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第81話 望みはたったひとつです!

 目覚まし時計の音がけたたましく鳴り響く。

 枕に顔を埋めたまま、手探りでのろのろと時計を止めた。小さくため息をついて起き上がる。


(一睡もできなかった……)


 まだ時刻が早いせいで、カーテンを開いて見上げた空は真っ暗だった。冷たい床から這い上がってくる寒気にガタガタ震えてしまう。

 手早く身支度を整えたところで、タイミング良く扉がノックされた。


「おはようございます、ハニー。朝食ができていますよ」


 ひょっこりと顔を覗かせたニールさんに会釈して、無言で階段を下りる。

 食堂ではすでにクライヴさんが食事を取っていた。その表情は険しく、忌々しそうに虚空を睨みつつスプーンを動かしている。


「……クライヴさん。やっぱり、決闘なんてやめにしませんか?」


 椅子を引いて座った私に一瞬だけ目を向け、クライヴさんはふいと視線を逸らしてしまった。私は再びため息をつく。


 昨日――追いかけっこの翌日は、クライヴさんは一日中姿を消していた。決闘に備えた最後の鍛錬だと言っていたけれど、お陰で彼を説得する暇が全くなかった。


 今朝は朝食を取ったらすぐ決闘の場に向かう予定だ。彼を止める時間は、もういくらも残されていなかった。


 諦めきれない私は、クライヴさんに向かって必死に言い募る。


「今なら、まだ間に合うと思います。クライヴさんのお父さんにだって、誠心誠意謝ればきっと――」


「差し出口はやめてもらおう。父の事など関係無い。シリルと決着をつけるのは、あくまで俺自身のけじめの為だ」


 ぴしゃりと撥ね退け、クライヴさんは荒々しく立ち上がる。狼犬のグッさんを従えて、そのまま振り返りもせず食堂から出て行ってしまった。


「……ニールさん」


 最後の頼みの綱だったのに、ニールさんは無言でかぶりを振った。悲しげに眉を下げる。


「すみません、ハニー。――こうなってはもう、僕らにできるのは見届ける事だけです」




***



 空が少しずつ白むのを見上げながら、一列になって黙々と足を動かす。先頭はグッさんで、後ろに立派な剣を()いたクライヴさん、私、ニールさんの順で続く。

 早朝の森では至る所から鳥のさえずりが木霊していた。澄んだ歌声に辺りを見回すけれど、鳥の姿を見つける事はできなかった。


「……着いたぞ。ここだ」


 木々が途切れて開けた場所で、クライヴさんがやっと足を止める。ちょっとした広場ぐらいの大きさで、沁みるように明るい朝日が差し込んでいた。


 眩しさに目を眇めていると、クライヴさんが腰を屈めて狼犬のグッさんに笑いかけた。


「それでは頼むぞ、グウェナエル!」


「わふっ!」


 元気いっぱいの返事とともに、グッさんは森へと駆け込んだ。あっという間に見えなくなる。

 目顔で尋ねる私に、クライヴさんが皮肉げに唇を歪めた。


「まだ大分早いが、シリル達の迎えに寄越した。俺が手紙で指定したのは森の入口だからな、グウェナエルにここまで案内させるんだ。……奴は立会人を、誰に頼んだのだろうな」


 ついでのように呟かれ、私は思いっきり彼を睨みつける。


「ヴィンスさんに決まっているでしょう? シリル様の大親友なんだから」


「大親友? 監視役の間違いだろう」


「それは貴方の勘違い。二人は信頼し合ってるんですっ!」


 腰に手を当てて怒鳴りつけると、ニールさんが慌てたように私達の間に割り込んだ。


「ああもう、喧嘩しないでくださいよ二人とも! ……それから、ハニー」


 私の肩を押さえ、ためらいがちに口を開く。


「恐らく、ヴィンセント様は来られないと思います。ここから東の……アルスター温泉街で、凶悪な魔獣が現れたという話ですから。魔法士団の副団長が討伐に赴いたと耳にしています」


「えぇっ!?」


 そんな話は聞いていない。

 カフェ巡りに出発した朝も、旦那様の様子は普段と何ひとつ変わりなかった……と、思う。きっと心の中では、ヴィンスさんを案じていたに違いないのに。


(……なんで、気付けなかったんだろう?)


