第69話 初めましての挨拶です!
「女将。この宿で一番良い部屋を用意してもらおうか」
肩をそびやかした前国王様は、『人生で一度は言ってみたい台詞ナンバー2』をマリーさんに向けて言い放った。
言うまでもなく、このランキングは私調べである。
ちなみにぶっちぎりの第一位は『メニューの上から下まで全部持ってきて頂戴!』で、できればお寿司屋さんでやってみたい。贅沢ここに極まれりっ。
うっとりする私の横で、クロエさんが思いっきり首をひねった。
「そうかな? わたしは『この店にある画材を一切合切よこしなさい』だと思うけど」
「アタシはやっぱり美容系ね。塗れば塗るほどお肌が若返る保湿クリーム、なんてどーお?」
「はいはいっ! それならあたしは食べても食べても減らない魔法のケーキ! もしくはお酒っ」
「姉さん。想像しただけで胸やけするからヤメテ」
わいわいと議論に花を咲かせつつ、嬉しげに揉み手をするマリーさんに先導される。全員で連なって最上階の部屋へと向かった。
ひっそりと最後尾を歩く旦那様に合わせ、私も少しずつ歩調を緩めていく。お父さんと合流してから、旦那様は一言も発していない。
服の裾をきゅっと掴んで引っ張ると、彼はやっとこちらを見てくれた。無言で私の手を引き剥がし、お返しとばかりに指を絡めてくる。
繋いだ手からじんわり体温が伝わって、私はだらしなく頬を緩めた。にやにやと隣を歩く彼を見上げる。
「鬼ごっこは終わりですか?」
「……捕まったからな。お前の勝ちだ」
一瞬言葉を詰まらせた後、旦那様はぷいと顔を背けてしまった。拗ねているようなその仕草に、盛大に噴き出してしまう。絡めた指に力を込めて、体ごと旦那様の腕にぶつかった。
「捕獲成功ー! もう私から逃げられませんよっ」
ほんの冗談のつもりだったのに、なぜか旦那様は大きく目を見開いた。あれ、もしやスベっちゃった?
ぱちくりと見上げていると、旦那様は我に返ったように首を振った。自由な方の手を伸ばし、まだ濡れている私の髪を優しく撫でる。
その表情は楽しげで、口元にはあるかなきかの微笑が浮かんでいた。
「……っ」
出会ってから二度目の笑顔に、どくんと心臓が跳ねる。頬が一気に熱くなり、逃げるように旦那様の腕から離れた。浄化されて灰になるぅ!?
「――驚いたな。表情筋が正常に稼働していたぞ。クロエ、お前も見たか?」
「ばっちり。目に焼き付けて、ココロのアルバムにしまい込んだ。永久保存決定」
はっと気が付くと、全員が歩みを止めてこちらを注視していた。
旦那様がすうっと顔から笑みを消し去り、能面のような無表情に戻る。しまったぁっ、私も焼き付けておけばよかったぁ!
***
「うわぁっ、さすがは最高級の部屋! 広い広ーいっ」
「ジーン! 頼むからおとなしくしてくれっ」
はしゃぐジーンさんに、ラルフさんが泣き出しそうな声を上げる。前国王様を前にして、彼は緊張したように顔を強ばらせていた。
前国王様は面白そうに二人を見比べると、大きなソファで悠然と足を組んだ。
「楽にして構わん。今のわたしは引退後の年寄りに過ぎんからな。退位後はウェスター公爵に叙されたが、ヒューバート様でもさすらいのヒューさんでも、好きなように呼ぶが良い」
や、そう言われましても。
全員で困った顔を見合わせて、旦那様に助けを求めようと姿を探す。しかし、むっつりと腕を組んで窓辺に寄りかかった彼からは、「俺に話しかけるな」オーラがありありと出ていた。
ヴィンスさんとラルフさんから背中を押され、恐る恐る旦那様の元へと近付く。
旦那様に向かって手を伸ばしかけたところで、部屋の扉が荒々しくノックされた。
「――失礼いたしますっ! 魔法士団の方々!!」
案内を終えて出ていったはずのマリーさんが、血相を変えた様子で駆け込んでくる。場の空気が一気に緊張する中、彼女は挑むように私達を睨み回した。
