線を走らせる。
「……初めてだったんだ。シリルが、あんなふうに感情を爆発させたのは。それまでは本気で、奴には感情が無いと信じていたぐらいなのに。――俺の言葉の何が、奴に響いたのか。傷つけたのか。どうしても……時間が経っても、忘れられず……」
語尾を濁す彼に、私はぽんと手を打った。
「なるほど。つまりシリル様にきちんと謝りたい、と」
「ちっがっうっ!」
わめきながら勢いよく体を起こす。憤然と私を睨みつけた。
「単なる興味だ、けじめだっ。……俺が勝負に勝ったなら、答えを教えろとシリルに要求するつもりで――……」
突然、クライヴさんが言葉を止める。
問いかけようとした私を制し、彼は鋭く辺りを見回した。険しい表情で、呻くように言う。
「――鳥の声が、止んでる」
ゆっくりと立ち上がり、剣の柄に手をかける。
私とニールさんもぽかんとした顔を見合わせて、戸惑いつつも立ち上がった。スカートに付いた草を払ったところで、ニールさんがヒッと息を呑んで後ずさるのが見えた。
「ニールさん?」
「――伏せろっ!!」
ニールさんの視線を追おうとした瞬間、強く腕を引かれて地面に倒れ込んだ。擦った頬に鋭く痛みが走る。
「クライヴ様っ!!」
静寂に包まれた森で、ニールさんの悲鳴が響き渡った。




