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第70話 これが新たな第一歩!

 夫婦それぞれ、向かい合わせに座るソファの間のテーブルで。

 クロエさんが与えたクッキーを、ピーちゃんが嬉しそうについばんでいる。トサカだけでなく長い尾羽にも真紅の色が入っていて、私はうっとりと彼に見惚れた。


「いや、家に戻ったらクロエが書き置きひとつ残して消えていてな。足取りを追ううちに、どうやら目的地が王都らしいとは気付いたのだが――」


「王都を通り過ぎて、アルスター温泉街に来てしまったの。温泉最高」


「そこはどうでもいい。俺が聞きたいのは、なぜ魔獣を飼っているのかという事です」


 喧々諤々と議論する親子三人は放っておく事にして、床に跪いてピーちゃんを覗き込む。


「ピーちゃん、美味しいですかー?」


「ぼげ~ん」


 流し目で返事をする彼に胸がときめく。あああ、鳴き声はアレだけど格好良い……!


 戯れる私とピーちゃんを見比べて、クロエさんが目を丸くした。


「……凄い。ミャーちゃんに懐いたみたいだね。普段は人見知りが激しくて、臆病な子なんだけど」


「臆病な奴が火を吹いて攻撃するかっ」


 くわっと噛みつく旦那様に、クロエさんは堪えたふうもなく肩をすくめる。


「先に手を出したのが貴方なんじゃない?」


「…………」


 図星を指され、旦那様はあえなく黙り込んだ。

 低い声で含み笑いしたヒューさんが、悠然と足を組み直す。


「ピーさんがこれまで問題を起こした事が無いのは本当だ。普段は人目に付かぬよう注意しているし、道中は遠く離れた場所を飛ばせていたからな。……まあ、それが原因ではぐれたわけだが」


「元国王として、無責任だとは思われないのですか。魔獣を飼育するなど」


 吐き捨てるように問う旦那様に、ヒューさんはしらっと肩をすくめた。


「愛する妻からの頼みだ。お前だって同じ状況なら聞くだろう?」


「シリルは聞かなかった。ミャーちゃんが石ネズミを欲しがったのに却下していたし」


 ピーちゃんのおでこを撫でながら口を挟むクロエさんに、「石ネズミ?」とヒューさんが首をひねった。黙り込んでしまった旦那様に代わり、私とクロエさんで代わる代わる説明する。

 ヒューさんは真剣な表情で耳を傾けた。


「成程な。……シリル、お前はおかしいと思わなかったのか?」


 突然の叱責するような口調に体が跳ね、私は慌てて旦那様の隣に戻る。おろおろと旦那様の横顔を窺うと、彼は訝しげに眉をひそめていた。


「女将が山で石を集めると言っても、せいぜい山の入口付近だろう。石ネズミは人を怖がるからな、普通は山奥で生活するものだ。それが、人里近くまで下りてきていたという事は――」


 旦那様ははっと目を見開き、呻くように呟いた。


「……住処を離れざるを得ない理由があった。石ネズミの生息域に、強力な魔獣が現れた可能性がありますね。餌場を変えたか、移動の途中なのかはわかりませんが」


「そうだ。ならば、お前の為すべき事は」


 試すようなお父さんの言葉に、旦那様は眉根を寄せる。しばし咀嚼するように考え込んだ後で、ゆっくりと口を開いた。


「山奥に強力な魔獣が居ると仮定しても、まだ人的被害が出たわけではありません。ひとまずは警戒を強化すべきかと。――魔法士団から人員を派遣して、温泉街に常駐させます」


「それがいいな。……この程度、本来ならば即座に思い付いて然るべき事だ。魔法士団長として失格だな」


「――そんなっ!」


 反射的に大声が出た私を面白そうに眺め、ヒューさんは旦那様へと視線を戻す。


「お前のような若造が団長に選ばれたのは、ひとえに生まれ持った魔力と身分によるもの。努力の結果でも何でも無い。己の経験不足を恥じるのならば、驕りを捨ててせいぜい精進する事だ」