「……女湯の露天風呂を開放したら、お客様から『湯船が凍りついている』と苦情が殺到したのですけれど。どういう事でしょう?」
『あ』
私と旦那様とクロエさんの声がハモる。
「心当たりがありそうですね? もう一度女湯を閉鎖しましたから、今すぐ! 可及的速やかに! 現状回復をお願いしますわ。もちろん転けた石も戻してくださいませね?」
口調こそ穏やかなものの、マリーさんの頬はピクピクと引きつっていた。握ったこぶしは怒りに震えているし。
旦那様はひとつため息をつき、壁際から離れて出口へと向かう。
「……承知した。今すぐ俺が――」
「行ったところで、アンタに氷は溶かせないでしょ。リオ、頼める?」
ヴィンスさんの唐突な言葉にきょとんとすると、リオ君が苦笑しながら肩をすくめた。
「僕が使えるのは火の元素魔法なんだ。――行くのはいいですけど、石を戻すのは手伝ってくださいね?」
「まあ、それはね……。ラルフの魔法も込みで頑張りましょ」
「あっ、ならあたしも行くよー! いくら閉鎖されてるとはいえ、男だけで女湯はちょっとね」
ジーンさんも手を挙げて、みんなで賑やかに部屋から出ていく。旦那様も後を追おうとしたけれど、振り向いたヴィンスさんからぴしゃりと制止されてしまった。
「アンタはこっち! ……久しぶりにご両親に会うんでしょう? ミアのことも正式に紹介してあげなさい。それがケジメってものよ」
むっと眉をひそめる旦那様を軽やかに笑い、ヴィンスさんはクロエさん夫婦に挨拶して出ていった。
「ミャーちゃん、こっちに座って。……シリル、も」
クロエさんからためらいがちに呼ばれ、私と旦那様は顔を見合わせる。
きちんと旦那様の名前を呼んでくれたクロエさんに嬉しくなって、お腹の底がムズムズしてきた。笑い出しそうになるのをなんとか堪え、旦那様とともに二人の向かいに腰かける。
興味深そうに私達を観察するヒューさんは、瞳の色以外は旦那様に少しも似ていなかった。赤金のような髪に、立派な眉毛。そして彫りの深い顔立ちは――強いて言うなら現国王様、シリル様のお兄さんにそっくりだ。
(……でも。怖くはないかな……)
迫力満点だったお兄さんとは違い、笑みを絶やさない口元と少し下がった目尻のおかげか、ヒューさんからは優しそうな印象を受けた。
「――こちらが、妻のミアです」
突然旦那様が沈黙を破り、私の紹介を始める。私は慌てて背筋を伸ばし、旦那様の隣で愛嬌を振りまいてみた。
にこにこ。
にこにこ。
「…………以上です」
いや終わりですかーいっ!
崩れ落ちそうになっていると、今度はクロエさんが緊張したように咳払いする。ぎこちない動きで、隣に座るヒューさんを示した。
「ミャーちゃん。こちらが旦那のヒューバート」
「はいっ。よろしくお願いしますっ」
「…………以上よ」
似た者親子ぉぉっ!
何も伝わってこないー!!
頭を抱えてヒューさんの様子を窺うと、彼は下を向いて肩を震わせていた。どうやらツボに入ったらしい。
クロエさんは目を泳がせて黙り込んだが、突然思い付いたように立ち上がった。その手には小ぶりな笛が握られていて、大きく開け放った窓から、夜空に向かって甲高く笛を吹き鳴らす。
――ピイィッ!!
しばらく待ったところで、バサバサと羽ばたきの音が聞こえた。もちろん、窓辺に降り立ったのは――
「ピーちゃん!」
「ぼげっ!」
ピーちゃんを腕に止まらせたクロエさんは、先程までとは打って変わり、得意気に胸を反らせる。
「そして、この子がペットのピーちゃん。一年前に怪我してるところを保護したの。炎魔鳥って魔獣の一種で、夜目がきいて長距離でもどんと飛べる。好き嫌いなく何でも食べるし、賢いし、優しくてとってもいい子」
「…………」
ツッコミどころは多々あれど。
ピーちゃんに関しては、情報量多いですね……?