 鈍感な自分が恨めしい。


 じんわり浮かんだ涙を誤魔化すために、ごしごしと目元を擦る。唇を噛む私を見て、ニールさんが痛ましげに目を細めた。


「シリル様はきっと、ハニーに心配をかけたくなかったのでしょう。僕が知っているのだって、誘拐の機会を図るために魔法士団の周囲で情報収集をしたからです。――ああ、ですが」


 私の肩から手を放し、そのまま流れるようにきゅっと手を握る。潤んだ瞳で、至近距離から顔を覗き込んできた。


「僕ならば、ハニーに決してそんな顔はさせません。何故なら僕は、戦闘職とは無縁の無害でか弱い平和な男……。だからこそ、ハニーの側から片時も離れず、美味しいごはんをせっせと貢いで」


「おいニール。寝言は後にして、とっとと薬を出せ」


 ニールさんの首根っこを掴んで私から引っ剥がし、クライヴさんはカツアゲするように手をひらひらさせる。瞬きをする私をよそに、ニールさんはカバンを開いて小瓶を次々と取り出した。


 小瓶の中に入っているのは、黄みがかった液体――って、なんか見覚えがあるんですけど!?


「それって――もしかして魔力補充薬ですかっ?」


 大声を上げた私に、クライヴさんとニールさんもぎょっとして動きを止める。二人で顔を見合わせ、ニールさんが恐る恐る頷いた。


「ええ、よくご存知でしたね? 決闘に備えて多めに仕入れたのですよ。剣術勝負のつもりではありますが、念の為――」


「俺と奴とでは、そもそもの魔力量が桁違いだからな。保険といったところだ」


 クライヴさんは冷淡に言い放つと、ニールさんからひったくるようにして小瓶を奪い取った。そのまま迷いなく口に当てる。


「待っ……」


 止める間もなく、クライヴさんは次々と瓶を空にしていく。最後の一瓶を飲み干して、不敵な笑みを浮かべた。


「よし。これで準備は万端だ」


「……っ」


 どうしよう。


 剣術勝負というだけでも心配なのに、この上魔法まで加わってしまったら――?


 旦那様とクライヴさん、二人とも大怪我をしてしまうかもしれない。生々しく想像してしまい、背中を嫌な冷や汗がつたった。目をつぶり、爪が食い込むほど強くこぶしを握り締める。


(……シリル様……っ)


 耳の奥がドクドクと脈打つ。


 相反する二つの感情がせめぎ合って、地面がぐらぐらと揺れているような心持ちがする。

 自分の取るべき道がわからなかった。どちらを選んだとしても、きっと私は後悔するだろう。


「……それなら」


 口の中で小さく呟き、静かに目を開く。

 怪訝そうに私を見ていたクライヴさんに、ぎこちなく微笑みかけた。


「クライヴ、さん」


「な、なんだ?」


 ゆっくりと歩み寄ると、クライヴさんは怯えたように体を揺らす。私から離れようとする彼に追い縋り、逃がすものかと手を伸ばした。

 指と指を絡め、両手で包み込むようにしてクライヴさんの腕にきつく抱き着いた。


「なんっ……!?」


 顔を赤くする彼の――旦那様と同じ碧眼の瞳を覗き込む。自らの決意を静かに告げた。


「……私。絶対に絶対に、嫌なんです。シリル様が怪我をするのも。シリル様が誰かに怪我をさせるのも」


 だから。


 すうっと深呼吸して、絡めた指に力を込める。


「契約違反だってわかってる。シリル様は喜ばないだろうって事も。――でも!」


 私は、私にできる精一杯であなたを守る。


 クライヴさんの瞳に重ねた、旦那様の姿に語りかけた。再び目を閉じて意識を集中し、心の底から強く念じる。


「――なっ!?」


 驚愕の声を上げた、クライヴさんが私の手を振りほどくよりも早く。


 ――彼の身のうちに宿る魔力を、一欠片も残さずに吸い尽くした。

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