 ソファにふんぞり返るヒューさんを、旦那様は凍てつくような眼差しで見返した。厳しい表情のまま、四角張った動きで頭を下げる。


「ご忠告、しかと承りました。――それでは、我々はこれで」


 すばやく立ち上がり、うながすように私の腕を引いた。私も慌てて一礼すると、そのまま二人で部屋を後にした。




***



「――シリル様っ」


 繋いだ手に力を込めて、先を歩く彼に呼びかける。それでやっと足を止めて、旦那様はゆっくりと私を振り返った。


 その顔はまだ強ばっており、苦しげに長い吐息をつく。向かい合った私の視線から逃れるように、目を伏せた。


「……みっともない所を見せた」


 その瞳の昏さに胸を締め付けられ、私まで呼吸が苦しくなる。それからむらむらと腹が立ってきて、放り投げるように手を放して旦那様に詰め寄った。


「そんなことないです! 魔力と身分だけっていうのも大間違いですからっ。ラルフさんを見てたらわかります! シリル様のこと、団長として尊敬してるのも、信頼してるのも伝わるんだから!!」


 声を荒げる私に、旦那様は驚いたように目を瞠る。ためらいがちに私の頬に手を伸ばし、目尻に浮いた涙をぬぐってくれた。……はれ?


「……私。泣いてました?」


「悔し涙だな」


 おかしそうに言って、硬かった表情がゆるむ。至近距離から瞳を覗き込まれたと思った瞬間、一気に視界が閉ざされた。


「……っ」


 きついぐらいに抱き締められて、どくんと心臓が跳ねる。旦那様は無言なのに、私の心臓の音だけが、馬鹿みたいにうるさい。


 聞こえるんじゃないかと心配になって、耳が火傷しそうなぐらい熱くなって。


 棒のようにただ突っ立っていると、旦那様が静かな声音で私に囁きかけた。


「父の言った事は正論だ。俺は、祭り上げられた地位に漫然と在るばかりで……魔法士団をより良くしようとも、団の先達(せんだつ)から学ぼうともしなかった。……少し前の俺ならば、父の指摘を悔しいとすら感じなかっただろう」


 一言一言、噛みしめるようにゆっくりと話す。

 ぎゅ、と私を抱く手に力を込めた。


「――だが、これから証明してみせる。与えられた職務を、ただこなすのではなく……己の職責と、向き合ってみせる」


「職、責?」


 掠れた声で繰り返す私に、旦那様がかすかに頷く気配がした。


「この国の人々を、魔獣の脅威から護る。王都には……俺にとっても、友人や家族同然に仕えてくれた使用人、団の部下達が居る」


「……可愛い姪っ子も」


 大事な所を補足すると、旦那様はふっと笑うように息を吐く。ぽんと私の頭を撫でて続けた。


「それから、王都で生きる市井の人々。馴染みの酒場も出来た事だしな」


 ニックさんとカミラさん夫妻の『酔いどれ亭』は、すっかり私と旦那様の行きつけとなった。あの夜大食い対決を見物していたお客さん達も、行き会う度に私と旦那様に気さくに声をかけてくれる。


「王都だけじゃない。通過の町にも、この温泉街にも……そこに生活する沢山の人々が居る。――そういう事の、一切を。頭で理解(わか)っているつもりでも、これまでは一度も実感した事が無かった気がする」


 心臓の音はとうに落ち着いて、私はじっと旦那様の言葉に耳を傾けていた。心地良さに閉じていた目を開き、背伸びして彼の顔を覗き込む。


「……今、は?」


 旦那様はしばらく無言で私を見返すと、私の頬に手を当てた。


「今は……お前が、側に居てくれる。笑いかけてくれる。――それが、全てだ」


 静かだけれど力強い言葉とともに、旦那様は湖面のような碧眼の瞳を揺らす。


 ――そうして、ほどけるように優しく微笑んだ。


 その途端、せっかくおとなしくなっていた心臓が、バクバクと大暴れを始める。


(……ああもう! ああもうっ!)


 地団駄を踏みたい気持ちで、両手で顔を覆って叫んだ。


「その笑顔、反則ですっ! 破壊力高すぎ!!」


「……? 別に笑っていない」


 いや自覚ナシかーいっ!!


 途方に暮れたような旦那様の声音に、こっちの方が笑い出しそうになる。顔を隠したままふるふると震えていると、旦那様から強引に手を引き剥がされた。


「女湯の片付けを手伝ってくる。お前は先に休んで――」


「私も行きますっ! みんなでやれば早く終わるしっ」


 逃がすものかと離れかけた手を捕まえて、そのままちゃっかり繋いでしまう。鼻息荒く言い放つ私に、旦那様はまた少し頬をゆるめた。


「……っ。さあ、急ぎましょ!」


「ああ」


 繋いだ手を、力いっぱい振って。

 二人一緒に大きく一歩を踏み出した。

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